米国の心臓外科医スティーブン・R・ガンドリー氏の著書「老けない食事」と「食のパラドックス」を読みました。植物が動物と戦うための武器であるレクチンは人の健康にとって最凶の敵との主張です。自分の健康観を揺るがす内容で、小麦や砂糖、肉類は当然としても、健康的だと思っていた果物(アボガドを除くほぼ全て)、玄米、そば、あらゆる豆類、トマト、ナス、キュウリ、豆腐までもがネガティブリストに入ります。著者の主張を受け入れるなら、何が食べられるかというポジティブリストを頼りに生きることになります。大好きな赤飯や玄米も手放す必要がありますが、ごはんを白米に戻して一汁一菜にして、味噌汁の具と漬物の野菜に注意をすれば条件を満たすことはできそうです。天然の魚や発酵させた納豆、キノコ、海藻類は食べても良いので、悲観すべき内容ではないのかもしれません。
お知らせ
制約が生む幸せな食事
酷暑の時期は東京を離れる日が増え一人暮らしをします。必然的に料理をしますが、一日一、二食なので、調理が煩わしいと思ったことはありません。ごちそうを作るつもりなど元々ありませんから、作るのも簡単です。家にある食材を入れた味噌汁や納豆、漬物、ご飯といった日本の伝統食は俗に粗食と呼ばれますが、飽きることなく毎回美味しく食べられます。小麦や砂糖、レクチン、肉、乳製品、添加物を最小化しようとすると世間で食べられている多くの食品はネガティブリスト入りしますが、食べられるものが少ない方がメニューに悩まず好都合です。お金を稼いで生活が向上すると期待値も一緒に上がるので満足は永遠に訪れません。満足の分母が大きい人は分子にはミシュランレストラン的な料理が必要になります。一方で、制約によって自動的に食べ物を制限すれば分子が粗食であっても幸福ホルモンの分泌量は変わらないと思います。
携帯で助けを呼べる?
昨日は西岳経由で権現岳手前にある、のろし場(2,530m)にラブラドールと登りました。山に登りながら自分と向き合うには自分のペースで歩める単独行動が理想ですが、人間よりはるかに走力があるにもかかわらず影のようにピッタリと寄り添うラブは、ペースを乱さない最良のパートナーです。何が起こるか分からない山では単独行は避けるべきですが、勝手を知る八ヶ岳南部であれば、ある程度のリスクは想定できます。他方で、標高2,500m前後の山域は気象変化や滑落が致命傷となる可能性もあり、朝の散歩程度の山行でも、応急処置用になるバフ、防寒具、予備電源、ライト、非常食などセルフレスキューの備えが必要です。一方日常生活に目を向けると、食料危機や必ず起こるとされる首都直下地震、富士山の噴火に対して、多くの都市住民がほぼ無防備なのは、山で何かあればすぐに携帯で助けを呼べると勘違いしているようなものかもしれません。
静と動の幸せ
昨日は夏山シーズン最初の西岳、編笠山に行きました。昔は意を決して行くルートでしたが、今は冨士見登山口から一周最速2時間半の足慣らしの山です。トレイルランニングが健康に良いと思うのは、人類が長年行ってきた運動に最も近いからです。人体は長距離を走ることにも短距離を早く走ることにも適応しますが、おそらく狩猟採集の時代は長距離を徒歩で移動しながら時々走り、獲物を追い込む時は全速力で走っていたと想像します。登るときは森の清涼な空気を吸いながら規則正しいリズム運動によりセロトニンが分泌され、山道を駆け降りるときは脳からの指示が筋肉に届くよりも早く原始時代の脊髄反射が蘇り体を動かします。いわゆるゾーンに入る感覚はドーパミンが分泌されているのでしょう。静と動の幸せホルモンを同時に分泌できるスポーツはトレランを置いて他にはないと思います。
人生を変える旅
以前書店で見たブルータスの特集は「人生を変える1泊旅」でした。人生を変えるとは、その影響が生活を一変させるほどの現実の行動として現れる必要があります。先日のサウナ泊以来多少誇張して言えば、自分の生活は一変しました。妻が買ってきた赤福3個を餞別代りに食べた後は身体に悪い食品を自分比5分の1程度まで削減することにしました。最初の行動は家にあった大好きなピーナッツかりんとうを処分することです。砂糖、小麦、ピーナッツという三巨悪で作られた食品が身体に致命傷を負わすことは頭では分かっていても心で許していました。娘が某ミシュラン系のベーカリーでアルバイトをするのですが、パンなど論外で大目に見ることをやめました。サウナでの48時間断食のあと意気込んで出かけたスシローで、ほんの数皿食べてすっかり満足した衝撃が脳の回路を書き換えたようです。地球上で最も美味しいと信じている熟したバナナも例外ではありませんが、問題は3か月後もこの生活が続いているかでしょう。
止めるだけで健康になれる
2日間の断食明けの食事はスシローに行きました。回転寿司の良い点は食べた量を可視化できることです。シャリもネタもどことなく小さくなった気がしますが、皿数は普段の6割でデザートも食べたくありません。断食により体が正常な食欲を取り戻し、これが本来、体が欲する適正な食事量だと思います。誘惑さえなければ断食は難しくなく、ただサウナに入るだけの恵比寿のドシー℃は最高の環境です。翌日の睡眠時間は普段より長く、目覚めが爽快なのはサウナの効用でしょう。カプセルホテルやホステルには何度か泊まっていますが、意外にも静かで耳栓を使うこともありません。高級なホテルに泊まりスパを利用すれば一人1泊10万円コースですが、2,500円の断食サウナでも、それと同等以上の健康効果を体感できます。健康をお金で買う人は身体に良いとされる消費対象を探しますが、体の炎症を招く食事を止めてサウナに入るだけで十分健康になれるのでしょう。
共感を得られない感覚
都心のサウナ1泊旅行に行き、新月に向けて2日の断食をしたので、要した費用は2,500円だけです。ロウリュができて雰囲気のある本格的なフィンランド式サウナに3セット(サウナ、冷水、外気浴×3)を6回ほど行い皮膚の血色は良くなり、良質な睡眠が得られて解毒らしき効果を実感できます。サウナで居合わせた同年配の肥満気味の男性は、気の毒なほどの荒い息づかいで、むしろ寿命を縮めているのかもしれません。価値のある旅行とは何かを考えます。もし2,500円の一泊旅行がそれなりの価値を持つのであれば、必然性がない限り宿泊に1万円以上自己負担したいとは思いません。宿泊関連の仕事をしてきたので、自分が消費者になっても完全な消費者目線になることは困難です。何らかのビジネスのインスピレーションを与えてくれることが宿選びの基準なので、世間的な評価と自分の感覚がかけ離れていることも多く、宿選びに共感は得られないでしょうが。
都会の湯治場
昨日は古いカプセルホテルの2層をサウナに改装してナインアワーズが再生した恵比寿駅前のドシー(℃)に泊まりました。ロウリュのできるフィンランド式サウナと15℃の水流の落ちるブース、外気浴スペースが数歩で結ばれる理想的な構造のサウナに入り放題で1泊2,500円はバリューです。断食、運動、サウナは三大デトックスで、サウナで行う48時間断食は自分にとって最も価値のある1泊旅行に思えます。カプセルは20年ほど前に北海道から乗った寝台特急を思わせる懐かしさですが過不足なく、Wi-Fiも入ります。サウナもカプセルホテルも昭和的なオジサンの典型的なリラクゼーションですが、すべての健康法の中で最も効率的かつ確実に脳と体を整えるサウナは都会の湯治場と言えそうです。
消費する自由の代償
都心では夏本番を思わせる2日連続の猛暑日となりました。全国旅行支援策が7月前半から開始されると発表されましたが、テント泊の山旅以上に贅沢な旅はないと思いますので、消費を最小限にとどめる燃費の良い暮らしが心地よく感じます。お金を使わない生活なら心に余裕が生まれ、むしろ人生の選択肢は広がります。一方で燃費の悪い贅沢な暮らしは、往々にして体に悪く将来の健康リスクを抱え込み、人生の活動的な時間を短くします。世間が信仰する消費する自由の代償はお金だけではないと思います。人と会うことは高揚感を得ますが、他方で交友関係が広がるほど時間を拘束され面倒ごとを抱え込む可能性も高まります。料理の品数や量が少なくなるほど気が散らなくなり、ご飯の一粒に意識が向かい、より深く味わおうとします。消費から距離を取るほど日々の生活が有難く、足るを知れば感謝の気持ちが芽生えるものでしょう。
最も原初的な旅
昨日は世界で最も過酷とされる山岳レースTJARの予選会がありました。3,000m超の日本アルプスを越えて日本海から太平洋までの415kmをコースタイムの三分の一より短い8日以内に踏破します。人がするスポーツを見る趣味はありませんが、TJARが唯一の例外なのは、サポートを受けることなく、独力でゴールを目指す最も原初的な旅に憧れを感じるからです。極限まで肉体を酷使するレースの勝敗を分ける要素は荷物の軽量化で、言い換えるならどれだけ食べずにどこまで進めるかにあります。フランスのモンブラン160kmを巡るUTMBで、かつてマルコ・オルモが59歳で連覇したように、エネルギー産生回路が変わり省エネの肉体を手に入れた更年期以降の方が有利なことはとくに興味を引きます。過酷な環境を生き残ってきた人体は本来最小限の食糧で生きることができ、サバイバルモードに入った時にこそ生命力をみなぎらせ、そんな過酷な山行に旅のロマンを感じます。