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人類史の0.0%以下

非常事態宣言の延長により非常事態が日常になる好ましい面は、浪費の価値観が逆転することです。元々高級な飲食店に行く習慣はありあませんが、日々の一食一食を大切に食べることの重要性を認識させられます。豪華で素晴らしい非日常というものに人はすぐに慣れてしまい、反動で日常が退屈でつまらないものに見えます。贅沢な料理を食べ、高級車を乗り回し、遠くまでレジャーに出かけるような生活が好ましいのは景気浮揚効果だけだと思うのは、自分で生活のハードルを上げるほど日常に不平不満を持つようになるからです。人間は大概の刺激には慣れる特性があるために、生涯に渡って常にドーパミンが出るような刺激を与え続ける生き方は疲れます。生活を節制して消費を我慢するより目の前の人生を謳歌し方が良いと思えるのは健康なときだけです。人生全体の収支バランスを考えるなら、体に異変が現れるまで生活を改めず、症状が快方に向かえば元の生活に戻る愚かさは避けるべきでしょう。人類の歴史がどこから始まるかは諸説ありますが、どこを起点にしてもわれわれが信奉する現代的なライフスタイルは人類史の0.0%以下でしかないのですから。

Conscientiousな人生

住宅街を歩くと所狭しと植木鉢を並べる家を見かけますが、緑を身近に置きたいのは自然な欲求でしょう。日の出前に近所の神社に行くとそこだけは鬱蒼とした森が出現する別世界で、見上げるほどの木々の下で手をあわせることは都市で一日を始めるのに好ましいルーチンに思えます。同じ時間に参拝する中年女性の所作の美しさは、人を騙さず真面目に働いてきた日本人の誠実な姿を感じさせます。現代の日本が世界有数の長寿国になれた理由はマクガバンレポートに書かれる伝統的日本食よりも、島国特有の良心的で誠実な生き方にあると思います。人類史上最も長期に渡る健康に関する調査は1921年にスタンフォード大学のルイス・ターマンが当時10歳前後の児童1,528人を対象に始めたものです。ターマン教授の死後この研究はカリフォルニア大学のハワード・S・フリードマンに引き継がれ足掛け80年に渡った研究プロジェクトの結論は、健康長寿のキーワードはConscientious(誠実な)な性格でした。真面目で良心的で誠実な人は健康的な習慣を維持でき、心のブレ幅が少なく、欲を追わず今の生活に満足をしているからでしょう。

小利口が生きる目的?

一年で最も日中の時間が長い6月に入りすでに今年も半分が過ぎた感覚です。月日の経過を早く感じるのは歳を取ったからではなく生活が単調だからでしょう。やるべきことがないと時間を持て余し退屈するのではなく、何をするのもゆっくりになるので一日があっという間に終わります。近所を歩くと自分の10年後、20年後と思しき人があてもなくただ通り過ぎる人を眺めている光景を見かけます。別の時間に通ってもそこに佇んでいる姿を見ると、リタイアという思い込みの残酷さを考えます。それは生活の一断面に過ぎず必要なルーチンかもしれませんが、その表情は生気に欠けます。昔ならアーリーリタイアが夢でしたが、仕事のある日常こそが生きる力を与えると思います。組織内でうまく立ち回る小聡さが優秀と評価されがちなサラリーマン生活に慣れると、自分は利口であらねばならぬと思い込み、自分の本音ではなく他人の基準で小利口に生きることが目的になります。優秀なサラリーマンのリタイア後が必ずしも幸せとは限らないのは、長年の習慣が自分の本音と居場所を見つけにくくしているからかもしれません。

人類史最大の皮肉

人生を変える・・というのは宣伝の常套句ですが人生を変えるような出来事など実際には滅多に起きません。自分の身に起きたことで考えると糖質制限で20kg痩せたことは人生の転機になりました。それまではあらゆるダイエットに挫折したのに糖質制限だけはリバウンドなしに文字通り信じがたいほどの勢いで体重が落ち膝痛をはじめとしたあらゆる不調が消え、学生時代以来の運動を始めました。それまでの怠惰な浪費生活から半分足を洗うことができ、少食になり何を見ても無闇に欲しいという感情が起こらなくなりました。私の回りでも同様の方法でダイエットをする人がいてその勝率はおおよそ半々で、成功するのは素直で信じやすい人です。今でこそ断食や一日一食を生活に取り入れる人は増えてきましたが、一方で一日三食では人生が短すぎると嘆く意見が大半でしょう。しかし人類が長い年月をかけてせっかく手に入れたほとんど食べずに生き延びる超省エネ設計の素晴らしい体の有り難みを忘れ、今では食べることが人生の生きがいを構成していることは人類史最大の皮肉でしょう。

捏造された食欲

行政が自宅謹慎を主導する非常事態は、見方を変えると最高のデトックスかもしれません。デジタルデトックスの有用性は以前から知られますが、そのメリットはフードポルノなどにより喚起される執着を避け、自律神経のバランスを取り戻すことだと思います。スマホの高性能化により美しく撮影された料理を見るとそれまでは感じなかった食欲が喚起され、旅先の美しい写真を見れば旅に出たくなり、あるいは羨ましいという嫉妬が起こります。ドットの集合体に過ぎないデジタル信号によって食欲は簡単に外部から操作され感情は操られます。購買意欲をそそるシズル広告に消費者が加担してくれる状況は店にとってはありがたい限りで、最近では写真撮影を禁じる店も少なくなりました。無闇に外出して店に近づかなければ購買欲求は起こらず、買えば買うほど執着は増幅され、外部のノイズにさらされるほど捏造された食欲で感受性は劣化していくのかもしれません。世俗的な幸せを追うほど、欲と嫉妬と執着の終わりなきサイクルから抜け出せなくなるのでしょう。

人生は消費量を競うゲーム?

昨日は自宅から徒歩20分ほどにある曹洞宗の鶴松山実相院に行きました。手入れの行き届いた深閑とした境内に入ると鎌倉あたりの有料寺院と遜色ない庭が広がり、誰もいない朝の静寂は都内であることを忘れます。半世紀以上住みながら遠方の観光地にばかり気を取られ自宅の徒歩圏にこれほどの卓越した場所があることに気づきませんでした。自分の感性よりマスメディアに影響を受けると、より遠くへ、より豪華に、より大量に、と人生は消費量を競うゲームだと信じ、誘惑を誘うものに自らひき寄せられます。外因的な欲望に突き動かされる心理は中毒症状に根ざしたもので、そのサイクルで得られる満足こそが真実だと錯覚します。食事で最も幸せなのが最初の1口であるように幸福感のピークは買って消費した瞬間から逓減していきます。その効用を補うためにあてがわれる次の欲望は生産者にとっても消費者にとっても好都合です。これが社会のコンセンサスになり、経済とは中毒依存を利用した騙し合いとも言えます。自分の外に幸せを求めるより、幸せ感度を上げ、日常にありがたさを感じる心を取り戻せば見える景色は自ずと異なるのでしょう。

公園にはカフェを

昨日は渋谷区の公園で初となるPark-PFI(公募設置管理制度)で運営する北谷公園に行きました。1963年に開園した960㎡の公園を民間資金の活用で先月リニューアルオープンし整備・管理を行うものです。公園通りから細い路地を入る場所にある公園の存在を知る人は少ないと思いますが、以前は駐輪場や喫煙場利用者が訪れる公園だったようです。ブルーボトルコーヒーが出店することもあり、周辺はコーヒーショップの集積地域になりつつあり、公園に人が集まることで裏通りに人の流れができ周辺の不動産価値も上がりそうです。キーテナント以外にフードトラックの出店スペースや半屋外のイベントスペースがあり地域活性化の拠点となる可能性があります。近くにある渋谷区立宮下公園ではPPPによる30年間の定期借地権で公園を改修し、地上17mの立体都市公園として商業施設やホテルを整備しており、関心が高まりそうです。彫刻家のイサム・ノグチ氏が基本設計を手がけミシュラン星付きレストランまで入れた札幌近郊のモエレ沼公園などのように、全国に11万以上ある都市公園等が活用される端緒になるのかもしれません。

そのこだわり必要ですか?

人類の進化とは増やすことの歴史だったと思います。次はいつ食料にありつけるか分からない時代から毎日食べられるようになり、その回数も2回、3回と増えさらに間食まで加わりました。食事を減らすと食費と食事時間が浮くだけでなく睡眠時間も減り起きている時間が増えます。食事が美味しくなり肌ツヤは良くなり体調も体重もベストの状態を維持でき活力は増します。唯一のデメリットは食べる楽しみが減ることですが、食事を減らすことで感受性が強くなり食べる楽しみはより豊かになると思います。人間は失うことを過度に恐れますが、食事を減らすと感覚が研ぎ澄まされ味覚ばかりでなく、視力と聴力が改善され音楽を聞く時のボリュームが下がり、車を運転するとスピード感が増します。嗜好も変わり、以前は好きだったコーヒーを飲みたくなくなります。過剰な刺激のサイクルから離れると心が落ち着き、多くの研究が示すように健康は増進されます。人間は本来究極の省力設計がされた存在であり、大量消費に仕向けられた現代のライフスタイルが物欲、こだわり、執着という負のスパイラルに人を誘うだけだと思います。

世界は今でも平和だった

オリンピックの動静と注射に注目が集まりますが、この一連のパンデミック騒動を後の時代の人がどのように解明するのか興味があります。2020年の日本の総死者数は異例なことに減っているわけで冷静な行動が必要でしょう。10年周期とされるコロナウィルスの当たり年だっただけで、世界が冷静に対応をしていたなら恐怖のどん底に陥れることはなかったと指摘する専門家もいます。路上で突然人が倒れるような映像がSNSで拡散された結果恐怖で人が一気に病院に押し寄せ医療崩壊が起こり、免疫のない医師が大量暴露した結果感染増強(ADE)で急死し、武漢がロックダウンしたことでそのニュースがあっという間に世界に恐怖を拡散しパニックが増幅されたという仮説も成り立ちそうです。火事なんか起こってないのに誰かが火事だ!と叫んだ結果出口に人が殺到して将棋倒しになって死んだようなものです。昨年2月に東京都医師会が出した声明とダイヤモンド・プリンセスの報告書の通り、通常の感染症対策と徹底した接触感染対策で騒がず冷静に対応していれば世界は今でも平和だったのかもしれません。

刺激のない刺激

しばらく東京で過ごしていると自然欠乏症になります。といっても別段発作が起こるわけではなく、山で過ごしているときに感じる瑞々しい充足感が恋しいだけです。環境心理学者は、小児期の自然環境への曝露と後年の環境選好との関連を指摘しますが、子供の頃には清流と言えないまでも近所には小川が流れエビやイトミミズなどが生息していました。その当時の記憶なのか、はたまた遠い原始の祖先の記憶なのか、物欲や食欲よりもむしろ自然に触れたい欲求が強くなります。もちろん都会にいても自然を意識することは可能です。早朝にラブラドールと近所の神社に行き、大木が覆う参道を歩くと今の季節なら日の出前の4時頃には鳥が賑やかに鳴き始めます。鳴き声のシャワーを浴びてから公園で空を見上げ、日の出の太陽光を浴びるだけで心が安らぎます。仕事をする時や、人工的な欲望に夢中になる時は脳がひとつのことに集中しているのに対して、自然環境での脳の興味は分散され疲れません。それは、不規則な規則性を持つゆらぎに満ちた自然がもたらす、刺激のない刺激こそ人類が長年シンクロしてきた環境だからでしょう。

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