地方都市のメリット


常念岳と蝶ヶ岳に登りました。俗に言う三股サーキットで、スピードハイクなら6時間強でラウンドでき北アルプスの稜線を楽しめます。夏は長野県にいることが多く、昼頃思い立ってN-VANで出かけたのですが、コスパの良い小旅行になりました。前日は登山口数km手前にある四季の郷のお風呂に入ったのですが、サウナのできが予想外によくたっぷり汗をかいてから、19時頃には登山口に着きそのまま家の寝具で就寝しました。人気の登山コースだけに登山口の近くに停めることは困難ですが、この時間には空きが目立ちます。ルートは全般に歩きやすく、甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根や舟山サーキットほどハードでもなく、御嶽山のラウンドほどお気楽でもない適度な負荷です。蝶ヶ岳からの下りはとてもよく整備されたトレイルで、途中で登山道の補修をしていました。東京はどこに行くのも遠いのですが、思い立って出かけられるのは地方都市のメリットでしょう。

商品化する以前の余白


御嶽山に登る前に藪原宿にある蕎麦屋のおぎのやに行きました。明治とされる古民家の高い天井が印象的で、隣接する蔵は客室のようです。12席の囲炉裏+8席の店の生産性を倍にするのは簡単に見えますが、ざるそばにも口直しの梅シャーベットがつくなど丁寧な接客が印象的で、観光色が薄まる冬に訪れたいと思わせます。妻籠、馬籠宿は団体が押し寄せる見世物小屋状態ですが、最も早くから街並み保存を前提にしてきた土地が、映えスポットとなり、団体バスで来て短時間写真を撮る場所になったことは皮肉です。奈良井・藪原・福島など、よりマイナーな宿場街は完成された観光商品でないことが幸いして、現代の成熟した個人旅行者に刺さる可能性が高いと思います。日本人もいない鳥居峠に向かう道を欧米ハイカーが歩く姿は、成熟した旅行とは何かを考えさせます。観光資源として商品化する以前の余白こそが必要なのでしょう。

手軽な3,000m峰


御嶽山に登りました。日本最西端の3,000m峰で、富士山に次ぐ日本第2位の標高を持つ火山です。これほど存在感のある巨大な独立峰なのに、いつも八ヶ岳から眺めるだけの山で登らなかった理由は、日本アルプスほどの華がなく、東京から遠く、2014年の噴火の影響もあったと思います。3,000m峰なので登るのが大変、というイメージもありましたが、中の湯駐車場の標高はすでに1,820mあり、荷物を少なくして日の出の頃から登り始めれば、三の池、摩利支天、王滝の奥社をラウンドしても午前10時過ぎには下山できる意外にも手軽な山です。702年開山という古くからの霊山ですが、今もその信仰は生きており、白装束の団体が山頂を埋め尽くします。山歩きを楽しむと言うよりは、山を自己鍛錬の修行の場と考えるトレイルランニングこそ、山岳信仰を現代風に解釈した正当な後継者と言えるかもしれません。

自由を運ぶ小さな別荘


御嶽山の中腹にある中の湯駐車場で泊りました。N-VANで登山口まで行き、そのまま車中泊すると、翌朝は誰よりも早く登り始めることができ、予約も不要なので直前の天気を見ながら出かけることができます。ドアを開けると登山口という贅沢さは癖になります。地元の温浴施設に行き、スーパーで食材を買えば事足ります。N-VANの強みは運転席以外が完璧なフルフラットになることで、商用車にしかできない芸当です。自宅の布団で寝られるために、慣れないテントやシュラフと違い、熟睡できます。必要そうなものをとりあえず全部積んで、帰りには米や野菜を買って帰ることができます。まれに上空を通過する飛行機以外は無音の世界に、星が広がる幻想的な体験です。これまでは用途を限定された車にお金を使いましたが、こんな自由を実現できる小さな別荘が100万円台で手に入る日本は幸せです。

大切なことほど原始的


2年と経たずに壊れたThinkPad X1ですが、集荷まではスムーズでした。問題はその後です。もう一台買えそうな金額の見積をPDFで送ってきたのですが、それを一度印刷して、該当箇所に〇をつけて署名をして再びPDFにしてメールで返信しろ、という指示です。あるいはスマートフォンで撮影し、編集アプリで画像に必要事項を記載して返信、とあり署名した画像を貼り付けます。自宅なら印刷してスキャンはできますが、出先にいる自分には不便です。しかもメールは送信専用で、返信先アドレスのリンクから送るとメールがエラーで戻ってくる始末です。悲惨なユーザーインターフェースを放置する企業姿勢は、IT企業でなくても疑問です。それなりの理由はあるのかもしれませんが、修理を依頼した瞬間、突然FAX時代に戻る企業が顧客体験(UX)を語るのは悪い冗談です。こういうところに企業の本当の姿が現れるのでしょう。

一人で来るに限る


河口湖自動車博物館・飛行館を訪れました。ハイライトは一式陸攻22型と艦上偵察機彩雲11型です。ゼロ戦と、よりスリムな隼を同時に見ることは、海軍と陸軍の設計思想の違いを理解できます。見たかった一式陸攻はB29との縮尺比較で理解していたので小さいと思っていたのですが、想像以上に大きく積載する800kg の91式航空魚雷の巨大さはフルサイズのアメ車並みです。機内が見られることは貴重で居住スペースは広く、機体左側の日の丸の位置にトイレがあり上部に横長の窓がついていることも意外でした。飛行館が通常の博物館と違うのは収集、保存、展示に加えて修復を行う現場で復元過程を見せることです。レストア中の美しい彩雲は日米に1機ずつ現存しますが、米国のスミソニアンでは未公開のため世界で唯一見られる機体です。熱心に観察するオタク風の夫と迷惑そうな妻という既視感のある光景を見るにつけ、8月に一人で来るに限ります。

最後の時代への郷愁


河口湖自動車博物館を見ました。標高1,100mの別荘地に8月だけ営業する施設は、開館30分前からマニアが集まり始めます。目的は併設の飛行館で一式陸攻を見ることですが、博物館としての完成度は自動車館が上で、しかも1,000円とバリューです(飛行館は1,500円)。最大の価値は、馬車→初期自動車→戦前→戦時中→戦後→現代という連続した時間軸のなかで、自動車の歴史が連続性を持ちつながることです。ある意味で工芸的な機械だった戦前の自動車と、戦争により高度化した工業技術、量産性、性能が戦後に結合する「理想的な結婚」が50~60年代なのだと感じました。そして自分が車に乗り始めた70~80年代は、車が移動する電子機器になる前の最後のマシーンの時代なのだと思います。この年代の車に魅力を感じるのは、人間が機械を操る最後の時代への郷愁なのでしょう。

中庸の訓え


多拠点居住のメリットは複数の季節を行き来できることだと思います。八ヶ岳の森に来るようになって30年経ちますが、真夏でもクーラーが必要だと思ったことはありません。山に登れば、季節は東京と2か月は違い、9月には低体温症による遭難が増えます。夕暮れ時にデッキで鳥と虫が鳴くのを聞きながら、暮れ行く空を眺めていると副交感神経が高まり、逆に人間がダメになりそうな気がします。都市は交感神経過剰、自然のなかでは副交感神経過剰で、バランスを取る方法は両者を移動することかもしれません。古今東西、多くの偉人が中庸であることの大切さを説きました。中庸とは両極のどちらかに固定することなく、状況に応じた最適な位置の選択のような気がします。人類が常にハレとケを必要としたように、仕事がないと遊びが楽しくないように、どちらかに偏ることなく「振幅を持って生きよ」という訓えであるなら腑に落ちます。

小食免罪説


八ヶ岳にいるときは一日一食です。更年期に入った人間にとって、一日三食は負担が大きいと感じます。重視するのは食事の美味しさと胃の爽快感です。人体は強力な解毒機能を持ちますが、その限界を超えたとき人は病気になります。小食であれば体が許容する範囲のなかで正常に消化される可能性が高いと思います。頻繁に常識が入れ替わる医学界において、最新のエビデンスなど何ら正当性を担保しないと感じます。他方で、小食(飢餓)と運動(狩猟)だけが健康の秘訣だと信じるのは、人類史において最も長く続けて来た習慣であり、われわれの身体はその環境に最適化しているからです。健康オタクの間でも意見が分かれるテーマの一つに朝食必要・不要問題があります。朝食抜きが問題なのは、血糖値スパイクと筋肉がエネルギーに変換されてしまうことです。つまり一食の可否が論点なのではなく、適切なやり方こそが問題なのだと思います。

逆説的リアリティ


「ロシア軍の日本人兵士」を読みました。第一次世界大戦同様の塹壕戦の一方で、新しい戦争と言われるのはSNSに情報があふれ戦局の実態が見えない点だと思います。客観冷静を装う識者の言うことも話半分で聞く必要がありそうです。特殊部隊アフマットの狙撃兵という著者の特殊な属性を差し引いたとしても、戦争当事者による一次情報は貴重です。本書の内容を信じるのであれば、突撃兵の8割前後とされるロシアの損耗は深刻に見えます。アメリカもイランとの非対称戦に苦戦しますが、ソ連以来の世界最大級の陸軍と対峙するのは、最強の軍事スタートアップです。その非対象性が戦争の帰結を不透明にします。ロシア経済が疲弊すれば、結果として地域のミリタリーバランスが崩れ、次の紛争の遠因になるかもしれません。それにしても、生を最も感じられる場所として戦場を選んだ著者の生き方は、逆説的ながら奇妙なリアリティを感じます。

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