一昨日は父が心筋梗塞で救急搬送され病院に行きました。カテーテル治療が始まったのは21時過ぎで日が変わる頃には無事に終わり容態は比較的安定しています。自身は健康診断も受けない主義で病院に行くことはほとんどありませんが、救急救命は現代医学の恩恵を最も享受するものだと思います。何より真夜中の処置がなければおそらく助からなかったはずで、受け入れてくれる救急病院にアクセスできることは都市に住むことの最大のメリットでしょう。人命を守るために多くの人が日中と同じように働く深夜の大病院にいると、われわれは多くの人の力に支えられて生かされていることを実感します。普段は批判されがちな立派な道路も人命を救うことがあります。地方に住む親戚が農作業中に怪我をしたときは、事故の直前に完成した橋がなければフェリーを使うしかなく助からなかったと言います。他方で都市的な暮らしが華美な食生活を奨励し、便利さゆえの運動不足が人を病気にすることも事実であり、都市での生活はプラスマイナスゼロなのかもしれません。
お知らせ
自分の波動が実現する
月曜日に旅館の書類を整理するなかで半世紀前(昭和47年)の増築工事の図面が出てきました。二代前の経営会社の時代で当時はホテル甲雲と呼ばれていました。この年はグアム島で旧日本陸軍の横井庄一さんが見つかり、沖縄が返還され、日本赤軍がイスラエルのテルアビブ空港で乱射事件を起こし、ウォーターゲート事件が発覚し、ミュンヘンオリンピックでテロ事件が発生した激動の一年でした。1970年代は、戦争の残滓がかすかに漂う60年代とも、狂乱の80年代とも違う、どこか坂の上の雲的な時代だったと思います。写真は旅館の新館増築に伴い作られたバーのパースで、いまや物置となり廃墟同然ですが館内で一番眺めが良く、昭和の香りを今に伝える最も好きな場所です。15席のバーの前にはラウンジもあり、当時の栄華がしのばれます。その後の半世紀の狂乱と残酷な衰退を考えるとき、50年周期で景気が循環するコンドラチェフ波動を思い出します。人はいつの時代も自分が生きる時間を時代の節目と錯覚し特別視しますが、未来とは外部環境が決めるものではなく、自分が発する波動と共鳴することで実現する事象でしょう。
幸福に寄与する美しさ
昨日は旅館のある甲子高原に行きました。標高800m付近では紅葉が見頃を迎え、平日にも関わらず行楽地に向かう道の交通量は目立って増え道の駅は車であふれます。落葉広葉樹中心の森が美しいのは生命力あふれる新緑と冬を目前とした紅葉の季節です。やがて葉が散ると純白が支配する厳冬期が訪れ、再び芽生えの季節がめぐり、燃えるような夏がやってきます。宿の周りの木々は自生しているもので、派手さはありませんが美しさに引き寄せられます。美的経験は喜びでありながら、食欲や功利欲のように衝動的な欲望を引き起こさず、欲望を伴うものは美的経験ではありません。人間には欲望と感動の2つのシステムがあり両者は大概矛盾しますので、身体に悪いと思って食べている美食は美的経験ではないのでしょう。美しいと人々が感じる多くのパターンは自然物から生まれ、時間が経過してもその美しさは変わりません。美しいものに囲まれた環境は、人間の体を健康にして認知機能や気分を向上させます。週末に人々が都市を離れ自然の元へ向かうのは美しさが人間の幸福に寄与することを知っているからでしょう。
意識が外界に影響を与える
理想的な週末には動と静のバランスが必要だと思います。土曜日は4時前に家を出て山中湖近くの石割神社と富士山を望む付近の稜線を歩き、日曜日は「あなたという習慣を断つ」(ジョー・ディスペンザ著)を読んで過ごしました。薄い本なら一日に4、5冊は読みますが、この本は一日をかけて読むにふさわしい内容でした。タイトルからはありがちな自己啓発本に見えますが、量子物理学、脳科学から哲学、宗教など全てを包含した統合メソッドは、読むだけで内面と向き合える小旅行のような平和な休日になります。その主張は、あなたが望む結果をコントロールしたいなら、原因と結果というニュートン物理学的世界観から脱却し、量子場に潜在的に存在する未来の現実を書き換えるという壮大なものです。6年ほど前に出版された本書は世界26か国以上で翻訳されベストセラーとなり、人の感覚を超越した量子場では主観的な意識が客観的な外界に影響を与え思考が現実を創り出すという荒唐無稽な主張を多く人が受け入れたことは驚きです。しかし、科学的な根拠を理解すれば、このパラダイムがありうる話だと思えるのでしょう。
時間の流れは一方向ではない
昨日は石割山(1,413 m)八合目にある石割神社に行きました。駐車場から403段の階段を登ると突如現れる巨石は、鎮座という表現がふさわしく超常的な力が働いたとしか思えない神秘的なものです。古事記にある天の岩戸伝説の地とされる神域であり、巨石信仰の対象となる磐座は日本中にありますが、屈指と言って良い存在感でしょう。天の岩戸とされる場所は西日本を中心に何ヶ所かありますが、見事に割れたご神体の巨石を祀るこの神社こそがふさわしく思えます。高さ15m、幅60cm、長さ15mの大岩の隙間を時計回りに三度まわると運が開けると言われ、山中湖を経て相模川に注ぐ桂川の源流となっている岩に滴る水は眼病に効く薬水とされます。日本伝来の古神道における自然崇拝では岩や木を神の御神体として信仰の対象としますが、やがて時代とともに社が常設され信仰の対象は神社に移っていきます。山に入るとそこに存在することがいかにも不自然な巨石をしばしば目にしますが、おそらくそれらは神社の原始形態である祭祀遺跡だと思います。はるか縄文以前の時代に巨石を信仰した祖先の精神性を考えるとき、時間の流れが一方向ではないことを感じます。
封印された野生
野菜の値段は落ち着きを取り戻しましたが、燃料価格の上昇は止まらず世界的なスタグフレーションも心配されます。値上げがそれほど気にならないのは、消費への依存を減らすべきと思うのでむしろ好都合だからです。2度の食事を1度にすれば食費は半減しますしその方がより健康になれます。消費することを止められない私たちは産業界に都合よく操られとめどなく消費を続けますが、世帯収入などの客観的満足が主観的満足と比例しないことを多くの研究が示します。それでもお金がかかると信じられているのが長寿化に伴う医療費です。しかし無駄に食べずに生涯働けば病気になることも寝たきりになることもありません。誰もが長寿に関心を持ちますが食事の回数を減らせば睡眠時間も減り、自ずと一日が長くなり長寿と同じ効果をもたらします。寝具メーカーは睡眠の重要性を強調しますが、普段から短眠ならマットレスの感触を意識する前に眠りに落ちます。食事を減らしていつも空腹なら、全ての食べ物がワクワクするごちそうに変わり星付きの店に行かずとも満足できます。所詮人間は動物であり封印された野生の特性を取り戻せば、産業化された社会から遠ざかっても生きていけると思います。
多くのリスクを背負える人生
日本工学院の授業準備のために企業の決算資料を読んでいると、新興企業を中心に賃料などオフィス関連の固定資産関係費用を削減して収益を改善する例が目立ちます。娘のインターン先のスタートアップ企業でも都心のオフィスを手放し、社員は日本全国に散らばり、娘は英国で働き、南アフリカに暮らす社員もいると言います。ポストコロナを好機と捉える企業は、デジタルシフトにより新たなビジネス機会と強い収益構造を実現できるところでしょう。国家戦略の一つにスポーツの成長産業化がありますが、スタジアム・アリーナ改革、スポーツツーリズム推進の二本柱がコロナ禍により崩壊しました。一方で世界のスポーツビジネス関係者の7割以上がスポーツビジネスにチャンスを見出し、その数はコロナ前よりも増えています。DXの波に乗りそのスリムなルールに従うなら、取り得るリスクの幅と事業機会はむしろ広がりますが、それを理解できない企業はひたすらリスク回避をしようとします。人生も同じで、最も大切な財産である自分の体を健康に保つシンプルなルールさえ理解すれば、不安が減りより多くのリスクを背負うことができるのでしょう。
ラグジュアリ消費に欠けるもの
かつてはどの家庭にもあった時刻表は今も健在です。ステイホームにより時刻表で旅行気分を味わう人が増えたようにノスタルジックな感情を伴うからでしょう。昔は時刻表をよく見ましたが、それは主に後ろの頁にある宿泊施設の値段です。今ではOTAサイトに変わりましたが、旅館やホテルの市場価格を定点観測します。経済が動き始めると、以前より価格が高くなっている高級ホテルや旅館が目立ちます。とくにコロナ禍のリベンジ消費がトップエンドの価格帯にある宿泊施設を強気にさせていると思います。政府と産業界は中高年が抱え込むお金を吐き出させることに腐心しますが、日本人の多くが大金を抱えたままこの世を去るのは老後に不安があるからです。老後の生活を心配する人の数は90年代には6割前後でしたが今や9割の人が心配していると言います。しかし、心配の必要がない人まで消費をしない本当の理由は、買いたいものがないからだと思います。ラグジュアリホテルや豪華列車、クルーズ船の旅も悪くないのですが、それらのパッケージ商品に欠けるのはよりアクティブで、人が行かない特別な場所でのお仕着せでないユニークな経験だと思います。しかし問題の核心は再現性のないそれらが産業化できないことでしょう。
腹八分目なんて無理!
職場での昼食に手作り弁当が急増していると伝えられ、ある調査ではコンビニなどの弁当を大きく上回ります。オフィス街の飲食業にとっては脅威ですが、食事を作ることは健康増進の第一歩です。毎日都心に通っていた10年ほど前は、ホテルのランチめぐりに今では考えられない食費を支出していました。しかし、糖質制限による肥満解消を機に食べる回数が減ると健康実感が明らかに改善しました。体に良いものを一日三回食べるより、たとえ不健康な食事でも一日一回の方がはるかに体調は良くなります。食べない方が健康というパラドックスを受け入れると食べ物への執着は無くなります。空腹なら何を食べても美味しく美食にも無関心になり、農薬や添加物にさえ神経質になることもありません。よほどリスクのある食品なら食事を抜くだけですから一石二鳥です。週末の山小屋での食事は天ぷらで、油はきっと酸化した加工植物油だと思いますが、運動をした後の一日一回の食事ですから胃もたれもありません。健康の秘訣とされる腹八分目で食事を止めることは難しく、一日一食にする方が容易かつ効果的な方法だと思います。
贅沢よりも悲惨な週末
日常生活に満たされない人は、それを埋め合わせるために非日常の贅沢を求めます。他方で金のかかる幸せが見落としている点は、期待値を上げることでも下げることでも満足が生じることです。ずぶ濡れ、泥だらけで寒さに凍えるような惨めな週末は、幸せを持続させる方法だと思います。雨露をしのげて温かい風呂や布団に入る幸せ、粗食であっても食事にありつける幸せを思い出すにはキャンプや山小屋の滞在は最適でしょう。自然のなかで眠るキャンプに魅力を感じても、その不便で不快な環境に抵抗を持つのは普通の反応です。一方でネガティブな面を補って余りあるキャンプの魅力を産業界が放っておくはずもなく、安楽で快適な、しかし大自然の醍醐味の足りないグランピングが妥協の産物として商品化されます。マゾヒストならずとも不快な環境を歓迎すべき理由は、人体が飢餓により長寿遺伝子を活性化し、寒い環境に置かれることでミトコンドリアが強化されて生き残る確率を上げるからです。危機対応に最適化した人体の有り難い能力をフル活用した週末こそが、生きる力と幸福感を同時に与えてくれると思います。