半世紀のリゾート史の生き証人

月曜日から始まった工事で本館2室の解体が進みました。開業以来50年目にして、建物の構造材が姿を現しました。そして当時の風呂といえば、この水色のタイルが主流でした。昭和42年に竣工して以来このホテルがたどったその後の歴史は、数奇な運命というほどではないにしても、昭和・平成リゾート史の生き証人とでも言うべきものでしょう。かつては観光バスで乗り付ける客をさばききれず、従業員用の部屋でも売ってくれと言われたと聞きます。

新甲子温泉は、甲子温泉からの引湯により1961年に温泉地を開いたことに歴史がはじまり、2年後の1963年には国民保養温泉地に指定されています。最盛期には12軒ほどの旅館があったようですが、現在の主要な旅館は、五峰荘、みやま荘(この2軒は同じ経営主体)、那須甲子高原ホテルと当甲子高原フジヤホテルの4軒を残すのみとなりました。多くの旅館が廃業や売却され、当ホテルに隣接する玉の湯は、当時は新甲子温泉最大級の客室規模を誇りましたが、今は廃墟となって無残な姿をさらしています。

奇しくもこのホテルの半世紀の歴史は、開業25年目にあたるバブル崩壊までの経済成長と観光ブーム、その後の25年の景気低迷と宿泊市場の縮小という光と影を見てきたことになります。昨今のインバウンドへの過剰な期待はともかくとして、これからの観光地における宿泊施設のあり方は大きく変わっていくと予想しています。豪華さ、希少さなど、消費の対象である商品としての宿泊施設そのものの属性が問われるのではなく、むしろ消費の主体である、消費者の内面を問う性質のものに変わっていくのでしょう。

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