同じなのに別モノ

フィアットの定期点検のために同じパンダを借りました。左ハンドルと右、ディーゼルとガソリン、4WDとFF、並行輸入と正規輸入と違い似て非なる車ですが、最大の違いはマニュアルとオートマのトランスミッションです。あらゆる場面で動きが鈍重なことは、マニュアル原理主義者の最大の批判の的ですが、国道246号線を走りながらFMラジオから流れる軽快な曲を聴いていると、アメリカ西海岸のハイウェイでものんびり流しているようなおおらかな気分になります。先ほどまで悪態をついていた悲劇的な遅さが、体中から力が抜けて行くような心地よい緩さに代わり、同じ車なのにこの魅力は全く別モノだと思います。ヨーロッパの小型車と言えば小気味よく走らせるのが相場だと信じていたのですが、全身から力が抜け全く飛ばす気にならず、こんな世界もあったのだと新鮮な発見をしました。人は狭いメンタルモデルのなかで生きる生き物なのでしょう。

とりあえずサウナ

土曜日にNagano Forest Villageを見た後、信濃町ノマドワークセンターに寄りました。信濃町が、コロナ禍以前から手掛けるキャンプ場併設のコワーキング施設です。しかし、ポストコロナのワークスタイル変化の追い風に乗れていないようで、定石通り作ったけど熱量が不足している印象です。予想以上でも以下でもなく、あえて新潟県境まで行く理由を感じません。猫も杓子もワーケーションという風潮は、空前のサウナブームとお手軽なテントサウナの出現によって、「とりあえずサウナ」というコモディティを生みました。いずれ多くの事業者はレッドオーシャンに沈むのでしょうが、その対案は野尻湖のサウナ施設LAMPにあると思います。思い込みと思いつきだけで作ったサウナ愛が熱狂を生み出します。「どこでもサウナ」の時代には、自分発の「ここだけサウナ」を生み出すクリエイティビティと情熱抜きには生き残れないのでしょう。

思い込みか抜け目なさか

昨日は長野市所有のキャンプ場を今年4月にリニューアルオープンしたnagano forest villageに行きました。キャンプフィールドの付いた道の駅的施設ですが、設計、施工、運営を一括発注する力の入った施設は洗練されます。しかし、長野市中心部から車で20分の立地と6.5億円の事業費の割に寂しい入込です。おそらく、「普通に良い」というのが世間の評価なのでしょう。一方、ついでに行った野尻湖のサウナ施設LAMPと白馬のスノーピークの集客力には圧倒されました。前者は元ペンションか何かをそのシャビーな造形をものともせず、前のめりのサウナ愛と思い込みによってサウナーの聖地に変えてしまいました。スノーピークの住箱にしても1泊何万も取れるような環境ではないのに、一流の抜け目なさと圧倒的に高い顧客ロイヤリティーにより、今でもスノーピーカーが押しかけます。これからの時代に必要なのは、思い込みか抜け目なさかもしれません。

永遠の今

長野県にいるメリットは農産物の産地に近いことで、近所のスーパーに行くとリンゴ(つがる)5個が230円で売られていました。多少小ぶりながら傷んだ様子もなく、一つ50円もしないとは思えない甘さが口中に広がります。同時に申し訳ないという、作った人への複雑な感謝の気持ちが沸き上がります。幸福を量る指標は感謝の回数だと思います。人は満たされたときに感謝をし、一方で次の欲望や執着で頭が一杯のときその気持ちを忘れます。暖かい湯舟に身を沈めたとき、清潔な布団で眠りにつくとき、蛇口から飲み水が出るとき、青空を見上げたとき、感謝の機会は無限にあります。一方、消費者が満たされてしまえば産業は立ち行かなくなりますので、いつも欠乏を煽ります。世間には幸福になる方法を語る嘘が満ち溢れますが、幸福のためにすべきことなど何もなく、永遠の今を感じ、感謝し味わいつくすだけだと思います。

ハードワークこそモチベーター

アマゾンプライムで読める「渋谷ではたらく社長の告白」を何気なく読み返しました。サイバーエージェントの藤田晋氏が、最年少上場からITバブル崩壊で一度は会社を諦めるまでを自らの言葉で綴り迫力があります。目を引いたのは、「最初から週に110時間働くと決めていたから好循環が生まれ、あり余る時間を次の事業の発掘に使った」というくだりです。今も昔も自分のモチベーションを高める方法に関心があります。サラリーマンをやめてからはお尻を叩いてくれる人もいなくなり、長時間のハードワークがモチベーションを生み出す、という視点は新鮮でした。モチベーションが高いからハードワークができるのではなく、その逆だったのです。面白いから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのと同じで、最初から働く時間を決める勤勉なハードワークこそがモチベーターで、自身を奮い立たせてくれるのかもしれません。

美味しいのに食べ過ぎない

残暑の厳しい東京からぐっすり眠れる長野県に来ました。一人になると良くも悪くも食を完全にコントロールでき、料理はほぼワンパターンになります。ご飯に納豆、ぬか漬け、焼き魚、味噌汁、サラダといった感じです。焼き魚はメザシやシシャモなどで味噌汁はキノコや切り干し大根ですが、鰹、イワシのほかに、サバやむろアジなどの混合削り節、昆布、煮干しの出汁もそのまま具材にします。世間的には粗食とされますが、空腹のときしか食べませんので、いつも美味しく料理をすることさえ楽しみです。伝統食が偉大なのは、毎回同じでも飽きないことです。カレーライスを一週間続けることは苦痛ですが、和食は不思議と食べ続けることができます。スーパーなどで習慣的にカゴに入れる食品の大半は、食べ出すと止まりませんが、美味しいのに決して食べ過ぎることがなく、幸せが長く続くことも、日本食が健康的な料理の代表格とされる理由でしょう。

サウナを持ち歩く時代

昨日は長野県富士見町にある富士見 森のオフィスに行きました。町所有の施設を指定管理者が運営するコワーキングで、1日1,000円でゲスト利用でき、シャワーも使え、業者が出張する食堂があり、敷地内には宿泊施設やテントサイトもあります。雑木林に囲まれる立地は、おせじにも自然豊かな環境とは言えない国道から少し入ったどちらかと言えば住宅地です。20台ほどの駐車場は朝9時過ぎには満車になり、地元の自営業者がスモールオフィスとして使う印象です。宿泊棟の前には宿泊客が持ち込んだテントサウナが置かれ、仕事にサウナはもはや必須のアイテムに昇格し、マイサウナをテレワーク先まで持ち歩く時代に入ったようです。自然のなかでの仕事が生産性にプラスの影響をもたらすことは感覚的に理解できますが、自律神経バランスの整うサウナが生産性を高めることは体感的に納得します。「仕事場に最も必要な機能はサウナ」と言われる時代は目前でしょう。

令和の神様

昭和の神様が松下幸之助氏なら平成の神様は稲盛和夫氏でしょう。稲盛氏は仏教の在家信徒として知られ、人生哲学や経営哲学について多くの書籍を残しました。自分が読んだのはもっぱらアメーバ経営に関する本で、市場環境に敏感な小集団に権限を与え、主体的意欲を引き出し、従業員が経営の主役になる日本を代表する経営手法です。とくに興味深いのは会計システムでこれはフィロソフィーと並ぶタイヤの両輪です。一方で、フィロソフィーという言葉に良いイメージが持てないのは、ウェイ・マネジメントやパーパス経営のように、手あかのついた軽薄なトレンドに見えてしまうからです。従業員を組織で監視・拘束する一方、ホームページを美辞麗句で飾り、何かに頼れば経営が上向くと考える、覚悟のない経営が日本経済を破壊してきたと思います。令和の神様になりうる素晴らしい企業が、大きなうねりとなることが必要なのでしょう。

小麦がわれわれを栽培している

最近買ったもので後悔しているのがホットサンドメーカーです。買うことのなかった食パンの消費量が増え胃も不調です。レクチン・糖質排除の最も忌むべき食品を同時に2枚も焼く悪魔の調理器ですが、欲望を手放し廃棄する勇気もありません。全ての欲望は執着を増殖させて身体を蝕み自分を苦しめます。ここで理性の鍵が外れると自分史上最軽量の53kg台の体重は、運動をしていた学生時代の62kg、サラリーマン時代の79kgと際限なく増加していくはずです。縁のなかった食パンを買うようになると、その安さに改めて驚かされますが、こうしてわれわれは小麦の奴隷になります。「小麦の奴隷」はカレーパングランプリ2年連続受賞するホリエモン発案のパン店ですが、その危険性を知ってか知らずか、一斤千円ほどする高級食パンも巷では飛ぶように売れます。「小麦がわれわれを栽培している」という表現は比喩ではないのでしょう。

食欲の不思議

福島で打ち合わせをして東京に戻ったのが21時頃でしたので、夕食は摂らず週末にかけて2日間の断食をしました。食べる誘惑があまりに魅力的なために、人は食べないメリットを見過ごしますが、長寿遺伝子の発現が知られることで断食はメジャーな健康法になりました。本格的な断食でなくても、その効果を実感でき食欲の不思議に思い至ります。「食べたい、食べたい」とあれほど渇望していた感情は、断食をするとどこかへ消え去り、食欲を発していたはずの自分の身体と冷静に向き合い対話ができます。食べることを絶対視して食欲を無条件に受け入れるのではなく、食べても良いし、食べなくてもよいという余裕が生まれると、食事を逃した時は恰好の断食の機会に活用できます。食欲を見つめることで訪れる心の平穏を知ると、すべての執着、怒り、欲望を手放すこともできそうです。

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