甘いもの好き故に、デザートをなるべくホームメイドにするのは砂糖を減らすためです。健康志向の現代においても、おぞましいほど甘い食品が野放しにされています。特定保健用食品のはずの乳酸菌飲料ヤクルトでさえ、80mlにスティックシュガー4本が入ります。農林水産省によると日本人の年間砂糖消費量は昭和49年の30.4kgから令和元年には16.2kgと45年で半減して欧米諸国と比べても低い水準にあるとされます。しかし血糖値を上昇させる精製された砂糖が忌避される時代においては、甘過ぎる、塩辛過ぎると感じることはあってもその逆は皆無で、これも外食を避ける理由です。砂糖や塩を控えると味覚の感度が上がり、少量でも十分甘味や塩味に満足するようになると思います。少食が最強のグルメだと考える理由は、体を飢餓状態にしてこそ本来の鋭敏な味覚が戻ってくるからです。
お知らせ
対話のために旅をする
昨日は那須湯本温泉に泊まり、温泉の良さを認識しました。最近はサウナに入れ込んでいて、温泉より効能を体感できると思いましたが、一定条件を満たしたものは温泉でもサウナでも魅力的です。温泉であれば泉質と湯温、雰囲気、季節が重要で、サウナなら、ストーブ、水風呂、立地と雰囲気だと思います。北欧式サウナに熱狂する若い世代が、おじさんサウナに見向きもしないのはそのためでしょう。原初的なサウナとも言えるアメリカインディアンのスウェット・ロッジが魂再生の儀式であるように、サウナにせよ温泉にせよ、究極の目的は自分を浄化して変身を遂げることだと考えられます。変身願望を満たすのは旅も同じで、以前の会社のFB友達と白河・西郷の観光地を回りましたが、旅を自己投資に変えるのは対話だと感じます。人こそがパワースポットであり、対話のために人は旅をするのかもしれません。一人旅が好きなのは自分との対話を深めたいからでしょう。
妄想を投影する波長
昨日はかつて同じ会社で働き、奇しくも同月に退社したFB友達に福島県まで来てもらいました。自分ひとりの思考域には自ずと限界があり、事業や商品の卓越性を実現するにはカルト的に波長の合う人の意見が貴重です。隠されて見えないものを遠ざけず、神聖なものとして遇することで、やがて奇跡は日常に変わる気がします。人は誰かの助けが必要であり、同時に誰かを助けることができます。突き詰めると全ての事業はピープルビジネスですが、他方でストレスの大半も人間関係によって生まれます。過去と未来を支配するネガティブな信念を手放し、一方で、ワクワクする妄想を思い描き、今この瞬間に投影する力が生き残るための鍵だと思います。夜は那須湯本温泉のカルトとは無縁の寂れた宿に泊まりました。この肩の力が抜けたこだわりの無さが何とも懐かしく、自分にとって真に居心地の良い場所の探求は続きます。
生きることの豊かさ
国会議事堂付近を歩くと、月間販売目標わずか50台のトヨタ・センチュリーをよく見かけ、生息密度の高さは日本一でしょう。かつては小学生がなりたい人気職業だった国会議員が、今やユーチューバーに変わりました。若い世代ほど社会の変化に伴う幸福のあり方に敏感で、エスタブリッシュメントが必ずしも幸せな生き方ではないことを嗅ぎ取っている気がします。地位やお金への関心が薄くなり、次々と執着を生む贅沢品を避け、買わない生活を志向しているようにも見えます。旧世代は肩書や消費力といったシンボルによって自分のアイデンティティを定義してきましたが、消費を拡張し続けてもむなしさだけが残り、心の平穏が訪れることはありません。長続きしない20世紀型のイリュージョンは、最終的には何を満たすことも癒すこともないのでしょう。質素なものに心を寄せ、生きることの豊かさを感じる、自然に近い暮らしが理想に思えます。
人込みには近寄らない
日本人も犠牲になったソウルでのハロウィーン事故は、大半が10代、20代というむごさが悲しみを広げます。通勤電車が今より混んでいる時代に、将棋倒しに近い状況になり胸を圧迫されてどうすることもできず、命の危険を感じたことがありました。それをはるかに超える群衆雪崩により、何が起きるかは想像に難くありません。明石の花火大会事故以来、人込みに近寄ることを避けていますが、都市生活においては期せずして事件や事故に巻き込まれることもあります。秋葉原通り魔事件は安全なはずの歩行者天国区域で起きた事件で、自分に降りかかる可能性は誰も否定できません。事故の原因究明はこれからですが、集団でお祭り気分に酔う状況で警戒心が薄れたことは主因かもしれません。集団行動を重視して、大切な判断まで人任せにする日本人こそ、事故の教訓を胸に刻むべきでしょう。
野生の記憶
昨日は日本屈指のテーブルマウンテンである荒船山(経塚山1,422m)に登りました。絶景ポイントの艫岩(ともいわ)は垂直に120m切り立ち、2009年に「クレヨンしんちゃん」の作者臼井儀人氏が転落死する事故が起きました。往復3時間に満たない一般向け登山道ですが、リズム運動によるセロトニンと、ラブラドールが同行することでオキシトシンが分泌され、曇天ながら紅葉の美しさもあって、すっかり幸せな気分になります。そう感じるのは人間だけではないらしく、街中では覇気なくトボトボ歩いているラブラドールが、尻尾を振りながらグイグイと進んで行きます。自然のなかで過ごす時間に癒されるのは、そこが本来居るべき場所だからでしょう。都市生活により野生の記憶を失った現代人は、脳が支配する安楽で刹那的な欲求を満たそうとして、健全な生活を阻害する依存症に陥っているように見えます。
仕事一筋のリスク
ラブラドールと近所を散歩すると、通りすがりの人をただ眺めているだけの年配者を何人も目にします。違う時間に通っても、そのようにして時間を持て余しているように見えるのは、例外なく男性です。おそらく現役時代は時間に追われた人たちが、ひとたび仕事を離れるとやりたいことが見つからないのかもしれません。家庭にもコミュニティにも居場所がないという話は聞きますし、うつむきがちで表情も明るくありません。仕事一筋の終身雇用という制度は、日本人の寿命がそれほど長くない時代には適合的でした。現役時代は我慢をして働き、仕事を離れたらやりたいことはたくさんあると考えますが、いざ時間を与えられるともてあましてしまうのが現実のような気がします。高齢者大国の日本こそ、シェアリングエコノミーの仕組みを使って、お年寄りの知恵を価値に変えて社会に生かすべきでしょう。
感じることが人を悩ます
妻が友人と京都に行き、一人で家にいると好きに振舞える開放感があります。必要を超えて人付き合いをしない自分とは逆に、八方美人的交友関係の広い妻が週末家にいることは多くありません。日本人の多くは友達の多さを好ましいと考える傾向がありますが、人類がグループを形成してきた歴史は生き残るための機能体としての必然があったからです。その名残として、人体は他人との暖かい交流をするときにオキシトシンを分泌し、長寿者は濃厚なコミュニティと相関することが知られます。一方で現代は、一人で生きられる時代になり、単身世帯が増えています。専門家は孤独こそが健康の大敵と警告しますが、より正確に言えばそれは孤独感です。一人でいることを否定的に考えれば健康に害を及ぼすことは、空腹と空腹感の関係においても同じでしょう。何事もネガティブにとらえることが人を悩まし健康を害するのだと思います。
度を超した自己中心的な世迷い言
一昨日は小学校以来の友人が家に来て、泊りこそしないものの9時間近く話をしました。それでも話足りない話題があり、昔から知る間柄というのは話が尽きないものです。彼に限らず、消息を追える最古の友人は小学校以来の知り合いで、それぞれがそれなりにドラマチックな人生を送り、一種のコホート研究と言えそうです。小学校時代の性格が大きく変わることはなく、その後の人生に投影されている点は、三つ子の魂百までを地で行くようで興味をひかれます。彼とは性格も生活も仕事も考え方も違いますが、似ているのは議論好きという点で、人は何のために話すのかを考えます。SNSの投稿にも見られますが、人は自分自身について語るとき、生理学的に快感を得られることが機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)を用いた脳の実験で分かっています。度を超した自己中心的な世迷い言を聞いてくれる友人は貴重です。
定年後は長い
人生において、たいした挑戦もして来なかった自分にとって、大器晩成型の偉人の話は心を癒してくれます。スポーツ界なら、イタリアでは神様と呼ばれるトレラン界のスーパースター、マルコ・オルモでしょう。レースは、仕事の上では不遇だった前半生へのリベンジだと言い、74歳の今もアドベンチャーレースに参戦します。58歳と59歳で世界最高峰のUTMBに二年連続優勝した偉業が塗り替えられることはないでしょう。ビジネス界なら、KFCでおなじみのカーネル・サンダースこと、ハーランド・デーヴィッド・サンダースです。65歳で無一文になり、90歳でこの世を去るまでケンタッキーフライドチキンの顔として活躍する人生は壮絶そのもので、吊り橋が切れて車ごと谷に落ちたり、4度死にかけたと言います。人生を振り返って何かを後悔するとしたら、それは情熱を傾けられる何かをやろうとしなかった事でしょう。幸い日本人には定年後も長い時間が残されています。