
昨夜は北杜市のマウンテン*マウンテン w/cafe flatに行きました。世界各地を歩いた報道写真家がたどり着いたのが、甲斐駒ヶ岳を一望するこの場所です。到着すると、店内は見えるのですが、夜で入り口が見つからず電話をするほどミステリアスな雰囲気です。セルフビルドの家は洒落た造形ではありませんが、商店然と洗練されていないところがむしろ好ましく感じます。探検や自給自足の本が並ぶ店内は2卓とカウンターが4席と最小限です。もしリタイアという日が来るのであれば、山が美しく見える日当たりのよい場所で、自給自足の生活をしながら、たまに来る客を相手に年金がわりの収入を得る暮らしも良いと感じます。人が訪ねたくなる場所とは、そこにしかない人生の物語なのかもしれません。店に足を運ぶのは料理を食べるためではなく、その生き方に共感し、そこに流れる思想のなかで時間を過ごすことのような気がします。
青春時代とシンクロする

長野や福島への移動は車ですが、大半は交通量の少ない夜中です。夏の深夜に窓を全開にして走るのが好きなのは、免許をとった頃を思い出すからでしょう。よく聴いたのはハーブ・アルパートのRiseですが、音楽は当時にタイムスリップさせてくれます。サザンオールスターズの勝手にシンドバッドを聴くと高校の文化祭を、イルカのなごり雪を聴くと夜行列車で行ったスキーを思い出します。匂いも記憶を呼び覚まします。当時なら、焼けたブレーキやオイルの匂いかもしれません。単に昔を思い出しているのではなく、身体ごと当時に戻っているような感覚があります。音楽、匂い、夜風は脳内の広範囲のネットワークを活性化するようで、夜中のドライブは移動ではなく、青春時代の自分とシンクロする時間かもしれません。あの頃のように広がる未来を信じて生きるなら、若さまで取り戻せる気がします。
偶然を大切な時間に

パセリとの別れから3週間。生活は変わりました。朝夕の散歩などの世話から解放され、衣類に毛がついたり、室内が汚れることもなくなり、旅行など行動の制限もなくなりました。ただ、「それでも居てほしい」と思った瞬間に涙が溢れます。パセリの居た場所に置かれた花束を見ても涙は出ません。時折写真を見返しても涙は流れません。しかし、ひとたび自分の気持ちにアクセスした瞬間、涙を押さえられなくなります。失ったものを実感するのは、相手が目の前から消えた時ではなく、その存在が自分の人生の一部だったことに気づいた時なのかもしれません。これは一方的な感情であって、パセリにとってはたまたまやってきた一軒の家庭でしかなかったはずです。しかし、その偶然の出会いが、私の人生に大きな意味を残しました。偶然を大切な時間に変えて行くことこそ、人生の価値を高める気がします。
B29を巡る旅

火曜日は大月の観光ビジネスを学生と考えます。観光名所が少ないと言われますが、中心部のむすび山にある防空監視哨の聴音壕跡は、富士山を目標に日本に襲来するB29の方向や機数を判定する巨大な音響室でした。富士山を目標に飛ぶB29が、その方向を決める要衝が大月です。防空監視哨への旅は娘の中学校の廊下から始まりました。古びたショーケース内の小さなジェラルミンの金属片は、家の近所に墜落したB29の機体の一部と記されます。昭和20年5月24日未明、自宅から1kmほどのお寺の裏の畑に墜落した機体は、東京大空襲に向かう562機の内の1機で、11名の搭乗員のうち4名が生存していました。千歳高射砲陣地からの高射砲弾を第4エンジンに被弾し翼が燃え、スピンしながら空中分解したとされます。その10分ほど前に敵機襲来を伝えたのが大月の防空監視哨です。私が強い関係性を感じたように、この場所を卓越した観光地にする方法はあると感じます。
内面から湧き上がる豊かさ

自然のなかで感じるラグジュアリーに勝るものはない気がします。夕暮れ時、家の前のデッキにテーブルを出し、小さなキャンドルに火を灯けて静かなピアノの音楽を流すと、森から聞こえる鳥の声と溶け合い、流れる雲が夕日に染まるのを眺めるだけで、心が満たされます。やがて自分の輪郭が薄れていき、ある種の浮遊感を感じます。豊かさとは、高価なものを所有したり、高額な体験をすることばかりではなく、自分の感性が十分に満たされる時間を持つことかもしれません。自然の中で過ごす時間が増えると、贅沢の基準は変わります。星の数や価格では測れない豊かさがあり、それは、目の前の風景や風の音、鳥の声を、ただ素直に受け取る感受性なのかもしれません。人間社会につきものの欲望や不安、自己主張が静かになります。人が本来の状態に戻るとき、そこには内面から湧き上がる豊かさがあるような気がします。
身体は正直

週末は西岳に登り、その際何でもない下り道で派手に転倒して軽い打撲を受けました。同じ頃、直線距離なら10kmも離れていない別の山を下っていた妻も同様に何でもない場所で転倒し顔に怪我をしたと言います。妻の転倒場所の写真を見ると、どこにでもあるわずかに石が露出するトレイルで、自分の転んだ場所と酷似しています。偶然の出来事に意味付けをするのは悪い癖ですが、今度ばかりは偶然とも思えません。西岳は多い年なら50回以上登る裏庭のような山で、転倒することなど滅多にありません。どちらも筋力を使い果たすほどのハードな山ではないことを考えると、パセリとの別れによる悲嘆が原因と考えるのが自然に思えます。深い悲嘆の最中には集中力が落ち、注意力が散漫になり、身体が重くなることは、ストレス反応として説明できます。二人とも悲しみから立ち直ったと思っていましたが、悲嘆は自覚している感情よりも長く身体に影響を残すのかもしれません。
本来の感覚を取り戻す

久しぶりに西岳に登りました。しばらく山から遠のいていたので、病み上がりのように身体は重いのですが、歩き始めると自然の地形によって体がチューニングされていく感覚があります。登りの負荷は心肺機能を目覚めさせ、下りの脚運びは筋肉をスムーズに動かし始めます。一人の静かな山歩きが好きなのは、自分の身体と自然に意識を向けることができるからです。都会の日常生活は、匂いや音に対して注意を向ける機会が少なく、その感覚の退化は感性の豊かさを奪うと思います。昨今の熊騒動によって、野生動物の気配には敏感になります。熊がいないとされる八ヶ岳ですが、今シーズンに入って熊らしき動物を見かけました。遠くで笹が揺れる音さえ聞き逃さない集中力が、山歩きの時間を豊かにします。同時に山は都会のように安全ではなく、集中力を欠いた瞬間に手痛い目に合わせ、人間本来の感覚を取り戻す場所に思えます。
AIが止める消費の暴走

大切なことに集中するために身の回りをシンプルにして、生活を複雑にしたくありません。生活を複雑にする要因は無益な消費だと思います。しかし、今でも物欲はあります。以前のように高級外車が欲しいといった派手な衝動は薄れましたが、仕事で走る機会の多い雪道に強く、楽しめる実用品としてジムニーは理想的です。スチールホイールが選べる中間グレードのパールホワイトではないソリッドに近い白で、純正のLSDと黄色いフォグランプを入れて、車高を20mmだけ上げ、一見するとフルノーマルのプロフェッショナル仕様です。最後に買うべきかAIに尋ねると、それまでは一緒にカスタマイズを楽しんでいたはずなのに、その時だけはきっぱりと買う必要がないと言います。あなたの使い方なら今のN-VANの4WDで十分、と筋道を立てた説得に抗うことができません。妻や娘のように消費の暴走を止めてくれる身近な存在として、AIの重要性は増しています。
美しさより泥臭さ

授業をするなかでの悩みはAIによる模範解答の氾濫です。数年前なら最高評価をつけたであろう美しい回答が生成されてコモディティ化します。以前の大学は論文チェッカーなどで盗用を警戒しましたが、AIを日常的に使う時代になるとさらに複雑です。教員が学生以上にAIを使いこなして、いかにもAIが生成しそうな破綻のない回答を見極める必要もありそうです。良いのか悪いのか、私好みの文章が提出されるのは、私が授業中に話した表現をそのままプロンプトに入力しているからかもしれません。AIは授業中も積極的に使って欲しいし奨励しているのですが、怖いのはAIが正解を生成すると誤解することです。今は過渡期だと思いますが、AIでは容易に再現できない、その人自身の経験に裏付けられた泥臭さが残る文章を読むと安心します。知りたいのは人間の脳を介した回答であり、その人の人生と接続しているかという点です。
“Beside us.”の余韻


舌の根の乾かぬ内とはこのことで、昨日、最後にしますと投稿した後、町内にある木工家具工房に行き、パセリとその前に暮らした同じラブラドール犬のシーザーの名前を入れたベンチを依頼しました。森に置くことを考えましたが、いつも身近に感じられるよう、家の中に置くロッキングチェアにしました。ラブラドール犬のイエローの毛色に近い町内産のナラ材を使い、写真の試作品より幅を200mm短縮してコーヒーカップが置けるひじ掛け、バックレストの表に埋め木技法による小さな肉球を入れ、裏に名前を刻んだ艶消しの目立たない真鍮プレートをつけます。振り返ればいつもそこに二頭が居るという椅子にしてもらう予定です。納期は1年もしくはそれ以上と気の長い話ですが、届く日を楽しみに待ちたいと思います。思い出とは、暮らしの中に静かに残すものかもしれません。真鍮版に入れるメッセージ、”Beside us.”の余韻が、今最もしっくり来る気がします。