必要なことはすべて知っている

30年ほど前ですが、中国の経済発展が注目され始めた頃のテレビ番組で、「貧しい時代の方がよほど幸せだった」と都市住民が話しているのを見て、それは錯覚だろうと思いました。執着と社会問題ばかりを生み出す進歩のあり方に疑問を持つと、インタビューに答えた老年女性が正しかったことを理解できます。人間が生きていくために必要なものは極めて少ないはずです。同時に人生に必要な知恵のほとんどは子供時代から知っていることばかりです。健康好きの自分が実践していることは腹八分目(少食)と早寝早起き、運動ぐらいですが、そんなことは小学校に行く前の子供でも知っています。人に感謝しなさい、礼儀正しくしなさい、という訓えも同様ですが、意味を正しく理解し実行できる大人は少数です。知っていることと、腑に落ちて実行することの間には深い溝があります。

ささやかな冒険の途上

冒険のない人生なんて味気ないと思います。地球の裏側に行くようなことだけが冒険ではありません。自分にとっては旅館を買ったことは十分に刺激的な冒険で、家では料理なんてしたこともないのに70人分の調理ができる自分を少し誇らしく思います。挑戦する高揚感が自分の知らない一面に気づかせてくれます。無謀さがなければ苦労も刺激もない退屈な人生を過ごしていただろうし、人の助けのありがたさを感じることもなかったと思います。アドレナリンが出るような体験の連続で、何でもできるような気がしてきます。まだこのささやかな冒険の途上にあって、先が見えないからこそ価値があるのだと思います。

人間性回復ビジネスの時代

人口減少が現実問題になり、あと30年もすると北海道や東北、山陰、四国などでは減少率100%の無居住化される地域が目立つようになります。平成が失われた30年という低成長時代へのトランジションなら、新しい元号で始まる時代はマイナス成長への幕開けになります。この変化は高度経済成長から低成長への変化以上に大きな混乱をもたらし、従来常識を書き換える必要を迫ると思います。シェアリングエコノミーの派生形が生活に入り始め、若い世代を中心に新しい生き方の模索が始まっていますが、大人が牛耳るビジネスの世界では時代遅れの価値観が支配的です。エンロン事件やリーマン・ショックから、年末のゴーン・ショックに至るまで、性懲りもない強欲は健在です。金だけを尺度に生きる心貧しき人々からビジネスを取り戻し、人間性回復のためのビジネスをする時代が始まると思います。

造花を置くとつぶれる

花に詳しいわけでもとくに好きなわけでもないのですが、いつからか花の持つ力を信じるようになりました。ホテル業界では昔から造花を置くホテルはつぶれるというジンクス(都市伝説)があります。花は感情を持つという研究が海外にありますが、花の持つ生命力は人を癒し正気を取り戻させる力があると思います。1か月前に350円で買ったシクラメンは、世話もしないのに食卓の上で次々と花を咲かせます。都会人は土に触れる機会が減り、生命力を感じられない生活を送ります。植物を育てる農業は生命を育み、同時に生命力をもらうすばらしい仕事なのだと思います。

本質はピープルビジネス

昨日は近所のファミリーレストランで打ち合わせをしました。朝7時からの打ち合わせはお互いのスケジュールが空いていて、朝食を兼ねるので合理的です。前回は開店時間を15分以上過ぎても入口の鍵はかかったままでしたが、昨日も開店時間を過ぎてから店の責任者と思われる男性があわただしく車で乗り付けます。他にも来客がありますが、昨今の人手不足を皆承知していますし、生気なく働く男性の顔を見ると文句を言う人はいません。長年飲食サービス業は低賃金を前提にしてきましたが、昨年から賃金は急上昇しており、事業を抜本的に見直す時期が来ています。ホテル業界の一部では雇用という概念を変え4年程度の業務委託方式がスタンダードになりつつあります。雇用契約であろうが業務委託契約であろうが、重要な視点は事業の本質がピープルビジネスであることです。必要なのは働く人が生きる活力を感じられる人間性の回復だと思います。

「何とかなる」ではなく「何とかする」

「人は何のために生きるのか」という答えのない問いかけを長年してきました。あるとき「自分はどのように生きたいのか」と問うべきだと気づきました。この誤りに気づくと全ての思考パターンの書き換えが起こります。「どうすれば人は動機づけられるのか」という問いは、「人が生きがいにしたい仕事は何か」の間違いです。同様に「顧客は何を求めているのか」は、「顧客を熱狂させる商品はどうすれば作れるのか」に変わります。人生を主体化すれば堂々巡りの思考から解放され、答えに巡り合うことができます。人が自信を失い生き苦しさを感じる原因は、オーナーシップを手放すことに他ならないと思います。人生に必要なのは「何とかなる」という楽観ではなく、「何とかする」という生きる意志なのでしょう。

平成が終わる時代の潮目

昨日と今日は3週間ぶりの授業で日本工学院にいます。社会に出ていく学生と接すると働く意味を考えます。何となく生きるのではなく、明確なゴール設定とそれを行動に移して徹底することを学生には望みます。昨年の世界企業時価総額ランキングの日本企業トップは35位のトヨタ自動車です。一方平成元年時点では35位以内に21社の日本企業が入り、トップ10は日本企業7社が独占しました。失われた30年は社会の空気を重苦しいものにします。人任せの生き方は生命エネルギーの浪費のみならず危険だと思います。2030年には日本はマイナス成長に転じ、2050年には先進国でなくなるとの予測があります。外部環境がどのように変わろうが自分自身を成長させる生き方こそが問われていると思います。平成の終わる時代の潮目にふさわしい行動を起こす一年にしたいものです。

過剰の氾濫

年初にパソコンを変えました。ウィンドウズ7のダウングレード権を行使し続けましたが、時代の波に逆らえず10に移行しました。自分にとってはまったく便利ではない余計な機能ばかり増え作業スピードの落ちるソフトに価値はありません。パソコンのOSに限らず世の中の商品には無意味な過剰と頻繁な商品改変が氾濫しています。過剰といえば、現在の我が家は仮住まいですが、35平米の1LDKに家族3人とラブラドールが文字通り身を寄せ合うように暮らしています。犬の飼える賃貸物件は少なく選択の余地はありません。住み始めると意外に快適で、受験生の娘には気の毒ですが、何の不自由も感じません。何より物が置けませんので、持ち物が少なくなります。玄関に個室を与えられたラブラドールと違い、寝室は二段ベッドとロフトベッドのドミトリースタイルで、洗濯ものを室内干しする日はさしずめ昔の潜水艦の艦内のようなアクロバティックな移動が必要です。家の大きさと幸福感には相関関係はないと思います。

前進が人を癒す

昨日は福島に行きました。新年の抱負も目標もとくにはありませんが、今年は福島の事業を前に進めたいと思います。アウシュビッツに収監されたこともある精神科医のヴィクトール・フランクルは「夜と霧」で、どのような状況になろうとも人間にはひとつだけ自由が残されている。それは、「どう行動するかだ」と述べています。息苦しい現代社会で、多くの人はこの最大の権利を手放し、お金を使うためにお金を稼ぐ退屈な毎日を送ります。事業を一歩でも前に進めようと行動するとき、文字通り前向きになれます。人を癒してくれるのは人生を前に進めることを置いて他にはないと思います。

虚構がもたらす不幸

日本経済新聞は連日「新幸福論」を掲載していますが、幸せについて考える機会が増えました。幸せの難しさは、ほど良さを見つけにくいことです。家族がいつも一緒にいることが幸せかといえばそうとも限りません。昨年海外にいた娘とは数度の手紙のやり取りだけですが、一緒にいない方が普段はできない踏み込んだ対話ができますし、自分が福島に離れて暮らすと互いに要求が少なくなり夫婦関係も良くなります。多くの人は商業的にねつ造されたステレオタイプの幸せ像に洗脳されていると思います。典型的な誤解が、友達が多く家族に囲まれる明るく楽しい人生が幸せ、という思い込みです。困難と挫折の連続で思い通りいかないのが人生ですから、そこを基準にするなら余計な雑音や煩悩に苦しむ必要はなくなります。平穏で安楽な理想の人生なる虚構を追い求めることで、多くの人は失う不安や悩む必要のない不満を抱え込むのだと思います。

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