糖質制限や断食をしていると言うと、奇異の目で見られる風潮は今も残ります。糖質制限は人類が長年慣れ親しんできた人体の設計仕様に最も近い食生活ですが、人類史における異端でしかない現代の飽食社会に準拠する空気はそれを認めません。一方で糖質制限原理主義者ではありませんので、お菓子などを食べる機会が増える正月の食生活は羽目を外すことになります。その影響は顕著で、正月の数日間はすぐにお腹が空き、ちょっと運動をした程度でも低血糖に陥り体の動きが鈍くなります。血糖値スパイクは自覚症状を伴わないサイレントキラーですが、事後的な低血糖状態として体に変調が現れます。最も顕著な変化は狂気の食欲ともいうべき無節操な空腹感が戻って来ることです。午前中に糖質を控えるだけの手軽な糖質制限でも十分に効果があることが、不健康な食生活をすることで期せずして証明されます。自分を見失うまで満たそうとする飽食社会は、食べ過ぎによる不快感と常に双子の兄弟です。操られる消費は、満たされているのに満たされないアンニュイな虚しさを残します。
老化の75%は自己願望
昨日は義理の父の家に行きました。一人で暮らす88歳の父はおせち料理も自分で作り完全に自立して暮らしています。以前なら施設に入って守られながらも不自由な余生を過ごすのが当然とみなされる年齢ですが、今は90歳を超えても現役で働き経済的に自立することも決して驚くべきものではなくなりました。80歳で3度目のエベレスト登頂に成功し86歳の一昨年、アコンカグア登頂を目指し6,000mまで登った同い年の三浦雄一郎氏の例をあげるまでもなく、筋肉も脳も成長し続けることが分かっています。老人学の権威であるA. カムフォート博士が老化の75%は自己願望の現れだと述べたように、段々年をとって衰えていくと信じ込むこと自体が人を老化させます。日本を含む多くの国において老化が最近まで研究対象とされなかった理由は、老化は避けて通れないと言うコンセンサスがあるからだと思います。人が死ぬことは経験値であり明確な証拠は見つかっておらず、われわれが衰えだと誤解しているものの半分は体質の変化であり、残りは老いるという思い込みでしょう。
目指すべきはほどほどの幸せ
昨日は入笠山(1,955m)に登りました。南アルプス最北端の山とされますが、ゴンドラでもアクセスできる手軽な山です。山は四季ごとに魅力的な一面を見せますが、最も幸せを感じるのはトレイルにほどよく雪が付いた今の季節だと思います。人が幸せを感じる時、脳では神経伝達物質のセロトニンが分泌されます。早朝の森の静寂な冷気と日光を浴びながらのリズミカルな運動集中と呼吸はセロトニン活性に申し分なく、スノーランは最適な方法でしょう。自然のなかで感じるやすらぎは決して「もの凄く幸せ」と言った類のものではありませんが、幸福感を引き起こすセロトニンは1日の分泌量が決まっていて、結局どの人の人生も少し幸せという実感に落ち着くものです。ほどほどの幸せが人間に与えられた幸福の分量なのに、都市生活はモアアンドモアの幸福幻想を煽る雑音で満たされます。適度な運動で爽快感を感じると理性を取り戻し食欲などの欲望を抑えることができると思います。ほどほどの幸せで満たされる人生を目指すべきなのでしょう。
内省へと向かう豊かさ
正月三が日は初詣に行く以外、テレビも見ませんので普段の生活とほとんど変わりません。違いは必要以上に食べることですが、食べることも食べないことも同様に楽しむと正月太りの悩みから開放されます。食べる生活と食べない生活を交互に繰り返すことで成人以降最軽量の体重を維持しています。産業はシズル感の魔力で脳に幻想を抱かせ過剰な消費を迫りますが、その最大の書き入れ時はお正月でしょう。大半の人は操られた食欲で食べ、その背景にあるのは「食べられない」ことをネガティブにとらえる脳の過剰反応です。「食べたくなったら食べる」とポジティブに考えるだけで食べない時間は快適な内省の機会になり、清々しい静けさを自分の内面に生み出します。食べないことで食べることの大切さを理解でき、現代社会が脳を狂わせる刺激で満ち溢れ、味わうことなく乱暴に食べているかが分かります。われわれが食べることに熱中するのは飢餓時代の記憶と貧しい時代の豊かさへの憧れの名残だと思います。貧しい時代の脳に支配された豊かさが生活習慣病をもたらした後、物欲を卒業した豊かさは内省へと向かうのでしょう。
遠い現代史のうねり
初詣はこの数年諏訪大社上社本宮に参拝します。例年なら家内安全を願いますが、今年ばかりは世界平和を祈らずにいられません。人類全てを巻き込んだコロナ危機は世界大戦以来75年ぶりに世界に転換をもたらし始めました。年初のアメリカの混乱から始まる混沌とする世界情勢から目を離せない一年となるでしょう。米国では歴史上4人の大統領が暗殺されましたが、1900年のウィリアム・マッキンリー、1960年のケネディと60年で一巡する庚子年に選ばれる大統領の暗殺が続いていることは不気味です。年末に三島由紀夫や近衛文麿に関する本を読みました。どちらも遠い現代史に見えて、われわれの生きる社会はこれらの時代と同じうねりと力学の上にあります。目の前の事実がどうであれ重要なことは自分の考え方と姿勢だと思います。心の持ちようこそ最後まで人間が手にする自由であり、人が死ぬ際に持って行けるものは心が満たされる幸福感だけです。内面の声に従い欲望と執着に惑わされず平常心でいられる一年にしたいものです。
消費より何気ない日常
大晦日に渦中のイギリスに戻る予定だった娘のフライトがキャンセルになり、正月は家族で迎えることになりました。ご多分にもれず我が家でも一番忙しいのは娘で一緒に旅行をしてもせいぜい一泊ですから貴重な機会です。普段はそれぞれが勝手に過ごしていて、誕生日や結婚記念日を祝うこともなく、真珠婚式だった30年目の昨年も忘れてスルーし何もしませんでした。一方で家族関係の適度な距離感は深刻な衝突が避けられるのかもしれません。外資系企業にいたとき欧米人の部屋には必ず家族の写真が飾られていましたが日本人にはそうしたメンタリティはありません。家父長制的な堅苦しさが敬遠されてか家というものを省みる機会は年々減っているように見えます。現代の都市生活は核家族化により社会から孤立して生きますが、社会の大きな混乱が起こる2021年には身近な日常を顧みるようになると思います。当たり前過ぎる家族や仕事について考える機会は多くありませんが、目新しさや胸を張れる消費より大切なのは、何気ない日常に目を向けることでしょう。
人類は歴史に何も学んでいない
「三島由紀夫事件 50年目の証言」を読みました。物心ついた後に起きた日本を揺るがす最初の大事件は三島事件です。「限りがある命ならば永遠に生きたい」と決行日の朝、三島は書付を残したと言われます。外国勢力と結びついた組織による間接侵略を三島は強く危惧していましたが、50年を経た今の日本はそれが顕在化していると思います。事件に先立つ7月7日の産経新聞のコラムに「このまま行けば日本は無くなり空っぽの経済大国が残るだけだろう」と三島が書いた未来は現在の日本の姿でしょう。超限戦という中共の静かな侵略は日米の深層に到達し、中国経済に飲み込まれた日本は米国大統領選挙の混乱によりアメリカという羅針盤を失えば漂流します。大半の日本人が戦後の自虐史観に操られ安保闘争の渦中にあった日本で、三島の非凡さは危機の本質を見通していたのでしょう。2020年の米国大統領選挙の本質が独立戦争や南北戦争から続く一連の底流と同じであることを理解するならすべての疑問が霧消します。歴史から学ぶべき最大の教訓とは、人類は歴史に何も学んでいないということでしょう。
素晴らしき時代の幕開け
娘がインターンをするスタートアップ企業のオンライン鍋パーティーが昨夜あり、北海道、東京、名古屋、南アフリカなどを結び8家族ほどが参加しました。オンライン飲み会は新たな生活スタイルとしてすっかり定着しましたが、自宅に居ながら気軽に参加でき、会社や互いの家族やペットまで知ることができる有益な機会です。外食に気が進まない理由は、店を出た瞬間に食事の余韻が消されて満員電車で帰らなくてはならないことですが、オンライン会食ならそんな無粋なこともありません。それなりにイベントも用意されオンラインならではの気楽さと会食の刺激の良いとこ取りは、今後も定着していくことでしょう。20~30歳代が中心のスタートアップだけに会社を通じて自己実現をしたいという熱気が感じられ、社畜世代としては刺激を受けます。良いことがなかった2020年に続き、2021年にも明るい見通しを立てることは難しい状況ですが、時代の規範を身に付け足元が固まった人達にとっては将来が見通せる時代であり、生きたいように生きることができる素晴らしき時代の幕開けなのでしょう。
栄養価を満たす相対的美味しさ
娘が農業インターンに行った農家が作るさつまいもを食べました。料理の美味しさは食材に依存すると言われますが、オーブンで焼いただけなのに感動的な美味しさです。調理時間を短縮したいときに野菜を蒸したりオーブンで焼いて塩とオリーブオイルだけで食べることがありますが、シンプルな調味料だけでも侮れない美味しさです。美味しさの記憶とは曖昧なものだと思います。何を食べたいか考えると○○のうなぎや○○の飲茶といったものが思い浮かびそこには良い記憶があるからですが、期待値が高まる二回目以降はたいした感動を伴わないケースも少なくありません。美味しさには絶対的な美味しさと相対的な美味しさがあり、前者は外部評価による権威付けられた美味しさであり、後者は自分と食べ物の関係性だと思います。空腹状態であるなら何を食べても美味しく、日常的に感じる相対的な美味しさは外部評価による偽装が少なく、概して栄養価の高いものが多いと思います。結局美味しさを保証してくれるものは体が必要とする栄養価を満たすかどうかなのでしょう。
民度か思考停止か
昨日は娘が農業インターンでお世話になった農家が出店する青山のファーマーズマーケットに行き、原宿、表参道の商業施設や明治神宮を歩きました。昼時にも関わらず年末の快晴の週末とは思えないほど人出は少なく自粛による経済活動停止の影響は深刻で、皮肉にも都市は快適です。新型コロナは免疫特性、分子構造、臨床症状もこの一年で詳しく分かりもはや既知のウィルスと言えるのに、マスメディアとポリティカルコレクトネスの扇動が作り出した恐怖による経済破壊が深刻です。低温と低湿度で遺伝子が安定化し、寒さによる免疫力低下と相まって罹患者が増えるのは自明であり冷静な判断が必要です。関連死を含めて例年1万人前後が亡くなるインフルエンザが絶滅したと言われるほど減ったのに、東アジアの土着病原体への基礎免疫を持つ日本で医療崩壊が危惧されるのは、科学的知見に基づいた判断力を失っているからでしょう。自粛が続けば散歩などの屋外での活動が制限され、お年寄りを中心に体力低下と免疫力低下による深刻な健康被害が出るはずです。強制なしに自粛する日本人の民度の高さと同調圧力による思考停止は際どい差だと思います。