2週間ほど食べたものを記録しています。体重は計りませんがレコーディングダイエットの要領です。小麦粉、レクチン、果物、砂糖、添加物の最小化が目標で、買っていた食品の多くがネガティブリスト入りする事態に直面し、生活の隅々にこれらが入り込んでいたことを実感します。大豆にたんぱく質を依存してきましたが、レクチンを無害化した納豆や高圧処理された大豆ミート以外は食べられなくなり、代わりにキノコ、海藻、魚を買う機会が増えました。体調や便に目立った変化はありませんが、気になるのはスタミナへの影響です。よく登る西岳山頂までの計測時間を見ると以前と変わりません。人に観察をされることで生産性が向上するホーソン効果は知られますが、食べたものを記録して自分で観察しても食生活の改善行動に効果的なのは新鮮な発見でした。
お知らせ
仕掛け人の休日
八ヶ岳に来るといつもリゾナーレの定点観測に行きます。星野リゾートには20年ほど泊まっていませんが、都市から離れ自然の元に来ても、皆引き寄せられるように、お金が使いたくて自分から商業施設に群がります。薄暗い松林をフィールドアスレチックに変え一人3,000円以上のお金に換えてしまう商売センスの良さにはいつも脱帽します。夢を売る商売には終わりがなく、次々と生み出される新商品に導かれ、おそらくどこまで行っても満たされることはなく、欲求から解放される日は永遠に来ないような気がします。人は自分自身のアイデンティティーを即物的なシンボルとしての消費行動により定義します。日本中至るところに中流的凡庸さが蔓延し、自分自身もその群衆の一部でありながら、こうしたビジネスを仕掛けている人たちは、どのような休日を過ごしているのか想像します。
貨幣経済より信頼経済
昨日は自給自足の住まいを見せていただきました。水は井戸と湧き水、電気はソーラー、トイレはコンポスト、調理や暖房の熱源は薪、食料は自ら耕す畑と害獣駆除の鹿などという夢の生活です。食糧危機が来れば貨幣経済より頼れるのは、自給自足と物々交換、労働交換の信頼経済でしょう。敷地内で伐採された木で建てられたセルフビルドの家から、美しい水田と森を眺めるときに流れる時間は平和でとても豊かです。不器用な自分が今できることは、人体に備わるサバイバル回路である長寿遺伝子のプログラムを働かせることです。カロリー制限状態の体は飢餓環境と解釈し、細胞の防御機能を高め、病気や体の劣化を防ぎエピゲノムの変化を最小限に留め老化を遅らせます。運動を併用すればミトコンドリアはエネルギー産生量を高め筋肉は毛細血管を増やします。最も安上がりにサバイバル能力を高める方法は、カロリー制限と運動かもしれません。
ただただ残念で悲しい
八ヶ岳の赤岳に登りました。山頂で清々しい朝の景色を眺めることができるのは、そこに登山道があるからです。険しい岩稜にルートを切り開いた先人や山中まで草刈り機を持ち込んで整備をしてくれる人への感謝の念が歩く一歩一歩に芽生えます。世界が感謝で満たされるなら不幸は消え去るのでしょう。人は下界での強欲や自己顕示、あざけり、ののしり、人より優位に立とうとするあさましさを忘れるために山に登るのかもしれません。その醜く気枯れた他責の感情がもっとも先鋭化した先にあるのが他人の生命を奪うことです。われわれには、同じ時代を生きる政治家の評価をする資格がありません。その背後にある真実は永遠に分からないか、分かっても関係者が死に絶えるぐらいの時間が必要だからです。今はただただ残念で悲しいです。
美醜を決めるのは心の状態
世界情勢が大きく動くなかで参議院選挙への関心が高まります。安泰と思われていた岸田自民がここにきて場外乱闘に巻き込まれているようです。選挙につきものの醜聞合戦も盛んで、楽天社長の怪しげなパーティーが注目されます。戦争当事国のウクライナ人モデルや未成年者を含む女性を集めたとされるパーティーに、総理の右腕の官房副長官が出席していたというのが事実なら痛手でしょう。かつては爽やかなスポーツマンのイメージがあり、新しいタイプの財界リーダーと目されてきた楽天社長ですが、いまやその面影は失せ、精悍とは言い難い残念な感じです。人の美醜を決めるのは心の状態であり、欲に埋没すればそれは表に出るものでしょう。抑制の効いた爽やかな成功者がこの国に現れるにはまだ時間が必要なのかもしれません。暴露系YouTuberやSNSで急速に拡散されるネガティブキャンペーンは20代30代の浮動票に影響を及ぼしそうです。
人類史最大のパラドックス
進歩の概念は常に選択肢を増やすことでしたが、それは必ずしも幸せをもたらさなかったようです。日本に生まれたことを感謝するのはグルメ大国だからではなく、レクチンを無毒化する納豆などの発酵食文化が発達しているからです。レクチンの排除をはじめとした健康な食事を忠実に守るならスーパーに行っても、ましてやデパ地下などで買える商品はありません。大半の人は美味しい食べ物をあきらめてまで、健康になりたくないと考えますが、美味しさをあきらめる必要はないと思います。わずかに残された、食べてもよい食品を少量口にするときの味わい深さはまさにマインドフルネスで、エモーショナルな美味しさをあきらめる代償として十分です。生活習慣病が蔓延する飽食社会においては、ほとんど食べないことが最も健康という人類史最大のパラドックスを受け入れ、止めることの清々しさのなかに味わい深い食べる喜びを感じたいと思います。
食べるものがなくて当然
ジョコビッチによりグルテンフリーが話題となった全米を震撼させたのはレクチンです。グルテン問題などレクチンという巨大氷山の一角に過ぎません。不定愁訴の主因は医学界が認めようとしないリーキーガット(腸もれ)の可能性が高く、その特効薬はレクチンの排除です。とりあえず1か月ほどなるべくレクチンを止めることにしました。もやし、豆腐、きゅうり、ナス、トマト、豆類、果物など日常的に買っていたものはいずれもネガティブリストに入り幸か不幸か買うものが見当たりません。人類の繁栄を支えてきたはずの植物が我々を殺そうとしていたパラドックスを信じるなら食べるものがなくて当然でしょう。もはやカルト宗教並ですが、糖質制限から肉食制限へと順調?に歩みを進めて来たので一日のカロリー900kcal以下という制約はむしろ歓迎です。怪しげな現代栄養学よりは米国を代表する心臓外科医の言うことを試してみます。
最凶の敵レクチン
米国の心臓外科医スティーブン・R・ガンドリー氏の著書「老けない食事」と「食のパラドックス」を読みました。植物が動物と戦うための武器であるレクチンは人の健康にとって最凶の敵との主張です。自分の健康観を揺るがす内容で、小麦や砂糖、肉類は当然としても、健康的だと思っていた果物(アボガドを除くほぼ全て)、玄米、そば、あらゆる豆類、トマト、ナス、キュウリ、豆腐までもがネガティブリストに入ります。著者の主張を受け入れるなら、何が食べられるかというポジティブリストを頼りに生きることになります。大好きな赤飯や玄米も手放す必要がありますが、ごはんを白米に戻して一汁一菜にして、味噌汁の具と漬物の野菜に注意をすれば条件を満たすことはできそうです。天然の魚や発酵させた納豆、キノコ、海藻類は食べても良いので、悲観すべき内容ではないのかもしれません。
制約が生む幸せな食事
酷暑の時期は東京を離れる日が増え一人暮らしをします。必然的に料理をしますが、一日一、二食なので、調理が煩わしいと思ったことはありません。ごちそうを作るつもりなど元々ありませんから、作るのも簡単です。家にある食材を入れた味噌汁や納豆、漬物、ご飯といった日本の伝統食は俗に粗食と呼ばれますが、飽きることなく毎回美味しく食べられます。小麦や砂糖、レクチン、肉、乳製品、添加物を最小化しようとすると世間で食べられている多くの食品はネガティブリスト入りしますが、食べられるものが少ない方がメニューに悩まず好都合です。お金を稼いで生活が向上すると期待値も一緒に上がるので満足は永遠に訪れません。満足の分母が大きい人は分子にはミシュランレストラン的な料理が必要になります。一方で、制約によって自動的に食べ物を制限すれば分子が粗食であっても幸福ホルモンの分泌量は変わらないと思います。
携帯で助けを呼べる?
昨日は西岳経由で権現岳手前にある、のろし場(2,530m)にラブラドールと登りました。山に登りながら自分と向き合うには自分のペースで歩める単独行動が理想ですが、人間よりはるかに走力があるにもかかわらず影のようにピッタリと寄り添うラブは、ペースを乱さない最良のパートナーです。何が起こるか分からない山では単独行は避けるべきですが、勝手を知る八ヶ岳南部であれば、ある程度のリスクは想定できます。他方で、標高2,500m前後の山域は気象変化や滑落が致命傷となる可能性もあり、朝の散歩程度の山行でも、応急処置用になるバフ、防寒具、予備電源、ライト、非常食などセルフレスキューの備えが必要です。一方日常生活に目を向けると、食料危機や必ず起こるとされる首都直下地震、富士山の噴火に対して、多くの都市住民がほぼ無防備なのは、山で何かあればすぐに携帯で助けを呼べると勘違いしているようなものかもしれません。