聖地と俗世界をつなぐ

昨日、甲武信岳(標高2,475m)から下山したあと最後にアスファルトの道を3、4km歩いているときラブラドールが足を引きずっていました。見ると肉球が薄くなり血が流れています。現代人なら悲鳴をあげて動けなくなるところですが、ラブラドールは不平ひとつ言わずに平気な顔で人間についてきます。野生動物の生命力は凄いと思います。ジョンJ.レイティとリチャード・マニングが著書「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」で主張した「野性的に暮らすすべての動物は人間よりはるかに賢い」という見解は正しいと思います。本来野生動物として設計されているはずの人間も、都市生活で飼い慣らされた結果文明病とよばれる病気や不幸がもたらされたのでしょう。

4、5年前までのぼくはBMIが28を超え、全く運動をしない典型的な生活習慣病患者でした。糖質制限を始めたことでぼくの人生は大きく変わり始めました。体重は数か月で20kg落ち節々の痛みも消え50歳を過ぎて体からあらゆる不調が消え突然運動を始めました。糖質制限は体をスリムにしただけではなく、物欲など地位財への執着が減る心のダイエットもしてくれたのです。必要以上を求めないミニマリズムには昔からどこか魅かれていたのですが、新甲子温泉に来てからは、大自然の中に身を置くことで出逢うことができる、ありのままの自分の身一つで生きていくことこそが理想だとうようになりました。温泉街の最も奥に位置するこの宿は、いわば山という聖地と俗世界をつなぐ結節点にあります。この宿を通じて素の自分に戻れる山や森の魅力を伝えていきたいと思います。阿武隈源流は初夏の風情です。

移動時間とコストを減らす方法

今日は日本100名山の甲武信岳(標高2,475m)に登り雁坂峠から下る約23kmを回りました。普段愛用している西郷村4peaksと同じ距離ですが、初めてのルートは長く感じます。標高の割には、ホームグラウンドの裏那須や会津の山ほどの高山気分は味わえないものの、雲取山からから野辺山に至る長大な縦走路は魅力的です。

東京にいるときはこうした週末のレジャーのあり方に何の疑問も感じなかったのですが、新甲子温泉に暮らし始めて、那須連山の登山口まで1分の生活をしてみると観光地までの移動時間とコストは大きな問題だと思うようになりました。たとえば週末に温泉に行くとして行きは旅行への期待もあってそれほど苦痛はないのでしょうけど、帰路日曜日の夕方東北自動車道が渋滞でもすれば旅行の余韻は吹き飛び「サザエさん症候群」に襲われることは必至です。いずれ自動運転の普及などでその負担が軽減されるにしても苦痛が消えるわけではありません。移動コストも東京一極集中の歪によって高止まりしたままです。

これを解決する方法は、職住近接や多拠点居住のライフスタイルだと思います。今週休3日の議論が進んでいますが、たとえば1カ月などまとまった期間を観光地や自然のもとで仕事をしながらゆったり暮らすライフスタイルが浸透することがこの問題の解決策になると考えています。

心地よい風

昨日は1916年創業の料亭「金沢園」を保存・活用した「旅館 喜多屋」(KITAYA Ryokan)を見せていただきました。かつては与謝野晶子が歌会を、高浜虚子が日本探勝会を開いた建物は国登録有形文化財に指定されています。東京・品川にあった明治期の建築とされる木造二階建ての日本家屋を1930年に移築したものだそうです。現行法規のもと再生することの難しさは身をもって理解していますので、リアリティをもってお話を聞くことができました。豊かな緑に包まれる歴史的文化財の二階の和室でお話を伺っていると心地よい風が海に抜け、子供の頃見慣れていた祖父の家を思い出します。快適さを追求した今の住まいがとても無機質に感じられます。

現代の山岳信仰

マインドフルネスという言葉が一般に広がる以前から瞑想に関心がありました。おそらく読んだ関連書籍は100冊を下らないでしょう。残念ながら一度たりとも瞑想の境地に至ったことはありませんでした。よほどの修行が必要な瞑想ゆえに多くの人が引きつけられるのだと思っていました。しかし、瞑想を狭くとらえる必要はなく、自分はすでに瞑想を経験していることをあるとき理解しました。

糖質制限で20kgの減量に成功したあと始めたトレイルランニングは今では自分の人生の一部です。トレイルランニングになぜこれほどまでひきつけられるのか、いつも考えています。とくに、楽しみを超えてある意味自分を追い込むレースの魅力は、おそらく瞑想の境地に至ることが理由だと思います。ぼくの場合はレース中盤の30kmぐらいの距離を超えたあと、βエンドルフィンなど脳内麻薬の影響なのか、マインドフルネスの言う「今を生きている」という感覚になります。その感覚はゴールまで持続し、それまでの辛さは直感的な心地良さとして美化されていきます。

しかし長距離レースに出なくても那須連山の山々を日々駆け降りるとき、それに近い感覚が訪れます。トレイルランニングやスカイランニングに多くの人が魅せられるのは、それが現代の山伏修行であり山岳信仰だからだと思います。

木は死なない

古代の広葉樹の森が徒歩10分圏に広がるこの宿のロケーションは、巨樹に魅せられているぼくにとっては幸せな日々を送るのに最適な場所です。車を使うとさらにその数は増え、土曜日に行った宿から25分の那須温泉神社の「生きる」と名づけられた御神木のミズナラ(写真)は樹高18メートル、胸高周囲4メートルで、樹齢は800年とされます。白河関跡にある従二位の杉は樹齢800年、会津側に30分ほど行った八幡のケヤキは樹齢950年、さらに足を伸ばすと会津若松の高瀬の大木(高瀬の大ケヤキ)は樹齢500年、新潟県東蒲原郡阿賀町の将軍杉は樹齢1,400年の日本一で、これらの巨大さはもはや生物とは思えないものです。木は死なないとする新説がぼくには妥当に思えます。

御神木のオーラ

新甲子温泉で暮らす以前から、ぼくは巨樹のもつ魅力にひきつけられていました。大木の下にただ佇むだけで心が落ち着き、何かの力を与えられるようで元気になれます。その力はおそらく巨樹が持つ生命力だと思います。宿から徒歩7分の剣桂はその代表です。樹齢390年と言われるこの巨木はその佇まいの美しさ、樹高45mの圧倒的な存在感、那須おろしと呼ばれる突風の厳しい風雪に耐えてきた力強さなど、毎日見ていても畏敬の念を払わずにはいられません。雷の多いこの地域で、江戸時代初期から400年もの時間の流れのなかで、雷にあたることもなくこの国の歴史を見守ってきた御神木の発するオーラを感じます。ちなみに宿の飲料水はこの有数のパワースポットとして知られる剣桂神社の沢から取水しています。神社の近くは岩に抱きつくナラなど強い生命力を感じる巨木の森になっています。

真摯に自分と向き合う

昨日の朝は那須岳山伏修行である抖擻(とそう)に同行した皆さんと宿のまわりの広葉樹の森を散策しました。標高900m付近の広葉樹の森をゆっくり歩きながら話しをしていると、本を読むのとは違い実感を伴いキーワードが頭に入ってきます。「弓道、茶道などの道は年を取るほど上達する」という逆説や、武道では「相手を倒そうとするのでなく自分を調整する」など、普段この森で自分と向き合うことの意味が分かりはじめてきたぼくにとってはどれも素直に受け入れられることばかりです。真摯に素の自分と向き合える場所が山であり森なのだと思います。

阿武隈源流で禊

今日の新甲子温泉は半袖で過ごすには少し涼しい気候です。昨日は修験の山でもある那須岳で山伏修行の抖擻(とそう)に参加しました。峠の茶屋から、茶臼岳、南月山、朝日岳を経て峠の茶屋に戻るコースはトレイルランニングなら2時間とかからない距離ですが、先達を先頭にたっぷり半日かけて歩く祈りの山旅も良いものです。昨日は抖擻の同行者に宿泊していただきましたが、一部の方は宿にチェックインしたあと、宿の前にあるまだ冷たい阿武隈源流で禊(みそぎ)をしました。真夏のレース後ならアイシングに飛び込みたいところですが、まだ寒い昨日は遠慮しました。

山には胎内と言われる場所があるように、「山から戻ると生まれ変わる」という昨日の先達の言葉は、毎日下山する度に心のおりが洗い流される感覚をもっていたぼくには実感をもって聞くことができます。祈りが健康に及ばす効果が近年注目されるようになり、祈りの山旅は魅力的です。

感じたことが答え

今日は那須茶臼岳、南月山、朝日岳での一日山伏修行である抖擻(とそう)に参加しました。雲ひとつない青空に那須連山の山並みが映えるこの上ない絶好の山日和です。「本質はシンプルで感じたことが答え」という先達の言葉は自然に懐に入るとよく理解できます。山岳信仰の山で月山と呼ばれていた茶臼岳一帯は祈りの山です。

ストレスをため込まない

今朝の新甲子温泉は初夏らしい気持のよい朝です。満員電車や交通渋滞、排ガス臭い空気とは無縁の生活とは言えストレスはたまります。慣れない旅館仕事が立て込んでくると余裕がなくなります。今朝も阿武隈源流を散歩しましたが、そんな朝にこそ自然の癒しの力を実感します。早朝の森は冷気に包まれ日中とは違った表情を見せます。朝霧のなかで太陽のさし込む森はやはり神秘的です。気分が落ち着くまでそこに佇むと自分の内面が作りだした無用なストレスが霧消していきます。ストレスは無くなりませんがため込むことはなくなりました。

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