一日のなかで最も幸せに包まれるのは、毎日数分もないのですが、ベッドに入り眠り落ちるまでのわずかな時間です。マットレスに身を預けるときに感じる浮遊感と心地よさは、スレッドカウントの高いシーツや軽い布団であれば申し分ないのでしょうが、高級寝具である必要もなく誰もが毎日享受できます。ことに雨の日や荒天の日には雨風をしのげる安堵感、睡眠欲が満たされる満足感のまま眠りにつくときは全てを手放し、無料で毎日受けられるスパのような心地良さがあります。睡眠時間は短い方ですが、眠るのに3分もかからず、528hzの音楽もラベンダーの匂い袋もいりません。数日食べなくても人体に影響はありませんが、睡眠は大半の人にとって不可欠で、成長ホルモンを分泌し体を修復する毎日の恵みです。一方で人為的にもたらされる豊かさはもろく持続性がありません。幸せは追い求めるものではなく、日々の暮らしのなかで感じるものだと気づくと無性に何かがしたいといった欲求が起きなくなります。湯船に身を沈める瞬間でも食事の前の空腹でも、ありがたみを感じることで邪気が払われ幸せを感じることができると思います。
お知らせ
月が身を清める
紅茶をよく飲み、食物繊維の豊富なバナナも好きですが、これらは農薬のリスクが高いとされます。気にし始めると空気の悪い東京には住めませんし、健康リスクのない食品を入手することは現代ではほぼ不可能でしょう。安全な食品という幻想を捨て、許容できる範囲で食べると考えるのが現実的です。人体には解毒能力が備わりますので、安全性の議論は受け入れることが許容できるかどうかと考えると気が楽になります。農薬を気にして洗い過ぎれば栄養素も落ち、食中毒を考え始めると塩素消毒などのリスクにさらされます。入を制御する最良の方法は食べるものを減らすことと、同じものをなるべく食べないことですが、重金属に汚染された大型魚などリスクの高い食品や深酒を避け肝臓や腎臓の負荷を下げることだと思います。一方で、デトックスは入浴や運動で血液循環を良くし、効果があるとされる食物繊維を豊富に含むきのこ類を意識的に食べ、深い睡眠で代謝を正常化する生活です。最も強力なデトックスは新月の頃に行うファスティングですが、体をリセットすることで消費至上主義に毒された心身も清めてくれます。
明るさが気にならない日本人
一年前に今の家に引っ越した頃は家人から部屋が暗いと言われましたが従前の日本の住宅は明る過ぎると思います。これは慣れの問題で、オフィスはともかく家でも蛍光灯を煌々と点灯させる日本の住宅は異端でしょう。日本人は目の虹彩が濃く光の影響を受けにくいために欧米人ほど明るさが気にならないこともその原因とされます。アマンリゾーツなどのラグジュアリーホテルでは照明設計を専門企業に任せて多額の設計料を払いますが、日本人にその感覚はなく、ただ明るさだけを求めます。人類は数百万年もの間暗闇で過ごしましたが、140年前に電球が発明されてからすべてが一変しました。せめて寝る前3時間はできるだけ光量を落としパソコンの画面も暗くしますが、夜間も明るい都市の生活は不健康です。以前地方都市に住む友人宅で夜ラブラドールの散歩に行くと街灯がないために自動販売機の明るさに目が眩んだのを思い出しますが、これは正常な感覚でしょう。一度暗さに慣れてしまえば夕刻以降は明る過ぎるコンビニに入りたくなくなります。闇夜にキャンドルで食事をするようなロマンティックな生活は日本の住宅には似合わないのでしょうか。
快感がわれわれを支配している
夜中に夢を見ることは少なくなったのですが、今朝は激しい地震の揺れで目が覚めました。夢は自分の心理状態を示し、地震の夢は吉兆でもあり不吉な兆候でもあると言います。見る夢には一部実在の人物が出る(今朝の夢では会社)ためにそれが夢だとは気づかず引き込まれます。全くストーリーに脈略のない夢もあれば、かなり現実に近く自分の知らなかった真実が明かされることもあります。夢は過去の体験をつなぎあわせるので支離滅裂でも体験したことのあるものが登場し既視感があります。レム睡眠時脳が覚醒して海馬が過去の記憶を整理する際に見る映像が夢であり、いやなことを忘れる効果がありアユルヴェーダでは心や脳の浄化作用と考え、忘れれば過去はなかったことになります。夢には良い面もありますが、他方で脳が作り出す幻想のリアリティの高さに夢から覚めるたびに身がすくみます。あらゆる中毒は人を夢見心地にし脳だけが満足して体を蝕む状態です。食事であれ娯楽であれ脳の感じる幸福感はストレスやつらいことを忘れさせてくれる反面、報酬回路が刺激されドーパミンが異常分泌して作り出す快感がわれわれを支配しているのでしょう。
偉大なのはプラシーボだけ
カレーやコーヒーにココナッツオイルを入れるのが好きです。かつてはアルツハイマー予防の特効薬ともてはやされ健康や美容に良いとブームになったココナッツオイルですが、近年健康に悪いとする主張が目立つようになりました。ココナッツオイルを熱心に持ち上げてきた信奉者の主張も、一方の不健康説の主張も性懲りもない科学的根拠の疑わしさと欺瞞を露呈しただけに見えます。ココナッツオイル不健康説は膨大な実験の結果、飽和脂肪酸が悪玉コレステロールを増加させると言いますが、その悪玉コレステロールは体に有益とする説もあり何も信じることができません。人類史における長年の習慣である空腹と運動、糖質制限は信用しますが、それとて行き過ぎれば健康を害し、長期的な影響は誰にも分かりません。この世に完全に証明された健康法など存在せず、それ故に信仰の力が必要になるのだと思います。一見明快に見える科学的な主張も、次々と矛盾する研究が発表され結局は信仰の一つでしかなく、偉大なのはプラシーボだけかもしれません。
執着の純度を増す時代
最近は車をあまり使わなくなり、日本工学院に行く水曜日は貴重な機会です。わずか75馬力しかないフィアットはこれまで乗った車のなかでは最短で14万kmを走り一番愛着を感じます。たまにかける洗車機以外に手入れをすることもなく、車よりもむしろ運転が好きなのでしょう。そのためか次に乗りたい車が思い浮かびません。強いて上げるなら免許を取った頃の車でFiat 131のアバルトなどはその代表です。昔の車であれば変に執着もわかずその時代をリアルに取り戻せる回春効果があると思います。機械と人間の関係を考えると今は幸せな時代ではなく、どこかで時代の歯車が狂い最新が最良ではなくなったと思います。今ほどあからさまに豪華になり、歯止め無く車の馬力が上がる時代は執着の純度を増しただけで個人的な思い入れの対象にはなりません。最も幸せと感じたのは車なら1980年代ですし、パソコンならほとんどの操作をショートカットで動かせたOffice 2003の時代でしょう。もちろんこれは年代による違いでしょうが、5G、6Gと進む社会は人間の幸せとは違う尺度で進歩しているように見えます。
猫のひたいがもたらす充足
人より優位に立ちたがる人間が内面に屈折を抱えるように、贅沢な生活を求める気持ちは貧しさの裏返しだと思います。幕末の日本に来た外国人が彼らの基準では貧しい日本人を見て、そこに卑しさや惨めさが微塵もなく、生き生きと生活する姿に驚いた記録が残ります。生活を貧しくするのは、執着により次々と買う贅沢が目的化していつまでも満たされない虚しさであり、日常を豊かにすれば贅沢願望から開放されます。毎日の食事を豊かなものにするのは空腹で、体を健康にしてくれる上に美味しく食べられる空腹は我慢ではなく楽しみに変わります。かつての住まいにあった庭が無くなり、生活に潤いをもたらす植物は玄関横の猫のひたいほどの花壇だけになりました。それでも花を楽しみ収穫したフレッシュハーブをお茶に入れ、植物の成長に日々生命力を感じ、日常を豊かにする恩恵はむしろ庭があったとき以上です。最小限で過ごすことに妙な魅力を感じるのは、人が恩恵を受けるには自分に適したサイズがあり、過剰をそぎ落とした清楚で質素なモノの不足した生活にこそ心の充足を感じるからだと思います。
欠乏による幸せ
一日二食以下生活を始めて体重は学生時代以下を維持し、他方で体力はむしろ向上しています。三食時代より食事が美味しくなり、幸福の定義とされる生活満足度が改善しました。欠乏への恐怖から人は常に満たされることを望み、その幻想は自分を満たしてくれる対象物に向けられます。対象物はお金や名誉、地位にも向けられますが身近なものは食事だと思います。しかし重要な点は食べるものに目を向けるのではなく、空腹により自分の感受性を高めることだと思います。大金を払うことで得られる幸福感も、期待値を下げることにより得られる幸福感も実は等価で、砂漠を彷徨った人がいくらお金を払ってでも水を飲みたいのと同じです。一方で産業側は常に人の期待値を引き上げようと画策し、空腹を悪だと信じる消費者のストレス反応は、企業が望む消費行動に走らせます。食べることを善と信じる消費者は満たされた後に感じる虚しさを無視しますが、この循環こそが生活習慣病の蔓延原因でしょう。欠乏、すなわち空腹を善と捉えるパラダイム・シフトを受け入れると、つきものが落ちるように他の執着も消え心も体も満たされると思います。
貯金より貯筋
普段の生活とさほど変わらない連休が終わりました。昨日も究極のマイクロツーリズムで世田谷近辺を25kmほどラブラドールと歩きました。最初に行った九品仏は深い緑に大木が佇む荘厳さがあります。自粛中のためか人影はなくどこからともなく漂うほのかな薫香もあって、その風情は鎌倉あたりの有料のお寺と変わりません。結局連休中は外食もせず、モノも買わず、こんな人ばかりになれば日本経済は崩壊しますが、それ故と言うべきか過不足ない休日でした。人々が例年連休にお金を使うのはお金が人生を充実させる道具だと考えるからです。一方でお金が人生を満たす道具だと思っているといくらあっても足りなくなります。人々は自ら計画的陳腐化の罠にはまり、高級品になるほど執着を生み、やがて時限装置により満たされないように作られている現実を忘れます。お金には税金のような必須のものもあれば将来の不安に備える貯金もあります。将来の不安を考え始めると同じようにいくらあっても足りません。必要なことは体を鍛え、お金に頼らず元気でいられる貯筋に楽しみながら励むことでしょう。
餓死しない時代の夢の燃料
運動不足解消のため、昨日はラブラドールと三田のイタリア大使館まで30kmほど歩きました。いつも通り朝食を抜いているので運動後の昼食の美味しさは格別です。満足は期待値との乖離ですので、餓死しない時代の空腹は快感になり得ます。しかしそれがアダになり、糖質中心の昼食を摂ったためにインシュリンの過剰分泌から、夕方になると低血糖でめまいに襲われます。空腹時に糖質を摂ればその後起こる血糖値スパイクは道理です。一方糖質を摂らなければ、山などで40km以上行動することがあってもエネルギー不足に陥ることはなく、昨日もどこまでも無補給で歩けそうな感じでした。試しに糖質を摂取すると2、3時間でエネルギーが枯渇して動けなくなります。糖質制限により脂肪酸を分解したケトン体を作り出すことができれば無限に近い距離を無補給で移動でき、逆に糖質を摂ると短いサイクルで糖質の補給が必要になります。糖質こそがエネルギー源との長年の信念を崩しこの結論にたどり着くまで時間がかかりましたが、ケトン体由来の長寿遺伝子サーチュイン3はミトコンドリアの働きを活性化し同時にDNAの修復も進める夢の燃料になります。