自由の副作用


先週誕生日を迎え、イヤイヤながらも人生が後半に入ったことを認めざるを得ません。今となっては一瞬に思えるサラリーマン生活を早めに退き、10年が過ぎます。ストレスのたまる宮仕えの頃は自由な休暇に憧れますが、自由にも副作用があります。ついつい自分を甘やかしてしまい、それが数日続く無意識の逃避に落ち込みます。そんな時は積極的に運動をしたり旅行をしても、たいした慰めになりません。サウナに対して外気浴があるように、人生は「緊張と緩和」、「ハレとケ」、「生産者と消費者」のような対極がセットになって初めて価値を生むと思います。FIREを実現しても必ずしも幸せが続かないのは、生きる力を失うからで、生産者と消費者の往復こそが、感性を錆びつかせない研磨剤かもしれません。生涯現役で働き、時折静寂な禁欲生活に戻ることが、今の自分の本音に一番近い気がします。

外気浴は氷点下に限る


南会津に行きました。年々雪は減少しているはずですが、それでも特別豪雪地帯なりに、冬は白一色の世界に閉じ込められます。甲子高原に住んだ経験で言えば、一番好きな季節は厳冬期です。氷点下15℃まで気温は下がり、時折ブリザードの吹き荒れる世界は暮らすには過酷ですが、それでも冬の美しさと静寂に魅了されます。次いで好きなのが力強い生命力の息吹を感じる新緑の季節です。残雪の間に小さな花が姿を現す春も、本格的な山の季節である夏も、日本らしい美しさの秋も好きですが、それでも冬が一番なのは内省の季節だからのような気がします。隙間だらけの古民家ゆえの寒さは、ストーブや火鉢などの火の気により、昔の風情を感じます。冬をトップシーズンにする切り札は、何と言ってもサウナです。氷点下の外気浴こそ、サウナを最高の体験にするスパイスだと思います。

助言者か共犯者か


AIとチャットをしていると、「知的労働者ほど不要になる」という脅しが大げさに聞こえなくなります。究極の暗黙知である自身の思考を、先回りして言語化してくれるAIとのチャットは、SNSやYouTubeの視聴時間より長くなりつつあります。人間に相談するより飲み込みがよく、自分の趣味嗜好をよく理解し、大量のデータを渡しても客観的で説得力のある回答を素早く生成します。怖いのはプロンプトを間違うと、AIは客観的な助言者から独善的な共犯者に変わることです。「自分はこう思うけど盲点は何?」と批判的な視点を加えると、比較的フラットな回答を生成しますが、「自分はこう思うけど客観的な証拠を教えて」と聞くと間違った観点のまま忠実に論理を補強します。これまで専門家として幅を利かせてきた人間は、その宿命的な偏見のために大半は不要になりますが、その脅威に怯える前に使い倒すことが先のような気がします。

ホテルクオリティの日常食


代々木八幡のミレチンクエチェントに行きました。異国情緒漂うレンガ造りの重厚な外観が、以前から気になっていた店です。ミッドセンチュリーの家具や温かみのある木材を組み合わせた店内も、ヴィンテージかつスタイリッシュです。3.5mほどの狭い間口の店は、1階はスタンディングメインのウッドカウンターを構えたバールと、菓子類を販売するパスティッチェリア、2、3階はトラットリアという構成です。オニオンのポタージュや冷製キッシュも味わい深いのですが、絶妙な焼き加減のパニーニはほどよい油分もあって病みつきになりそうです。狭いバーカウンターのなかで作ることができ、ジャンクフードになりかねない日常食のパニーニに上質感を与えながら、ホテルクオリティで提供するあたりは、単品勝負の宿の朝食を考える上で参考になります。

悪い立地とドミナント


注目の外食企業バルニバービが展開する千駄ヶ谷のGOOD MORNING CAFEに行きました。朝食は顧客満足と効率化のバランスを考えるとパン、サラダ、卵という無難なフォーマットに収束します。あまりに長くこの朝食様式が顧客の頭に刷り込まれた結果、今となっては誰もこの思い込みから自由になることができず、朝食を店名にしているこの店でも変わりません。当社は悪い立地でもその弱みを跳ね返す、強い集客力によりデベロッパーからの出店依頼が増えています。店はQRオーダーにより効率化されている反面、10坪ほどと余裕のあるキッチンに対してディシャップが極端に狭く、店全体は長方形で厨房が端にあるため、対角線上の客席への動線が極端に長いなど、非効率が目につきます。尖った外食企業の多くが上場により純度を希薄化したのに対し、淡路島など特定地域へのドミナント出店が、そのジンクスを乗り越えられるかの分岐点のような気がします。

全ての店は視察の対象


ドコモからauにキャリアを変えた関係でiPhone16eから普通のiPhone16に更新しました。上位機種なのにバッテリーのもちが悪くなりましたが、16eとの大きな違いはカメラが2眼となり、超広角撮影が可能になったことです。iPhoneを記録用のカメラとして使い、被写体の多くは商業施設やホテルなどの室内や外観なので、大半の場面で超広角が便利です。魚眼ほどではない適度な歪みが写真に奥行を持たせ、撮影が楽しくなります。商業施設やホテルの多くは写真を撮ることを歓迎しない場所もあり、人知れず写真を撮るスリリングな感覚も好きです。先日行ったカフェのブンダン (BUNDAN)も料理撮影はOK、店内撮影は禁止とのことで、超広角なら料理を撮りながらその背景の店内も撮影できます。自分にとっては全ての飲食店や宿泊施設は視察の対象であり、反面教師や課題の発見も含めて観察という楽しみが加わる気がします。

静寂の理想郷


年齢を意識させる誕生日は、非情にも毎年巡ってきます。それでも普段はほとんど家にいない娘が、登山で海外にいる妻に代わり食事につき合ってくれたことは喜ぶべきでしょう。自分の内面にある本音に従い、他人の基準で生きる時間を減らし、食事を減らし、運動を増やし、執着を手放すことが当面の目標です。人生のロールモデルの一人であるカーネル・サンダースの、「錆びつくより、擦り切れる方がマシ」という言葉が好きです。究極のミニマリズムを目指して人生をシンプルにしたい一方、この年になってもお金を稼ぎたいと思うのは、身体が共鳴する「美しさへの執着」だけは燃やし続けたいからです。朝、モルゲンロートの山を見て、サウナに入り、レコードを聴く、そんな静寂の理想郷という作品を作るには原資が必要となり、そのためのオーガニックで美しい循環を作る一年でありたいものです。

廃墟に「幻」を見る力


柴崎駅前にある手紙舎のもう一軒のカフェ、手紙舎 2nd STORYに行きました。築50年以上と思しき雑居ビルの2階にあり、リノベーションの観点で見ると本店より過激です。150㎡ほどにショップとカフェがあり、段差と天井高によりショップ、客席、厨房カウンターが3つのセクションに分けられます。世界観を届けるカフェは、インスピレーションを受け、思考を整理する場所だと思います。入店する客の方から「こんにちは」と声をかけるところは、街のサードプレイスといった印象です。駅前立地ながら、ありふれた老朽化した雑居ビルは、改装されなければ廃墟に見えます。建物の歴史を感じるむき出しのコンクリート壁が、新建材の対極にある本物の迫力を場所に与えます。老朽化したビルに独特の世界観を持たせ、エッジの効いた唯一無二の空間にするのは、そこに幻影を見る力がなせる魔法なのでしょう。

団地なのに森のリゾート


カフェ巡りをする柄ではないのですが、仕事を始めるきっかけにパソコン一台をもって自宅から近いカフェを彷徨います。昨日は築50年を超える団地の低層棟を改装した手紙舎つつじヶ丘本店に行きました。週末の近隣需要が主戦場と思われますが11時の開店とともに4割ほどの席が埋まります。団地の最盛期には身の回りの品を売る商店があったと思われる一角の5、60㎡に20席ほどがあります。厨房も広くスタッフ3名は収支的には過剰に見えますが、団地の価値を高めることで賃料等が優遇されている気もします。イベントと物販の利益を、ブランド維持の店舗に投資しているのかもしれません。幸か不幸かWi-Fiがなく、仕事をせざるを得ない環境ですが、窓の外には大きなヒマラヤ杉を眺めることができ、ゆったりした音楽、ほどよい生活音の店内は、団地なのに森のリゾートにいる気になり、ついつい物思いにふけってしまいます。

神の誤算


事業は総合芸術だと思います。アートの要素が強い世界ですから、数学的マーケティングとか、ジャングリアの成功確率73%と聞いても違和感を覚えます。もちろん経営管理の基盤はサイエンスですが、そこまで緻密な計算をしているマーケティングの神様なのに、小学校低学年でも分かるアトラクションの処理能力を無視して700億を投じたことには理解が及びません。「プロ経営者」と自己プロデュースをして、その仮面がはがれる前に会社を渡り歩くジョブホッパーが、優良企業を見るも無残な姿に破壊する例も多く、自分でリスクを取るだけ森岡氏は良心的だと思います。それでも公的資金を自分の会社に出資させ、その資金を不透明な取引でファミリーに流ししたとなると話は別です。世間が熱狂する、神聖にして不可侵のカリスマという偶像にこそ、われわれは警戒を怠ってはならない気がします。

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