
エベレスト街道の旅を通じて自分の思考に影響を与えたのは、「生きようとする必要のある世界」という観点です。空気の薄い高地では積極的に生きるための行動が求められます。他方で生命維持装置につながれた都市では、人々は考えることなく流されるままに生きることが許されます。生きる本質から離れた都市的消費は、人々を甘やかし幼児化させる方向に進化した気がします。宿泊ビジネスに関して言えば、本質とは「死の危険」と「生存環境」です。生きることが前景化する世界で人の感覚は鋭敏になり、厳しい自然と接続された時感じるのは身体性の回復です。極限環境に対して、人類は熱を中心に共同体を形成することで生き残りを図りました。「生存感覚」を呼び起こすシェルターとしての「火」という発想は、自分のサウナ・ビジネスをアップデートしてくれそうで、EBCでの4泊5日は思考回路を書き換えたと言えるかもしれません。
世界最高所サウナ



エベレスト街道の宿泊施設は、日本の山小屋というよりモーテルのような作りです。なかには高級ホテルもありますが、人里離れた高地に来て無理やりラグジュアリーな生活をすることは気が進みません。他方で、従来の不便かつ不衛生なロッジも避けたい気分です。お湯や水が満足に出ないことや電力使用の制限、手桶式の水洗トイレで構わないのですが、欲しいのはスタイリッシュな宿泊施設です。そんなことを考えていときに見たディンボチェ(標高4,410m)のDingboche Inn は参考になりました。バリスタが淹れたコーヒーが飲め、都会的な料理が提供されます。薪ストーブが備わる清潔なキャビンの暖かさは、最大のもてなしです。ハイライトはヤク糞を熱源とする世界最高所サウナで、長く寒いトレッキングのあとに、最高の高地ウェルネスを提供するはずです。自分が構想するオフグリッドキャビンのまさに本質であり、インスピレーションを受けました。
生きる感覚を取り戻す旅

旅を「自己変容装置」ととらえる自分にとって、変化は旅の価値を決める指標です。エベレスト街道から戻り気づいたのは、ズボンのウエストに大きな余裕ができたことです。普段は1日、1、2食生活で、3食全食が提供されカトマンズ観光にまで連れて行ってくれる至れり尽くせりの旅行により太ることを懸念しましたが、毎日の運動量は食べる量を上回ったようです。せいぜい3,000mの山しか見たことがない日本人が、8,000m級の世界の屋根を見れば感動しますが、かといって人生が変わるほどのインパクトとも言えません。一番大きな影響を受けたのは、標高5,300m超のエベレストベースキャンプでの生活です。半分の空気しかない世界では「生存」が前景化します。浅い呼吸は死につながりますので、生命維持が仕事になり、排泄すらイベントです。生命維持装置につながれる都市生活で失った、「生きる」感覚を取り戻す旅だった気がします。
旅とお土産


国内外を旅行してもお土産は買わない主義で、普段は菓子ひとつ買いませんが、エベレスト街道では妻に頼まれたカウベルをナムチェバザールで買いました。渋い銅製のカウベルは美しい音色を響かせ、いつまでも記憶が保存される音の出るお土産は良いものです。もう一つのお土産は、持続可能な観光の促進を目指すイノベーション拠点である、シャンボチェ(3,775m)のサガルマタ・ネクストセンターで買いました。エベレストを中心とした、山々の3D模型で、エベレスト街道で集められた36本のペットボトルのキャップを利用して作られたものです。登山者が持ち込んだ廃棄物を、登山者がお土産として持ち帰るアイデアは秀逸で、5,000ルピー(5,000円)はこのエコシステムを回すためのドネーションと言えます。エベレストの3D模型は我が家の風呂場のソープスタンドとして、エベレスト街道の思い出を伝えてくれそうです。
社会的序列ゲーム

ちょっとした優越感に浸れる旅の投稿はSNSのキラーコンテンツです。旅とは本来、自分の内面と向き合うものであり、人に誇示するものではありませんが、たいていの場合、分かりやすい虚栄心がにじみでます。そこに彩りを添えるのが空港ラウンジや座先クラスに関する投稿です。ANAが空港ラウンジの運用を厳格化すると発表し、マイレージ修行はより過酷なものとなりそうです。共同体の承認を得るマイレージ修行を「現代の巡礼」と見ることもできますが、不自由な思いをしてまでエアラインに忠誠を尽くすレースからは降りているので、自分には関係のない話です。結局のところ、人は心地よく騙されたいという欲求があるのか、マイレージのステータスや高級ホテルの利用を、社会的序列ゲームとして半ば自覚的に楽しんでいるのかもしれません。SNSがここまでヒートアップするのは、誰かと優劣を競う「選民性」にある気がします。
深い旅

エベレスト街道から戻り3日が過ぎても、クンプ咳と酷使したふくらはぎの痛みは身体的余韻として残ります。山に登ったわけではない自分でさえ、深く旅の余韻に浸るのであれば、旅の途中で別れ、その後に無事登頂したロブチェ隊や、今もEBCにいて、山頂までのルートを塞いでいる巨大な氷河の塊であるセラックの崩落を待っているエベレス隊の旅は強烈な余韻を残すはずです。深い旅ほど人の内部構造を書き換えるため、結果として余韻が長びくと感じます。楽しかった、また行きたい、といったドーパミン的快楽の旅は短期でその余韻が薄れます。エベレスト街道の旅は身体的な刻印を刻む点で余韻が続き、旅の準備として身体を鍛える必要もあります。巨大な山塊の自然の姿は、価値観や人間観などの認知を書き換えた可能性があり、旅を印象的なものにします。旅に「自己変容」を求めるのであれば、長期の徒歩旅行に勝るものはない気がします。
自己変容装置としての旅

ネパールから東京に戻り2日目ですが、旅の痕跡は今も身体に残ります。クンプ咳は相変わらず出ますが、帰国翌日の大学の授業はのど飴とのどスプレーで乗り切りました。ふくらはぎに残る痛みにより、階段を下るときは不自然な動きになります。極地への徒歩旅行という肉体の酷使は、旅行者に一定の犠牲を強いますが、それこそがネパール旅行を特別なものにしていると感じます。現代的な旅は、珍しい景色を見た、異文化に触れた、という安全圏からの観察者としての消費ですが、エベレスト街道のような高地徒歩旅行は、寒さと低酸素により思考力が低下し、息が苦しく、咳が止まらず、足が壊れます。つまり旅行者として守られず、見る旅からそこに身を投じる旅に変わり、自己変容の段階に至ります。カオス状態のトリブバン空港も含めて、犠牲を払った分だけ旅は深くなり、摩擦が多いほど、旅は自己変容装置になりうる気がします。
日常の定義を壊す

自分史上最長の3週間も日本を空けてみると、身体の感覚はカトマンズのままです。そのためか昨日成田空港から直行したのは近所のインド・ネパール料理店です。ネパール航空の成田便で隣の席に乗り合わせた青年のようなスタッフが配膳してくれます。標高5,300m超の生存領域を超えるエベレスト街道は非日常性にふさわしい場所です。われわれの生活圏の半分しか空気がない世界では、体調の維持が難しくなり、呼吸をしなければ死ぬことが現実問題です。睡眠により呼吸が浅くなることを防ぐためにも大量の水を飲みます。多くの旅行のあとに残るのは大量の写真と領収書だけですが、エベレスト街道の記憶をとどめるのは今も続くクンブ咳と脚に残る筋肉の痛みです。そのエクストリームさは4割の参加者が入院などのためにヘリを使ったことが示します。崖から飛び出すルクラの飛行場も、川沿いのカトマンズの火葬場も日常の定義を壊してくれます。
途上国が好きなら


今朝ネパール航空で成田空港に着きました。日程の半分が標高4、5,000m超という非日常体験は体への負荷を伴いますが、そのリスクに見合い世界の屋根の風景は異次元です。高度順応のために大量の水分を摂取し、夜はほとんど眠れず、エベレストベースキャンプでの氷点下12度の中でのキャンプ生活はこたえますが、同時に高揚感ももたらします。エベレスト登頂隊のメンバーの半分が一時離脱したことを考えれば、これを一般旅行として売る事は難しく、費用も含めて誰もが行けるわけでは無い領域に、現代の観光は拡張しつつあります。最終日に行った川に面する寺院の焼き場も衝撃的で、カトマンズを特別な場所にしています。ネパール旅行の問題は遅延が常態化し、昨日も2時間遅れたネパール航空と、あたりまえのことができない空港インフラのマネージメントの欠如ですが、それも含めて途上国を楽しめる人にはお勧めです。
旅の疲れ

エベレスト街道からカトマンズに戻り、ルクラからのフライトキャンセルに備えた予備日二日間は山で消耗した体の回復に努めます。これほど体を酷使した旅行はなく、エベレスト隊4人のうちの2人が病院に行くためにカトマンズに戻り、ロブチェ隊5人のうち2人が入院のために山を降りました。ほぼ全員がクンブ咳と高山病症状を発症し、高度障害により低下した免疫力で感染症にかかり、高熱や嘔吐する人もいます。一般的な観光旅行でさえ、環境変化により体調を崩す事はありますが、標高5,300m超えの極地旅行の場合は、普段から体を鍛えてきた登山者にとってもサバイバルレースです。幸い私のクンブ咳は二日間のサウナ通いによって症状が和らぎました。今夜帰国の途につきますが、旅の疲れは旅が終わるまでに解消したいものです。