
エベレスト街道から戻り3日が過ぎても、クンプ咳と酷使したふくらはぎの痛みは身体的余韻として残ります。山に登ったわけではない自分でさえ、深く旅の余韻に浸るのであれば、旅の途中で別れ、その後に無事登頂したロブチェ隊や、今もEBCにいて、山頂までのルートを塞いでいる巨大な氷河の塊であるセラックの崩落を待っているエベレス隊の旅は強烈な余韻を残すはずです。深い旅ほど人の内部構造を書き換えるため、結果として余韻が長びくと感じます。楽しかった、また行きたい、といったドーパミン的快楽の旅は短期でその余韻が薄れます。エベレスト街道の旅は身体的な刻印を刻む点で余韻が続き、旅の準備として身体を鍛える必要もあります。巨大な山塊の自然の姿は、価値観や人間観などの認知を書き換えた可能性があり、旅を印象的なものにします。旅に「自己変容」を求めるのであれば、長期の徒歩旅行に勝るものはない気がします。