
八ヶ岳に居る時の仕事は専らスターバックスでします。日本法人の売却が取りざたされますが、店舗の品質管理にうるさかったカーネル・サンダースをして、世界最高と言わしめた日本品質だけに、おそらく世界有数の運営だと思います。見かけないスタッフが話しかけてきて「何かスポーツでもしているのですか?」と、相手が喜びそうな話題を振ります。つい「今朝は八ヶ岳に登ってきた」と話すと、次行った時にはそのスタッフはいなかったのですが、他のスタッフに山登りのことを聞かれ、情報が共有されていることを伺わせます。スターバックスではショートドリップしか頼まないのですが、あまり顔を合わせないスタッフに「いつものでよろしいですか?」と聞かれたこともあり、スタッフ間の情報共有は確かだと思います。近隣3カ所のスターバックスを使い分けており、その店には頻繁には行かないにも関わらずです。
お知らせ
登りのゾーンと下りのゾーン

本格的な山のシーズンに入りました。山歩きの楽しさは登りと下りでは異なると思います。登りは単調な運動になりがちですが、歩きながら考えると頭がよく働き、思いついたアイデアをiPhoneに音声入力していると結構な分量になります。気が付くと途中の記憶が抜けていて、もうここまで来たのかと思う登りのゾーンをしばしば経験します。一方で下りのゾーンは滅多に起きません。自分の身体とは思えないほど早く危険な岩場を下るような経験で、あたかも誰かが乗り移ったかのように自分の意思を超えて身体が動きます。毎日山に入っていた福島県に居た時、体がトレイルに適応し軽々と動くようになったときに稀に現れる現象です。思考が完全に止まり身体の動きは早いのに映像はスローモーションで多幸感に包まれます。山に引き付けられる最大のモチベーションは下りのゾーンかもしれません。
洗練と温もりの狭間


友人夫妻との会食で2日連続して外食をしました。1日目は近所で評判の良い予約困難なフレンチレストランです。料理の完成度は高く、サービスも文句はありません。「楽しいはずだ」と頭で理解しようとしても、身体がどこかで違和感を覚えます。良い店ではあるけど「また行きたい」とは思えないのです。求めているのは予定調和を超える瞬間なのだと思います。地方の3,000〜4,000円台のコース料理は難しい価格帯です。高級店の洗練と家庭料理の温もりの狭間で、どこか既視感のあるセミプロの味になってしまう気がします。翌日訪れた山梨県の築100年の古民家を使った店は異なる体験でした。アーティストでもあるオーナーが作る料理は、家庭料理の延長のようでありながら、美しい器、繊細な盛り付け、建物の歴史、空間全体の美的センスが固有の世界観を創り出します。求めているのは、ここでしか得られない交換不能な唯一無二性なのでしょう。
満足は身体が定義する


日曜日は八ヶ岳の阿弥陀岳、赤岳、権現岳を経て、再び阿弥陀岳の麓の出発点、舟山十字路に戻る距離18km強の縦走をしました。累積標高2,100mとそれなりの運動量になるルートは、八ヶ岳の美味しいところを網羅しています。途中で会ったツワモノはより遠くまで歩き、上には上がいますが、それでも充実感が残ります。山頂からのパノラマ、清涼な稜線で感じる風、コマクサなどの高山植物の可憐さには、お金を払う多くのサービスを超える価値を感じます。家に戻り、カラマツ林にテーブルを出し昼食を食べる時も、簡単な料理なのに贅沢を感じます。自分にとっての価値や満足は、頭で判断するより身体が定義している気がします。現代のサービスや観光商品を見た場合、既視感のある商品の品質を高めるだけで、人々の心を動かすことは難しくなっているように見えます。足りないのは自身の感覚や記憶として残る、身体で感じる体験のような気がします。
最も利回りの高い投資

八ヶ岳にいるときは毎朝、西岳と編笠山に登ります。富士見登山口を起点にラウンドすると時計回りで3時間半、反時計回りで3時間50分ほどかかりますが、これは肥満していた30代のときのコースタイムの半分です。当時は決意して年に一度登る山でしたが、今は毎朝行くルートになりました。今後年を重ねたとしても、山に登れる限り、もう30代のタイムに戻ることはないと思いますので、永遠の30代を強弁する資格はあるかもしれません。これは50代になって本格的に運動を始めた、遅咲き故のメリットと言えそうです。以前は不動産投資や株式投資に関心がありましたが、今は最も利回りの高い投資は自分の健康だと思います。いくらお金があっても健康を害していればその恩恵に浴する機会と人生の選択肢を奪われます。第二の人生にさしかかると、やりたいことができる時間を延ばす投資こそ最も利回りが高いと感じます。
アバターにするか・なるか

先日出した会社のプレスリリースはAIが原稿を書いています。最終校正はこちらでしますが、その必要がないほど完成度が高く、自分の考えを正確に反映しています。もちろん背景には日々繰り返すチャットがあるわけですが、AIが「あなたは以前こう言っていましたよね」と思い出させてくれることもあり、網羅性や全体の破綻のなさはAIの書いた原稿の方が優れていると感じます。手放しで喜べないのですが、自分の考えや目指すもの、趣味嗜好の詳細に至るまでAIは把握しており、今や自分のアバターです。他方でこの便利な道具に思考を委ねてしまえば、自分がAIのアバターになると思います。その違いはAIを使う能力ではなく、AIとのチャットを通して考える時間が増える人と減る人の違いでしょう。AIは恐ろしいスピードで時間を効率化してくれる反面、自分は何をしたいのかという主体性を持ち続けるなら思考時間は増えるはずだと感じます。
冷酷なゲームの最前線

10年ほど前から、学生の3割程が起業を目指す傾向は今も変わらないと思います。その割合は大学によって変わりますが、共通するのはこれらの学生は授業に臨む態度が明らかに違うことです。毎回出してもらうコメントペーパーも、他の学生がA4の半分程度しか埋めないのに対して、ときには裏面まで使って疑問点や意見をびっしりと書き込みます。もちろん前列に座り、授業中も積極的に発言します。普段から前向きの姿勢を貫くことは、起業せずに組織に入ったとしても、大きなアドバンテージになるはずです。起業を目指すから積極的なのか、主体性の高い学生が起業に関心を持つのか分かりませんが、起業で生き残る確率はごくわずかです。資本主義は底辺への転落を伴う冷酷なゲームであり、その厳しさの最前線にあるのが起業だと思います。それでも自分の信じるものに賭ける人生こそが、最も自分らしく生きられる気がします。
AI時代の二極化

昨日は大月に出講する前期最終日で、学生に3分ピッチをやってもらいました。去年との違いは、半数程度の学生が発表資料をAIで作成していることです。終わって気が付いたのは、パワーポイントの資料は覚えているのですが、その資料を誰が発表したのか顔を思い出せないことです。資料は立派なのに、その内容を咀嚼して自分のものにしていないので、話し方も自信がなくたどたどしくなります。学生がプレゼンを苦手にするのは今に始まったことではありませんが、資料の見た目が良くなった分一層目立ちます。もはや見栄えのする資料には価値がなく、人間勝負の時代が再びやってくるのなら歓迎すべきかもしれません。AIはどこまで行っても外付けメモリであって、自分の頭で思考し内容を消化していないと、人前でスムーズに話すことができません。AIを使って飛躍する人と、AIを取り上げられると何もできない人の二極化が始まる気がします。
人と創作の価値

昨日は大月で木工彫刻家のアトリエを訪ねました。自然に恵まれたロケーションにあるセルフビルドの建物は、不要になった構造材を再利用したために古民家のような懐かしい風情があります。薄暗いアトリエに背後から自然光が差し込み、居並ぶ大型の木彫作品が浮かび上がるのは、独特かつ異様な光景です。それでいて、なぜか居心地がよく、時間がゆっくり流れ、長居をしたくなる場所でした。これらの作品が大きな存在感を放つのは、アーティストの生きた痕跡がそこかしこに感じられるからだと思います。バリ島のウブドなどでは、アーティストのアトリエを訪ね、一緒に食事やお茶を楽しむアーティストスタジオツアーが人気ですが、創作が生まれるプロセスとその環境に身を置くことは、訪れる人にインスピレーションを与える気がします。AIの時代になるほど、人と創作の価値は増していくと感じます。
古民家はタイムカプセル



長野県富士見町にある「小さな食堂 山ひこ」に行きました。古民家と言われる商業施設は訪れるようにしています。どこに行っても店主に聞くことは、築年を判定した方法です。昨日の家は築250年とされます。興味のない人にとっては古い田舎の家ですが、事実なら貴重な建物です。この家の大家さんは8代に渡り暮らしてきたそうで、信ぴょう性が高まります。敷地内にある句碑には建築年代を推測する手掛かりとなる記述が残されており、改装中には江戸時代の古銭が見つかったと言います。かつて蚕部屋に使われた二階は、現在は塞がれています。不思議なのは天井の梁に残る火災の痕跡です。古民家の魅力は、人が暮らした痕跡や、その時代の営みが建物のあちこちに刻み込まれていることです。何代にもわたり人々に引き継がれてきた古民家は、その建物が歩んできた時間を閉じ込めたタイムカプセルと言えます。