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身体が発する本音

魚や大豆食品を日本のように入手できない英国にいる娘は、1日1食生活をしているようで日本の漬物が食べたいと言います。今でこそ一日1、2食生活ですが、その年代の頃は4、5回食べていたことを思うと、食べ方が人体に及ぼす影響が判明するには長い時間が必要です。他方で、内なる自分の欲求に従うのであれば、現代栄養学の常識は忘れても不都合ないと思います。食べたものが体に良いか悪いかは人によって状況によって異なり、食べた後の気分、体調、便、体力などを見ればその良否は明らかです。お腹が空いたときに食べたいものを食べることが基本ですが、現代の食事はいたるところに中毒の罠が仕掛けられていて、内なる自分の声は商業主義の雑音にかき消されます。食べたいものが栄養価の低いジャンクフードであっても、5回に一度ぐらいは許す息抜きは必要かもしれません。以前ストレスから5日間何も食べられなくなった後、強烈に食べたいと思ったのはごはんと漬物でしたが、恐らくそれは身体が発する本音だと思います。

パラレルインカムは自己流で

「山投資」が一部で注目されているようで経済ドキュメンタリー番組が取り上げ、山投資の本も売れています。評価額が低ければ山林を所有しても固定資産税がかからず、そこに電柱が立っていると電柱敷地料が毎年入ってきます。一本あたり年間2、300円ですが、土地の取得額が低い故の塵も積もればの投資法だと言います。福島の旅館の敷地でも年間25,500円の電柱敷地料がありますので、固定資産税がかからなければ理論的には投資として成立します。しかしこれは以前流行った「300万円で会社を買う」的な、嘘ではないが事実上ありもしない儲け話に見えます。偶然と運と固有の条件でたまたまうまく行った先駆者の話を、サラリーマンがサイドビジネス的に始められるかのような誤解を与える誘導は、この手の儲け話の常道です。儲け話を教える人などいないのに、稼ぐノウハウと勘違いする方に問題があるのでしょう。退職金や年金に頼るには長過ぎるリタイア後に備えたパラレルインカムは必要ですが、収入の多元化は自己流でしか得られないと思います。

幸せはすぐそこに

糖質制限に近い食生活ですが、昨日は無性にティラミスが食べたくなり作りました。4人分の原価は400円弱ですが、買えば1人分で400円ほどします。作るのに10分もかからないほど簡単で、何より甘さを控えめにできて、添加物類も最小にできます。見た目は美しくありませんが、食べれば市販されている味と遜色ありません。冷蔵庫で冷やす2時間ほどが待ち遠しく、自分で作れば良くも悪くも好きなだけ食べられる開放感があります。多くの生活習慣病は食源病と言われますが、食べるときも治すときも人任せでは健康から遠ざかる一方だと思います。たまに妻が通うケーキ教室について行くと、投入される砂糖の分量を見ただけで吐き気がしますが、砂糖は一見甘さと無縁のあらゆる料理に入って体を蝕みます。血糖値スパイクは多くの病気の原因であり、そのリスクを回避するには自分で作るしかないでしょう。ティラミスに限らず、赤飯を炊く日もそれだけで幸せな気分になれ、高い外食に行かなくても幸せはすぐそこにあるのでしょう。

命がけか自殺か

晴天の週末ですが花粉症で山には行けず、開高健ノンフィクション賞を受賞した「デス・ゾーン-栗城史多のエベレスト劇場-」を読みました。日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂を目指しながら、8度目のエベレスト挑戦で2018年に滑落死した登山家の軌跡を描いた作品です。謎と矛盾と誇大広告に満ちたネット時代の登山家は、山を劇場に変えた希代のエンターテイナーでした。登山暦2年でマッキンリー登頂に成功したビギナーズラックと、彼に群がったメディアが悲劇を生み出したようにも見えます。実力を疑問視されながらありえない難関ルートを選択したのは、ルールがない登山の盲点であり、他のスポーツなら成立しないゲームです。お笑いタレントが8,000メートル峰に登る時代に入ると潮目が変わり、登山中継で時代の寵児となった彼の元からメディアが去り、資金集めに窮するようになりました。もぬけの殻となって生きるより、天国に一番近い場所で英雄として死にたいと思ったとしても不思議ではありません。

MT派のささやかな抵抗

ホンダが米国市場で16年ぶりに復活させるアキュラ・インテグラ予約受注の75%以上がMT車と発表されました。MT車は最初の2か月生産分が完売していると言いますが、AT先進国の米国においてこの数字は驚異的です。内燃焼機関の自動車とともに消えゆく運命にあるMT車ですが、駐車場や交差点で起きる暴走事故を防げる点は過小評価されていると思います。クラッチを操作するマニュアルトランスミッション車は無意識に急発進させることはできません。自動車の運転という危険行為を、車との関係性を希薄にすることで、誰でも気軽にできるようにしたATの功罪は問われるべきでしょう。中国を批判しない環境少女のような環境活動家が煽動するポリコレによって、エンジン車の未来は暗いものです。一方でドイツが石炭火力発電を復活したように、送電による電気のエネルギーロスを考慮するなら電気自動車もクリーンではありません。むしろ化石燃料を一回でエネルギーに変換する内燃機関の方が有利なことを主張するささやかな抵抗なのかもしれません。

賞味期限表示はいらない?

疫病や穀倉地帯の戦争による食糧危機が心配されます。家畜に比べてはるかに少ないエネルギーや資源消費で育てる昆虫食も知られるようになりましたが、それ以前にやるべきことは多いと思います。廃棄ロスを無くすことが先で、スーパーなどで執拗に新しい商品を漁り奥の方からとり出すことは止めるべきでしょう。賞味期限表示がない時代には変な執着は起きず、食べてよいかどうかは自分で判断していました。売り場の野菜や果物をやたら触って吟味することも感染防止の観点から止めるべきで、スーパーは啓蒙すべきでしょう。食品など多少古くても問題ないですしある程度古い方が良い、納豆やバナナ、缶詰もあります。健康は大切ですが、それが執着につながるなら逆効果です。体は丈夫にできていて多少のことでは壊れませんので、不安に怯えるよりは体力や免疫力を高めることの方がポジティブな気持ちになります。健康に良く、同時に食糧問題を解決する誰もができることは、過度な美食、過食、偏食を改めることでしょう。

日本を離れたくない

会社の決算作業をしました。決算期を3月末に変更した結果、半年のうちに会社決算2回と3人分の確定申告をすることになり、以前は面倒だと思っていた作業も慣れると簡単に終わります。ペーパーレスが肝要で、カード支払いとアマゾンに物品購入を集めてしまえば取引記録が残り、紙の領収書は劇的に減るので作業時間は飛躍的に短縮されます。厳密には問題かもしれませんが、お金の出入りを証明できることが重要です。同様に以前は面倒だった料理ですが、最も良い解決策はなるべく食べないことに尽きます。食事を一日一度にすれば作業の手間は3分の1になり、結果的に食事が美味しくなり、作るモチベーションも高まります。良い食材と良い調味料があれば省力化してもかなり美味しい食事が作れます。サラダは醤油とオリーブオイルであえてクルミをまぶすだけの手抜き調理でも一品になります。沢庵は切るだけ、納豆は出すだけ、味噌汁は味噌を入れるだけで美味しく健康的な食事が、これほど手軽に食べられる日本を離れたいとは思いません。

背徳の楽園

日の出から日没にかけて一切の飲食をはじめ快楽や闘争を断つ、ムスリムのラマダン月に入りました。空腹や自己犠牲により、飢えた人への共感を育み、共に苦しい体験を分かち合うことで連帯感と信仰心を強めると言います。古来より宗教と断食が結びついたのは、実質一日一食の生活が自身を心身ともに清めるという一種の生活の知恵を伝えるものだと思います。コロナ禍から立ち直れないうちに始まった資源国ロシアの軍事侵攻により、エネルギー価格は上昇し、いずれも穀倉地帯であることから戦争による食糧不足、飢餓の連鎖が警告されます。戦国時代の合戦は田植え、稲刈りの時期を避けたとされますが、現代の独裁者には節度などありません。暗い現実を受け入れたくはありませんが、あらゆる不幸を生み出しているのは人間の愚かな欲と執着です。ラマダン月にテロや攻撃が増えるのはジハードが最も尊い行為とされるからであり、宗教さえも狂気の洗脳に見えます。世界平和を唱える前に、背徳の楽園に暮らす自らの生活を見直すべきかもしれません。

モダンエルダーの共通点

新年度になり社会にデビューする若者が増えると、必然的に新旧交代が起きます。他方で『モダンエルダー;40代以上が「職場の賢者」を目指すこれからの働き方』に書かれるように、年長者は優れた洞察と判断力で社会と組織に貢献することができます。ピーター・ドラッカーの著作の3分の2が65歳以降に書かれたことは勇気づけられます。知恵と経験によって尊敬される新しい年長者は自分のまわりにも何名かいますが、その共通点はある種の型破りさを持っていることだと思います。モダンエルダーの著者のチップ・コンリーも、ごく初期のデザイナーズホテルチェーンを創業した時代の反逆者でした。トム・ピーターズが言うように、25年のキャリアか、25回繰り返された1年分の経験かが、ビンテージか賞味期限切れかを分けます。世代を超えて誰に対してもフレンドリーであることも重要な要件だと思います。賢者とは肉体が衰えるのではなく、EQといった精神性の領域が広がる人のことを言うのでしょう。

無限の小さなもし

今月に入って存じ上げている方の山岳事故での訃報を聞きました。経験豊富なベテランであっても自然の力の前では無力です。しかし事故は不幸な運命のめぐり合わせではなく、生死を分ける状況の間には無限の小さな「もし」が存在します。5年前に旅館の近くで起きた雪崩事故のときも、前日からの積雪量はこの季節としては異常な降り方でした。もし引率者がその異常さに第六感を働かせていれば、多くの若い命は奪われなかったと悔やまれました。それは結果論だと言われるかもしれませんが、少しの勇気で被害を回避し、犠牲を最小限度に留めることのできた危険は人類史上無限にあったはずです。現代人は戦争でも起きない限り、狩猟時代のような生死を分けるストレスにさらされることはありません。それゆえ、人は命がけのエクストリームスポーツに没頭し生きる意味を見出すのかもしれません。他方で、多くの著名なアルピニストが山で命を落としているように、どれほど達観の境地に至ろうとも、最後は物理法則の審判に逆らうことはできないのでしょう。

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