庶民のアフォーダブル・ラグジュアリー

昨夜は秘境として知られる檜枝岐温泉に泊まりました。日本秘湯を守る会の施設ですが、比較的新しい5階建てのビルに秘湯の風情はありません。しかし大手のコンビニまで車で1時間かかり、唯一の商店であるJAは15時に閉まります。雪の降る南会津で藪払いをして冷えた体を、露天風呂は芯から温め、心身を癒してくれます。スタッドレスタイヤを交換するついでに温泉に来たのですが、東京の量販店よりも栃木県の行きつけの店は2万円ほど安く、宿泊代と燃料費を入れてもおつりが来ます。週末に安い温泉宿に1人で行くようなささやかな贅沢が好きなのは、それが肩ひじ張らず持続可能な庶民のためのアフォーダブル・ラグジュアリーだからだと思います。言い訳になる用事がないとどこかに行く気が起きないのは、行楽目的だけでは本当に楽しいと思えないからかもしれません。

迷惑客の宿泊拒否

カスタマーハラスメントを繰り返す迷惑客の宿泊拒否を可能にする、改正旅館業法が今月から施行されます。料金の不当な割引や慰謝料の要求、過剰なサービス、社会的相当性を欠く謝罪の要求、宿泊直前のキャンセルなどの行為を繰り返した場合が対象となります。1948年に施行された旅館業法は、戦後の混乱期に宿泊を拒否された人の行き倒れを防ぐ目的から、原則宿泊を拒めないとされてきましたが、年々悪化する理不尽な要求に対応した形です。背景にあるのはストレス発散やゆがんだ正義感、思い込み・勘違いなどの強い執着を持つ客が増えたことだと思います。正当なクレームとカスタマーハラスメントの間に一定の線引きをしたことは評価できますが、根本的な解決にはならない気がします。顧客との良好な関係を築くためには、リスクの高い客を受け入れなくても済む事業者側の商品計画が必要かもしれません。

正常な食欲を維持する方法

日本工学院に出講する木曜日は、自分本来の食欲と向き合うことができます。食べ物が手の届く場所にある普段の生活は食欲センサーを狂わせ、体が欲していないのに大脳は食欲という幻想を生み出します。この季節に届いてしまう株主優待のお菓子類は不幸のギフトで、目の前にある食料を無視できないのは、長年飢餓に苦しめられてきた人類の性があるからでしょう。少食が健康長寿につながることは知られますが、正常な食欲を維持することが難しいのは、DNAに刷り込まれたプログラムが心を動かしてしまうからです。食欲の大半は間違った欲求であり、体を維持するためではなく感情を紛らわすために食事をします。食欲に振りまわされない方法は、煩悩を刺激して欲望をかきたてる情報を遮断することで、食品に近づかないことでしか正常な食欲を維持することができない気がします。

社会資本の共有こそが宿の卓越性

昨日は宿泊ビジネスに関するブレストに参加し、宿のあるべき姿を確認する機会になりました。多くの商品計画において、ホスピタリティやアメニティといった高付加価値化を崇めるあまり、コストとのトレードオフをどのようにして解決するかという実践に踏み込むことは二の次にされます。現在のようにインバウンド需要が戻り始め、市場が活況を呈し始めるときこそ要注意で、ホテルとはかくあるべきといった非効率な精神論が無批判に語られがちです。その根底にある原因は、宿が一種のステイタスシンボルとして、または成功の象徴であるトロフィーとして作られることが多いからのような気がします。宿泊業の醍醐味は面白い人が集まり、居ながらにしてそこから何かが始まる現場を目撃できることにあると思います。新しいビジネスの孵化器となる、社会資本の共有こそが宿の卓越性なのかもしれません。

筋肉を貯める楽しみ

初冬とは思えない暖かい日が続きますが、明日からは日没時間が一年で一番早くなります。クリスマス商戦も始まりますが、年々地味になる印象を受けます。派手にお金を使う予定もないので、むしろ好ましい傾向ですが、皆がモノを買わないと景気の回復を実感できず、元気が出ません。その一方、お金で実現するこだわりなど所詮、はかないものだと思うのは、幸福を求めるほどに不感症になり、より強い刺激が必要になるからです。料理にしても、選択できるのであれば美味しい方を選びますが、それにこだわり執着となっては息苦しさを感じます。与えられた商品に散財して人生を謳歌する気になれないのは、身近な山に登り、素朴ないで湯と質素な宿の料理に満足する消費の方が本音に近い気がするからです。きれいな空気を吸い、運動で血流を良くし、同時に筋肉を貯めるお金のかからない楽しみが性に合うのでしょう。

冬の食料保存庫

週末はオフグリッド・自給自足生活で暮らす友人宅に伺い、里芋や菊芋を分けていただきました。里芋が種芋の上に親芋ができ、子芋、孫芋と連なることを知りましたが、畑から遠ざかる都会生活がいかに無知かを感じます。天然のインスリンとも呼ばれる菊芋は次々と掘り出され、収穫の喜びをもたらします。自らの畑で汗を流し、畑が冬の間の食料保存庫になる素敵な暮らしは、精神的な自由と健康的な体を得られます。山々に囲まれた静かな畑に立つと、豊かさの本質が何かを教えてくれ、出世やセレブな生活を望むことは、自らをメタ認知で客観的にとらえることができない人なのかもしれないと思います。普段は目にすることの少ない親芋はしっかりとした食感で煮崩れせず、カレーに入れるのは初めてですが具材として最適です。せめて収穫が最盛期を迎える季節ぐらい、食料を手にできることへの感謝の気持ちを持ちたいものです。

低山はブルーゾーン

木曜日は菰釣山(1,379m)と鳥ノ胸山(1,208m)に行き、土曜日は守屋山(1,651m)、日曜日は笹子雁ヶ腹摺山(1,358m)に登りました。晩秋から初冬にかけての季節は、夏なら暑くて登れない近郊の低山が魅力を増す季節です。紅葉シーズンを過ぎた山からは人影が消え、この季節らしい初冬の風情を楽しめます。落葉した森が明るくなり、落ち葉の敷かれたトレイルは走るのに最適です。毎週のように山に入ると、たとえ低山でも2、3時間歩き続ければ足腰が鍛えられ心肺機能も向上します。不整地をゆるゆると走れば関節の可動域が広がり、怪我とも無縁の体になります。100歳以上の長寿者が集中する世界のブルーゾーンは、標高の高い急傾斜地が特徴で、自然のなかでの活発な身体活動がエクササイズとなる共通点があり、低山のトレッキングはそれに近い運動かもしれません。

端的に言って、幸せすぎる…

昨日は諏訪大社上社から守屋山東峰(1,631m)、西峰(1,651m)に登りました。朝こそ氷点下2度でしたが、気温が上がり風もない絶好の登山日和です。普段は杖突峠の駐車場から登り始めますが、諏訪大社からは往復12km、累積標高1,111mのよく整備されたトレイルです。守屋山山頂は富士山、南・中央・北アルプス、八ヶ岳の360度の眺望が素晴らしいのですが、特筆すべきは諏訪大社に下る絶品のトレイルです。葉の落ちた明るい森を抜ける段差のない道と、絶妙の傾斜によって、走力がなくても一気に駆け降りることができます。落ち葉を踏んで走るだけで自然と笑みが漏れ、頭には三浦瑠麗氏の炎上した名言「端的に言って、幸せすぎる…」が浮かびます。これ以上の幸せは望みませんが、いつまでも続いて欲しので、山を走れる体力を維持することが必要でしょう。お金で買う幸せは、身体が動かなくなったときの楽しみにすべきかもしれません。

アウェイでは味わえない

以前は早食いでしたが、努めてよく噛むようにしてから気づいたことがあります。外食の時は噛むスピードが速く回数も少ないので、十分に味わうことができないことです。おそらくアウェイの環境では、祖先から伝わるDNAに獲物を取られる警戒心が刷り込まれているからだと思います。幾種かの野生動物が、獲物を一度隠してから落ち着いて食事をする習性も同じでしょう。買ったものを家で食べる場合や、自然の中で食べる場合は、家に居る時と同様に味わうことができます。狩猟採集の時代は顔見知り数人と行動をしており、見知らぬ人と狭い空間で食事をする状況を脳は想定していないはずです。食べることは五感を使う瞑想法として活用されますが、外食の場合はそこが静かな個室だとしても、そのような境地に至ることはありません。家での食事に満たされるのは、落ち着いて食事ができる環境があるからのような気がします。

不都合な成功法則

山梨県の道志村から菰釣山(こもつるしやま1,379m)と鳥ノ胸山(とんのむねやま1,208m)に登りました。以前出場した道志村トレイルレース後半の山域にある緩やかな稜線は、ジョギングに最適です。葉が落ち明るくなった稜線の森を、ゆるゆると走る時に幸せを感じます。初冬にしては暖かい気温のなか、落ち葉のカーペットを踏む穏やかな時間は、今この瞬間こそが大切に思え、これ以上の何かへの執着や欲望に大した意味を感じなくなります。人が執着や欲望に突き動かされるのは、目標達成によりドーパミンが分泌され幸福感を得るからでしょう。何かを得ることで感じる快は人類に進歩をもたらしましたが、反面不都合な問題を引き起こしたと思います。ドーパミン的な幸福感はやがて減退し、すぐに次の幸福を欲するようになります。われわれの人生は、飽きずにいつまでも回し車を走り続けるモルモットと同じなのかもしれません。

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