早寝早起きは昼夜逆転?

肥満やアレルギー、膝痛、腰痛、リーキーガット症候群を食欲のコントロールで克服した今、健康の悩みがあるとすれば睡眠です。早寝早起きが行き過ぎた結果、今では21時前には睡魔が襲って来て気絶したように眠り、朝は午前1時頃から始まります。もはや昼夜逆転の夜型生活と言えるかもしれません。何事も行き過ぎは有害ですが、かといって体調が悪いわけではありません。明かりのない原始の昔は暗闇とともに眠り、いつも空腹のはずですから睡眠時間は短く、夜中には起き出して夜行性の猛獣などに備えていたのではないかと想像します。夜中は誰にも邪魔をされない一人になれる時間です。YouTubeを見たり、本を読み、音楽を聴き、アウトプットをする時間を心地よく感じます。権威やエビデンスとやらが幅を利かせる時代ですが、エビデンスと言った瞬間にそこには何等かの意図が働き、健康はすべて自分流で良いと思います。

食べない行為は食べること

昨日表参道に行くと、人気ベーカリーAMAM DACOTANの前には雨のなか、相変わらず多くの人が長い列を作ります。よほどの必然性がない限り、並んでまで何かを買いたいとは思いませんが、人々をそこまで動機付ける理由は、ドーパミン的な小麦中毒だけでは説明がつきません。数あるベーカリーのなかで、この店に限って行列ができる理由は、空想世界のような空間と創意にあふれビジュアルで訴える総菜パンを買う行為がショーであり、列に並ぶことはその期待と熱量を高めるからでしょう。行列を作り待つことは苦痛ではなく、それ自体が商品価値の一部を構成します。断食後の空腹時に食べる食事が美味しいために、断食そのものを楽しく感じられるように、食べない行為が食べることの一部を構成します。軽いストレスはホルミシス効果により生命力を高めることが知られますが、欲をすぐに満たさないことが、幸せを持続させる方法なのかもしれません。

生業の魅力

取引先の地方銀行に振込に行くと、ATMがカードを認識しませんでした。窓口に行くと女性が「カード再発行を申請するしかないですね~」と余計なことは一切やりたくないという対応です。次に出て来た男性も不親切なことは同じですが、社印がないなら申請書を窓口に持ってきてもらうしかないと上から目線で、急いでいるのに振込めなくて困っている相手に寄り添う気はないようです。比較的恵まれているはずの銀行員でさえこの程度ですから、日本経済に活気がないのも当然かもしれません。寄らば大樹の陰的な安定志向が、プライドだけ高くて生産性の低い人たちと閉塞状況を生んだと思います。働くことに自分の人生を取り戻すのが生業的発想のような気がします。暮らしを立てるための生業は真剣で清浄な生活の上に成り立ち正業となり、それが共感を呼び盛業となり、人生という事業を成業させると思います。

豪華な料理より魅力的

旅館営業を休止してから3年が過ぎ、それでも最大の関心事は宿泊業の収益化です。国の支援が始まり旅行市場が活気づき始めましたが、その機運は続かない気がします。コロナ騒動は東日本大震災以上に人々の生活を変え、生き方をも変えてしまう影響があるからです。アドレスホッパーのような生き方は一部の現象とは言え、そうした生き方を人々が意識し始めたことが地殻変動をもたらすと思います。物財をやり取りしてきた宿泊業は、客商売の本質に戻るのでしょう。先日の安曇野の宿では、合わないと感じる客は来たことがないと聞きましたが、人間関係ができてしまえばトラブルは生じません。贅沢な客室も非日常の体験もわき役でしかないのに、宿は旅の本質である人との触れ合いに無頓着だったように感じます。豪華なお仕着せ料理より、宿泊客と話ながら献立を決め、その大半が自家栽培という食事の方がはるかに魅力的です。

プロモーションと脳の結託

昼時の赤坂を歩くと、様々な誘惑によりつい飲食店に入りそうになります。30年のサラリーマン生活で、脂肪を溜め込むためにどれほどのお金を使ったことかと思います。胃の調子が優れなくても、食べることがデフォルトになっている脳は、その疑問を打ち消します。一食抜くこともありましたが、それでも食べ過ぎです。一品でも多く売ることが使命の店では、悪い評判が立たないように客を空腹で帰すことはしません。午後は、穂高養生園で、15年間料理を担当した野本弥生さんの出版記念イベントに行きました。養生園は三島由紀夫門下の福田俊作代表というカリスマが主宰するリトリートです。初めて行った30年前は、10時と17時の一日二食の食事に戸惑いましたが、今はそれが普通です。多くの人が腹八分目を実行できない理由は、食欲を促す産業側のプロモーションと脳が結託し、食べないことの快適さに気づかせないからでしょう。

幸せを感じる建物

事業の参考にするために白馬にあるMOUNTAIN HUTというカフェ兼住宅を見に行きました。元々スキーヤーや登山家の集まる伝説のシェアハウスがあった場所ですが、2014年の長野県神城断層地震で全壊した跡地に、人々が集まる場所を再建したプロジェクトです。1.25間×6間の延床面積24.84㎡の小さな建物は、山小屋のような雨風が凌げる建物の本質を目指した潔さがあります。ハーフビルドを前提に施工しやすさを考えた設計は、積雪で足元の曲がった木を使い、しっくいのタイルは自分たちで作り、合板はホームセンターで買える仕様、ヤフオクで購入した古民家建具の寸法から逆に設計していくという凝ったものです。建物をつくる過程に人々が集まり、コミュニティ形成のきっかけになります。隙間風は入りますが、小さな建物はすぐに暖まり酸欠にならないメリットもあります。幸せとは、これで十分と思うか、まだ足りないと思うかで決まりますが、幸せを感じる建物でした。

贅沢を取り違えた都市

サブスクリプション住宅の普及によって、旅と居住の境界が曖昧になりました。それでも短期間に移動して見聞を広める旅の人気は衰えません。良い旅とは誰もが持つ変身願望をかなえること、すなわち人生を変えるインパクトが必要だと思います。意図的な刷り込みや雑音に満たされる社会にあって、本当の自分がどんな存在かを見つけることは難しくなっています。唯一旅は、それを実現してくれる気がします。安曇野では鶏やアヒルたちと北アルプスを望む畑に行き、朝の収穫をします。無心に虫や微生物、菜っ葉をつつく鶏たちを見ていると癒され、ここで感じる幸せこそが本心だと分かります。動物たちと触れ合い、自分の手で育てた野菜を食べ、山々に囲まれた田園地帯で働き、自分の好きなことに時間を使うこと以上に贅沢な暮らしがあるとも思えません。贅沢を取り違えた都市から人が離れて行くのは、自然な流れに見えます。

日本人のルーツをたどる旅

昨日は秋の深まる戸隠の宿坊に泊まりました。訪れるのは11年ぶりですが、ご主人とはFacebookでつながっているので懐かしく再会したという感じでもありません。11年前と言えばまだ恐ろしく肥満し、何を勘違いしたのかスポーツカーなど乗り回し、贅沢こそ美徳と信じていた頃で、未熟だった自分に恥ずかしさを覚えます。一方で当時から宿坊は好きで、どこかストイックでありながらソフィスティケートされた空気には今も昔も魅了されます。江戸時代後期に建てられた茅葺き屋根の母屋と、明治時代中期に建てられ土蔵は、祖先を16代さかのぼることのできる名家にふさわしい風格です。しかし戦後の偏った歴史観を鵜呑みにした現代の日本人は、祖先から脈々と続く伝統に敬意を払わず、むしろ正当な評価をするのは日本より歴史の浅い外国からのゲストです。海外に出かける前に、日本人のルーツをたどる旅に出るべきでしょう。

啓示が降りてくる

昨日は安曇野の設計事務所を兼ねたAirbnbに宿泊しました。近所にあった代表者の祖母の家の古材を使った建物は築35年ながら、いにしえよりその地にあったと錯覚します。一日一グループ限定のため宿泊客は一人だけで、夕食の献立も話ながら決めます。宿を経営する楽しみは宿泊客との出会いで、商業施設が真似できない小規模施設の魅力であり、時間を気にせず打ち合わせができる環境です。懐かしい雰囲気の吹抜けの大空間が取られ、ロビーの囲炉裏の近くにあるオーブンのついた薪ストーブの、昔の記憶をたどるような香りに魅了されます。オフィスと、宿泊客やシェアハウスの住人に解放されるコワーキングスペースのある2階からは北アルプスが望め、鶏やアヒルのいる安曇野暮らしは、スローライフの理想形に見えます。こういう時間を過ごしていると、「本当にやりたいことはこれなんだよな」と一種の啓示が降りてきます。

「もう歳だから」が老いさせる

昨日は妻の父の家に柿をもらいに行きました。今年は豊作らしく、写真の柿はもらった内の3分の1程です。猫の額ほどの庭に柿、夏ミカン、レモン、ゆずなどの木が所狭しと植えられ、毎年立派な実をつけます。植木屋さんが使うような大きな脚立を使いますが、父は3メートル近い高さの上に立ち上がり、「おまえは怖がりだな」と挑発します。90歳を超えて普通に一人で生活しているだけでも尊敬しますが、まだまだ若い気持ちでいるところは身内ながら感心します。健康な百寿者は、自分をそれほどの歳だとは思っていないことが共通します。「もう歳だから」という自己暗示が人を老いさせ、自分は若いという肯定的自己暗示が潜在意識に働きかけ、体を若返らせるのだと思います。日本人が英語を話せないのは、「自分は英語ができない」と思い込み自己暗示をかけているからと言われますが、思い込んだ結末が実現されるのでしょう。

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