最新情報

Information

最後の時代への郷愁


河口湖自動車博物館を見ました。標高1,100mの別荘地に8月だけ営業する施設は、開館30分前からマニアが集まり始めます。目的は併設の飛行館で一式陸攻を見ることですが、博物館としての完成度は自動車館が上で、しかも1,000円とバリューです(飛行館は1,500円)。最大の価値は、馬車→初期自動車→戦前→戦時中→戦後→現代という連続した時間軸のなかで、自動車の歴史が連続性を持ちつながることです。ある意味で工芸的な機械だった戦前の自動車と、戦争により高度化した工業技術、量産性、性能が戦後に結合する「理想的な結婚」が50~60年代なのだと感じました。そして自分が車に乗り始めた70~80年代は、車が移動する電子機器になる前の最後のマシーンの時代なのだと思います。この年代の車に魅力を感じるのは、人間が機械を操る最後の時代への郷愁なのでしょう。

中庸の訓え


多拠点居住のメリットは複数の季節を行き来できることだと思います。八ヶ岳の森に来るようになって30年経ちますが、真夏でもクーラーが必要だと思ったことはありません。山に登れば、季節は東京と2か月は違い、9月には低体温症による遭難が増えます。夕暮れ時にデッキで鳥と虫が鳴くのを聞きながら、暮れ行く空を眺めていると副交感神経が高まり、逆に人間がダメになりそうな気がします。都市は交感神経過剰、自然のなかでは副交感神経過剰で、バランスを取る方法は両者を移動することかもしれません。古今東西、多くの偉人が中庸であることの大切さを説きました。中庸とは両極のどちらかに固定することなく、状況に応じた最適な位置の選択のような気がします。人類が常にハレとケを必要としたように、仕事がないと遊びが楽しくないように、どちらかに偏ることなく「振幅を持って生きよ」という訓えであるなら腑に落ちます。

小食免罪説


八ヶ岳にいるときは一日一食です。更年期に入った人間にとって、一日三食は負担が大きいと感じます。重視するのは食事の美味しさと胃の爽快感です。人体は強力な解毒機能を持ちますが、その限界を超えたとき人は病気になります。小食であれば体が許容する範囲のなかで正常に消化される可能性が高いと思います。頻繁に常識が入れ替わる医学界において、最新のエビデンスなど何ら正当性を担保しないと感じます。他方で、小食(飢餓)と運動(狩猟)だけが健康の秘訣だと信じるのは、人類史において最も長く続けて来た習慣であり、われわれの身体はその環境に最適化しているからです。健康オタクの間でも意見が分かれるテーマの一つに朝食必要・不要問題があります。朝食抜きが問題なのは、血糖値スパイクと筋肉がエネルギーに変換されてしまうことです。つまり一食の可否が論点なのではなく、適切なやり方こそが問題なのだと思います。

逆説的リアリティ


「ロシア軍の日本人兵士」を読みました。第一次世界大戦同様の塹壕戦の一方で、新しい戦争と言われるのはSNSに情報があふれ戦局の実態が見えない点だと思います。客観冷静を装う識者の言うことも話半分で聞く必要がありそうです。特殊部隊アフマットの狙撃兵という著者の特殊な属性を差し引いたとしても、戦争当事者による一次情報は貴重です。本書の内容を信じるのであれば、突撃兵の8割前後とされるロシアの損耗は深刻に見えます。アメリカもイランとの非対称戦に苦戦しますが、ソ連以来の世界最大級の陸軍と対峙するのは、最強の軍事スタートアップです。その非対象性が戦争の帰結を不透明にします。ロシア経済が疲弊すれば、結果として地域のミリタリーバランスが崩れ、次の紛争の遠因になるかもしれません。それにしても、生を最も感じられる場所として戦場を選んだ著者の生き方は、逆説的ながら奇妙なリアリティを感じます。

かつてのサウナ


大月で炭焼窯を見せてもらいました。韓国のスッカマのように炭焼窯に入り汗を流す習慣が、日本にもあったのかが最も聞きたい点です。スモークサウナ、スッカマ、石風呂とサウナの歴史をたどるのは、現代の直火型よりはるかに長く使われてきた輻射熱による蓄熱型サウナの方が、健康効果が高いのではないかという仮説があるからです。相模川に通じる二級河川が目の前を流れ、江戸城、東照宮の造営に付近から木を伐り出して流して運んだとされます。東大寺の再建に重源が派遣され労働者のための石風呂を作った佐波川を想わせます。戦後は周辺で多くの炭焼きが行われ、昭和30年代で大半の炭焼きは終わったようです。戦後に作られたこの窯では、サウナのような使い方はしていなかったようですが、あと50cmも天井が高ければ中国地方で見た石風呂のように人が入れそうです。空間そのものを熱源にするかつてのサウナに魅かれます。

最恐のストレス


普段使っているThinkPadが突然起動しなくなりました。IBM時代のx20以来買ったThinkPadは少なくとも10数台で、最高スペックに近いものを買いますので、LTVはかなりの金額になるはずです。最初に買ったPC以降マッキントッシュを使っていて、何度かアップルに戻そうと試みましたが、ThinkPadから離れることができないのはキーボードから手を放す必要がない秀逸なポインティングデバイスの存在です。人間のストレスには様々なものがあり、その多くは仕事や経済問題、人間関係だと思います。他方で自営業の場合これらのストレスは比較的少なく、自分にとっての最大のストレスはパソコンなどのIT関連のような気がします。スマホアレルギーから、外界との接触の大半をパソコンに依存していて、生活が巨大なデジタル・システムに接続される現代においてPCが立ち上がらないことは死活問題と言えます。仕事と社会との接続を突然断たれるストレスは最恐のような気がします。

夏の終わり


この季節になると若い頃を思い出します。スローテンポでアンビエントな音楽が似合う、ピークを過ぎた気だるい暑さは、様々な思い出と結びつきます。ヒグラシの鳴く森に入ると、どこか物悲しい夏の終わりを想起させ、複雑な感情が起こります。自然に近い暮らしは、どの季節も美しく感じますが、それでも特別なのは美化された記憶を呼び覚ます夏の終わりです。あの頃は自動車、リゾートホテル、高級レストランといった、今となってはその先に幸せを感じられないゲームに夢中でした。若者の特権は、消費ゲームを無邪気に信じられることのような気がします。自分にとってのターニングポイントは、40代の終わりに肝炎で入院したことです。以後25kgのダイエットをし、生活もダウンサイジングしました。どこにもたどり着かないトレッドミルを降り、今は若者が乗りそうなN-VANが心地よいのは、未来に希望を持ったあの頃に戻れるからかもしれません。

サウナ75℃説


白河の古民家サウナは、身びいきながら最も気持ちの良いサウナの一つです。しかし営業施設ですから好き勝手に入ることもできず、白河でよく行くのが郊外にある割烹温泉観音湯です。林に面した露天風呂も気持ちが良いのですが、お勧めはサウナです。オートロウリュのついたサウナは75℃と低めで、無理なく汗を流すことができ、700円と良心的です。一時の熱狂的サウナブームは去った感があるのは、あまりにも熱いサウナと冷たい水風呂が礼賛された結果だと思います。日本のサウナの特徴は、短時間で汗をかくことにフォーカスしている点だと感じます。サウナが生活に溶け込む北欧では低い温度でゆったり楽しむ人が多く、フィンランドのサウナテント老舗サヴォッタの上限温度は75℃です。75℃はサウナ嫌いを増やす上限温度だと思っていて、ピクニックをしながらのんびりサウナを楽しむライフスタイルを日本にも定着させたいと考えています。

悪名は無名に勝る


昨日は白河に行きました。地方でよく見かけるのがいわゆる「キリスト看板」です。聖書配布協力会が設置する黒塗りのトタン製看板は、「神と和解せよ」、「死後さばきにあう」などと高圧的で不気味です。好感度を狙った布教ではなく、自動車で通り過ぎる人に、強烈な短い言葉で、一瞬で印象を刻み込む手法です。古い民家、空き家など広告看板の設置がイメージダウンになる場所を選び、気味の悪いメッセージを掲げることは、一見すると逆効果に見えますが、悪名は無名に勝るということなのでしょう。商品広告として考えれば異常な手法ですが、われわれが目にする広告もポジティブな感情を刺激するものはむしろ少数です。サプリを売る広告は加齢による身体の不調を前面に人に恐怖を植え付ける点では同じです。好感度ではなく、恐怖により認知され、記憶され、選択肢に入れるという本質を教えてくれるのがキリスト看板なのかもしれません。

Translate »