食べずに生きる自由

日本工学院の後期授業が始まり、出講日は一日一食にします。一日三食から二食に減らすと体調が良くなり、体に負担がかかる三食にはもう戻ることができません。一食にするとさらに調子が良くなり、今は習慣的に食べている二食も食べ過ぎに感じるようになるでしょう。空腹時間を長く持つことのメリットは様々ありますが、食事が待ち遠しく幸せを感じることも大きなポイントです。一方で空腹が辛く感じられるのは食べることにより得られるはずの満足がお預けの状態だからであって、空腹自体が不快なわけではありません。食べないことに豊かさを感じるのは、離欲による心の平安こそが幸せの鍵だからでしょう。世の中の常識はすべてにおいてお金を使わせる方に誘導するために、三食以外に別腹のスィートまで売りつけようとします。食べ物を減らす快感は食べずに生きられる自由を手にできるからであり、同時に睡眠時間も短くなり眠る拘束からも自由になれます。経済的に自由になることとはお金に不自由しないことではなくお金を使わずに生きることであり、なるべく食べずに生きることはその第一歩となるでしょう。

信者こそが事業の本質

月、火で伊豆に行ったおり熱川の伊豆ホテルリゾート&スパを見学しました。二軒の元保養所を接続し数億かけてリノベーションをしただけに、言われなければ新しいホテルと錯覚する人もいるかもしれません。別荘地の最上部にあり、大島や利島を望む絶景は1泊に数万を払う価値があるのでしょう。グループホテルの赤倉観光ホテルや伊豆にある東府やと同じ足湯やインフィニティプールなど、規模やコンセプトは違いながらも同じ造形を踏襲します。団塊世代を狙っているのか全般に意匠は無難で目新しさはありません。コロナ禍の昨年6月に開業しましたが業績は堅調のようで、事業の基本は人が怯えているときに投資をし、人が熱狂するときに手控えるものでしょう。株式相場の世界でも、人の行く裏に道あり花の山、などと言われ、世間とは逆の行動が飛躍のきっかけになります。陽性者はおそらく来月あたりから再び増えるでしょうからあえてリスクを取る業界関係者は少数だと思います。一方で卓越した商品力があればこんな時代でも信者はいるもので、儲けるが信者と書くことは事業の本質を示しているのでしょう。

ダイエットは心の平安から

代表的なダイエット法に食事や運動、体重などを毎日記録するレコーディングダイエットがあります。以前はよく体重計に乗りましたが、最近はその必要もなくなり体重計はホコリを被っています。ダイエットの本来の意味は食事療法や食事制限であり、必ずしも痩せることを目的としたものではなく、ベストの体を作るための生活様式である食べ方です。ベストな食べ方とは食べたいときに食べ、食べたくないときには食べないことだと思います。体が欲していないのなら食べる必要はないのですが、厄介なことに空腹とは自分も加担した洗脳であるために人は必要を超えて食べます。誰もが知る腹八分目は健康法の王様ですが、実態はそれ以上で食事を減らすほど体のポテンシャルは高まります。パフォーマンスを左右するのはエネルギーを生み出すミトコンドリアを活性化することですが、その最も効果的な方法はエネルギー枯渇時、すなわち空腹による運動です。鍛えるほど体は強くなりますが、メリットはエネルギーの強化だけではなく、狂った食欲センサーをリセットするのにも最適です。結局ダイエットとは心の平安を取り戻すことであり、食欲を正常化することなのでしょう。

イノベーティブは怒りから

昨日は伊豆半島に来ました。波の打ち寄せる海岸線を歩き太陽が照らす海水面を眺めるだけで転地療法的な刺激を受けます。道の駅伊東マリンタウンにあるヨットハーバーの海水の透明度は信じられないほど高く、コバルトスズメの群れが泳ぐ海底まではっきりと見渡せ、もはや水族館と言えるレベルです。海岸沿いの地形はどこも美しく、まとまりのある建物さえ建っていればコート・ダジュールのような世界的な海岸保養地になれたと思います。惜しむらくは一貫性のない即物的な使い捨て経済が、まとまりのない建物の林立する破壊的開発をしたことです。伊豆のような半島経済は観光需要への依存が高く、自然と調和する景色こそが最大の資源ですが、個々の事業者は自身が景観を作っている意識が希薄です。消費者が審美眼を持たない限りそれでも事業は成り立ってしまい、一貫した文脈と細部へのこだわりは事業者にとっての無駄な投資になります。選択肢がなければ消費者は間に合わせの商品に飛びつくしかなく、事業者も収益効率を優先する限り細部へのこだわりを持たず、結局イノベーティブな商品は既存事業への怒りからしか生まれないのかもしれません。

知られざる樹木の世界

週末は小菅村にある栃の巨木コースに行きました。パンフレットを見るとハイキングコースのように錯覚しますが、多摩川源流トレイルランレースのコースの一部であり、登りもそれなりにハードで滑落すれば危険な登山道は家族連れには向きません。推定樹齢650年と言われる栃の巨樹は、甲子高原の旅館の近くにある樹齢200年以上の栃の木より二回りほど大きくその存在感に圧倒されます。巨木の多くは樹高が災いしてたいてい落雷か強風で倒れるか人により伐採されますが、現存する木はどれもそのリスクの低い目立たない谷筋にあります。東北には巨木が多く、見た中では会津若松に近い田んぼの真ん中に忽然と姿を現す高瀬の大木(ケヤキ)は樹齢約500年とされ、樹高こそ24.64mと高くないものの根元の周囲は12.55mあり、その威容はもはや木とは思えません。日本人の多くは無宗教ですが巨木に神聖さを感じ崇めるのは、そこに生命の神秘を感じるからでしょう。屋久杉のように樹齢1,000年を超えるとなると、もはや不死の生命体と言ってよく、われわれは身近にある樹木の世界をほとんど知らないのかもしれません。

手軽さの代償

昨日は奥秩父縦走路にある将監小屋のキャンプ場にラブラドールと泊まりました。30kmほど歩いて到着したときの達成感は旅の醍醐味と言えるでしょう。夕方は雷鳴が轟き、夜は澄み切った空に美しい三日月が浮かび、森の奥からは野生動物の声が響きます。インスタントの味噌汁がこの上なくおいしく豪華な料理は何も要りません。グランピングブームにあまり魅力を感じないのは、手軽なキャンプとは都市の贅沢さをそのまま自然のなかに持ち込むことに他ならないからです。テントで泊まれば、寝心地は悪いし夜露で不快な思いもするし、料理は粗末ですがこれで十分と言う謙虚さを思い出させてくれます。手軽さの代償は多くのものを失い、とりわけ身近な幸せに感動し気づくと言うことを無視します。自動車で都市生活の便利さを持ち込むのではなく、自分で運べる荷物の範囲で生活することにむしろ贅沢さを感じます。スーパーで買ったバームクーヘンで過ごす食後のお茶の時間がこの上なく贅沢に思えるのは、自然のなかで過ごすことで欠乏こそが人間らしい生活のデフォルトだと気づくからだと思います。ブナ林の枯葉の地面の上に寝転がって空を見上げることなど小学校以来のような気がします。

ワンフレーズ政治の軽薄さ

下馬評通り岸田総理が順当に誕生しました。良く言えば安定的であり、ファンもアンチもいない無難さが国難の日本をどのように舵取りするかが注目されます。義理としがらみで年額4,000円の党費を払いテレビしか見ない典型的保守層も、度々主張を変え、ファミリー企業問題を抱える知名度だけの政治家の危うさに気づいた人は少なくないでしょう。思えば大半の有権者は候補者の政策も人となりも知らずに投票してきました。ドルベースなら四半世紀マイナス成長の底なし日本の非常事態を救うには、明確な国家観と安全保障、経済政策が最優先だと思います。今回の総裁選が久しぶりに意義深く感じられたのは、明確な主張をする女性候補の存在があったからで、久しぶりに国家のグランドデザインを政治家の口から聞いた気がします。思考の結果ではなく好き嫌いとまわりの空気で政治家を評価する情報弱者はSDGsや女性参画、環境問題をファッションのようにワンフレーズで一面的に扱う劇場型政治の軽薄さに気づきません。自分が総理になっても女性を積極的に活用することはないと明言していた高市氏が、結果的に女性の活躍を最も印象づけたことこそ真実味を帯びます。

都市を自然に持ち込む愚

昨日はDom’up camp village那須高原に伺いました。3年ほど前に訪れた時は背丈ほどの藪が生い茂る荒れ地でしたが、下草を刈り枝打ちをしてから公園のように美しく生まれ変わりました。かつては人手の入った雑木林が長く放置されていた場所ですが、キャンプサイトがゆったりと配置された広場でコーヒーを飲みながら心地よい風に吹かれていると、アメリカのゲストランチにでもいるような錯覚にとらわれます。せっかく自然のなかに出かけながら駐車場のように詰め込まれたオートキャンプ場やキャンピングカーで満車になる道の駅を見ると、言われるままにお仕着せの商品を買う味気なさを感じます。キャンプの醍醐味は朝夕で表情を変える自然の風景と情緒だと思いますが、密集する住宅と狭い空しか見えない都市を抜け出しながら自然の元に来ても同じことをする消費行動は疑問です。オーバーツーリズムは観光が抱える古くからの問題ですが、皆が同じ場所を目指す工夫のなさと、休日への需要集中もあり事業者が売上至上主義を取ることが原因でしょう。放置された森に人が関わることで、環境保全とビジネスを両立しながら自然豊かな場所ならではの楽しみ方を提案することは可能だと思います。

都市に住む必要が薄れる

イギリスにいる娘が大学の寮を出て割安な一軒家を香港、イタリアの友人とシェアしていると言います。部屋の写真を見ると質素ながら落ち着きを感じます。イケアで家具を揃えるとそれらしい部屋ができますが、欧米へのコンプレックスなのかどこか日本の住宅にない品の良さを感じます。ロンドンにしても大学のあるブライトンにしても街並みが美しく、現代の日本ほど住宅と街並みを軽視する国はないと思います。夏に立山に行ったとき、新幹線の車窓から見る貧相な風景が富山に近づくに従い落ち着いたモノトーンの景色に変わったことが印象的でした。白川郷や妻籠宿など戦前の風情を残す景観が観光的価値を持つ反面、悪夢のような建売住宅が密集する都市の光景は一貫性もまとまりもなく、今となっては戦後復興のバラックそのままの方がむしろまとまりがあります。住宅街は芸術的なまでに密集して建てられた陽も当たらない建売住宅によりスラム化し、日本人の住宅への意識とこだわりのなさが街並み破壊してきました。唯一の希望はコロナ禍で過密都市に住む必要が薄れることでしょう。

不眠症は嘘?

以前は眠れない悩みがありましたが、眠れない日は眠ろうとせずに日中と同じように過ごすと、2、3時間の睡眠の日でも普通の生活ができ悩む必要がないことに気づきます。睡眠は個性的で食べたくない日があるように、眠れない日は無理に眠る必要がないと思います。昨夜も0時前にラブラドールがごそごそしているのに目を覚ましそのまま長野県から東京に移動しました。深夜なら一般国道を使っても高速とそれほど移動時間は変わりませんし、夜中に移動ができると一日を有効に使えます。もともと短眠の傾向でしたが、食事の回数を減らすと睡眠時間が短くなることは少食の人からは異口同音に聞かれます。世の中には知られたくない真実があるもので、7時間睡眠長寿説のような健康常識は悩みを生み出すために利用されていると思います。武器を売る人がいるから戦争が起きるように、薬を売る人がいれば病気が増えるのと同じで、眠れない人を不眠症の患者にしないと睡眠薬が売れなくなります。病床が増えると病人が増え、医師が増えると生活習慣病が増えることを見ると、医学や栄養学、健康常識もお金を取るために悩みを生み出すことに利用されているのでしょう。

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