昨年夏に開催された世界最長のトレイルランニングレースTJARの短いテレビ番組を見ました。注目を集める有名選手以外の選手の素顔に密着した番組で、強烈な印象を受けたのが、妻とゴールでハグをしたい思いで出場した選手です。冷え切った夫婦関係を修復するために、日本海から太平洋まで415kmの山岳路を走るなんてどうかしていると思いましたが、自分と同年配の男性の切実な願いは他人事とは思えません。自らの殻を破るためには415kmの過酷な距離が必要なのだと思います。同じレースの出場者には婚約者にゴールで指輪を渡した選手もいましたが、どちらもの行為も等しく尊く、人間はその短い一瞬のために長い道のりを生きるのだと思います。
お知らせ
幸福は消し去るべきもの?
人生のなかで幸せを感じた時を考えるのですが、思い出せません。娘が生まれたときや、山の上で夕日を見たときなど、何かに心が震える瞬間はあっても、感情の高ぶりは幸せとは直接結び付きません。幸せは思い出のなかではなく今ここで感じて、消し去るべきものだと思います。多くの人が幸せだと思っているものの大半は皮肉なことに不幸とセットです。マスメディアや企業のプロモーションは、ステレオタイプの幸せ像を生み出します。幸せがいつまでも続いてほしいと人は願い、同時に失う恐怖を作り出します。そして抗うようにより多くの幸せを得ようと執着を増やします。産業界がパッケージ化した幸福というイメージ戦略が成功するほど、幸せは遠ざかると思います。幸せはごく身近にあるささいな自己充足の総称であり、それに気づける感受性こそが重要でしょう。意識をすること自体がストレスになり、自然体でいることが幸せに近づく道だと思うのです。
走る小旅行
この2か月ほど山にも行かず、体を動かさなかった結果、腰にしびれを感じます。昨日は重い腰を上げて近所を20kmほどジョギングしました。駒沢公園ほどには人がいない砧公園は、サイクリングロード沿いにトレイルがあり気持ちよく走れます。次に寄った玉川大師玉眞院は神秘的なパワースポットで、世田谷区に長年住みながらこれほど魅力的な場所があることを知りませんでした。約300体の仏像や壁画のある地下5m、約100mの順路を巡る地下霊場は、四国八十八ヶ所のご本尊巡礼ができます。6年の歳月をかけて昭和9年に完成した仏殿は、都内屈指のエンターテイメントでありパワースポットだと思います。地下霊場の撮影を禁じているために幸い人の姿はありませんが、SNSで拡散され外国人観光客が殺到しないことを願います。最後は五島美術館を見学する小旅行は、走ることと霊場や美術館見学をする動と静が、体と脳を活性化すると思います。
フィクションを作り出す内なる自分
普段は早く目覚めるのですが、今朝は珍しく夢を見て、起きたときには部屋が明るくなり始めていました。実在する友人の実在する事業を手伝っている夢なのですが、設定の半分は現実で半分は仮想です。しかし自分の知らなかった事実が次々と解き明かされていくので、夢のなかの自分はますますその世界に引き込まれていきます。友人の気配は感じるものの、なぜか姿は見えません。話の進行や詳細まで妙によくできていて、それが夢だと気づくことはありません。夢の記憶が徐々に薄れ始めた今は、現実世界と見分けのつかないフィクションを作り出す脳の存在に、空恐ろしさを感じます。
与えられた幸せの虜
キャリア形成について考えるとき、最近頭を離れないのはカルロス・ゴーンの存在です。品がないとされ、日本人の心情としては尊敬の対象ではありませんが、それは島国固有の感覚かもしれません。レバノン移民のブラジル人である彼のアイデンティティは多様性と生き残りをかけた戦いであり、そのエネルギーの行き場が日本社会と軋轢を起こした、もしくは利用されたと見ることもできます。同様に日本人が韓国を理解できないのは、半島国家として大国に翻弄されてきたそのアイデンティティだと思います。他方でゴーンの残した業績が世界から賞賛されるように、彼の性癖である強欲も世界で批判され始めています。答えは人の数だけあるという考えは、こと幸せに関しては成立しないと思います。知的レベルが高く経済的に満たされていても、尽きることのない強欲に支配される限り人は未熟で、与えられた幸せの虜であることには違いがありません。
天啓に従い生きる
人生で自分がすべき仕事が、天啓のようにはっきりと分かる瞬間があります。もう20年ほど昔のことで場所は忘れましたが、寒い冬の温泉街を歩いているときに自分のすべき仕事が分かりました。当時はプロジェクトで関西に常駐していて、週末も仕事で東京に戻る時間がなく、息苦しいホテルから郊外の鄙びた温泉地に行き仕事をしていました。資料を広げることができる旅館の和室は好都合で、これは今自分が実現したいワークスタイルに似ています。働き方改革は時短と勘違いされますが、AIと共存する時代に人間に残された仕事はよりハードワークになると思います。自然の元での運動を組み合わせた働き方の高い生産性を広めていきたいです。
必要なことはすべて知っている
30年ほど前ですが、中国の経済発展が注目され始めた頃のテレビ番組で、「貧しい時代の方がよほど幸せだった」と都市住民が話しているのを見て、それは錯覚だろうと思いました。執着と社会問題ばかりを生み出す進歩のあり方に疑問を持つと、インタビューに答えた老年女性が正しかったことを理解できます。人間が生きていくために必要なものは極めて少ないはずです。同時に人生に必要な知恵のほとんどは子供時代から知っていることばかりです。健康好きの自分が実践していることは腹八分目(少食)と早寝早起き、運動ぐらいですが、そんなことは小学校に行く前の子供でも知っています。人に感謝しなさい、礼儀正しくしなさい、という訓えも同様ですが、意味を正しく理解し実行できる大人は少数です。知っていることと、腑に落ちて実行することの間には深い溝があります。
ささやかな冒険の途上
冒険のない人生なんて味気ないと思います。地球の裏側に行くようなことだけが冒険ではありません。自分にとっては旅館を買ったことは十分に刺激的な冒険で、家では料理なんてしたこともないのに70人分の調理ができる自分を少し誇らしく思います。挑戦する高揚感が自分の知らない一面に気づかせてくれます。無謀さがなければ苦労も刺激もない退屈な人生を過ごしていただろうし、人の助けのありがたさを感じることもなかったと思います。アドレナリンが出るような体験の連続で、何でもできるような気がしてきます。まだこのささやかな冒険の途上にあって、先が見えないからこそ価値があるのだと思います。
人間性回復ビジネスの時代
人口減少が現実問題になり、あと30年もすると北海道や東北、山陰、四国などでは減少率100%の無居住化される地域が目立つようになります。平成が失われた30年という低成長時代へのトランジションなら、新しい元号で始まる時代はマイナス成長への幕開けになります。この変化は高度経済成長から低成長への変化以上に大きな混乱をもたらし、従来常識を書き換える必要を迫ると思います。シェアリングエコノミーの派生形が生活に入り始め、若い世代を中心に新しい生き方の模索が始まっていますが、大人が牛耳るビジネスの世界では時代遅れの価値観が支配的です。エンロン事件やリーマン・ショックから、年末のゴーン・ショックに至るまで、性懲りもない強欲は健在です。金だけを尺度に生きる心貧しき人々からビジネスを取り戻し、人間性回復のためのビジネスをする時代が始まると思います。
造花を置くとつぶれる
花に詳しいわけでもとくに好きなわけでもないのですが、いつからか花の持つ力を信じるようになりました。ホテル業界では昔から造花を置くホテルはつぶれるというジンクス(都市伝説)があります。花は感情を持つという研究が海外にありますが、花の持つ生命力は人を癒し正気を取り戻させる力があると思います。1か月前に350円で買ったシクラメンは、世話もしないのに食卓の上で次々と花を咲かせます。都会人は土に触れる機会が減り、生命力を感じられない生活を送ります。植物を育てる農業は生命を育み、同時に生命力をもらうすばらしい仕事なのだと思います。