東京株式市場では東証株価指数が1990年8月以来33年ぶりにバブル後最高値を更新しました。妻が証券会社に勤務するため取引に制限を受けることが幸いして、ほとんど株はやりませんが、ハイリスクな株取引をする人の脳はギャンブル依存症と同じだと思います。ドーパミンなどにより脳内報酬系が刺激されて得る快感を求めて繰り返される依存症は立ち直るのが難しく、かつて106億円を溶かして、特別背任で懲役4年の実刑判決を受けた元大王製紙会長の井川意高氏が、韓国のカジノで目撃されたと報じられます。もっとも氏の場合は、大王製紙株を売却することで手元のキャッシュは増えたとされますので、この程度の痛みでは足りなかったのかもしれません。痛い経験をしても問題行動を繰り返す人は、自己を客観的に見る自己認識が欠如しており、内省と自己探求といった、自分自身について考える時間が必要なのでしょう。
なるべく買わずに暮らす
3週間ほど一日一食の生活をすると、それ以上に食べたいと思わなくなります。食べれば食べるほど食欲が増し、減らせば食欲が正常に戻ります。習慣的に買っていた菓子類を買わなくなり、甘いものが欲しいときは焼き芋を焼くかバナナを食べます。食習慣の多くは産業界によって操られたもので、簡単に作れるドレッシングはもう何年も買っていません。よく飲んでいた紅茶をレモン汁の入ったお湯に変えると、眠りが深くなり利尿作用もないので夜中にトイレに起きなくなります。食欲が正常に戻ると物欲も減退するようで、アマゾンの購入履歴を見ると昨年や一昨年より買い物の回数が減っています。食べるにせよ、買うにせよ、操作された中毒症状に気づけば浪費は消え、健康になり、なるべく買わずに暮らすことで満たされ、生活に清々しさを感じます。
虚飾を削ぎ落した悟りの旅
ChatGPTに続き、マイクロソフトやグーグルのAIが出揃い、2023年はAI元年として記憶されるはずです。ホワイトカラーの9割は不要といった過激な主張も聞かれ、それがあながち誇張に聞こえない不気味さがあります。一方で、蒸気機関を始めとした人類の発明の多くは、人の能力を超える機械を生み出す歴史であり、AIもそのひとつに過ぎないと言えます。デジタル化により漢字が書けなくなり、記憶力が低下したように、人間の知識や思考力、発想力が奪われるのは必至でしょう。人類に残された領域は体験を通じて得た知恵や理解、思想信条とひらめきだけかもしれません。人は学ぶために旅をするようになり、それはモノ消費からコト消費と呼ばれる静的なものではなく、魂を揺さぶるような動的な体験だと思います。宗教の修行のように、肉体の限界に挑む冒険旅行はその最有力で、虚飾を削ぎ落した悟りの旅がAI時代のトレンドになる気がします。
信じられる何か
かつてジモティーのトップも務めた起業家・投資家であり、昨年10月に突如出家した小野龍光氏のインタビュー動画を見ました。ビジネスの世界で成功しながら得度したのは、自分自身を生きていない人生が苦しかったからと言います。誰しも人生に疑問を持つ時がありますが、信じられる何かに従い行動をする人は少数派です。心を喜ばせる生き方をするには、物質世界に埋没していく刹那的な煩悩の魔力に対抗する信念が必要です。仏門に入らずとも、第二の人生とは自身の内部に焦点をあてる悟りの世界に向かうことだと思います。人が細胞分裂により成長するように、第一の人生は外部世界への拡張ですが、更年期を境に肉体は変化します。生活習慣病は、身体の変化に生活を合わせないことによる異変と言えますが、物欲や執着など、自分から外付けのブランドを外して行くことで最後に残るものが人間の本質であり、その人の魅力なのでしょう。
唯一の現実など存在しない
試験運用中のGoogle AI「Bard」を試してみました。最新の情報に基づき回答を生成し、複数の回答案を提示するなど利便性は向上していますが、少し試した範囲でも誤情報に基づく回答が見られます。情報の正確性が担保されない点はChatGPTと同じですが、情報がなまじっか更新されているだけに、真に受ける人は増えるはずです。洗練されて気の利いた回答をするが途中で生成を止めてしまうChatGPTに対して、Google AIはありきたりの回答をし、校正を依頼すると意訳をします。人間に求められるスキルはAIが生成するもっともらしい嘘を見抜く力になるのかもしれません。マスメディアによる切り取り報道や印象操作も含めて、外部からもたらされる情報には疑いの目を持つ必要がありそうです。一方で私たちは、各自のフィルターのかかった伝達装置により外部世界を認識しており、元々唯一の現実など存在しないのでしょう。
高額支出に値する観光
昨日は、東京ビッグサイトで開催中の国際ウェルネスツーリズムEXPOに行きました。セミナーで印象に残ったのは、海洋哺乳類との交流を通じて健康を促進するドルフィンセラピーでは、健康なイルカのみが人を癒せるという話です。同様に、私たちを癒してくれる森林などの自然も、健全な状態に維持されなければ共倒れになります。世界のリゾート地では、コロナ禍により旅行者が激減し、自然が回復するという皮肉な現象が起き、オーバーツーリズムの弊害が叫ばれるようになりました。入場制限や有料化の対策が取られる地域もありますが、重要なことは高額支出に値する観光へと転換することだと思います。健康を損ない、執着を増幅させる贅沢にお金を払い、再びお金を払って体を癒すという産業主導の付加価値ではなく、最も大切な健康への投資としてのウェルネスツーリズムは、一つの方向性を示しているように見えます。
成長を体感できる旅
アイランドピーク(6,189m)の登頂を目指していた妻から、山頂まで約100mを残した6,070m地点で、強風のために撤退したと連絡がありました。経験豊富なクライミングガイドの判断は絶対ですが、長年の夢でもあり、頂上からエベレストを始めとした山々を見たかったはずです。無念で下山中に声を出して泣いたと言いますが、それでもヒマラヤの6,000m超の地点に素人が立てたこと自体幸せでしょう。はるかにマイルドな北アルプス縦走でさえ魅力的な旅ですが、8,000m級の山が連なり、宿泊施設も充実しているエベレスト街道は理想的な目的地に見えます。人生にとって大切な旅とは、文明の利便性から距離を取り、苦労をしながら自己の探求と成長を促す旅だと思います。対象は何であれ、アウトドアアクティビティを通じて自己の限界に挑戦し、成長を体感できる旅こそが感動をもたらすと感じます。
食後の余韻
妻がしばらく家を空けているため、料理をする機会が増えました。娘と2人分ですが、それでも目標時間までになるべく短時間で料理を作るためには、料理脳とも言える部分が働きます。料理脳とは、素材の特性や調理法に対する理解ではなく、それらを最短工程で作るための段取り力です。旅館を営んでいた頃は、この脳の働きが生命線でした。人生に後悔があるとすれば、比較的最近まで料理をしなかったことです。他人に作ってもらった美味しさよりも、自分で工夫して発見する美味しさの方が刺激的です。以前は中華料理をよく食べに行きましたが、手抜き調理で簡単に作っても外食と遜色ない味に仕上がります。外食に気が進まないのは、外での環境ではくつろげず、味わうことが難しいからです。好きな音楽でもかけながら、周りを気にせずにリラックスして食べることができ、誰に気兼ねすることなく食後の余韻に浸ることができます。
勉強するオタク
最近聞く音楽と言えば、入浴時に聞く自律神経を整えるYouTubeぐらいですが、若い頃は誰しも音楽に熱中するものです。娘もK-POPライブにしばしば参加し、英国にいるときは夜行バスなどでヨーロッパ各地の会場に足を運んだそうです。その魅力は、SNSで知り合った同じ趣味を持つグループへの帰属意識にあり、比較的マイナーなグループを支持するのは、アーティストとの一体感を得やすいからでしょう。アーティストの供給地は日本から韓国、そして中国へと、よりハングリー精神の高い場所に移っている印象を受けます。ワールドツアーを行うアーティストの場合、3か国語以上を話すことが一般的ですが、マイナーなグループの動画には字幕がつかないため、オタクたちも同様に語学の勉強に励みます。情熱を注ぐ対象を持ち、そのために学ぶ姿を見ると、これまでの遺産と惰性で生きる日々を送りがちな身としては羨ましくもあります。
庶民に手の届くラグジュアリー?
連休は日本各地に賑わいが戻ったようです。一方で出かけることに気が進まない人もいて、自分もその一人です。「死ぬまでに見たい絶景」と言った宣伝を見ても重い腰を上げようとしないのは、どこに行っても、何が起こるか予想ができるからでしょう。その気持ちが多少動いたのは、ネパールにいる妻から送られて来た動画を見てからです。標高5,500mを超えるアルピニストの領域に入り、荒い息づかいから空気が薄いことが分かります。体調を崩した同行の方はヘリコプターでカトマンズに下山すると言います。次の旅のトレンドはラグジュアリーな冒険旅行と言われて久しいのですが、苦難を乗り越えることでしか見たことのない景色や自己超越の域に至ることはないのでしょう。ポーターが荷物を担ぎ上げ、宿では暖かい食事が出される贅沢さは、庶民に手の届くラグジュアリーと言えるかもしれません。