良い旅の基準


昨日は会社の決算作業をしました。確定申告と会社の決算は、カード利用明細や口座取引、領収書を一枚のシートに集計するために、浪費を見直す機会になります。自分としては異例なことですが、今年は毎月海外に出かけたので、クレジットカードの引き落とし額は見るもおぞましい額です。「旅行は人生最大の消費」と言われますが、問題は旅が消費なのか、投資なのかだと思います。刹那的な快楽として旅に出るなら、その効果は短期間に霧消します。一方で投資的価値のある旅とは、自分の健康状態と認知能力をアップデートします。一人一人が生涯経済活動を続け稼ぎ続けるなら、高い認知能力を維持し、老後の杞憂も少子高齢化をはじめとした社会問題も解決します。良い旅とは、ビジネス上の思考領域を広げインスピレーションを得る体験だと感じます。

伊能忠敬界隈


長距離ウォーキングを楽しむ「伊能忠敬界隈」が、老若男女を問わず流行っているといいます。アメリカでは景気低迷など危機的な世相がランニング人口を増やすと言われますが、どちらもブームの背景にあるのは「身体性の回復」だと思います。若者にとってはデジタル以前の世界が持つ、身体というリアリティの再発見であり、中高年にとっては、56歳から測量を始めた伊能忠敬が、長い人生後半における挑戦の象徴に映るのでしょう。現実世界の感覚を取り戻す行為は、人々から仕事を奪い始めたAI革命に対する生存戦略でもあると思います。人間に残される最後の役割は、感覚器を使って現実世界と接続し、認識するデバイスという側面だけかもしれません。近代観光の主題である「どこへ行ったか」より、「どのように移動したか」という物語は極めて私的であり、自分基準の消費への回帰欲求のような気がします。

旅の主導権を取り戻す


例年ゴールデンウイークは、渋滞と人混みに巻き込まれず、ほとんどお金を使わず、それでいて満足度が高い観光地に行くという無理ゲーです。午後から天気が安定した4日は駒ケ根市の宝積山光前寺に行きました。樹齢数百年の巨木が多い境内にはヒカリゴケが自生し、本堂前の庭園には飲料に適する山水が流れ込み、人影もまばらで連休中とは思えない深山幽谷の風情です。そのあとスーパーのツルヤで手頃な総菜寿司を買い、陣馬形山(1,445m)にピクニックに行きました。山頂までは車道が整備される手軽な山ですが、眼下に伊那谷の絶景が広がるのが印象的で、居心地の良さに去り難い場所です。行楽シーズンの混雑した有名観光地は高額料金を払い、混雑に耐えることを求められますが、GWの後には自分の意思が働かない虚無感が残ります。巨大なピーク課金システムから距離を置くことは、旅の主導権を市場から取り戻すことと言えそうです。

AI時代の生き残り条件


昨日は八ヶ岳の西岳と編笠山に登りました。登るのは正月以来で、エベレスト街道を歩いたとはいえ、使う筋肉が違うのか身体はどこかぎこちない動きです。山では今が桜の季節で、編笠山の山頂は氷点下5度と寒く、標高を示す標識にはエビのしっぽがついています。そろそろ都会では過酷な暑さが始まりますが、山はこれから最高の季節を迎えます。健康を維持する上で、年々山の重要性は増していて、長時間のハイキングは脂肪を燃焼させ、筋肉をつけ代謝を正常化します。山の空気を大量に吸い込む呼吸は自律神経のバランスを調え、山を歩いているときに頭の中が整理され、同時にインスピレーションの源泉でもあります。加えてタラの芽などの食べられる山野草も今がシーズンで、採取は山歩きの楽しみです。山で鍛えられる身体性の回復は、AIの普及により賢さがコモディティになる時代の生き残り条件のような気がします。

思考回路を書き換えたEBC


エベレスト街道の旅を通じて自分の思考に影響を与えたのは、「生きようとする必要のある世界」という観点です。空気の薄い高地では積極的に生きるための行動が求められます。他方で生命維持装置につながれた都市では、人々は考えることなく流されるままに生きることが許されます。生きる本質から離れた都市的消費は、人々を甘やかし幼児化させる方向に進化した気がします。宿泊ビジネスに関して言えば、本質とは「死の危険」と「生存環境」です。生きることが前景化する世界で人の感覚は鋭敏になり、厳しい自然と接続された時感じるのは身体性の回復です。極限環境に対して、人類は熱を中心に共同体を形成することで生き残りを図りました。「生存感覚」を呼び起こすシェルターとしての「火」という発想は、自分のサウナ・ビジネスをアップデートしてくれそうで、EBCでの4泊5日は思考回路を書き換えたと言えるかもしれません。

世界最高所サウナ


エベレスト街道の宿泊施設は、日本の山小屋というよりモーテルのような作りです。なかには高級ホテルもありますが、人里離れた高地に来て無理やりラグジュアリーな生活をすることは気が進みません。他方で、従来の不便かつ不衛生なロッジも避けたい気分です。お湯や水が満足に出ないことや電力使用の制限、手桶式の水洗トイレで構わないのですが、欲しいのはスタイリッシュな宿泊施設です。そんなことを考えていときに見たディンボチェ(標高4,410m)のDingboche Inn は参考になりました。バリスタが淹れたコーヒーが飲め、都会的な料理が提供されます。薪ストーブが備わる清潔なキャビンの暖かさは、最大のもてなしです。ハイライトはヤク糞を熱源とする世界最高所サウナで、長く寒いトレッキングのあとに、最高の高地ウェルネスを提供するはずです。自分が構想するオフグリッドキャビンのまさに本質であり、インスピレーションを受けました。

生きる感覚を取り戻す旅


旅を「自己変容装置」ととらえる自分にとって、変化は旅の価値を決める指標です。エベレスト街道から戻り気づいたのは、ズボンのウエストに大きな余裕ができたことです。普段は1日、1、2食生活で、3食全食が提供されカトマンズ観光にまで連れて行ってくれる至れり尽くせりの旅行により太ることを懸念しましたが、毎日の運動量は食べる量を上回ったようです。せいぜい3,000mの山しか見たことがない日本人が、8,000m級の世界の屋根を見れば感動しますが、かといって人生が変わるほどのインパクトとも言えません。一番大きな影響を受けたのは、標高5,300m超のエベレストベースキャンプでの生活です。半分の空気しかない世界では「生存」が前景化します。浅い呼吸は死につながりますので、生命維持が仕事になり、排泄すらイベントです。生命維持装置につながれる都市生活で失った、「生きる」感覚を取り戻す旅だった気がします。

旅とお土産


国内外を旅行してもお土産は買わない主義で、普段は菓子ひとつ買いませんが、エベレスト街道では妻に頼まれたカウベルをナムチェバザールで買いました。渋い銅製のカウベルは美しい音色を響かせ、いつまでも記憶が保存される音の出るお土産は良いものです。もう一つのお土産は、持続可能な観光の促進を目指すイノベーション拠点である、シャンボチェ(3,775m)のサガルマタ・ネクストセンターで買いました。エベレストを中心とした、山々の3D模型で、エベレスト街道で集められた36本のペットボトルのキャップを利用して作られたものです。登山者が持ち込んだ廃棄物を、登山者がお土産として持ち帰るアイデアは秀逸で、5,000ルピー(5,000円)はこのエコシステムを回すためのドネーションと言えます。エベレストの3D模型は我が家の風呂場のソープスタンドとして、エベレスト街道の思い出を伝えてくれそうです。

社会的序列ゲーム


ちょっとした優越感に浸れる旅の投稿はSNSのキラーコンテンツです。旅とは本来、自分の内面と向き合うものであり、人に誇示するものではありませんが、たいていの場合、分かりやすい虚栄心がにじみでます。そこに彩りを添えるのが空港ラウンジや座先クラスに関する投稿です。ANAが空港ラウンジの運用を厳格化すると発表し、マイレージ修行はより過酷なものとなりそうです。共同体の承認を得るマイレージ修行を「現代の巡礼」と見ることもできますが、不自由な思いをしてまでエアラインに忠誠を尽くすレースからは降りているので、自分には関係のない話です。結局のところ、人は心地よく騙されたいという欲求があるのか、マイレージのステータスや高級ホテルの利用を、社会的序列ゲームとして半ば自覚的に楽しんでいるのかもしれません。SNSがここまでヒートアップするのは、誰かと優劣を競う「選民性」にある気がします。

深い旅


エベレスト街道から戻り3日が過ぎても、クンプ咳と酷使したふくらはぎの痛みは身体的余韻として残ります。山に登ったわけではない自分でさえ、深く旅の余韻に浸るのであれば、旅の途中で別れ、その後に無事登頂したロブチェ隊や、今もEBCにいて、山頂までのルートを塞いでいる巨大な氷河の塊であるセラックの崩落を待っているエベレス隊の旅は強烈な余韻を残すはずです。深い旅ほど人の内部構造を書き換えるため、結果として余韻が長びくと感じます。楽しかった、また行きたい、といったドーパミン的快楽の旅は短期でその余韻が薄れます。エベレスト街道の旅は身体的な刻印を刻む点で余韻が続き、旅の準備として身体を鍛える必要もあります。巨大な山塊の自然の姿は、価値観や人間観などの認知を書き換えた可能性があり、旅を印象的なものにします。旅に「自己変容」を求めるのであれば、長期の徒歩旅行に勝るものはない気がします。

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