
日本の山小屋の最大の弱点は、アメニティ水準の低さです。エベレスト街道においてもトイレ事情は途上国の環境を反映しています。高度順応のために2泊したディンボチェ (4,410m)でもトイレは半屋外の便座なし、手桶方式です。事業者、消費者双方が山におけるこの状況をデフォルトだと考えることが問題ですが、ディンボチェで見たカフェ併設のロッジは、そこに風穴を開けるかもしれません。リープフロッグ現象の典型で、世界の最先端トレンドが最も標高の高い寒村に降臨した感覚です。英国人が経営に関与し昨年開業したもので、窓ガラスなどは英国製とされます。宿なら1時間350ルピー(350円)する充電が、お茶一杯で無料なのも良心的です。エベレスト街道は壮大なパノラマが続く世界屈指の自然資産ですが、最大の弱点はホテルエベレストビュー的なまともな宿泊施設がないことです。
生きるために必要なもの

エベレスト街道は人生が変わる場所と言われます。今のところ人生が変わるほどのインスパイアは降りてきませんが、確実に言えることは、人体が変わる場所だと言うことです。2,830mのモンジョでは軽い頭痛、3,460mのナムチエバザールではめまいの症状がありましたが、体は酸素を取り込む能力を高めながら正常に戻り、日本のいかなる場所よりも高いパンボチェ3,960mに至っても、普段の8割ほどの運動能力を維持していると感じます。変化は心にも及び、最初は怖かった深い谷を跨ぐ吊り橋も、地上150mのヒラリーブリッジを渡る頃には楽しくなります。寒い客室や便座がついているだけでうれしい共同トイレ、寝袋での睡眠も快適で、極地の環境は生きるために必要なものと、不要なものを選別し始めます。それは偉大な自然に抱かれる効果でしょう。
現代における贅沢

エベレスト街道ツアーのハイライトは、通常は入ることのできないエベレストベースキャンプに2泊できることです。エベレスト登頂隊には、軍隊と同じようにロジスティックが必要です。多くの現地スタッフと荷物を運ぶゾッキョ(家畜化されたヤク)を伴って進み、食料は日本からも持ち込みます。6時にはお茶を部屋に届けてくれ、7時には飲み物と朝食を用意します。調理や後片付けは宿の調理場ではなく、屋外の小屋が使われます。8時に登頂隊が出る前には荷物をパッキングして出発し、先回りして次の目的地の部屋に荷物を届け、専属コックが食事の用意をします。宿は部屋と食堂を貸す形です。宿泊施設の水準が低いのは致し方ないにしても、現代において一般人がこれほど贅沢な旅かできるのは、ネパールをおいて他にはないかもしれません。
高地と短眠

昨日泊まった標高2.830mのモンジョで早くも軽い頭痛が始まり、さらに2,800m以上高度を上げるエベレスト街道の課題は高度順応です。良く水分を補給し、深呼吸をし、身体を温め、栄養を摂り、寝ないこととされます。最後の寝ないことは少し意外ですが、要は身体を活性化させ続けることだと思います。普段から短眠の自分としては歓迎です。日本の百寿者は短眠傾向が見られ、世界の長寿地域であるブルーゾーンはいずれも高地にあります。高い標高と短眠は相乗して適度なホルミシス効果により、身体に良い刺激を与える気がします。ブルーゾーンの代表である沖縄の標高が低いことは、頻繁に訪れる台風の低気圧が高地効果をもたらすことで説明がつきます。高山病は身体を環境適応させる柔軟性の大切さを、教えてくれていると感じます。
旅の最後のフロンティア

標高1,340m のカトマンズから標高2,850mのテンジン・ヒラリー空港までのフライトは、天候の影響が大きく運任せです。6時発のサミットエアはルクラの視界不良により3時間半遅れると言われましたが、結局昨日に続き飛行機のフライトはキャンセルになり、1人350ドルのオプションで、ヘリコプター4機に分乗して移動しました。ロシア人パイロットはかつて軍人だったのか、ダイナミックな操縦で低く垂れ込めた雲と、手の届きそうな尾根を縫って飛びます。ルクラからは7時間ほどのトレッキングで、宿に到着したのは日没後です。人体は移動のために最適化されており、徒歩旅行はその能力を如何なく発揮します。その能力を最大限使う、冒険の色彩を帯びた極地旅行は、旅のトレンドの最後のフロンティアのような気がします。
神聖なディズニーランド

カトマンズは古都の風情の街並みですが、カオスなのに街全体に信仰が根づき、僧院のような美しさが漂います。建物が狭い路地に密集し、ドン・キホーテの圧縮陳列に通ずる実在的な楽しさがあります。昨日は朝からエベレスト無事登頂の祈祷を受けに聖職者の家に出かけました。これなしに地元のスタッフは登らないと言います。ほど近いボウダナート・ストゥーパに寄ると、楽しげな土産物店が仏塔を取り囲み、神聖なディズニーランドの趣きがあります。中心部のカフェから眺める街の雑踏を感じるランチは、カトマンズの今が凝縮され、ちょっとしたプライスレスです。エベレスト街道のトレッキングが今回の目的ですが、すでにカトマンズの満足度が高く、ここに滞在するだけの旅でも十分な気がします。
ヒルトン炎上

ネパール航空のゲートにいると、日本人は登山、ネパール人は出稼ぎの人が多く、共通するのは35kg 限度いっぱいの荷物です。原初の旅は生きるための必然であり、身体を動かし生きる術を得ることは本能的な行動です。出稼ぎと観光がGDPの大半を占めるネパールにとって、この飛行機は外貨を運ぶ生命線です。ネパールは生と死を目の当たりにできる場所と言われます。カトマンズの街が生気に溢れるのは、生きるための必然があるからで、ただ何となく流されるように生きる自分としては、その姿が眩しく映ります。カトマンズで一番見たい場所はダルバール広場ではなく、昨年政権を転覆させた暴動で、燃やされてしまったヒルトンホテルです。腐敗まみれの政権幹部の家族の持ち物とされ、その凄まじい熱狂に圧倒されます。美しい近代建築があれほど燃えるのは不思議です。
しばらく旅に出ます

今日の午前便でカトマンズに行き、3週間ほどエベレスト街道を歩く予定です。これほど長く日本を離れるのは初めてです。エベレスト登頂を目指す登山隊に同行してエベレストベースキャンプ(5,364m)を訪れ、ネパール政府の登山許可証なしに登れる最高峰のカラ・パタール(5,644.5 m)に登る予定です。費用と長い移動や待ち時間、様々なリスクや面倒はあるものの、ヒマラヤの魅力は自分の脚で到達する絶景だと思います。他方で、あれほど見たかったアンコールワットも、実際に行くと暑くて早く帰りたいと思い、「人生で訪れるべき場所」というワードは旅行会社の広告のような気もします。もう一つの目的は標高2,846 mにあり、滑走路が500mほどの世界一危険とされるテンジン・ヒラリー空港を見ることです。農業と観光、グルカ兵に代表される出稼ぎが経済を支えるネパールが、人生を変える場所であることを期待したいものです。(日本帰国は4月27日の予定で、今回はパソコンを持参しませんのでしばらく投稿はお休みします)
身体の変化を実感できる

定期的に行く唯一のサウナは西麻布のアダムアンドイブです。サウナに行くと言うよりは肌のターンオーバーにあわせてアカスリに行く感覚で、サウナはアカスリの引き立て役です。この店特有の熱めのスチームサウナと温浴で体を緩めるのは、交感神経の過剰な立ち上がりを避けながら角質が剥離しやすくするためです。一般には皮膚のダメージを回避するために、エステ的なソフトなミトンを使いますが、ここでは韓国式の物理刺激の強いものが使われます。スピードやリズム、角度と圧力などスタッフによるスキルのバラつきはありますが、総じて施術の水準は高いと感じます。この店に来ると他店の弱い刺激では満足できなくなりリピート化します。アカスリ後にドライサウナに入ると、普段より汗の量が増えるのが分かります。身体と対話をしながらその変化を実感できることは、サウナの楽しみのひとつだと思います。
ラウンジよりも思い出に残る

今年はめずらしく毎月海外に出ています。サラリーマンの頃は飛行機を利用する機会が多くラウンジを利用していましたが、今はそのステイタスからも外れ、寂しい気もします。他方で、現代的成功のささやかな象徴とも言えるエアラインのラウンジは、顧客ロイヤリィティを最大化するために設計された幻想にも見えます。承認欲求の受け皿としてのラグジュアリー装置の魔力を描いた、『マイレージ、マイライフ』は好きな映画です。主人公は常に旅を続け、極限まで身軽な人生という現代的な成功を体現しますが、映画は後半に入り問を反転させます。マイル・キャリア・お金という自由の象徴を獲得したものの、それは現実からの逃避だったという制作者の意図は示唆的です。今の自分は電源のあるカフェに入り、空港内を歩き回り店や人を観察しながら時間を過ごしますが、ラウンジでの優雅な時間よりも思い出に残る気がします。