日本はまだまだディープだ

今日はホテルや旅館を始めとした事業所が参加するとある組織の総会があり、何も知らないぼくはとりあえず出席してみました。司会者が「慎重なる審議をお願いします」と言うのに、司会者が議案説明を終えた瞬間に間髪いれずに「意義なし!!」の声。また、審議の必要な議案についてはこれまた、司会者が説明を終えた瞬間に質問者が立ち事務局案を尋ねるという手際のよさ。総会が必要なプロセスでスムーズに終えるのも悪くないが、その割には来賓あいさつがやたら多かったり、見世物としてはおもしろいが、いずれにしても大の大人が数十人も車を使って出かける内容ではなく、日本はまだまだ奥深いと再発見する午後でした。

イグルーが作れそうな雪の塊

昨夜も温泉から夜空を見上げると、美しい星々が満天に広がっていました。しばらく見とれていると、真上を流れ星が通りすぎました。東京にいるとき、犬との散歩中の夜明け前に流れ星を見ることがあるのですが、いつも一瞬の出来事です。なぜかここで温泉から眺める流れ星は、軌跡を残して緩やかに流れていきます。

昨夜は外で重量物が落下する大きな音がして、今朝見ると20cm以上の厚みの氷となった雪が屋根から落下していました。エスキモーなどの住居のイグルーが作れそうな強度はあります。

雪国暮らしは燃料費との戦い

今日は気温も0度前後と暖かく珍しく雪も降らない穏やかな一日でした。温泉浴場の前は阿武隈源流に抉られた深い渓谷になっていて、風が抜けるために背丈ほどに積もった雪が彫刻のように削られています。昨日駐車場の除雪をしてもらい地面が現れました。コメリで値段交渉していた10馬力ほどの手押しの除雪車での除雪はやはり難しそうで、50馬力(37kW)、最大トルク6.4kgm/fのクリッパーに除雪版をつけることを検討しています。3月からの重い雪だと車体が浮き上がると脅されているのですが、高価なホイールローダなど買えるはずもなく、当面これで様子を見たいと思います。館内の改修工事は佳境に入りモルタルを乾かす大型ヒーターが館内に入っています。とても暖かいのですが、20Lほどのタンクは一日でなくなるそうです。雪国での暮らしは燃料費との戦いです。

予定調和では見えない景色

昨日泊まりに来てくれたかつての同僚からは、「朝からよく食べられますね」と言われますが、毎日変わり映えのしない朝食です。昨日は誕生日で自分の年齢について意識せざるを得ないのですが、以前とは今は少し考えが変わってきて、年を取ることがそれほどいやではなくなりました。現在人間の寿命はテロメアの長さにより細胞分裂の回数が規定されるという考え方が主流です。楽観的なぼくは近い将来この前提を覆す発見があると信じていて、自分自身を実験台に旅館をアンチエイジングのR&Dや情報メディアにしたいと考えています。この旅館の以前の従業員のなかに82歳の女性がいて、最初に会ったとき、より若い5人の従業員のなかにいてどの人がその女性なのか分からないほど若々しいのです。

食事、運動、回復、生きがいなど健康維持のファクターはいくつかありますが、一番は後悔しない人生だと思います。以前人が死ぬときに後悔する事柄が列挙されている記事を見たことがありますが、共通することは自分の感情を押し殺して生きてきたことだと思います。より深く自分と向き合い、予定調和の人生では見えなかった新しい景色を見たいと思っています。

人生の折り返し地点?

今日は自身の半世紀+4年の誕生日でした。以前の会社人生ならあと定年まで1年を残すという時期ですが、自分のなかでは第二の人生の折り返し地点ぐらいに考えています。

一人の誕生日なので、とくに普段と変わることもなく、白河の街に出て図書館で本を借り、カフェでメールやFB、仕事などをして、業務スーパーで買い物をして料理、洗濯をする普段通りの一日です。

もともと惰性で歳をとるのがいやで始めたビジネスだけに、初めて経験すること知ることも多く、自らを変革する一年にしたいと思います。前近代的な色彩を色濃く残す旅館業界は、おそらく大手が切り込まないビジネスモデルの空白領域だと思います。労働形態やビジネススキームを工夫することで何かおもしろい事業展開ができないかと模索の日々です。新しい環境で試行錯誤の毎日を楽しむ一年にしたいと思います。

こんなに身近にあった戊申の役の激戦地

戊辰の役の趨勢を決めた白河口の戦いがあったことは知っていたのですが、その古戦場がいつも行くベイシアの裏山とは知りませんでした。この稲荷山は1868年に奥羽諸藩鎮定のために薩長大垣の西軍が白河を攻めたときの激戦地です。奥羽越列藩同盟側は4月25日に一旦西軍を退け、5月1日に再び来襲した西軍をこの稲荷山で迎え撃ったものの敗退し、東軍の約700名がこの1日で戦死したとされます。

いまはのどかな田園地帯にある小高い小さな丘ですが、登ってみると白河の街を四方に見渡すことのできる要害の地であることが分かります。東側には権兵衛稲荷神社があり、大正時代の文字の残る稲荷象がいくつも残っています。

夢の環境なのに歩けない

新甲子温泉での生活が始まり2カ月が近づいてきましたが、一番困っているのは運動不足です。公共交通機関中心の都会にいると自分の足で移動するので、一駅歩いたりして一日12,000歩ぐらいは毎日歩いていましたし、週に1度は1時間かけて高尾山に行き、20km前後歩いていたのですが、こちらにきてからはせいぜい毎日3,000歩から4,000歩しか歩いていません。買い物は往復3、40kmあるので車を使いますし、なるべく遠い駐車場に車を置くなどのむなしい努力もあまり運動にはつながりません。

トレイルが目の前にあるという、以前なら夢のように感じた環境にもかかわらず、深い積雪やら理由をつけては、歩いていませんでした。今朝は阿武隈源流のトレイルに行こうとしたのですが、腰を越える積雪で引き返してきました。剣桂神社まで行ける車道も状況は同じで、除雪車が掃ききれずに積み上げた雪が壁のようになっていました。誰もいない静まり返った森のなかで、マインドフルネスのための歩く瞑想などしようと思ったのですが、あと2カ月くらいは難しそうです。

温泉管も凍る

昨夜は月が姿を見せず、目が闇夜に慣れるに従い、温泉浴場からは満天に広がる星空を見ることができました。金曜日に厨房のガス台を運び出すときに腰を痛めて以来、曲げるたびに痛みが走っていたのですが、温泉に2時間ほど浸かっていたら、それ以来痛みを忘れました(宣伝のようですけど本当です)。温泉はpH7.2の単純温泉(低張性中性高温泉)で適応症としては、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、関節のこわばり、うちみ、くじきなどがあります。

今朝は強風が吹き、巻き上げられた雪で一瞬あたりが真っ白になります。朝からは雪が降ったり晴れたりの天気です。軒下に停めているフィアットの気温計は氷点下6度を示しており、実際にはもう少し気温は低いと思います。温泉清掃のために温泉のバルブを回そうとすると、凍りついて動かず足で蹴って回しました。ボイラーの燃料タンクの上にも器用に雪が積もっています。

半世紀のリゾート史の生き証人

月曜日から始まった工事で本館2室の解体が進みました。開業以来50年目にして、建物の構造材が姿を現しました。そして当時の風呂といえば、この水色のタイルが主流でした。昭和42年に竣工して以来このホテルがたどったその後の歴史は、数奇な運命というほどではないにしても、昭和・平成リゾート史の生き証人とでも言うべきものでしょう。かつては観光バスで乗り付ける客をさばききれず、従業員用の部屋でも売ってくれと言われたと聞きます。

新甲子温泉は、甲子温泉からの引湯により1961年に温泉地を開いたことに歴史がはじまり、2年後の1963年には国民保養温泉地に指定されています。最盛期には12軒ほどの旅館があったようですが、現在の主要な旅館は、五峰荘、みやま荘(この2軒は同じ経営主体)、那須甲子高原ホテルと当甲子高原フジヤホテルの4軒を残すのみとなりました。多くの旅館が廃業や売却され、当ホテルに隣接する玉の湯は、当時は新甲子温泉最大級の客室規模を誇りましたが、今は廃墟となって無残な姿をさらしています。

奇しくもこのホテルの半世紀の歴史は、開業25年目にあたるバブル崩壊までの経済成長と観光ブーム、その後の25年の景気低迷と宿泊市場の縮小という光と影を見てきたことになります。昨今のインバウンドへの過剰な期待はともかくとして、これからの観光地における宿泊施設のあり方は大きく変わっていくと予想しています。豪華さ、希少さなど、消費の対象である商品としての宿泊施設そのものの属性が問われるのではなく、むしろ消費の主体である、消費者の内面を問う性質のものに変わっていくのでしょう。

半世紀ぶり?に近代化された厨房

昨日は厨房のガス台を入れかえました。おそらく創業当時から使っていると思われる代物で内部は錆て朽ち果てていました。新しいガス台は作業台に鋳物コンロを置くシンプルなものです。

昨夜は白河市内でも結構な積雪があり、テンポスバスターズの配送の軽トラックではホテルへの搬入が難しいために、白河駅で落ち合い積み荷を載せ替えて、新甲子温泉まではクリッパーで運びました。

問題は廃棄するガス台が異様に重く、びくともしないことです。そこはテンポスバスターズの人もプロで、このテコでも動かなそうな巨大なガス台に、台車をさし込んで短時間で運び出し、クリッパーの荷台にあげてしまいました。人ができそうもないことをやってしまうあたりにプロの仕事ぶりを感じます。

白河の駅でウォルマートの配送トラックのようなクロスドッキングで、クリッパーからテンポスバスターズの軽トラックに積み替えました。これでだいぶ厨房が近代化しました。旅館やホテルの多くは、料理に半製品や製品、セントラルキッチンを活用する傾向にありますが、健康になるための食事を目指していますので、基本的にはこの厨房で安全な食材からすべての料理を作ります。もう少し時間をかけてキッチンと言えるような快適な作業環境にしたいものです。

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