長野県と東京の間を移動するのは道路が空いた早朝が多いのですが、昨日は目が覚めると2時過ぎなのでそのまま起き出し東京に向かいました。しかし走っていると明かりのついた家が多いので改めて時計を見ると22時の間違いでした。1時間ほどしか寝ていないのですが、最初の誤解のまま体は朝だと信じているらしく東京まで3時間ほどの道中も全く眠くならずそのまま普通に一日を始めることができます。これは一種のプラシーボ効果で、薬が効くと信じた患者の体は、実際にはその薬を飲んでいないのに自分自身の解釈によって強力な化学物質を生成し薬効を享受できます。心のソフトウエアを書き換えると、かなりの程度体を変えることができると思います。1980年代にハーバード大学が行った研究では、70歳代の男性8人に5日間1959年当時の生活をしてもらうと、握力、機敏さ、聴力、視力など8項目中7項目に改善が見られ外見も若くなり、精神的な選択は器官、組織、細胞を若返らせることが分かりました。意識の深いところで私は若いと思えば若返り、幸せだと思えば、その感情が化学物質であるメッセンジャーを生み出し肉体はその思いと同調するのでしょう。
お知らせ
菅内閣終了?
注目の横浜市長選挙が終わり、お膝元でさえ勝てない菅内閣終了説が現実味を帯びてきました。間の悪いことに首都圏のIR候補地としての是非も注目され、現職と首相肝いりの新人に保守が分裂した結果、人格問題が取りざたされる左派系候補の圧勝に終わりました。選挙と言うと右派、左派という色眼鏡で見てしまいますが、これは民衆を分断する罠であり幻想でしょう。レッテルを貼った瞬間に私たちの思考は不自由になり、本質とは異なるところでイメージを作り上げます。人間を苦しめるのは、自分が何者かを知らないためにエゴの世界に生き、一過性の快楽や実在しない幻想にしがみつき、逆にそれらを恐れることだと思います。対象依存の人は外部の評価で他人の目を通じてしか自分自身を知ることができず、その幸せはいつも条件つきです。巨大化した消費社会にとっては、人々が金や物質主義の対象依存の催眠から醒めないことが重要です。しかし対象物は常に変化するのでこの思考の制約の中で生きる限り、自身の本質を知ることはありません。自分の推す候補者と推さない候補者に対して感じる快・不快の感情が、おそらくは自身の本質なのでしょう。
お告げか思い過ごしか
「夢」という美しい響きの言葉とは裏腹に睡眠中に見る夢は不快なもので、うなされて起きることもあります。子供の頃は誰かに追いかけられるような怖いものが多かったのですが、最近見る夢はそのなかで必死に考えることが特徴で、自分が出した解決策はどこか示唆的です。レム睡眠時に覚醒した脳が記憶の取捨選択をするプロセスで見る映像が夢で、多くの場合支離滅裂な内容ながら、過去の経験をつなぎあわせているので現実の出来事が登場します。前日に考えたことや会話を反映していることが多く、最近見た夢は昔のパワハラ系上司が出て来て自己変革を強要するのですが、これは自分の潜在意識がその必要性を認めているからでしょう。この夢も設定は不自然ながら話の筋が通っていて妙に具体的で、あたかもお告げのように感じられます。ビートルズのヒット曲イエスタデイはポール・マッカトニーが夢のなかで聞いたメロディとされますが、夢は意味のあるメッセージを伝えていると思います。アーユルヴェーダでは睡眠中の夢には心や脳を浄化する作用があると考えますが、不快な夢であれ恩恵をもたらしてくれるのでしょう。
欲しいものが消えていく
好ましい傾向ですが、年々欲しいものが消えていきます。数少ない趣味の自動車でさえ現在乗るフィアット以上の車はないと思っているのですが、先週米国で世界初公開されたフェアレディZは特別な存在です。世界中がカーボンニュートラルを目指すなか、電動化技術に背を向けたV6 3.0リッター405PSのツインターボエンジンと6速MTのFRスポーツカーを市場に出す日産の姿勢に共感しないわけにはいきません。ロングノーズ・ショートキャビンの伝統的なシルエットは初代S30型を彷彿とさせ、往年の240ZGや伝説の432の面影は当時の車好きにとっては手の届く夢のスポーツカーです。インストルメントパネル上の3連メーターも泣かせる演出ですが、何かの間違いでもなければ自分の車になることはないでしょう。わずか75psのフィアットでも700馬力超のフェラーリでも歓びを感じる時の神経伝達物質の分泌量は同じで、運転の楽しさは同じかせいぜい微細な差しかないからです。これはあらゆる商品に言え、朝採れの野菜とミシュラン星付きレストランの料理の美味しさも同じです。付加価値を乗せても人体の反応は同じであり、焦点をあわせるべきは商品ではなく自分の感覚でしょう。
自然は神秘にあふれている
普段は一人で山に入りますが、昨日は妻とラブラドールが一緒でした。八ヶ岳稜線の静かな樹林帯に来ると自分が戻るべき場所に戻ってきた安堵感があります。人間が感じる最も美しい風景は自然の中にあると思います。かつて建築家の隈研吾氏はスリランカの建築家ジェフリー・バワを評して「庭の建築家」と呼びました。そして建築の時代が終わり庭の時代が始まると言ったように、都市の時代が終わり森の時代が始まる気がします。生産手段を持たない都市が生み出せる唯一のものはお金ですが、その前提にあった集積と消費が機能不全を起こすと、人間が本来いるべき場所に戻る時代へと向かうのかもしれません。都市は麻薬的な刺激で人を魅了しますが、自然のなかで感じるフロー的な感覚も脳内の働きはおそらく同じだと思います。どちらも我を忘れ夢中にさせますが、違いはそれが外部から操られた結果か、内部から自然発生的に生まれるかです。都市という閉鎖空間における刺激は洗脳に近いものですが、山を走るときに感じるフローは異次元とつながる感覚です。都市に神秘を感じることはありませんが、自然はいつも神秘にあふれていると思います。
アナログ脳な車
フィアットが車検から帰ってきました。代車を借りておいて文句を言ってはいけないのですが、日本車の操作系は人間工学とは程遠い世界にあると思います。一見便利な液晶モニターは要らない機能満載で操作には慣れが必要で、一度だって快適だったためしがないオートエアコン、運転中は使わないはずの目的地設定ボタンが一番手元でエアコンボタンが最も遠いところにある間抜けなスイッチの配置、メーターパネルから独立して視線を移さないといけない位置の時計は太陽光で全く見えません。一方、フィアットの無骨な昔ながらのダイヤル式の空調スイッチは目をつぶっていても直感的に操作できます。瞬時に時間がわかるアナログ時計が今でも好まれるように、人間に適した操作系はデジタルよりアナログだと思います。人間がAIに勝てるのはアナログ脳と呼ばれる右脳ですが、フィアットはアナログ脳的な車であることに愛着がわきます。良い車の条件は愛着があり執着がないことだと思います。最小セグメントでこれより下がないフィアットはある意味突き抜けていて執着の対象になりません。
ダイエットの二つの誤解
できないときは絶望的なまでに困難に思えるのに、できてしまえば訳無く感じられるものがダイエットだと思います。あらゆるダイエットに失敗して絶望していたのに、20kg落ちた体重は最近さらに数kg落ち、以前は感じなかった子供のような身体感覚が戻ってきました。山を駆け下りるときに自分の身体を思うままに操る感覚は歓びをもたらします。ダイエットを難しくするのは二つの誤解だと思います。一つは世の中にはダイエット法があるとの誤解です。人体はそれぞれに個性的で、ダイエット法は自分で見つけるしかありません。もう一つの誤解は、食べ物や食べ方、運動などの生活習慣にこだわり過ぎることです。それらは結果でしか無く、一番大切なのは脳のプログラムのアップデートです。以前は糖質制限を人に勧めましたが、今は糖質制限を意識していません。他方で16時間以上食間をあける間欠的断食は糖質制限と同様の効果があり、本当の食欲を理解でき脳がアップデートされます。長寿遺伝子が活性化されて若返り、指導を受ける必要も器具も要らず、お金も時間もかからず今すぐ始められる点で最強だと思います。最大の障壁は、あまりに簡単過ぎて有り難みがないことと、理由をつけては変化を嫌う人間の習性かもしれません。
結局は今しかない
カブール国際空港の絶望的な光景は直視できません。一定年代以上は自分も含めサイゴン陥落を思い出しますが、戦後分割されることもなく、海という天然の要害に守られる日本の幸せを感じずにはいられません。46年前、南ベトナム大統領官邸に突入した最初の2台の戦車の1台である、ソ連製T54Bをハノイで見たとき以上にリアルな衝撃を受けます。一日の終わりに何事もなく床につき、再び朝を無事に迎えられる幸せに、このときばかりは感謝します。人間の最も愚かな資質は欲と執着に翻弄され自制なく心を暴走させることです。これに思考停止が加わり、脚色された二次情報と大本営発表を軽信し右往左往する社会を見ると絶望的になりますが、その感情がすでに執着でしょう。本質や真実を知りたいという欲求が無意味な執着なら、幸せになりたいという欲求も無駄に執着を生み、虚無を彷徨う人間がすべきことは、意識が鮮明な今を生きること以外になさそうです。世界情勢に無関心で良いわけでも、今さえ楽しければ良いわけでもありませんが、雑音を消す以外に自身が何かを知ることはできないのでしょう。
少ない食事で生きていける
台風により中止されたTJARは富山湾から日本アルプスを踏破して駿河湾に至る415kmを競う世界一過酷な山岳レースです。選手は約5万Kcalの途方もないエネルギーを消費すると言われ、これは男性の必要エネルギー量の23日分になりこれを数日で摂取することは不可能です。人体がなぜこのような離れ業が可能なのか、その体組成のメカニズムは解明されていません。TJARでは年々軽量化される装備品に注目が集まりますが、一番知りたいことは選手が何を補給したかです。自給自足にルール変更された今年はそのメカニズムを知る機会だっただけに残念です。狩猟採集生活における人類は一日20~40km程度の距離を走っていたとする説もありますが、人体は走るために最適化された肉体を持っていると思います。日本では古くから山岳修行が行われ、役行者が8世紀初頭に開いたとされる大峯奥駈道は吉野から熊野まで約170kmの山岳路を巡拝しながら生まれ変わろうとする擬死再生の修行を行いました。人体がこれほど大きなエネルギーを生み出せる謎が解明された時、われわれは今よりはるかに少ない食事で生きていけることに覚醒します。大半の人は歓迎しないでしょうが。
小さな車こそ魅力的
昨日は7年で14万キロ走ったフィアットを車検に出しました。現代の車はこの程度で壊れるはずもなく好調です。軽油で20km/L近く走る燃費といい、雪道での走破力といい、登山道にアクセスするときの小回りの良さといい、1.2Lと思えない加速感といい、世界中の大半の車に乗れる日本にあってもこれ以上に要求を満たしてくれる車が見当たりません。最小クラスの大衆車の強みは大量に作られ信頼性が高いことで、以前は多少高価な車に乗っていましたが、メーカーの勝手な論理で高付加価値化したギミックに限って壊れる腹立たしさを味わうこともありません。当面買い換えるつもりも予定もありませんが、買い換える必要が生じても候補車がないことは悩みです。余計な機能が付かない素の状態の4WDマニュアル車が好きなので、強いてあげれば同じフィアットのガソリンエンジン(ディーゼルはもう輸入されない)かN-VAN、ジムニーぐらいしかありません。制限速度で抑圧された日本の交通環境に適した小さな車体と小排気量の車は魅力的です。車に洗練や上質、ハイパワーなど求めていませんし、そうした車は際限ない執着を生みそうです。