幸福のための執着と稼ぐための執着

昨日は八ヶ岳南端の西岳から青年小屋まで往復しました。この時期としては多い積雪のためスノートレッキングにはこの上ないコンディションです。森の冷気と霊気を感じながら山を下るスノーランがもたらす幸福感に勝るものありません。自然のなかで過ごせば無条件に幸せですが、一方で商業的サービスがもたらす幸福はいつも条件付きで欲望や執着がつきまとう気がします。稜線に上がると肌を刺すような風が襲いますが、下山後に冷え切った身体を湯船に沈める幸福感を得るにはさしてお金はかかりません。お金は身の丈の生活の範囲に使うものであって、華美な洗練や快適さ、安楽を買えばそこから執着が芽生えるのでしょう。幸せを商業化する技術は年々巧妙化しますが、幸せは外部に求めるものではなく自分の内側に見つけるものだと思います。本来の自由とはモノからの自由を意味したはずですが、大半の人は消費する自由を求めます。際限ない消費を求めた結果、効率よく稼ぐ必要が生じ、時間節約のためお金を払いそこにも執着が芽生えます。幸福のための執着と稼ぐための執着を手放すことなしに幸福に近づく道はないのでしょう。

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