YouTubeが読書脳を破壊する

連休中はじっくり本を読もうと少し重い内容の積読状態の2冊を持って山に来ました。どちらも外国の著者ですが、外国の作家にはよくある、伏線となる話が複雑に交差して頭に入らず、途中から読む意欲が失われて投げ出しました。もう一冊はビジネス書ですのでそうしたレトリックがないに関わらず、一向に頭に入りません。恐ろしいことですが、YouTubeで欲しい情報だけ効率よく吸収する癖がついた結果、脳が受け身になり退化したのかもしれません。読書の良さは自分のペースで読み進めることによって余白が生じ、そこに自分の考えが上書きされます。読書は常に考えながら読み進めるのに対して、YouTubeは一度見始めると思考停止のまま受け入れている可能性があります。テレビよりマシなどとうそぶいていたYouTubeですが、読書量を増やすことは喫緊の課題です。脳は筋肉同様に意識して鍛え続けない限り退化するものなのでしょう。

先祖の知恵は現代に生き続ける

サウナは薪ストーブに限ると信じているのですが、昨年長野県で起きた薪ストーブサウナの全焼事故は気になる問題です。この施設ではMOKI製作所の薪ストーブを使用しており、火力が強過ぎて製造中止になった初期のモデルかと思いましたが、全くの濡れ衣でした。火元は室内で灯り取りとして使用していたキャンドルとされます。線香による火災も後を絶ちませが、小さな火元だけに見落としてしまったのでしょう。開業以来、稼働率7割を超える人気サウナを、1年で失った当事者の悲しみは計り知れませんが、クラウドファンディングもあって、3か月後には復活しました。かつて大型旅館などの悲惨な火災事故が続いた日本では、消防検査が厳しくコストに大きく跳ね返ることから経営上の大きな悩みでもあります。日本では水分を含む常緑広葉樹を、延焼を防ぐ屋敷林として植えてきましたが、先祖の知恵は現代にも生き続けるのでしょう。

至福の時という幻影

山桜の花びらが舞う屋外にテーブルを出し、鳥の声を聞きながら日差しの温かさを感じると、その時食べているものが昨日の残りのカレーだけだとしても幸せな気持ちになります。幸せのために人はお金を払いますが、そこで得た幸せはお金を払った瞬間に地位材に変わり、はかなく消える運命にあります。外部からもたらされるいっときの喜びは刹那的で、長く続く幸せは内部から湧き上がるものでしょう。お金こそが幸せを手に入れる唯一の手段かのように人は行動しますが、実態は逆です。お金で買った幸せは支払いが止まると消え、執着だけを残して去っていくからです。人が集まる場所は幸せの販売会場ですが、有難いことに最も幸せを感じることのできる山の中にやって来る人はまれです。人はお金を払った先に「至福の時」があるという幻影を見ますが、過ぎてしまえば次の幸せで埋め合わせる虚しさだけが残るものかもしれません。

友達要るor要らない問題

妻とは様々な問題で意見が分かれますが、その一つが「友達要るor要らない問題」です。今でも学生時代の友人と頻繁に会食や旅行に出かける妻からすると、友達のいない自分などは寂しい人間に見えます。しかし友人がいないことを寂しいと思ったことも、友達が欲しくて悩んだこともありません。友人関係を否定するつもりはありませんが、いつものメンバーで集まっても人生に発展も成長もなく、それが執着になるのが落ちです。日本人の多くは小学校の時の「友達100人できるかな」的な刷り込みが大人になっても抜けず、友人関係を維持するために忖度し、気の重い面倒事に付き合い自分を見失います。友人の大切な役割は相談相手ですが、自分の場合に限れば困難な状況を助けてくれたのは、友人と言うよりビジネスパートナーです。定年を迎える頃になると同窓会が増えると言いますが、傷をなめ合っているだけなのかもしれません。

出たとこ勝負が醍醐味

最近の趣味は古民家を見ることで、築100年ほどの、山梨県で農業を始めた友人宅を見せてもらいました。誰もが知る政治家の書が客間に飾られる由緒ある建物は宝の山です。古民家の歴史などの知見はありませんが、リノベーションの素材として、ここに客室を作り、ここにサウナを作ると収支は合うか、と妄想をするのが好きです。自然素材で作られた古民家は風景に溶け込む住まいであり、残していくためには持続可能なマネタイズが必要になります。古民家再生を躊躇する理由は、解体してみないといくら費用がかかるかわからないために、見積を取れば安全サイドの天文学的な予算になり、見切り発車がしにくいことです。白河の古民家の解体が終わり、今まで垣間見ることしかできなかった床や天井の構造が露わになり、梁にあわせた設計変更などが必要になります。採算ベースに乗せることが難しい、出たとこ勝負が醍醐味なのかもしれません。

過去と現在がつながる山

昨日は山梨百名山の雨乞岳(2,037m)に登りました。山頂までは明るい尾根道で標高1,700mには水場があります。山頂から甲斐駒ヶ岳を間近に望む魅力的な山ですが、連休中でも登る人は少なく静かな山旅を楽しめます。古くからの雨乞い信仰の山で、従来は儀式に先だって参拝した石尊神社からのルートだけでしたが、2006年度に整備された昨日のコースはより短く、山頂までは1時間半ほどとアクセスも良好です。秋には紅葉が楽しめそうな広葉樹の林を抜けるトレイルはトレランにも最適です。雨乞いの儀式は山頂付近で行われていたとされ、いにしえの時代、人々が呪術的能力を得るために山に分け入っていたことを考えると、目の前の穏やかな山容が全く違った姿に見え始めます。国土が山に覆われている日本では、古代より神と山が常に近い場所にありました。雨乞い祈祷という自然信仰を通じて、過去と現在がつながる不思議な感覚になる山です。

都会を正当化するまやかし

昨日は八ヶ岳の西岳に登り、帰り道は山菜を取りながら下山しました。タラの芽など自分が知るわずかな種類だけでも結構な収穫量になります。より多くの山菜を知る地元の人は、袋いっぱいの山菜を収穫し、この季節の山は食糧庫になります。国だけではなく、個人レベルにおいても食料自給率を上げることは重要な課題です。薪ストーブを使えば、燃料も自給することができ、自然に近い場所であれば、お金を使うことなくある程度の生活を営むことができます。人はお金を貯めて使うことに執着しますが、お金を使うことは生活を他者に依存することであり、自立していない危うさと見ることもできます。お金を使わない生活は、他者に依存をしない点において真の自由と言えます。都市居住者が考える自由とは消費することの自由を指しますが、それは都会を正当化するまやかしなのかもしれません。

自然と調和した風景

古民家に魅せられる理由は、郷愁を誘いやすらぎを感じるからだと思います。自然と共生し暮らしていた江戸時代の趣を残す妻籠宿や大内宿に、観光客が押し寄せることでも分かります。たまたま時代から取り残された旧街道沿いの街並みが、粗製乱造された戦後の乱開発を免れ、自然と調和した日本らしい風景を今に伝えているのでしょう。木や紙といった自然素材で作られた古民家の数は、150万とする試算もありますがその多くが急速に失われ、風景に溶け込むたたずまいを今後作り出すことは困難です。都市に美しさを感じることはありますが、その多くは構造物が消された夜景であって、そこには一時の感動はあっても安らぎはありません。快適さを合理的に追及した結果である現代の住宅に、致命的に欠落するのは自然と共生する姿勢であり、今の街並みが醜く見えるのは、人間のエゴだけがぶつかりあっているからかもしれません。

唯一の幸せの指標

東京では桜の季節は終わりましたが、福島県では場所によってはまだ楽しむことができます。福島に限った話ではありませんが、自然豊かな場所で時間を過ごすと、花と新緑のこの季節はどこにいても幸せな気持ちになります。生命力を感じない都会では、自然がもたらす豊かさに代わる人工的な刺激を生み出すことによって、それこそが幸せの姿だと人々に信じ込ませることに成功しました。誰もが贅沢な暮らしに憧れますが、贅沢さはモアアンドモアの終わりのない執着を生み、幸せははかなく消え、満たされる日はいつまでもやって来ません。加えて消費者が支払うお金の価値は、限界効用低減の法則によって相対的に低下していきます。幸せを感じる時に分泌される神経伝達物質が、唯一の幸せの指標であるなら、幸せをお金で買わずとも、自然のなかに出かけるだけでいつでも幸せになることができるのでしょう。

スーパーバジェット業態

1泊2食付きで3,300円という破格の宿に興味をひかれて泊まりました。これに近い業態を探すと、学生時代に泊まったスポーツ合宿専門の宿ですが、ここまで安くはありません。採算が合うはずがないと思っていたのですが、国道6号線に面し、火力発電所の至近距離という立地が安定的な需要を生み、200室を超える客室により、スーパーバジェット業態が成立しているようです。アメリカのモーテルのように、駐車場内に分散される平屋の建物によるローコスト建設は照明器具が不揃いなど徹底しています。客室は10平米でユニットバスも最小ながら、必要な機能やアメニティは満たされます。夕食は定食屋さんの食事で、朝食のブッフェも普通ですが、文句などあるはずもなく、コンビニは目の前でリピーターを中心にまわっています。特殊なマーケットを囲い込んでいるために、朝食は山小屋より早い4時半スタートというビジネスに刺激を受けました。

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