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不健康の無限スパイラル

東京の家に戻ると、食欲の正体は都市生活につきものの甘美な誘惑であることが分かります。地獄からの使者としか思えない恐怖の食べ物についつい手が伸びます。小麦粉やレクチン、砂糖を排除するはずだった固い誓いなど、今や悪魔の食べ物にしか見えないおいしそうなパンの前ではもろくも崩れます。健康的な食生活を送るためには都会的な消費社会から自分を隔離する必要があると思います。食べた直後に大量のドーパミンによる多幸感が脳に広がり、異様な空腹感が加速されます。おそらく血糖値が暴騰しているはずで大量分泌されたインスリンにより、3時間後には運動をしていれば低血糖か、あるいは不自然な空腹感を覚えることを予測できるのは以前との違いです。ここでガムでも口にして正気を取り戻さなければ、食べることで空腹が加速される不健康の無限スパイラルへ落ちて行きます。3食きちんと食べなさいという教義こそ、不健康な食生活を呼び込む呪いに聞こえます。

歪められた自動車観

何かの間違いで買うかもしれない存在としてクラウンは気になります。40年間国産車を避けて来たのは、トヨタのコロナがBMW3シリーズとの比較で常に酷評されてきたように、思春期の頃の国産車が外国勢の後塵を拝してきたからです。そうして形成された自動車=左ハンドルという欧米崇拝の自動車観が消し難く根底にあるのでしょう。レンジローバーや911、ロータスエスプリといった孤高の存在、ミニデトマソへの愛着、フィアット131レーシングへの憧れなどです。しかし21世紀にはそんなエッジの効いた車は絶滅し、国産車を毛嫌いする理由はなくなりました。大型のアウディと競合しそうなクロスオーバー、7シリーズを思わせるセダン、シューティングブレークの客を奪いそうなエステート、カイエンと真っ向勝負のスポーツと、強敵ドイツ車4社を相手に、今や最もエッジの効いた独特の乗り味を持つクラウン一台で挑むトヨタを応援したい気になります。

山に登るに限る

美しい三日月が空に浮かぶ時間から山に登り始めると、静まり返った神秘的な森を体感できます。稜線に出ると、雲海に浮かぶ神々しい山々を眺められるのもこの時間ならではです。何もせずに山を眺める、自分ひとりの山頂で過ごす時間が好きです。生活のなかに幸せを感じる自由な時間があれば、我欲を抑えることができるのでしょう。家には安全で快適な寝床があり、好きなときに好きなものを食べ、早朝でも深夜でも好きな時間に風呂に入り、遠くへ行きたいなら自動車があり、その点において年収1億の人も百万円の人も大きな違いはありません。現代人の暮らしは中世の王侯貴族以上の生活を極めて安価で手軽に実現しますが、それでも人々が少欲知足の訓えに背くのは、お金への欲望があまりに強く、常に不足を煽るメディアによる思い込みがあるからです。稼ぐほどに生活が乱れ、執着と不安ばかりが増える下界の垢を落とすには、山に登るに限ります。

出すまでが食事

ぬか漬けを食事に取り入れてから起きる体調変化は便の状況が良好になることです。食事はSNSの人気コンテンツですが、出すまでが食事と考える人などいません。世間では食べる快楽ばかりを追求しますが、同様に出す時も快感であり、食生活の豊かさは入りと出によって決めるべきだと思います。人体は長い消化管ですから入ったものが出るのは道理で、食べる話だけをするのは片手落ちでしょう。美食というのは一種の偏食ですから、消化器系をはじめ不調を抱える人も少なくありません。美味しいものを食べても、食べ過ぎて食後に気分を害して後悔するようではせっかくの食事が台無しでしょう。一方で快便は、体が浄化されたような爽快さが続きます。お腹さえすいていればどんな食事でも美味しく、ぬか漬けが似合う粗食は食べ過ぎることがないので、食べ終わった後も満たされた余韻が残ります。

食事の良し悪しを可視化する

昨日は八ヶ岳の西岳、権現岳、編笠山に登りました。3つのピークをラウンドするには一度登山口付近の標高まで下り、最後に編笠山を登り返し累積標高は2,600mほどです。山ではいつも無補給ノンストップで、後半のスピードは低下しますが、補給せずに運動強度を上げるのは人体の特技である飢餓対応能力を引き出すのに有効です。体内の老廃物や有害物質までもがエネルギーとして燃やされ、ミトコンドリアはエネルギー産生を最大化します。山頂付近の風が強い昨日は煩わしい羽虫に悩まされることもなく、山頂の絶景を独占できる贅沢は何物にも勝ります。少しペースを上げれば6時間を切る時間で戻れるのですが、スタミナと筋肉が不足しており、このルートのコースタイムは自分の体調を可視化するバロメーターになります。食事の良し悪しは身体が発揮するパフォーマンスによって判定すべきでしょう。

オフィスとカフェの親和性

諏訪湖に近いスターバックスによく行きますが、客のまばらな開店早々はスタッフの私語が気になります。クレームになりやすい私語を禁じる企業も多いのですが、おそらくスターバックスではライブ感やフレンドリーな演出に奨励していると思います。静か過ぎる図書館は能率が上がらないのにカフェが仕事に適するのは、程よい雑音にあるとされます。適度な雑音は集中しやすく、カフェで仕事をするミュージシャンや作家も少なくありません。風景の異なる場所に移動するとニューロンが活性化し脳がリフレッシュします。建築家のジェフリー・バワは事務所の裏に小さなカフェを作り、スタッフがくつろぎ、友人をもてなす場に使ったと言います。以前訪れた海外の企業も、古い消防署を改装したオフィスの1階に洒落たカフェを併設し街に開放していました。オフィスとカフェの親和性は高いと思うのですが、日本企業で見かける例はわずかです。

家の食事に満たされない?

妙にぬか漬けにはまり、毎日の食卓に上がるようになりました。日々変化するぬか床の様子を観察し、味見をしていると塩加減や足しぬか、温度調節と発酵スピードの関係が分かってきます。ぬか漬け一皿が増えただけなのに食事の満足度は大いに向上しました。画家は一般人に比べ絵を見るときに幸せになり、演奏家が音楽を聴くとき幸福なように、食事で幸せになるには調理をすることだと思います。料理の仕込みをしていると、次の食事への熱量が上がり、普段より美味しく感じます。外食をするモチベーションが起きないのは、日常の食事に満足してしまい、ここから先得られるであろう美味しさのために、エクストラコストを払い、わざわざ外出してアウェイの環境で食べることに気が進まないからです。外食サービスが発達する日本はエンゲル係数の高い先進国とされますが、家の食事に満たされないことの裏返しなのかもしれません。

癒しも気晴らしもいらない

東京と長野県を行き来して感じるのは、東京の自宅に戻ると気分も体調も悪くなることです。体が重く、頭がぼんやりして不機嫌になるのは、暑さによる寝不足だけが原因ではなさそうです。アスファルトに覆われた住宅街は早朝から気だるく蒸し、冷涼な森の空気を吸い込み足裏の感触を味わいながらラブラドールと散歩するのとは天地の開きがあります。鬱積と気晴らしを繰り返しながら過ごす都市の、最後の必然性もコロナ以降の非接触社会では薄れて行くのかもしれません。リアルに人に会えることは都市の魅力の一つですが、他方で本当に有益な人と会う時間の何倍もそれ以外の人付き合いをするはめになります。美味しい料理を出す店や華やかな商業施設、年中開かれるイベントも、癒しも気晴らしも、都市の虚構を覆い隠す仕掛けに見えます。これは個人の趣味嗜好ではなく、人体との相性の問題だという気がします。

産業というフレーム

昨日は上野原市で、ムクノキとしては山梨県内最大の鶴島のムクノキを見ました。Googleマップのカーナビは時々変わった道を案内してくれて、幹線国道から外れ市街地を迂回する抜け道を選びます。そのルートの近くにあったのがこの木で、車のすれ違えない裏路地にひっそりとそびえたつ推定樹齢700年の巨樹は驚くべき大きさではありませんが、偶然に導かれて期待せずに見ると感動的です。幾度かの落雷で人が入れるほどの空洞ができ、歴史を感じさせる石仏が置かれます。旅の楽しさは思いがけない出会いであり、写真で見た景色を確認しに行く予定調和な行為ではないはずです。観光地や商業施設に魅力を感じないのは、それらが何度も繰り返されてきた予測可能なものでしかなく、行く前から想像がつくからです。日々開発される宿泊施設においてもその差は微細で、むしろ産業というフレームの外にある民宿や民泊は予定調和が崩れ、新しい意味が生まれるところに魅力を感じます。

食後の余韻

暑い東京を離れこの時期は長野県にいます。食事の準備が以前は面倒でしたが、食べる回数が減り、一汁一菜で良いと割り切ってからは調理を楽しむようになりました。長野県ではキノコの種類が豊富で安いことからキノコ汁を作り、納豆とご飯で一汁一菜が完成します。これに最近始めたぬか漬けやアジの干物が加わればもはや贅沢というべき一汁三菜です。素材を生かしたシンプルな食事は飽きませんし、こうした食事をしているお坊さんは概して長生きです。丁寧にご飯を炊き、味噌汁を作り、漬物を漬ける、そして丁寧に食べることが豊かな食事であって、一口食べるなり反射的に美味しいと感じる舌と脳が直結した美味しさや、効率的に作られた料理を見境なく消費することは不自然だと思います。豊かな食事には、少量であっても心地よく満たされる食後の余韻が残ります。

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