那覇で偶然会ったFB友達と昨夜食事をしました。そこにいるはずのない人と旅先で会う可能性などほぼゼロでしょう。百歩譲ってそれが空港や国際通りならまだしも、マイナーな通りで同じ時刻にすれ違う確率など無きに等しいと言えます。偶然に特別な意味を見出すべきではないという意見もありますが、偶然はいつでも必然であり、自分の人生にとって最善の出来事だと思います。人生は人間関係に左右され、その醍醐味はおもしろい人と出会う旅にある気がします。ノーベル賞につながる発見の大半は偶然ですし、そもそも発明自体が偶然の産物です。人間が進化により今日の姿になったのも遺伝的浮動という偶然であり、未来も偶然の積み重ねです。日経新聞の私の履歴書に頻繁に使われる言葉は、「偶然」、「たまたま」、「思いがけず」であるように、ここから何かが始まるのかもしれません。
お知らせ
生理現象しか残らない時代
ルーマニア政府が世界で初めて政治顧問にAIを導入すると発表しました。チャットGPT-4のリリースにより、AIは司法試験を通るレベルになり、恐らく大半の人のIQを超えます。知的ホワイトカラーの専門的な仕事は、米国なら月額10ドルから20ドルで使えるチャットボットに代用され、GAFAで進む人員削減もそれが理由に見えます。政治、教育、医療、法律、評論などあらゆる分野の専門家の仕事が置き換えられ、頭で考える仕事を奪われた人間がすることは何かを考えると背筋が凍ります。解析可能な言語パータンに置き換えられる資格仕事がほぼ全滅し、音楽、絵画など芸術の世界を瞬時に生成してしまえば、知性で競えない人類は科学成立以前に戻るしかないのかもしれません。知的生産を伴うあらゆる産業が影響を受け、感覚器に頼る生理現象とフィジカルしか残らない時代に適応する感性のみが、唯一の生存手段に見えます。
死と向き合わずに食べる
ローカルな市場は第一級の観光資源ですが、1950年から70年にわたり那覇の台所として営業してきた第一牧志公設市場が、昨日4年ぶりに開業しました。日曜日で周辺の店舗が閉店していることもありますが、公設市場のまわりだけが異様な盛り上がりを見せます。近隣には新しい飲食店もでき、来年にはアーケード街も改修されます。旧市場の薄暗い風情が好きでしたが、1階店舗で買った食材を2階の食堂で調理してもらう「持ち上げ」は健在です。東南アジアの市場との違いは、生きた動物を売っていないことです。海外に行くと、その場で鶏をしめる光景を目にしたり、血の流れる床に足を取られたりしますが、日本ではこうした光景を見ずに美味しい料理だけを楽しめます。命を奪うことなしに生きられないわれわれは、なるべく殺さずに生きるべきですが、死と向き合わずに美食だけを礼賛する風潮には違和感を覚えます。
最も避けたいものを最も食べたい
那覇滞在の楽しみの一つはローカルスーパーめぐりです。トップシェアのサンエーやかねひで、24時間営業のユニオンなどが知られますが、最も沖縄らしいのは米軍基地で働いていた創業者が1956年に始めた、アメリカンスタイルのスーパーマーケットJimmy’sかもしれません。直営店舗12店舗を含む20店舗に3つの食品工場を持ち、菓子・パン製造業、レストラン事業を展開します。普段から蛇蝎のごとく嫌う?砂糖と小麦粉満載のチョコクリームパイはホールで税込み1,630円という巧妙な価格です。最も避けたいものを最も食べたいという矛盾に、我慢するのはかえって良くないとか、たまには欲求を解放した方がいいとか、それ以上に運動をすれば大丈夫といった悪魔が囁きます。結局誘惑に負け、数回に分けて食べる最低限の理性は持ち合わせていますが、こんなに魅力的な店が自宅の近くにないことを感謝すべきでしょう。
戦争と平和が隣合わせの沖縄
昨日の那覇クルーズターミナルにはMSCポエジア9万3千トンが入港しました。乗客約3千人が上陸すると中心部が賑わい、シンガポールからウェステルダム8万3千トンが着いた先週は、国際通りに欧米人があふれます。一方で、那覇新都心のDFSギャラリア沖縄に人影はまばらで、ラグジュアリーコングロマリットLVMHグループにお金が落ちるアジア発の訪日客の回復には時間がかかるのかもしれません。この場所は沖縄戦の激戦地として知られ、米軍からシュガーローフヒルと呼ばれた安里五二高地はDFSの目の前です。安里配水池公園として整備された丘が、沖縄戦最多の米軍戦死傷者を出した激戦地とは想像できません。日米双方に数千人の戦死傷者を出したと思えないほど小さな丘に、凄惨な歴史を示すものは控えめに設置された碑文だけです。戦後77年を経た日本で、戦争と平和が隣合わせの場所は沖縄を置いて他にはないのでしょう。
ラストリゾート沖縄
昨年、一昨年とは違い那覇の中心部には観光客が戻り、民泊市場もコロナ禍以前の8割程度まで回復していると聞きます。冬でも10℃を切ることがなく薄着で過ごせる沖縄は、少ない荷物で気分も軽くなります。那覇では不動産収益物件を探しますが、小高い丘の上にある眺めの良い物件を見に行ったとき、立ち話をした隣家のご主人にコーヒーをごちそうになりました。モノレールの安里駅から徒歩10分とは思えない、熱帯植物が生い茂る庭は都会のオアシスで、ゆったりとした時間が流れます。居心地の良さについ1時間ほど話し込んでしまいましたが、沖縄に来ると、何も持たず最小限で暮らすことの潔さを感じます。仮に自己破産でもしたら、沖縄以上にふさわしいラストリゾートはないと思います。人生の最後は全てを置いていくのですから、物欲に任せて頂点を目指す生き方の先には失望しかないのでしょう。
住めば都
那覇での滞在先を代わりました。ベランダ付きの30㎡にキッチンや洗濯機のある無人ホテルから、朝食と清掃など人的サービスを受けられる13㎡に移り、値段は一緒です。一長一短ですが、狭さは気にならず住めば都です。5千円を切る値段とあっては文句などあるはずもなく、熱い風呂と水シャワーで汗をかき、タオル地のパジャマをバスローブ代りに使えば機能的には高級ホテルと遜色ありません。すぐに寝てしまうので、シルクのようなシーツも天国のようなベッドもいらず、雨露をしのげる清潔な寝床が重要です。一方で贅沢を求め始めると微細な違いが気になり始め、人はポジティブな変化に慣れる快楽順応があるために、絶え間なく幸せが起こらないと不満を蓄積していきます。慣れ親しんだホテルに泊まり、普段に近い食事をする日常の延長であれば自律神経バランスは崩れず、旅先での環境変化によるストレスも軽減されると思います。
高収入貧乏の罠
香港・那覇を経て釜山に向かう4万3千トンのクルーズ船が、那覇クルーズターミナルから昨夜出航しました。夜風にあたりながら眺めていると、こういう生活も悪くないと思えます。「端的に言って、幸せすぎる。」という国際政治学者のツイッター炎上の理由は、虚飾のセレブ生活への反発です。同時にそれは誰もが持つ憧れであり、優越感と屈辱感は表裏一体に見えます。負荷をかけることが挑戦するモチベーターになるのであれば、身の丈を超える生活は悪くありません。一方で、見せつけるための生活が、取引先を信用させる詐欺に利用されたのであれば問題でしょう。いずれにしても消費の本質とは、見栄と競争心から来る顕示的欲求の現れであり、そこには幸せが継続しない高収入貧乏の罠があります。本当の問題は、平凡な日常に感謝し、そこに幸せを感じる生活だとしても、維持することが年々難しくなっていることかもしれません。
免罪符を求める消費者
アマゾンプライムで「スーパーサイズ・ミー:ホーリーチキン!」を見ました。1か月間、全ての食事をマクドナルドのメニューで摂ると、体と心はどうなるのか?自らの体でその疑問に応えた異色ドキュメンタリーの監督であるモーガン・スパーロックが、今度はフライドチキンのファーストフード店を経営するという意欲作です。前作では、体重や肝臓などのあらゆる数値が悪化し、心が蝕まれ、やがて麻薬のようにマック食を欲する中毒性について、消費者目線から警鐘を鳴らしたのに対して、この作品では健康に悪いファーストフードを魔法の言葉で売りつける側に回ります。米国農務省のガイドラインに沿ったオーガニックな農場で鶏を育て、ヘルシー、ナチュラルなどの言葉を駆使して、免罪符を求める消費者を洗脳します。この店舗は人気となり資金提供者も現れますが、ファーストフードの恐ろしさを知る彼が3日で閉店したのは当然でしょう。
身近なもので暮らす豊かさ
食べる誘惑の多い自宅と違い、旅先では一日一食です。那覇と言えば沖縄そばやアメリカナイズされたステーキを思い出しますが、主戦場は大衆食堂だと思います。よく行くのは1966年から続く三笠松山店で、松山店といいながら現在は一店舗しかなく、看板の似た三笠久米店とは無関係です。手頃な値段と間違いのない味、大衆食堂としてはきれいな店内など総合点が高く、外すことがありません。平均年齢が70歳を超えると思しき女性6人から9人が店を切り盛りし、いつ行っても活気があります。ゴーヤチャンプルーから沖縄オリジナルメニューのちゃんぽんやスキヤキなど、豊富なメニューで毎日通えます。安くて普段使いの家庭料理になぜか贅沢を感じるのは、沖縄独特の庶民的な料理が、この土地にいるリアリティを感じさせるからだと思います。感情的な欲求のわずらわしさに束縛されず、身近なもので暮らすことに豊かさを感じます。