信頼するものこそ疑わしい

取引先の地方銀行に行くと先日不快な思いをして再発行したばかりのカードが、あろうことかATMで使えません。窓口に行くと、例によって「再発行するしかないですね~」との対応です。次に出て来た上席者は、いかにも窓際族的な前回とは違い、今度はまともな対応です。それでも結論は電磁的な影響を受けたぐらいしか考えられないとの見解です。考えられる可能性はカードの破損、暗証番号の思い違い、ATMの故障ですが、結局小一時間調べても異常は見当たらず、再発行することになり最後にもう一度ATMを試しました。先程とは違う金額を入力すると今度は正常に作動し、問題の「176千円」を入れるとまたエラーがでます。「176,000円」なら正常作動するが「176千円」はエラーが出るというATMのバグを期せずして発見することになりました。銀行で潰した一時間があながち無駄ではないのは、われわれが最も信頼するものこそ疑わしいという教訓を得たからです。

無邪気に憧れた自動車の時代

福島への道すがら、道路わきに放置されているアルファロメオ・ジュリアがいつも気になります。手放しで自動車を追い求め上を向いて生きて行けた、「坂の上の雲」的な時代を思い起こします。新車で買える現行車両の中からこれに似た感覚を求めるなら、商用車のホンダ N-VANでしょう。N-VANが魅力的なのはごく個人的な感覚ですが、免許を取った頃に発売された初代シティをどこか彷彿とさせるからです。初代シティは文房具のように削ぎ落とされた潔さを、チープシックに乗りこなすエポックメイキングな車でした。一方で内燃機関に将来を見出せない時代に入ると、GM的な計画的陳腐化により正常進化を遂げた現代の車は、肥大化したおもちゃのようで心惹かれることはありません。ルノー5を思わせるターボやカブリオレ、商用バンのシティプロまで派生させた初代シティの末裔とも言えるN-VANには、無邪気に憧れることができた自動車の時代を感じます。

建築嫌いの建築好き

那須のオートキャンプ場に併設されたサウナを見学させてもらいました。外観はシンプルな三角形状ながら、内側はドラマチックです。ドアを開けると前室があり、その奥にあるサウナ室は狭いはずなのですが、低いくぐり戸を抜けると、前室の頭上が活用され、階段状に空間が上方に伸び、4人が無理なく入れる広さに驚かされます。最上段は高い位置にあるために、高温浴が期待できそうです。建築が人を感動させる場合、人それぞれに勘所が違いますが、空間処理の巧みさ、具体的には狭い空間を効果的に活用しているケースはその本領が発揮されていると感じます。デザインで感動した施設に、アメリカの海岸線に埋もれるように作られた、人工物を見せないリゾートホテルがあります。建築のデザインは好きですが、構造物が主張するのではなくあくまでも土地が主であって、人は自然へのインパクトを最小化してそこに溶け込むべきだと思います。

昭和的贅沢さ

昨夜は白河高原カントリークラブに宿泊しました。甲子高原フジヤホテル近隣の宿泊施設には概ね泊まっていますが、なぜか最も近いゴルフ場とは縁がありませんでした。夜通し入れる温泉や贅沢に使えるタオル、造形から雰囲気まで、われわれ世代がDNAレベルまで刷り込まれた昭和的贅沢さの空気感をリーズナブルな価格で今に伝えます。時代遅れと切り捨てることができないのは、昭和のラグジュアリーの頂点を極めた80年代の匂いを残す施設が、本音に近い魔力を放つからでしょう。そのためか人出の少ない時期でもいつも駐車場は満車状態ですが、問題は、熱烈な信者である団塊の世代が、2025年問題により後期高齢者に入ることです。職場ゴルフ全盛時代のコアカスタマーが市場から退出したとき、どこか愁いを含む懐かしさという価値を、次の世代が継承するのかは微妙です。しかし、消え去ることのない普遍性を秘めている気もします。

今の季節こそ戸外に

各地から雪の便りを聞く季節になるとワクワクします。燃えるような紅葉の季節が足早に立ち去ると、静寂に包まれる冬がやって来ます。四季の巡る日本ほど山好きにとって有難い国はありません。新雪の積もったトレイルは幸せな散歩道に変わり、転倒しても怪我のない雪の季節なら、普段は慎重に下る山道を思う存分に駆け降りることができます。一方で、暖かさに幸せを感じる季節は、快適な寝床を抜け出し、さらに寒い屋外に出るのが億劫になります。運動に限らず勉強でも仕事でも取りかかる時が一番面倒で、運動をするための最良の方法は運動をすること、という矛盾が運動習慣を挫折させます。面倒でも運動を始めると心拍数が上がり、やがて高揚し楽しくなります。新しいチャレンジが億劫になると、人は精神面から老い始めると言われますが、体が委縮しがちな今の季節こそ、積極的に戸外に出るべきなのでしょう。

一番輝いていた80年代

犬を飼う人に心疾患が少ない理由は、犬を撫でることで人と犬の双方で血中オキシトシン濃度が高まるからとされます。猫でも同様の効果が見られますがより強力なのは犬で、それは犬との暮らしが3万6千年に及ぶからでしょう。さらに規則的に散歩をするので、犬こそ最強のセラピストです。ラブラドールとの散歩道は、寂しく蛍光灯の灯るような住宅街を避け、なるべく明るい街並みや花が咲き誇り生命力に溢れ、運気の高まりそうな場所を選びます。とくに好きなのが大きな樹木がある場所と古い車の置かれる所です。1980年代の車が停まる場所は自分にとってのパワースポットで、それは昔の記憶がよみがえるからだと思います。1970年代の車が憧れの対象なら、80年代は欲望の対象です。最近の車に全く興味を覚えないのは、豊かさを目指すことが肯定される1980年代の自動車が、今でも一番輝いて見えるからでしょう。

ストーリーとしての競争戦略を地で行く

星野リゾートの星野佳路氏の講演を聞きました。概して大企業ほど企業経営者の話は予定調和で退屈なものですが、飽きさせず、なるほどと膝を打ちたくなり、100枚以上のスライドを1時間ちょうどで切り上げるあたりは、希代のエンターテイナーです。戦略のハイライトは「独自の姿への3つのステップ」にあります。最初のステップは生産性のフロンティアと呼ばれるもので、青森屋で毎日演奏される津軽三味線やトマムの雲海テラスのように、スタートラインに着くための必要条件です。二番目のトレードオフを伴う独自の活動はフラットな組織など、競合相手に犠牲を強いるトレードオフにより参入障壁を築きます。最後の活動間のフィットは、二番目の要素であるフラットな組織、運営特化、サービスチーム、ブランディング、日本旅館メソッドといった活動をつなげるもので、その巧さはストーリーとしての競争戦略を地で行くようです。

自然に適応して暮らす

妻の父の家から貰った柿は、次々熟して食べ頃を迎え、あれほどあったのに残りわずかとなりました。車を運転していると道路沿いに実をつけた柿の木が目立ち、売られる商品と遜色ない美味しい遊休資産が放置されるのは勿体無くかつ不思議です。一方で近所の公園では、人手をかけて大量の落ち葉を掃き集めゴミとして処分しています。価値のないものにコストをかけて、価値あるものを捨てる矛盾は、消費社会が都市中心に偏重した論理だからでしょう。自然の恵みと人とのつながりに目を向けず、消費のなかに幸せを追っても満たされないのは、それが感受性の問題であり、金銭の多寡とは無関係だからかもしれません。工業的に作られた大量生産の不自然な食品により、早くもナポレオンの時代にはパリでガンなどの文明病が発症します。自然界に適応した生理機能を持つ人体が、都市化された人工環境下に暮らすことを見直す時期に来ている気がします。

一般人のための修行

昨日は日本二百名山の七面山(1,989m)に登りました。日蓮宗総本山の身延山久遠寺に属する七面山敬慎院がある山岳信仰の山です。トレイルランニングレースで三度登りましたがトレッキングは初めてです。標高差1,500mの霊峰富士を望む参道では、白装束の修行者を多く見かけます。南無妙法蓮華経を唱え山上の聖地に登詣する信徒は若い人も多く、今も信仰が守られることに安心します。普段の生活で失った心や身体のバランスを取り戻すために山を歩く行為は、一般人のための修行だと思います。日常生活で萎える気を戻す行為がハレであり、聖なるものに触れることでバランスを復元します。執着を手放し日々満足して、余計なものをそぎ落としシンプルに生きることが人間性を回復すると感じます。欧米中心に発展したトレイルランニングが日本に根付くのは、山岳全域を境内とする比叡山や高野山が開かれ、千数百年の修験の歴史を持つからでしょう。

思考の夢から覚める

昨日は夏以来の八ヶ岳に登りました。澄み渡る空に鮮やかな紅葉が映える秋は最高の季節です。やがて訪れる白一色の静寂に包まれる冬も最高なら、生命力に溢れる新緑の季節も最高で、本格シーズンの夏山が最高なことは言うまでもありません。つまりいつ登っても山は最高の場所です。きれいな空気を体に取り込み、空腹で登ればミトコンドリアが活性化し、オートファジーにより細胞レベルから浄化される生まれ変わりの場所だと思います。古代の人々が山を神聖視し、神が顕現する神域として磐座を中心に原初的な神社が生まれた理由もこの清々しさにあるのでしょう。戦後の日本人は長らく信仰から遠ざかりましたが、量子物理学や神経内分泌額、エピジェネティクスなどの最新科学が語り始めたメカニズムと、スピリチュアルで語られて来たことが一致し始めたことは、人々が思考の夢から覚めるきっかけになるのかもしれません。

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