贅沢を取り違えた都市

サブスクリプション住宅の普及によって、旅と居住の境界が曖昧になりました。それでも短期間に移動して見聞を広める旅の人気は衰えません。良い旅とは誰もが持つ変身願望をかなえること、すなわち人生を変えるインパクトが必要だと思います。意図的な刷り込みや雑音に満たされる社会にあって、本当の自分がどんな存在かを見つけることは難しくなっています。唯一旅は、それを実現してくれる気がします。安曇野では鶏やアヒルたちと北アルプスを望む畑に行き、朝の収穫をします。無心に虫や微生物、菜っ葉をつつく鶏たちを見ていると癒され、ここで感じる幸せこそが本心だと分かります。動物たちと触れ合い、自分の手で育てた野菜を食べ、山々に囲まれた田園地帯で働き、自分の好きなことに時間を使うこと以上に贅沢な暮らしがあるとも思えません。贅沢を取り違えた都市から人が離れて行くのは、自然な流れに見えます。

日本人のルーツをたどる旅

昨日は秋の深まる戸隠の宿坊に泊まりました。訪れるのは11年ぶりですが、ご主人とはFacebookでつながっているので懐かしく再会したという感じでもありません。11年前と言えばまだ恐ろしく肥満し、何を勘違いしたのかスポーツカーなど乗り回し、贅沢こそ美徳と信じていた頃で、未熟だった自分に恥ずかしさを覚えます。一方で当時から宿坊は好きで、どこかストイックでありながらソフィスティケートされた空気には今も昔も魅了されます。江戸時代後期に建てられた茅葺き屋根の母屋と、明治時代中期に建てられ土蔵は、祖先を16代さかのぼることのできる名家にふさわしい風格です。しかし戦後の偏った歴史観を鵜呑みにした現代の日本人は、祖先から脈々と続く伝統に敬意を払わず、むしろ正当な評価をするのは日本より歴史の浅い外国からのゲストです。海外に出かける前に、日本人のルーツをたどる旅に出るべきでしょう。

啓示が降りてくる

昨日は安曇野の設計事務所を兼ねたAirbnbに宿泊しました。近所にあった代表者の祖母の家の古材を使った建物は築35年ながら、いにしえよりその地にあったと錯覚します。一日一グループ限定のため宿泊客は一人だけで、夕食の献立も話ながら決めます。宿を経営する楽しみは宿泊客との出会いで、商業施設が真似できない小規模施設の魅力であり、時間を気にせず打ち合わせができる環境です。懐かしい雰囲気の吹抜けの大空間が取られ、ロビーの囲炉裏の近くにあるオーブンのついた薪ストーブの、昔の記憶をたどるような香りに魅了されます。オフィスと、宿泊客やシェアハウスの住人に解放されるコワーキングスペースのある2階からは北アルプスが望め、鶏やアヒルのいる安曇野暮らしは、スローライフの理想形に見えます。こういう時間を過ごしていると、「本当にやりたいことはこれなんだよな」と一種の啓示が降りてきます。

「もう歳だから」が老いさせる

昨日は妻の父の家に柿をもらいに行きました。今年は豊作らしく、写真の柿はもらった内の3分の1程です。猫の額ほどの庭に柿、夏ミカン、レモン、ゆずなどの木が所狭しと植えられ、毎年立派な実をつけます。植木屋さんが使うような大きな脚立を使いますが、父は3メートル近い高さの上に立ち上がり、「おまえは怖がりだな」と挑発します。90歳を超えて普通に一人で生活しているだけでも尊敬しますが、まだまだ若い気持ちでいるところは身内ながら感心します。健康な百寿者は、自分をそれほどの歳だとは思っていないことが共通します。「もう歳だから」という自己暗示が人を老いさせ、自分は若いという肯定的自己暗示が潜在意識に働きかけ、体を若返らせるのだと思います。日本人が英語を話せないのは、「自分は英語ができない」と思い込み自己暗示をかけているからと言われますが、思い込んだ結末が実現されるのでしょう。

自分は何がしたいのか?

40歳で人生の83%が「終わっている」という衝撃、という衝撃的な記事を東洋経済で見かけました。歳を重ねると未経験のことが減り、その分時間を短く感じるというジャネーの法則を持ち出した雑な論理ですが、人生の後半ではワクワクする新鮮な体験をすべきという点は同意できます。第二の人生では「やるべき事」より「やりたい事」をすべきと言われますが、長い間言われるままに働いていると、自分が本当にやりたいと思える主体的な仕事が見えなくなります。学生や若い人に「将来何がしたいの?」と聞いてしまうのは、主体的に働くことを今も模索している自分への問いかけだったのでしょう。昨日はちょっとしたトラブルが生じましたが、やりたいと思っていたはずのことでもわずかな試練で自信が揺らぐこともあります。「何をやっても良い」と言われることは実は苦痛で、それゆえ人は他人に言われるままに働くのかもしれません。

叡知を受け取る直観力

昨日は茨城県高萩市にあるサウナ施設コアミガメに行きました。しかし、現在個人客の受け入れをしていないために、サウナには入りませんでした。結城市のKURA SAUNA とともに、日本に3軒あるとされる蔵を活用したサウナのうちの2つが茨城県にあります。携帯の電波も届かない、のどかとしか言いようのないロケーションは差別化要因でしょう。水風呂にこだわるサウナ好きは少なくありませんが、ここでは目の前を流れる川が使われます。参入障壁の低いサウナは、先行事例をベンチマークできる後発の方が有利になる可能性があり、80年代に堺屋太一氏が書いたように、デザインや設計思想、演出、物語など、知恵による付加価値である「知価」が勝敗を分けるのでしょう。サウナの魅力は本場北欧のように自然との調和だと思います。必要なのは知識や知性ではなく、自然に分け入ることでそのエネルギーを感じ叡知を受け取る直観力だと思います。

結末の見えている未必の故意

詐欺師は一見して詐欺師に見えないから詐欺師なのだ、と言われます。飽和状態で空室の目立つワンルームマンションですが、自宅から半径100mに20~30戸のワンルーム3軒が今も建設中です。名だたる企業が結末の見えている不採算事業を未必の故意で主導するのを見ると心が痛みます。スーパーで売られる食品の75%には糖質が含まれているという調査がありますが、消費者の健康より常習化させることを優先するやり方は倫理観に欠けると思います。脳は常に快感を求める臓器であり、常習性があり段々増量しないと快感が得られなくなる砂糖を多用することは商売上理にかなっているのでしょう。化粧品も同様で、シリコン樹脂が使われるファンデーションは、強力な接着剤をこすって落とす際に起きる擦過性皮膚炎がシミの正体なのに、シミ隠しとして販売されます。密かに買わない生活がブームになるのも、散々欺かれてきたからかもしれません。

好きなことを人生の中心に

縦走に行くとミニマリストになります。生活道具一式をかついで山に入ることは、移り住むことを前提に生活するアドレスホッパーと同じです。山での我が家となるテントの有無は体への負担と行動距離に影響します。軽量化のために荷物を厳選していくと、普段の生活がいかに不用品にまみれているかが分かります。昭和の時代はモノを増やし、抱え込むことは豊かさの象徴でしたが、今は減らすことが人気です。最小限で暮らすと自分を縛っていたものから自由になり余裕が生まれます。本当に必要なものが見えると、お金や時間の支配からも自由になり、本当にやりたいこと、好きなことに集中できるようになります。現代人は消費によって自分のアイデンティティを定義しますが、皮肉なことに消費を手放すことで初めて素の自分に戻り、好きなことを人生の中心に置くことができるような気がします。

自宅でととのう

夏は2度北アルプスに登りました。海外に行かなくても、日本に居ながら素晴らしい景色を楽しめます。しかし北アルプスに行くにもそれなり時間も労力もかかり、首都圏に近い八ヶ岳でも十分に満たされます。時間やコストとベネフィットを比べ始めると、最後は家で好きな時に風呂に入り読書をする、といった休日で満足します。長続きする幸せとは、何かをすることによって得られる条件付きのDoingではなく、ただそこにいるだけで感じるBeingへとシフトしているからだと思います。あるがままの日常に偉大さを見出すことが長続きする幸せであるなら、自宅以上にふさわしい場所はありません。最近傾斜を始めているサウナにしても、41℃程度のお湯に15分も入り、これからの季節冷たくなるシャワーを浴びると同様にととのいます。サウナの正当性を担保する理由さえ自宅で簡単に得られることは、サウナ事業者が知られたくない不都合な真実でしょう。

人生最後の日まで、成長をやめない

15歳の時史上最年少で『ヴォーグ』の表紙を飾ったファッション業界最高齢のスーパーモデル、カルメン・デロリフィテェ(Carmen Dell’Orefice)が91歳で米『New You』誌最新号でヌードを披露したことが話題になります。今時90歳現役は驚くべきことではありませんが、1931 年生まれの女性の年齢を超越した神々しいまでの肢体は別格です。「人生最後の日まで、成長をやめない」と語る彼女の人生が順風満帆だったわけではありません。40年ほど前には株式投資で資産のほとんどを失ったと言います。美しくあり続ける秘密は、「自分自身を愛して慈しむセルフラブにある」という生きる伝説の言葉は重く響きます。「ファッションの奴隷にならないよう意識し、無理に昔の自分のルックスに戻すことはしない」という言葉の通り、40代以降は白髪も染めていません。「人生最後の日まで、成長をやめない」とは、変化し続けることを自然体で受け入れ、楽しむことなのでしょう。

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