3密を避けながら近場で過ごマイクロツーリズムやワーケーションが注目されますが、那覇は最適な場所かもしれません。大都市らしからぬ色鮮やかな花々、南国らしい鳥の鳴き声、亜熱帯気候の植生に加え、街中で挨拶する年配者が多く、他のどの都市とも違います。仕事とプライベートの境界が曖昧になると旅行や観光の範疇はますます希薄化していきます。ワーケーションのメリットは両者が融合することで視点を変え生産性向上と気晴らしを同時に実現することです。それは自分の内面にも向けられ内省に留まらず、身体を休め同時に動かすことで心身を健全に保つデトックスになります。旅行中はなるべく食事を減らして運動を増やす自分だけのスパを、家を離れることで徹底することができます。旅の魅力が食にあることに間違いないのですが、食べる回数よりも目の前の一食に集中したほうが心地良く、何を食べるかで頭を悩ませる回数も減ります。転地や旅行による気分転換がストレスマネジメントには効果的とされ、運動療法や海洋療法を組み合わせた健康志向のビジネス旅行者は今後も増えていくのでしょう。
感情をかき立てる戦跡と市場
昨日は那覇にある旧海軍砲台跡を見ました。国内で戦時中の砲台が完全に近い形で残るのは極めてまれですが、自衛隊那覇基地内にあることから自由に見ることはできません。旧海軍小禄飛行場に昭和18年に設置された15cm砲台6基のうち唯一破壊を免れたもので、昭和20年4月上旬の沖縄戦に際して米海軍軽巡洋艦1隻を撃沈しているとされます。自衛隊の人によるとこの砲台だけが米艦船からの砲撃を免れていることから稼働していなかった可能性もあるそうです。博物館の展示品とは異なり、廃墟に心を揺さぶられるのは朽ち行くところにある種の生命を感じるからなのかもしれません。その点で場末の商店街や古い市場にも同様の生命の感覚が宿ると思います。東南アジアのような雑踏と亜熱帯の個性的な食材が並ぶ第一牧志公設市場は2022年に開業するときはエキゾティックさを失いスーパーのようなつまらない店舗になることでしょう。昭和の風情と言うよりは戦後のどさくさといった感じの商店街や市場と戦跡だけが、生命の息吹をリアルに伝え感情をかき立てる場所に思えます。
学ばないことこそ最悪
昨日は那覇に赴任している中学以来の友人にひめゆりの塔や平和祈念公園などを案内してもらいました。沖縄陸軍病院第三外科が置かれた深さ14mの壕が巨大で不気味な口を開ける威容に圧倒されます。看護要員とし従軍していた15歳から19歳の女学生の過酷な環境下での死はここだけの話ではないはずです。18万8千人とされる沖縄戦犠牲者の半数が住民とされ餓死者、病死者、疎開船の撃沈による被害を含めると20万人をはるかに超え、やりきれないのは戦局が絶望的になった後に犠牲が増えていることです。愚かな判断はこうした最前線から遠く離れた安全地帯で行われ、無実の献身的な人々の命を奪い、それは今も世界のどこかで続いています。戦跡ほど心を動かされるものはありませんが、われわれは観光客としてそこを通り過ぎ自分の欲を満たすためだけの生活に戻ります。残念なのはこうした多くの人が見るべき施設が有料であり、写真撮影さえ禁止していることです。学ばないことこそ最悪なのだと思います。
スーパーは穴場スポット
日中は初夏のような那覇は汗ばむほどでもなく歩き回るのには最適な季節です。一方で経済的な打撃は深刻で商業地に人影は少なく、飲食店は軒並み閉まり、土産物店に置かれる菓子は半額で売られています。首都圏の観光需要に支えられる沖縄にとって緊急事態宣言の延長は致命的な打撃を与えます。一方で観光客の増加にあぐらをかいて来た事業者側にも問題があると思います。街を歩いていて気に入った店で食事をするのですが、食べずに店を去ることが何度かありました。店頭に置かれたメニューが陽に焼けて写真が見えなかったり、字が小さ過ぎて読めなかったり、なかにはオーダーの仕方が複雑で食べログでの予習が必要な店もありました。一日一度の食事を外したくないのでそれなり慎重に選ぶのですが、他方でどうしても食べたいとも思わないので面倒だと感じたときには店を後にします。客を拒絶するようなメニュー表記を改めるだけで1割程度の売上増加を期待できるかもしれません。適当な店が見つからないときは、沖縄家庭料理の惣菜をスーパーで買って食べますが地元客も買うだけに穴場的な美味しさです。
名物に旨い物なし
那覇に来ても食生活は普段と大きく変わらず、朝昼を抜いて夜だけ食べるスタイルです。「名物に旨い物なし」とは良く言ったもので、どこに行っても取り立てて食べたいものもなく、たいていは地元の人が行きそうなB級グルメで済ませます。グルメ番組は鉄板のコンテンツですが、たいして美味しいものなど世の中にはなく、本人が美味しいと思いたいだけです。現代の食は空腹を満たしているように見えて実は心を満たしているのでしょう。感動した食べ物はありますが、それはビギナーズラックとも言うべきもので、期待値が高まる二度目も美味しかった試しはありません。逆に言えば今どき不味いものなどなく、何を食べても美味しく感じる方が幸せでしょう。もし美味しい食べ物が存在するのであれば、物凄く空腹のときに食べたものだけだと思います。旅先の理想的な食事は地元で買った食材を自炊することですが、多くの宿泊施設はキッチンを持ちません。もっとも旅のリアリティを感じる場所のひとつが市場なのは、そこが地元の生活に根付いたものであるように地元の生活を感じられる食事が魅力的です。
10年あれば人は変わる
3月11日は多くの日本人にとって10年という時間の隔たりを意識する日です。国内観測史上最大の地震があった日のことは日記を見返さなくても当時の感情を鮮明に思い出せます。10年という時間は大型犬なら一生涯の時間に相当し、人体も大きく変わり当時は幼児だった娘は今や自分と変わらない身長です。社会常識も10年前とは大きく変わり、10年後にはなくなっている職業もあるでしょう。人類も進化し過去50年で平均余命は10年ごとに2割伸びています。一方でガン細胞がCTやMRIで発見できるようになるまでには短くても10年かかり、糖尿病の合併症も10年以上の歳月をかけてゆっくりと静かに体を蝕みます。われわれが平均寿命の延びを実感できないのは食習慣や飲酒、ストレス、運動不足がプラス面を帳消しにするからで、この10年でうつはすさまじい勢いで増えています。投資利回りを複利で10年間回すなら資産は大きく増え、毎日3時間10年かけて10,000時間を費やすなら誰でもプロになれます。この10年で転職しサラリーマンを辞め、旅館を買いと人生は劇的に変わりましたが問題なのは成長できたかどうかです。
物があふれる時代のフロンティア
ピークに達する花粉症を避けて半袖が心地よい那覇に来ました。仕事で那覇に来ていた頃は大半が日帰りでしたが、今にして思えば当時から実用化していた動きの不自然なテレビ会議で十分だったのでしょう。この一年は疑うことのなかった移動の意味を考える年になりました。搭乗率3割程の機内を見ると不要不急の最たる移動が旅行であることが分かります。旅行に対して億劫なのは、お金もかからず爽快で気持ち良く運動できる山で過ごす時間に比べて割に合わないからだと思います。それでも霧消する贅沢な時間を消費する虚しさを人々が受け入れるのは、物があふれる時代の最後のフロンティアが空間と時間だからでしょう。その両者が刺激的にシンクロするのが旅の醍醐味であり、エキゾチックな場所性が身体感覚に結びつくなら旅行はレジャーの王様としてバーチャル化の動きに対抗できるはずです。視覚化された情緒やステレオタイプの豪華さを超えた旅の魅力の最後の薄皮一枚を解き明かした人が、再び国境が開かれインバウンドの熱狂が戻るときの勝者になるのでしょう。
分散化された信頼が変える旅と外食
根拠なき1都3県の緊急事態宣言の延長は権威が薄らぎ逆効果のような気もします。ワクチン接種の進む海外では旅行の予約を入れる人も増えていると聞きますが、日本でも旅行や外食を封じられていた反動消費は期待できるでしょう。外食や旅行に出て過ごす贅沢な時間と空間を市場は求めますが、贅沢の意味は昨今変わり始めていると思います。商業化されたステレオタイプの豪華さの欺瞞を人々は見抜き、産業化以前の贅沢を求める動きも見られます。先週農業インターンに行った娘によると近所の農家が料理を持ち寄る食事は贅沢だと言います。カリフォルニア州では家庭料理を販売するミールシェアが合法化され、見知らぬ家庭で食事を楽しむことができるのは一種の先祖返りでしょう。一方、日本では名店による食品偽装が問題になり、一流ホテルがその信用を失墜させたことは記憶に新しいところです。これまでは法律や企業のブランドが信用を担保しましたが、食べログやトリップアドバイザーのような分散化された信頼により外食や旅の姿は大きく変化していくと思います。
自分の身体をセンサーに生きる
日本を代表する経営者を一人選ぶならトヨタ自動車三代目にして52歳で社長に就任した豊田章男氏でしょう。社長就任時はリーマンショックで71年ぶりの営業赤字に転落し2010年の世界規模のリコール問題、翌年の東日本大震災とタイ洪水被害、歴史的な円高などで危機的状況にあったトヨタを2013年度には世界販売台数1,000万台超えで業績をV字回復させました。その非凡さは経営手腕だけでなく、日本のボイコットにより出場できなかったモスクワオリンピックではフィールドホッケー選手として日本代表に選出された文武両道にあります。活躍する経営者にトップアスリートが多いのは、直感的な判断と瞬発力が培われるからだと思います。レーシングドライバーとして運転技術に精通しテストドライバーとして開発に関わる異色の存在です。印象深いのは、自分の身体のセンサーとしての感度を維持するために普段乗る車はNVHを伝えない高級車ではなくコンパクトカーと言う点です。身体感覚を基準に車を評価する姿勢が世界最大の自動車会社になれた理由の一つだと思います。戻るべきデフォルトを決め、空腹を基準に食欲を考え、過不足ない生活を基準に金銭欲を考えるなら、欲と執着に振り回されることなく自分らしい等身大の生活を送れるのでしょう。
人力移動の時代
昨日は世田谷区内でフォトロゲイニングをしました。正式な競技ではなく20kmを4時間ほどかけて歩いただけですが、大半の都市の見どころを回るのに徒歩かゆるいランニングは移動手段として最適です。歩くスピードという自分の尺度で街のスケール感をつかむことができ、普段から暮らす街なのに自動車のスピードでは気づかない発見が新鮮です。入ったことのない店に入る体験は遠くの観光地に来たのと同じ感覚です。これまでは情報流通量が増えるほど人の移動が増える現象が見られましたが、ポストコロナの生活は移動を避け始めています。ZOOMがあれば人と会うために移動する必要はなく、ウーバーで食事が届くなら飲食店から足が遠のき、バーチャル見学や観光も浸透し始めています。他方で脳科学や神経生物学の知見は移動に意味を与えてくれるかもしれません。観光の要素を持つフォトロゲイニングが優れる点は、運動をすることで脳に入る刺激がニューロンの結合を強め電気信号に変換された情報をより吸収できる点にあります。江戸に至る時代がそうであったように人力移動こそが次の時代の観光を成立させるのかもしれません。