
パセリを迎えた2014年頃は人生観が揺らぐ時期でした。海外投資の失敗や裏切り、金銭への執着に対する自己嫌悪に陥り、精神的に動揺する時期にパセリは偶然やって来ました。2年後会社を辞め、組織という心理的な支えを失い、旅館経営という不確実性も失敗確率も高い世界に飛び込み、甲子高原の厳しい自然環境で暮らす時、いつもパセリがそばにいてくれました。パセリは山を一緒に歩くだけの存在ではなく、人生を再構築した時代の伴走者です。麻薬探知犬として育ったパセリは、人に意識を向けることが習慣化され、この奇跡的な出会いが自分の人生を支えました。街で散歩する犬を見るとパセリと歩いた時間を思い出し、食事の合図だった夕方5時の公園のチャイムを聞くと、指示に従う従順な姿が蘇ります。また犬と暮らしたいと思えないのは、人生の不安な時期に寄り添い、共に歩いてくれたパセリとの時間を整理する必要があるからでしょう。
過ごした時間の象徴

水曜日の夜パセリが旅立ち、木曜日の朝動物霊園に行き、その日のうちにリードや食器などパセリの使っていたものすべてを処分しました。もう使う相手のいないパセリの持ち物を見るのが辛いからです。朝起きて階段を下りた場所に、いつも置かれていたドッグベッドがない空白は、その場所が突然意味を失いパセリを思い出します。痕跡を消したら今度は空白を見るたびに、パセリのいない世界を感じ喪失感を突きつけます。空気のようにいつもそこにいたから、失って初めて安心して心を預けられる存在だったことに気づきます。そばにいて、ただ見つめ尻尾を振り、ただ撫でられるだけの存在が、例外的に純粋な無条件の味方だったと感じます。パセリと一緒に過ごした八ヶ岳の森に、墓石を建てようと思いました。しかし今はベンチを創りたいと思います。ベンチは共に過ごした時間を象徴し、これからもパセリと過ごす場所になる気がします。
無条件の信頼

年末にラブラドール犬のパセリが体調を崩した時、別れが迫っていることを覚悟しました。しかし、神様は半年の猶予を与えてくださいました。悲しみの大きさは血縁関係や社会的な立場で決まるものではないと思います。麻薬探知犬として育てられたパセリが生きた14年2か月のうち、我が家で過ごしたのは12年4か月でした。その間、朝起きればそこにいて、家に帰れば迎えてくれ、家族が笑う時も、険悪な時もいつも一緒にいてくれました。人間関係は期待や失望、利害や葛藤など複雑ですが、犬との関係は純粋です。パセリを失った時、家族の12年間の記憶が一気によみがえりました。それは娘の成長と自分の人生の大きな転換期であり、そのすべてをパセリはそばで見ていました。人が落ち込むと寄ってきて、家族が集まると真ん中に座る。みんなをつなぎ留める静かな存在は、無条件の信頼で家族という群れを維持しようとしていたように感じます。
パセリありがとう

昨夜19:51ラブラドール犬のパセリは、家族全員が見守るなか静かに旅立ちました。14歳2カ月の一生が幸せだったのか分かりません。もっと一緒にいてあげれば良かった、大好きなボールでもっと遊んであげれば良かったと後悔ばかりが残ります。家族が険悪なときにもいつもそこにいて、ご機嫌で全員を和ませ、家族が壊れないようにしてくれました。人間と犬の歴史は3万年に及ぶと言われますが、共に進化した結果われわれの間にはDNAに刷り込まれた特別な関係があり、犬は人間の視線を読みます。氷点下15℃の厳冬期の甲子高原の生活を乗り切ることができたのも、パセリがそばにいてくれたおかげです。たくさんの山に登りましたが、影のように寄り添い離れることがありませんでした。カメラを向けると顔を背けるのに、家族で写真を撮るといつも真ん中に映りこんでいます。一緒にいてくれてありがとう。
歩くサウナ

大月に出講する日は授業の後に裏山に登ります。菊花山、駒橋御前山、厄王山奥の院を回り大学の駐車場までラウンドすると90分ほどの適度な運動です。とくに好きなのはほぼ全ルート走れる下りで、集中力と自己肯定感が高まります。本当は授業前の早朝に登って脳の血流を上げたいのですが、滑落リスクもありますので控えています。これからの季節は暑い低山の登山は避けたいところですが、今の季節でも歩くサウナ状態で気持ちよいほど汗をかけます。登山口にガッシングシャワーがあったら、1,000円ぐらい払ってもよい気持ちになります。同じ身体体験をしても、それに与える意味によって快楽の質は変わり、苦痛は投資になります。人間の幸福感は起きた出来事そのものよりも、それをどのように解釈するかによって決まる気がします。熱い小部屋のサウナが快感なら、真夏の暑い低山登山も快感になるはずです。
自然体験モデル

昨日は日光国立公園にある旅館跡地の利活用に関して環境省とWEB会議をしました。昭和39年に自然公園法に基づく認可を受けた国立公園事業施設は、その後二度の所有者変更を経て昭和54年に㈱甲子高原フジヤホテルに譲渡承継され、その間に第2種特別地域から規制の緩い普通地域に地種区分が変更されました。引き続き国立公園事業施設として事業を行う場合と、認可を廃止し普通地域内工作物として新築するケースでは許認可の手続きが異なります。前者の場合国立公園に関する補助金を受けられますが、他方で、現状の補助金は普通地域を対象としたものがなく、国立公園事業者であることの規制上のメリットが限定的なことから後者を選択しました。環境省では今後宿泊施設を中心に滞在価値を高める政策を進めるようですが、従来の宿泊料モデルから、高付加価値な自然体験モデルが求められていくと感じます。
ラブラドールらしい時間

ラブラドールが餌を食べなくなり、病院に行きました。昨年秋には20kgあった体重が14kgまで低下し年を越すのは難しいと考えたこともあります。ラブラドールの平均寿命は12歳前後とされ、14歳は人間でいえば90代後半~100歳に相当します。内臓に腫瘍らしきものが映り、内視鏡検査を勧められますが、その後に手術となれば14歳にとっては過度な負担であり、費用も多額です。今通う病院は3軒目で、最初の病院は前のラブラドールの時から四半世紀の付き合いでしたが、経営が変わった途端に数日の入院に数十万を請求するようになりました。できるだけのことをしてあげたいと考える飼い主は、彼らにとってはいいカモです。たどりついた今の病院は良心的ですが、それでも負担は少なくはなく、投薬治療を選びました。積極的な治療で寿命を延ばすより、活発なラブラドールらしい時間を少しでも快適に過ごす方が大切だと思います。
豊かな週末の定義

ラブラドールの調子がすぐれず東京に戻りました。妻と娘はディズニーランドに行きましたが、ディズニーランドに行ったのは娘が小学校に入った頃が最後です。人混みが苦手なので、お金と時間を使って疲れに行くようなレジャー消費には気が引けます。家でドライエリアに落ちる雨音を聴きながら風呂に入る方が、豊かな時間に思えます。これは優劣ではなく価値観の違いですが、過激な刺激から離れたいと思うので、明確な目的がない限り外出する気になれません。目的もなく街に出て、普段行かない場所を観察対象に広げることがセレンディピティを生みますが、重い腰を上げるにはどうしても見たいという動機が、自分の場合は必要です。現代社会においては、何もしない休日の静寂に大金を払うマーケットが存在します。豊かな週末の定義は人の数だけ定存在しますが、何もしないことで何を感じるかも観察の対象です。
顧客軽視の思想

三菱UFJとSMBCのスマホアプリから送金をしたのですが、両行の違いは驚くほどです。三菱UFJはパスワード入力で簡単に送金できるのに対して、SMBCは、SMS認証4桁入力→SMS認証4桁入力(この段階で振込の相手先が表示)→電話認証→さらにパスコード6桁を求められ、結局パスコードはどこにも表示されず、店頭のATMまで行くはめになりました。銀行窓口で相談をしようとすると、スマホアプリの操作説明は人気らしく、予約ができない上に待ち時間が長く諦めました。セキュリティと利便性の最適解は理論的に1つであり、競争市場ならそこへ収束するはずですが、SMBCはセキュリティ偏重だと感じます。支店→ATM→インターネットバンキング→モバイルバンキングと進化した銀行取引はリープフロッグ現象の代表ですが、それらのレガシーシステムが残っているのかもしれません。いずれにしても顧客軽視の思想が根強いことは確かでしょう。
押し車を回すモルモット

われわれを幸せにするものは本来とてもシンプルだと思います。長野県に来て、朝夕にラブラドールと鳥の鳴き声の響く森を散歩すると煩悩が薄れ始め、ゆっくりと深呼吸をしたくなります。2017年に発表された環境心理学の研究でも、自然の中で過ごすと時間がゆっくり流れることが報告されます。そんなときに思い出すのはメキシコの漁師とハーバードMBAの寓話です。この寓話には複数のバージョンがありますが、休暇中のMBAが昼寝をしている漁師にIPOして大儲けする方法を教えます。漁師がその後どうなるかと尋ねるとMBAは「そうしたら故郷に帰りのんびり昼寝をしながら海を眺められる」と言います。漁師は「でもそれは、今まさに私がしていることだ」というオチです。今も昔も人はお金を稼ぐ方法を考えますが、その一方で失うものには注意を払いません。人生の本質とは、押し車を回すモルモットと変わらない気がします。