太古の森の記憶


明治神宮の杜に行きました。樹高は信じられないほどの高さに達して空を覆い、日本屈指の深い森が山手線の駅前にあることは奇跡だと思います。全国から10万本の献木により作られた神域の杜は、江戸期以降の武蔵野の二次林以前の原始の姿を今に伝えているように思えます。セントラル・パークのような都市に作られる森が景観工学の観点から計画されるのに対して、明治神宮の杜はシイ、カシ、タブノキ、クスノキなど、常緑広葉樹による関東南部の自然の原風景を復元したことに、先人の先進思想を感じます。100年かけて自律的に自然化した薄暗い照葉樹林は、日本人が失った太古の森の記憶を蘇えらせると同時に、独特の畏怖を与えます。日本の観光は寺社仏閣などの文化資産を中心に形成されてきましたが、その神髄は自然と信仰の融合にあり、明治神宮を擁する東京人は、わざわざ遠くまで出かける必要がない気がします。

AIの過剰介入


巨人軍の阿部前監督が娘に対する暴行容疑で逮捕され、球界に衝撃が走りました。AI、児童相談所、警察それぞれが安全サイドで速やかに反応したことは、過剰なリスクヘッジとも言えず、むしろ安全装置が正常に機能した結果、誰も望まない結末を迎えたように見えます。長年DVを家庭内のこととして見逃してきたことの反省の上に制度が整えられた故の帰結と言えます。本人は相談のつもりでも、第三者は虐待リスクを想定せざるを得ません。暴行があったことは事実としても、危険性と緊急性にはグラデーションがあり、それを判断できるのは身近な人間だけだと思います。AIは言語情報しか読めず、背景にある空気を推し量ることが苦手で、一度制度が動き始めれば判断はゼロ100になり、微妙な判断ができなくなります。人間が判断をAIに委ねる時代には取り返しのつかないリスクがあり、人間の判断力は増々重要になるのでしょう。

LUCYの真価


週末に泊まったLUCY尾瀬鳩待は居心地がよく、同時に多くのビジネス上の着想を得ることができました。利用者からは山小屋基準の評価をされるので、要求水準が低く結果的に満足度が高まります。鳩待峠というロケーションは俗世界と大自然の際にあり、尾瀬の深い森の入り口にありながら、搬入時は車でのアクセスが可能なことがポイントです。従来の山小屋が狭い市場を相手にしてきたのに対し、今まで尾瀬に来なかった巨大な潜在客層である非登山人口を狙うことができます。24時間の無人コンビニは朝食提供の省力化を図ると同時に、宿泊者にとってはいつでも使える安心感になり、チェックアウト後に使えるシャワーも同様です。この宿に泊まることを目的に、福島側の御池から尾瀬に入り、燧ケ岳経由でこの宿に泊まり、翌日は至仏山経由で御池に戻る往復5、60kmのトレッキングを試したくなることに、この宿の真価があるような気がします。

選択肢が多すぎる時代の最適解


AIを使い、一番助かるのは健康相談です。とくに海外などの旅先で体調を崩した時にはその有難さを実感します。契約書などのリーガルチェックにもAIの存在は欠かせなくなっています。他方で買い物をするとき、今までなら比較サイトやYouTube動画しかありませんでしたが、それらは生活に必要な商品を網羅するわけではありません。半年ほど前にAIの勧める4,000円台のBluetoothイヤホンを買いました。それまでは2,000円前後の製品やダイソーの1,000円のものを使っていましたが、いずれも短期間で壊れ、どうせ消耗品だからと安物を買っていましたが、4,000円台の製品は音質が良く、離れても音が届き、信頼性の高いベストバイだと思います。安物買いの銭失いを防ぐと同時に、中途半端な高級品による浪費を回避する上でAIの存在は不可欠で、選択肢が多すぎる時代の最適解を示してくれます。

宿泊産業最後のフロンティア


星野リゾート6番目のブランドであるLUCY尾瀬鳩待に泊まりました。宿泊産業最後のフロンティアが山小屋であり、利権ビジネスの象徴とも言えるこの領域への星野リゾートの運営受託に期待が集まります。バンクベッドのツインは6㎡ですが、十分な天井高により居心地がよく、Wi-Fi、電源、バスタオルが用意されます。評価基準が山小屋のため、二人で泊って夕食付一人14,000円は、星野リゾートの商品ラインにおけるコスパは最良と感じます。チェックアウト後も14時までシャワーとパウダールーム、カフェが使え、チェックイン日の早朝からロッカーが使えるのも気が利いています。ツインの客室、24時間食料品などを買えるカフェ、夜通し入れるシャワー、豚汁の夕食も良かったのですが、改善してほしいのはドミトリーです。見たところ従来のカプセルベッドを超えるものではなく、革命を期待したいところです。

深まる体験価値


久しぶりに尾瀬に来ました。尾瀬は人で混雑する木道というイメージがありますが、それは群馬県側からアクセスした場合の話です。福島県側の御池ルートは、シャトルバスなどに乗り換える必要がある群馬県側と違い、登山口に直接アクセスでき、駐車場は朝6時半の段階でガラガラです。百名山の燧ケ岳に最短距離で登れるのもメリットです。このルートは秘境檜枝岐を通るために首都圏から遠いイメージがありますが、一般道はよく整備され、距離の割に遠いという感覚はありません。最大のメリットは登山客が少ないことです。朝から大挙して人が押しかける群馬県側とは違い、早い時間なら誰もいない尾瀬の深い森の空気に没入できます。尾瀬の入山者が歴史的に鳩待峠に集中するのは、尾瀬=鳩待峠というイメージが強いからでしょう。朝の湿原の冷気、森の匂い、静けさに響く鳥の声など、登山口を変えると尾瀬の体験価値は一気に深まります。

幸福度と体形は相関を持つ


ご一緒したエベレスト登頂隊は安全圏まで下山したそうで、ベースキャンプまでは気が抜けませんが一安心です。ネパールから帰国して4週間が過ぎますが、エベレスト街道ではスリムだった体に贅肉がつき始めました。運動不足と過剰栄養という現代社会の病理を理解していても、都市の誘惑により怠惰で安楽な生活に流されがちです。福島県に暮らしている頃は毎日山に入り運動をしていたので、自分史上ベストな体重と体形でした。今でもズボンは同じサイズを履いており、どの程度脂肪を落とすべきかを容易に理解できます。自分の場合、幸福度と体形は強い相関を持つと感じます。体が引き締まれば気持ちも引き締まり自信を持てますが、ズボンがきつくなると、自己管理ができないだらしない自分への自己嫌悪で、いつもモヤモヤとします。幸せとは、人間本来の生理に近い生活を行い、身体活動量を高めることかもしれません。

縁の下の超人


エベレスト街道を一緒に旅したエベレスト登頂隊が、昨日の朝、現地時間6:25山頂に到達しました。世界最高峰8,849mに登る偉業は人生を賭けた一大プロジェクトです。とくに職業登山家ではない、普通に働くアマチュアが登ることは、われわれ一般人に夢と希望を与えます。標高5,300mのベースキャンプ(EBC)に5日間滞在しただけの自分に、酸素が平地の1/3以下、氷点下30℃にも達する極地登山の苦労を語る資格はありませんが、EBCから見上げるエベレストは遥かなる山で、とても登れる気がしませんでした。他方で、何のトレーニングも技術もない自分がEBCまで行けたのは、荷揚げや食事の提供をしてくれるシェルパがいたからです。彼らは極限環境下で驚異的な体力を発揮し、ルート設営、酸素ボンベ運搬、固定ロープ設置などの危険な仕事を担います。脚光を浴びることの少ない縁の下の超人がいるからこそ、文明は進歩するのだと思います。

劇的に教育が変わる


授業に行く前はガストで1時間ほど準備をします。直前の1時間は自身のモチベーションを高める役割があります。観光関連の授業は20年ほど続けているので、即興でも行えますが、他方で古いネタの講義では自分に「話したい」という感情が起きません。大学のとき、いかにもつまらなそうに話す教員がいて、「きっと20年前から同じ話をしているのだろう」と思いました。もちろん退屈な授業は学生も苦痛ですし何も伝わりません。自身のモチベーションを高めるには「話したい」と思える新しい学びとオチが必要だと感じます。締切直前に切羽詰まって行う仕事こそが最も生産性が高いのですが、それをAIは飛躍的に高めます。従来の論点への批判をAIが行うことで、新たな学びがありテーマを深めることができます。AI時代の授業のあり方は日々模索中ですが、間違いないのは劇的に教育が変わることです。

教員の価値は人生経験


昨日は出講の日ですがAIが普及することで、大学の授業のあり方は大きく変わりつつあります。答えを知っている教員の価値が急激に低下し、知識はコモディティになります。学生は授業中でもAIが使えるようになり、チャットを重ねることで教員の意図する授業設計を先回りしてしまいます。授業の価値はAIが生成する答えをさらに深め、学生の認識が変わる瞬間を身体的に経験するライブ空間になると感じます。教室で行うことによる緊張感や恥、他者比較がより重要になり、その目指す先はそこでしか醸成されない深い共感です。つまりこれまでの授業の主戦場であった知識取得の大半はAIに移行し、教室はその知識を一度破壊し現実社会に接続する体験の場になります。AI時代の教員の価値は知識量ではなく人生経験やビジネス経験となり、その役割は思考を人生に接続する編集者であり、問を深める設計者へ移行する気がします。

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