昨日は鹿児島の妙見温泉の湯治棟に泊まりました。一人3,500円ながら3人が泊まるのに十分以上の6畳二間で、何より三方を木立に囲まれた露天風呂は高級旅館並です。建物は場末の湯治場の風情ですが、快適な高速Wi-Fi環境が確保され、必要な機能以外は過不足なく、金額に見合った以上の価値を感じる宿は最高です。高級な宿に泊まることがないのは単にケチということに加え、値段の高い宿はいずれも不要なお仕着せサービスばかりが目立ちこの基準を満たさないからです。レストランでも旅館でも値段が高くなると、売り手側が偉くなり押し付けサービスが増えていきます。高級店になるほどお客に主導権があるようで、実は押し売りを断れないだけだと思います。高いお金を出して何か不満が発生すると許せない気持ちになりますが、この値段で泊まるのは申し訳ないと思える値段の宿に対しては元々感謝しかないので、不満を感じるはずもなく些細な親切でも感動します。
お知らせ
快楽を求めるのは生き残るため
昨日は朝の博多を旅ランしました。東京とは違い4時にはまだ薄暗い西日本では、汗をかかない爽やかなランニングを楽しめます。自宅にいるときは一切走りませんが、旅先では街の全体を把握するために走ることが最良であり、位置関係と距離を身体感覚として理解できます。自分の足で長距離移動することが当たり前だった時代には、すべての旅人はアスリートでしたが、現代の軟弱なアスリートは旅先ぐらいでしか走りません。面倒で苦痛なランニングは、7割の人が1年以内に止める挫折しやすい運動ですが、走り終わると爽快です。米国ではマラソンがブームになるのは大恐慌やベトナム戦争などの国家の危機とされ、911テロの翌年にはトレイルランニングが突然ブームになりました。危機が訪れると人間は原初的な生き残りのスキルである走ることに目覚め、同時に生き延びることを優先してそのDNAは、刹那的な快楽のトレッドミルを走り続けさせるのかもしれません。
車でもランニングハイ?
昨日は博多に宿泊しました。博多には何度も来ましたが、車で来るのは初めてです。120km/h制限の新東名を使うと名古屋まではあっという間で、朝3時に東京を出ると博多には15時前に着きます。海外に行けるほどの時間をかけて行くと、国内であってもある種の充足感があります。大きくて快適な車の方が長距離移動に適していると思われがちですが、最小クラスの車で行くことにむしろ意義があると思います。二足歩行を手に入れた人類の体は長距離走を得意として、ヒトの二足歩行はチンパンジーの四足歩行の4分の1のエネルギーしか使わず、長距離を走るために人体は進化したとされます。ヒトの骨と筋肉、関節は長距離走に伴う反復的な負荷を吸収し、人類は体毛をなくして発汗という冷却システムを得たことで、動物を追い詰めて捕獲することができるようになりました。マラソンで得られるランニングハイは獲物を捕まえた達成感の名残とも言われますが、自分の足で走らなくても博多の景色がいつもと違って見えます。
少食こそが美食
普段使うスーパーにも値上げの波がやって来ています。家計を直撃する光熱費や燃料、食品の値上げへの有効な対策は消費量の削減でしょう。一日二度の食事を一度にすればコストは半減し、よく噛む瞑想的な食事は無用に食べる必要がなくなり健康的です。食事を減らせば体調は良くなり、何より美味しく感じ充実感を得られますが、長年の習慣を手放すのは寂しいもので、たいして空腹でもないのに惰性的に食べてしまいます。空腹時の食事は労せず美味しいものを食べる最良の方法ですが、自然の道理に気づく人は少数です。食品の値上げを積極的に受け入れ、食べない自由に近づくことこそ建設的だと思います。美食文化は豊な人生を想像させますが、食欲への衝動は加速され抑制が効かなくなります。17世紀のイギリスの哲学者ジョン・ロックが言ったように、「美味とは食物そのものにあるのではなく、味わう舌にあるもの」であって、味覚が鋭敏になる少食こそが美食でしょう。
理性の基準を失う娯楽
YouTube登録者数が個人チャンネル史上初めて1億人を超えたピューディーパイ(PewDiePie)が5月に日本に移住しました。娘の留学先でもある英国のブライトンから同じ世田谷区に転入し、到着後の動画では近所の豪徳寺が紹介されます。かつてはホットドッグを売り生計を立てていたと言いますが、肥満した愛犬のために日本への移動はプライベートジェットをレンタルしています。「30歳以上の人の大半が知らない、世界で最も有名な人物」と評されるだけに、今回のニュースが流れるまでその存在を知りませんでした。素人感丸出しの雑な映像と、たいしておもしろくないネタ、乱暴で下品な言葉づかい、素材不足の平凡なコンテンツですが、自分の理解を超えるところで世界が動いていることを認めざるを得ません。テレビメディアの時代は理性が低俗な娯楽に埋没して行きましたが、YouTubeの時代も理性の基準を失うことは変わらないのかもしれません。
重要なのは受け止め方
異動の季節になり以前の会社の入社同期の名前を新聞で見るようになりました。利害のない今は祝福する気持ちになれますが、同じ組織にいたなら執着や嫉妬といったマイナスのエネルギーが芽生えていたでしょう。職位によるヒエラルキーによって人を操る組織は、心にもないことを言う建前文化を作り出します。取り入るために人が集まる後ろ向きの忖度風土は企業の力を削ぐと思います。重要なのは受け止め方で、マイナスのエネルギーを生み出す代わりに、ほどよい緊張感と対抗心としてプラスの力に転化することでしょう。明治維新の要人が狭い町内から輩出された理由のひとつも、自分にもできるという自己肯定感を高めたからだと思います。一方で出世を手放しで喜べないのは、いずれキャリアのピークを迎えその地位を手放す日が来ることです。特定の環境に適合し過ぎると環境変化への適応を難しくすることが、第二の人生に暗い影を落としているのかもしれません。
自由とは手放すこと
犬にも年に二度の衣替えの季節があり、今は夏毛に代わる最盛期です。掃除機では吸い切れず一日に二度雑巾がけをしますが、その都度ピンポン玉大の毛玉が採取できます。犬の毛を編んでくれるサービスもありますが、値段を考えるとあまり現実的とは言えません。氷点下15度に達する厳冬期の甲子高原から、35度が普通の東京の酷暑まで一枚で過ごせる毛皮のタフさはひ弱な人間には望めません。現代人は好むと好まざるとに関わらずモノがなければ生きられない存在であり、消費をしない選択肢は残されていません。消費こそが王様の現代は、束の間の存在に過ぎないモノやサービスに心を奪われ、欲望を増殖させます。欲望が人の意識レベルを低下させるのは、金が人の良心を奪い、金を前にすると人は奴隷になるからです。何も持たないのにいつもご機嫌なラブラドールを見ると、自由とは手に入れることではなく手放すことだと分かります。
モノがネガティブな感情を引き寄せる?
娘の成人式写真の後撮りで6年ぶりにスーツを着ました。会合があってもジャケットだけで済ませることが多かったのでネクタイをするのは久しぶりです。礼服らしく見える黒いスーツと革靴を一組残してあとは処分しましたが、かつては大半の持ち物がスーツや靴などの会社用でした。礼服と黒いビジネススーツでは色も作りも違いますが、わずかな機会のために礼服を買い込みモノを増やすことは今後もないでしょう。モノを増やすことは同時に執着を抱え込み自分の波動を下げ、ネガティブな感情を引き寄せると思います。周囲にモノが多いと気が枯れて疲れやすくなり、モノを減らして自分の波動に合うものを選ぶと心地よい環境になる気がします。人体のあらゆる器官や組織は固有の周波数を持ち、人間の意識や感情と共振して心身のバランスが取れるときに本当の幸福が訪れるのでしょう。
キャッチアップは得意だが騙されやすい
20年前にお宮参りに行った近所の神社で、娘の成人式写真の後撮りをしました。フォトウェディングの普及した今では婚礼写真の先撮り、後撮りは一般的ですが、全員が一同に会する成人式では少数派かもしれません。当初予定していた金曜日が雨天の予報で、急遽前日に変更しましたがこんな融通が利くのも後撮りならではです。同調圧力で皆と同じ行動を強いられる日本ですが、繁忙期をずらすことで得られるメリットは少なくありません。屋外でのマスク装着率が高い理由は周りの目を気にするからだと思います。統制が取れた島国ならではの気風を持つ社会は強くもあり、弱くもあります。火縄銃の伝来から時を経ずに一気に普及させたり、黒船来航により太平の眠りを覚まされた日本が軍事大国となり、世界最大の戦艦を作るキャッチアップは日本人の得意技でしょう。一方で他人に思考依存する結果騙されやすいのは大きな欠点かもしれません。
あっという間であり途方もなく遠い
昨日はオミクロン騒動渦中での帰国を延期した娘の、成人式写真の後撮りをしました。娘が生まれた頃は今の自分の年齢を想像し親としての務めが果たせるのか不安でしたが、人は起こりもしないことを心配して勝手に恐怖を増大させます。実際に起こった未来の自分ははるかに楽観的で、20年前より健康でおそらく体力もあり、ネガティブな思い込みが人を衰えさせると思います。自分自身の成人式の記憶は欠落していますが、生まれる20年前の日本が戦争のさなかにあった事実に愕然としたことだけは覚えています。20年はあっという間であり途方もなく遠い不思議な時間です。人は最終的には何も持たない死に向かって生きるのに、失う恐怖ばかりを抱え込もうとします。生きる価値を物質的な豊かさの上に描くなら金銭的な執着ばかりが増え、失う恐怖と共に生きることになり、老年的超越は訪れないのでしょう。