妻が友人と京都に行き、一人で家にいると好きに振舞える開放感があります。必要を超えて人付き合いをしない自分とは逆に、八方美人的交友関係の広い妻が週末家にいることは多くありません。日本人の多くは友達の多さを好ましいと考える傾向がありますが、人類がグループを形成してきた歴史は生き残るための機能体としての必然があったからです。その名残として、人体は他人との暖かい交流をするときにオキシトシンを分泌し、長寿者は濃厚なコミュニティと相関することが知られます。一方で現代は、一人で生きられる時代になり、単身世帯が増えています。専門家は孤独こそが健康の大敵と警告しますが、より正確に言えばそれは孤独感です。一人でいることを否定的に考えれば健康に害を及ぼすことは、空腹と空腹感の関係においても同じでしょう。何事もネガティブにとらえることが人を悩まし健康を害するのだと思います。
度を超した自己中心的な世迷い言
一昨日は小学校以来の友人が家に来て、泊りこそしないものの9時間近く話をしました。それでも話足りない話題があり、昔から知る間柄というのは話が尽きないものです。彼に限らず、消息を追える最古の友人は小学校以来の知り合いで、それぞれがそれなりにドラマチックな人生を送り、一種のコホート研究と言えそうです。小学校時代の性格が大きく変わることはなく、その後の人生に投影されている点は、三つ子の魂百までを地で行くようで興味をひかれます。彼とは性格も生活も仕事も考え方も違いますが、似ているのは議論好きという点で、人は何のために話すのかを考えます。SNSの投稿にも見られますが、人は自分自身について語るとき、生理学的に快感を得られることが機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)を用いた脳の実験で分かっています。度を超した自己中心的な世迷い言を聞いてくれる友人は貴重です。
定年後は長い
人生において、たいした挑戦もして来なかった自分にとって、大器晩成型の偉人の話は心を癒してくれます。スポーツ界なら、イタリアでは神様と呼ばれるトレラン界のスーパースター、マルコ・オルモでしょう。レースは、仕事の上では不遇だった前半生へのリベンジだと言い、74歳の今もアドベンチャーレースに参戦します。58歳と59歳で世界最高峰のUTMBに二年連続優勝した偉業が塗り替えられることはないでしょう。ビジネス界なら、KFCでおなじみのカーネル・サンダースこと、ハーランド・デーヴィッド・サンダースです。65歳で無一文になり、90歳でこの世を去るまでケンタッキーフライドチキンの顔として活躍する人生は壮絶そのもので、吊り橋が切れて車ごと谷に落ちたり、4度死にかけたと言います。人生を振り返って何かを後悔するとしたら、それは情熱を傾けられる何かをやろうとしなかった事でしょう。幸い日本人には定年後も長い時間が残されています。
早寝早起きは昼夜逆転?
肥満やアレルギー、膝痛、腰痛、リーキーガット症候群を食欲のコントロールで克服した今、健康の悩みがあるとすれば睡眠です。早寝早起きが行き過ぎた結果、今では21時前には睡魔が襲って来て気絶したように眠り、朝は午前1時頃から始まります。もはや昼夜逆転の夜型生活と言えるかもしれません。何事も行き過ぎは有害ですが、かといって体調が悪いわけではありません。明かりのない原始の昔は暗闇とともに眠り、いつも空腹のはずですから睡眠時間は短く、夜中には起き出して夜行性の猛獣などに備えていたのではないかと想像します。夜中は誰にも邪魔をされない一人になれる時間です。YouTubeを見たり、本を読み、音楽を聴き、アウトプットをする時間を心地よく感じます。権威やエビデンスとやらが幅を利かせる時代ですが、エビデンスと言った瞬間にそこには何等かの意図が働き、健康はすべて自分流で良いと思います。
食べない行為は食べること
昨日表参道に行くと、人気ベーカリーAMAM DACOTANの前には雨のなか、相変わらず多くの人が長い列を作ります。よほどの必然性がない限り、並んでまで何かを買いたいとは思いませんが、人々をそこまで動機付ける理由は、ドーパミン的な小麦中毒だけでは説明がつきません。数あるベーカリーのなかで、この店に限って行列ができる理由は、空想世界のような空間と創意にあふれビジュアルで訴える総菜パンを買う行為がショーであり、列に並ぶことはその期待と熱量を高めるからでしょう。行列を作り待つことは苦痛ではなく、それ自体が商品価値の一部を構成します。断食後の空腹時に食べる食事が美味しいために、断食そのものを楽しく感じられるように、食べない行為が食べることの一部を構成します。軽いストレスはホルミシス効果により生命力を高めることが知られますが、欲をすぐに満たさないことが、幸せを持続させる方法なのかもしれません。
生業の魅力
取引先の地方銀行に振込に行くと、ATMがカードを認識しませんでした。窓口に行くと女性が「カード再発行を申請するしかないですね~」と余計なことは一切やりたくないという対応です。次に出て来た男性も不親切なことは同じですが、社印がないなら申請書を窓口に持ってきてもらうしかないと上から目線で、急いでいるのに振込めなくて困っている相手に寄り添う気はないようです。比較的恵まれているはずの銀行員でさえこの程度ですから、日本経済に活気がないのも当然かもしれません。寄らば大樹の陰的な安定志向が、プライドだけ高くて生産性の低い人たちと閉塞状況を生んだと思います。働くことに自分の人生を取り戻すのが生業的発想のような気がします。暮らしを立てるための生業は真剣で清浄な生活の上に成り立ち正業となり、それが共感を呼び盛業となり、人生という事業を成業させると思います。
豪華な料理より魅力的
旅館営業を休止してから3年が過ぎ、それでも最大の関心事は宿泊業の収益化です。国の支援が始まり旅行市場が活気づき始めましたが、その機運は続かない気がします。コロナ騒動は東日本大震災以上に人々の生活を変え、生き方をも変えてしまう影響があるからです。アドレスホッパーのような生き方は一部の現象とは言え、そうした生き方を人々が意識し始めたことが地殻変動をもたらすと思います。物財をやり取りしてきた宿泊業は、客商売の本質に戻るのでしょう。先日の安曇野の宿では、合わないと感じる客は来たことがないと聞きましたが、人間関係ができてしまえばトラブルは生じません。贅沢な客室も非日常の体験もわき役でしかないのに、宿は旅の本質である人との触れ合いに無頓着だったように感じます。豪華なお仕着せ料理より、宿泊客と話ながら献立を決め、その大半が自家栽培という食事の方がはるかに魅力的です。
プロモーションと脳の結託
昼時の赤坂を歩くと、様々な誘惑によりつい飲食店に入りそうになります。30年のサラリーマン生活で、脂肪を溜め込むためにどれほどのお金を使ったことかと思います。胃の調子が優れなくても、食べることがデフォルトになっている脳は、その疑問を打ち消します。一食抜くこともありましたが、それでも食べ過ぎです。一品でも多く売ることが使命の店では、悪い評判が立たないように客を空腹で帰すことはしません。午後は、穂高養生園で、15年間料理を担当した野本弥生さんの出版記念イベントに行きました。養生園は三島由紀夫門下の福田俊作代表というカリスマが主宰するリトリートです。初めて行った30年前は、10時と17時の一日二食の食事に戸惑いましたが、今はそれが普通です。多くの人が腹八分目を実行できない理由は、食欲を促す産業側のプロモーションと脳が結託し、食べないことの快適さに気づかせないからでしょう。
幸せを感じる建物
事業の参考にするために白馬にあるMOUNTAIN HUTというカフェ兼住宅を見に行きました。元々スキーヤーや登山家の集まる伝説のシェアハウスがあった場所ですが、2014年の長野県神城断層地震で全壊した跡地に、人々が集まる場所を再建したプロジェクトです。1.25間×6間の延床面積24.84㎡の小さな建物は、山小屋のような雨風が凌げる建物の本質を目指した潔さがあります。ハーフビルドを前提に施工しやすさを考えた設計は、積雪で足元の曲がった木を使い、しっくいのタイルは自分たちで作り、合板はホームセンターで買える仕様、ヤフオクで購入した古民家建具の寸法から逆に設計していくという凝ったものです。建物をつくる過程に人々が集まり、コミュニティ形成のきっかけになります。隙間風は入りますが、小さな建物はすぐに暖まり酸欠にならないメリットもあります。幸せとは、これで十分と思うか、まだ足りないと思うかで決まりますが、幸せを感じる建物でした。
贅沢を取り違えた都市
サブスクリプション住宅の普及によって、旅と居住の境界が曖昧になりました。それでも短期間に移動して見聞を広める旅の人気は衰えません。良い旅とは誰もが持つ変身願望をかなえること、すなわち人生を変えるインパクトが必要だと思います。意図的な刷り込みや雑音に満たされる社会にあって、本当の自分がどんな存在かを見つけることは難しくなっています。唯一旅は、それを実現してくれる気がします。安曇野では鶏やアヒルたちと北アルプスを望む畑に行き、朝の収穫をします。無心に虫や微生物、菜っ葉をつつく鶏たちを見ていると癒され、ここで感じる幸せこそが本心だと分かります。動物たちと触れ合い、自分の手で育てた野菜を食べ、山々に囲まれた田園地帯で働き、自分の好きなことに時間を使うこと以上に贅沢な暮らしがあるとも思えません。贅沢を取り違えた都市から人が離れて行くのは、自然な流れに見えます。