自己変容装置としての旅


ネパールから東京に戻り2日目ですが、旅の痕跡は今も身体に残ります。クンプ咳は相変わらず出ますが、帰国翌日の大学の授業はのど飴とのどスプレーで乗り切りました。ふくらはぎに残る痛みにより、階段を下るときは不自然な動きになります。極地への徒歩旅行という肉体の酷使は、旅行者に一定の犠牲を強いますが、それこそがネパール旅行を特別なものにしていると感じます。現代的な旅は、珍しい景色を見た、異文化に触れた、という安全圏からの観察者としての消費ですが、エベレスト街道のような高地徒歩旅行は、寒さと低酸素により思考力が低下し、息が苦しく、咳が止まらず、足が壊れます。つまり旅行者として守られず、見る旅からそこに身を投じる旅に変わり、自己変容の段階に至ります。カオス状態のトリブバン空港も含めて、犠牲を払った分だけ旅は深くなり、摩擦が多いほど、旅は自己変容装置になりうる気がします。

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