旅館らしくない宿

雨上がりの今朝の新甲子温泉は寒くありません。標高1,549mの甲子山は見えますがその背後の旭岳山頂を雲が覆います。剣桂神社の森は葉が散り始め、温泉管の鉄橋が見えるようになりました。阿武隈源流の森にも光が差し込み明るくなりました。

「人生はあわてず、あせらず、あきらめず」先週とある神社の前を通ったときに目に留まった標語です。松下幸之助さんも同じことを言ったそうですが、今のぼくに一番響く言葉です。独立して一年が過ぎても赤字が止まったわけではありません。しかしあせって手数料を払って集客したり、安売り、来るもの拒まずの営業は自らの首を絞めるものです。

今世間ではインバウンドブームで旅館やホテルが潤っていると思う人がいるかもしれませんが、それは首都圏を中心とした一部の地域に限った話です。多くの温泉地等では厳しい状態が続いています。廃業旅館の多くが後継者不在をあげていますが、働き通しの3K職場では子供がいても継いでくれません。旅館再生で大切なのは、まず若い人たちが働きたい職場に変えることだと思います。開業以来4ヶ月、試行錯誤をしながら運営スタイルを変えてきましたが、ぼくは宿から旅館らしさを一掃したいと思っています。従来の旅館らしいサービスはすべて過度な負担を宿側に負わせるものだったと思います。

働き方で幸せになれる

昨日はぼくのホームグラウンドである、甲子、須立、三本槍、赤面を登ったトレイルランナーに温泉に寄ってもらいました。初対面なのに4時間以上も話し込んでしまう偶然の出会いがあることは宿をやる楽しさのひとつです。

ぼくはいずれ宿の仕事のウェイトを半分以下にしたいと思っています。投資効率を考えればRevPAR(稼動×単価)を最大化することは至上命題なのですが、自分自身のやりがいやモチベーションを維持するには、今注目される副業ならぬ複業の発想が必要だと思います。

ぼく自身まったく縁のなかった福島県の自然のなかに暮らしてみて世界が広がり、仕事を通じた人生に多様な可能性が見えてきました。生涯ひとつの仕事、生涯一拠点居住という発想は自らの可能性を閉ざすと思います。

インターネット技術そのものは世界を大きくは変えなかったのですが、そのインフラがシェアリングエコノミーを実現したことで社会生活は大きく変わると思います。シェアリングエコノミーの代表はAirbnbやUberだと思われていますが、一番大きな変化は個人のスキルのシェアリングだと思います。生涯ひとつの仕事で働く終身雇用の時代は早晩終わりを告げるのでしょう。いまの時代の企業は事業領域が広がり、昔のように「○○業」と単純に表現することが難しくなっています。個人も多様なスキルと可能性を広げる時代だと思います。

運動は生活を変える

秋らしい気候とはいえ、雲ひとつない青空のもと外での朝食が気持ちのよい朝です。

昨夜は福島県広野町代表の駅伝チームの皆さんに宿泊いただきました。22時頃までミーティングをしていても、アスリートらしく今朝は5時から朝の練習に出かけていきます。運動が健康に良いことは知られていますが、運動をする人は体に気を配りますから生活パターンも規則正しくなると思います。

健康になるのは簡単

夜明け前の空を月が照らしますが、澄んだ秋の空をたくさんの星が覆います。

ぼくがこの宿を始めた理由はひとつではありませんが、おそらく最大のものは健康への関心です。健康になる方法は実はシンプルなのに、多くの人が巷にあふれる健康情報に振り回されていると思います。医薬・健康食品の巨大産業側からすると人が簡単に健康になられては困ります。身体は一見複雑なようで基本的なメカニズムはきわめてシンプルだと思います。絶対解はないのですが、少食、運動、ストレス管理(自律神経のバランス)だけ気をつければ健康になるとぼくは考えています。血液の汚れや腸内腐敗なども生活習慣病のメカニズムを解き明かす要因ですが、小食で運動をしていればそうしたリスクを回避できます。

国民レベルで生活改善が進みジャンクフードや一部の添加物が一掃されるなら、40兆円をはるかに超える医療費の多くは不要になり、寝たきり高齢者も激減するはずです。

写真は昨日の白河市にある南湖公園近くの田んぼです。

闇夜の剣桂神社

昨夜は、あたりが暗闇になった時刻に、何者かに引き寄せられるように剣桂神社に行きました。神社の森に入ると空を木々に遮られまったく光が入らない世界です。視覚を奪われると残った五感が鋭くなるようで、パワースポットとして知られるこの森に入った途端に空気が変わるのを感じます。異様な空気を感じたのか、いつもは忙しなく嗅ぎまわるラブラドールも神妙に足元に控えています。沢音しかしない暗闇の森に佇むと、何か遠い記憶が喚び覚まされるような懐かしい気持ちになります。電気が発明されて以来人間が克服を試みてきた暗闇こそが、一番人を癒すのかもしれません。

戦国時代末期から戊辰戦争、二度の世界大戦、戦後の経済成長から今日に至る日本の移り変わりを、目の前にそびえる巨木が見てきたことを思うと、たかだか半世紀しか生きていない自分の悩みなど取るに足らないものだと思います。写真は今朝の阿武隈源流です。

官能ではなく本能

慣れたとはいえ、一人分の食事を作るのは面倒です。パエリアを練習がてら外で作るには寒く、買い物にも行けなかったので、昨夜の主食は冷蔵庫にあった地元産の馬鈴薯(きたあかり)を圧力調理して塩とオリーブオイルで食べました。手をかけないのにいくらでも食べられる美味しさです。

自分で料理をするようになって美味しさとは何かをよく考えます。多くのレシピや飲食店は中毒的美味しさのために砂糖や塩を大量に入れます。ぼくが考える美味しさは脳が創り出した幻想にすぎない官能評価ではなく、本能で感じるものです。グルメブームの弊害はブランドや産地、有名店など記号的に美味しさを判断する人が増えたことだと思います。「ブランド品だから美味しいはずだ」と自己暗示をかけた一種のプラシーボ効果です。

中毒的美味しさで食べることの問題は満腹以上に食べてしまうことです。小腸には神経細胞があり、自分と対話しながら味わって食べる習慣があれば、食べるのを止めるタイミングを教えてくれますし、ジャンクフードに手を伸ばすこともなくなります。生きるために食べるのではなく、食べるために生きるようなライフスタイルが癌を始めとした生活習慣病を増加させていると思います。

いつでも成長できる

全国的な天候不順のまま夏が終わり、宿の庭にあるドウダンツツジが色づき始め、阿武隈源流は水量を増しています。夕方散歩に行くと山を霧が包み水墨画のような光景が広がります。藪から雉の群れが騒々しく飛び立ちます。

駐車場があるにも関わらず、常連密漁者の車が遊歩道の入り口を塞ぐように停められています。これだけ人口密度の低い西郷村でさえ、人のやることにはストレスを感じます。一切感情的にならず、いつもご機嫌でいられるラブラドールには教えられることばかりです。よく解釈すれば人間はいつでも成長の余地があるということなのでしょう。

倒木処理を夏にしたばかりの宿の前の遊歩道には、また倒木があります。

幸せな古い旅館暮らし

源流の森での暮らしを始めて9ヶ月が過ぎ、今のぼくにとって都会だけで暮らすという選択肢は考えられなくなりました。通勤は無理にしても福島と栃木の県境にある新甲子温泉から東京へ出ることは比較的容易です。東北自動車道に近いスピードで流れる新国道4号線を使えば、フィアットパンダなら片道1,000円ほどの燃料費だけで刺激にあふれる東京に出ることができます。

盛夏の新甲子温泉並みに涼しくなった代官山を歩くと、億ションからは明るい色のベントレーのSUVベンテイガが出てきます。代官山 T-SITEには派手な2台のマクラーレンが置かれ、人と金が集まる世界最大規模の都市圏の面目躍如といったところです。

こうした消費様式は、高いから良いと信じられている資本主義的な価値観であって、先進国で静かなブームを起こし始めた「物欲なき世界」とは真逆の生き方です。今のぼくが物欲の呪縛から完全に自由になったわけではありませんが、代官山の億ションよりは阿武隈源流の古い旅館暮らしの方が幸せだと思えます。

森から始まる一日

今朝の新甲子温泉は澄み切った気持ちのよい青空が広がっています。半袖で過ごせる季節が終わり、冷たい空気が肌に心地よい秋の訪れです。夜明けとともにラブラドールと剣桂神社に向かいました。夏に雨が多かったため至る所で沢音が響きます。

阿武隈源流の森に太陽が差し込み、目覚めたばかりの木々に生命力を与えているようです。森の空気がストレスホルモンを減らすことが分かっていますが、この森から一日を始められることに感謝する気持ちになります。

共振こそが宿の価値

今朝は快晴で、3時過ぎの温泉からは満天の星空を望めます。天候不順だった今年の夏は晴天に恵まれませんでしたが、一昨日あたりから青空が戻ってきました。ここ新甲子温泉一帯は阿武隈源流の地として知られますが、降水量が多いゆえに源流であり、那須おろしのような風が強い地域なので雲が通過するのだと思います。

今朝は古くからの妻の友人夫妻と茶臼岳に登りました。山頂付近の気温は10.2度で生憎の強風のために冬のような寒さです。しかし下山して温泉に入ったあと、青空のもと火を囲む朝食のひと時は豪華ではないけど十分に幸せです。趣味嗜好の近い人との会話ほど楽しいものはなく、こうした共振関係こそが宿の価値だと思います。

宿の庭木には不思議なキノコが群生しています。

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