備えあれば憂いなし

今の季節でも朝の3時を過ぎるとあたりが明るくなり始め、宿の前の江森山の穏やかな山容が闇に浮かびます。昨日は今年初めて甲子山に登りました。下界は穏やかな快晴ですが、1,549mの山頂付近では雹が降り始め次第に雪に変わりました。この稜線は6月や9月でも氷点下になり池が凍ります。普段から風が強く、天候が急変するために遭難が起こりやすい場所です。今年は雪解けが早いものの、それでも東北の山をあなどることがどれほど危険かは新甲子温泉に来てよく分かりました。自然への見積もりが甘いときに遭難は起きます。宿から程近い那須で、昨年起きた雪崩事故もその典型だと思います。慎重すぎるぐらいの判断と「備えあれば憂いなし」が自然と付き合う原則だと思います。

空気に無頓着な都会人

昨年より確実に早い新緑で、阿武隈源流のブナ原生林はまぶしい緑で満たされます。朝の4時になると朝霧のかかる渓流沿いの谷間に鳥たちの声が響き始めます。木々が最も酸素を浄化する日の出45分前に鳥が鳴き始めるという説は正しいようです。ひんやりした森の空気を吸い込むと、食べ物や水には気を使う都会人が、自分が吸い込む空気に無頓着なことが不思議に思えます。

写真はいつもの遊歩道で見つけたブナの巨木です。いままで見たブナのなかで最大級の木なのに、これまで気づかなかったのが不思議です。

情報公開で人は育つ?

連休後半に入った新甲子温泉は、雨音に心の落ち着く朝です。

ぼくは家庭における教育は日常会話だと考えていて、娘にはなるべく包み隠さず話すようにしてきました。仕事のこと、家計のこと、夫婦関係のことなど、なかには子供に話すには不適切とされる話題もあったと思います。それも含めて小学生の頃からざっくばらんに話してきましたが、何ら問題は起こらず、娘の社会を見る目が開かれたと思います。人を信用せず、情報操作をすることで組織のヒエラルキーを維持するような組織では人は育たないと思います。

写真は娘の留学するニュージーランド南島の人口1万人の街です。

普段の食事を高級料理に変える

4日間食事を抜いてみると、体に変化を起こります。すぐに分かるのはお通じが理想的な状態に戻り、最大の免疫器官である腸内環境が改善します。さらに大きな効果は、普段の食事が瞑想になることです。高級な料理を前にするとき、私たちはあれほど味わおうと集中をするのに、普段の食事は粗末に扱っています。食べることへの満足と感謝の気持ちが戻ってくるのは、断食の最大の効果だと思います。普段の食事が、労せずして高級料理に変わります。それ以外にもサーチュイン遺伝子の活性化など無自覚な体の改善も少なくありません。内臓器官が使われなくなるデメリットを指摘する意見もありますが、断食により得られるメリットに比べれば深刻なものではないと思います。日常を慈しむ生活に運動が加われば、体は理想の状態になります。

食べたくなるのを待つ

断食を始めて4日で3kg強痩せてやっと標準体重に戻りました。急激な減量はリバウンドのリスクがありますが、断食で脳が正常な感覚を取り戻すために食べ過ぎることがなくなります。以前旅館の営業許可を取るときもストレスで5日間何も食べられなくなり5kg痩せました。そのとき本能的に食べたいと思ったのはご飯と味噌汁、漬物で今食べたいものも同じです。一方で現代の外食産業はシズル感の魔力で脳に幻想を作り出し過剰な消費を迫ります。

「食べられない」ことをネガティブにとらえるのではなく、「食べたくなったら食べる」とポジティブに考えるだけで断食は快適なものになります。自分のなかの賢者の声が食べてよいタイミングを告げる時を待てばよいだけです。数日断食をしてみると食べることの大切さが理解でき、普段いかに味わうことなく乱暴に食事をしているかがわかります。現代社会は脳を狂わせる刺激で満ち溢れていると思います。

断食は日常習慣

胃の調子が優れず断食を始めて3日になります。ぼくが断食を始めたのは30年ほど前ですが、当時は苦行のようなものと考えていました。自分の内なる声に耳を傾ければ、数日の断食は苦もなくできるようになります。

隣で妻が黄金色に焼けたホットサンドイッチやカレーうどんを食べていると、その視覚情報、嗅覚情報は脳に伝わり食べたいと訴えますが、お腹のあたりにあるもうひとつの脳は食べたくないと主張します。前者は偽りの食欲であり、内なる敵です。過食に走る現代人の多くは、このメカニズムと感覚を理解できません。写真は昨日の朝、駒沢公園までジョギングをしたときに見つけたセブンイレブンのマルシェで、マンゴが4個100円など、傷みがあるにしても魅力的な価格です。

長距離レースの魔力

交友関係が狭いのか、昨日のフェイスブックのニュースフィードは、トレイルレースのUTMF/STYで埋め尽くされた感があります。1年半もトレイルレースから遠ざかり惰眠を貪っていた今のぼくには、肉体的にも精神的にも長距離レースは無理ですが、友人の奮闘を見ていると、スポーツへの情熱に火がつきます。過酷なレースは精神的、霊的な内面を呼び覚まし、肉体的な辛ささえも脳がポジティブな経験に書き換えてくれます。自分の可能性を追求する冒険的な生き方が幸福感を高めることを、多くの人が感じているのだと思います。

手紙の持つ魔力

昨日は留学する娘に荷物を発送しました。先生を通じて聞く現地校での娘の様子は、わずか3ヶ月前の頼りない姿からは想像ができません。手紙の文字からもその兆しは伺えます。家族や日本の友人との接触を絶ち、孤独のなかで自分を見つめ考え抜く経験をさせる、という教育方針の意味が今になって分かります。厳しい環境でこそ人は成長できると思います。慣れ親しんだ日本を離れ、異なる文化や未知の環境、困難な状況を逃げずにやりきることが大きな自信になるのでしょう。返信の手紙を書いていると、これほど本音で娘と向き合ったことがなかったことを思います。これは子供の成長だけではなく、親の成長でもあると思います。改めて手紙の持つ力を知りました。

情熱は伝染する

今朝はUTMF/STYに出る妻が早朝に家を出ました。富士山を巡る168㎞/92kmの長いトレイルの走破は自分自身を探求する旅だと思います。冬の間は運動をせず、すっかり贅肉がついてしまった今のぼくは、そこまで肉体と精神の限界を見極める覚悟はありません。多くのフェイスブック友達がこのレースに出ることに、どこか後ろめたさがあります。

昨日も日本工学院のスポーツカレッジに行き、運動をする学生と話していると体を動かしたくなります。幕末、明治維新の志士がごく狭い町内から出たように、情熱は伝染するものだと思います。

教育と運動が人生を成功させる

水曜日、木曜日の午前、午後は日本工学院で授業を持つ生活が始まりました。ぼくは元来人前で話すことが苦手で、異様に緊張する性格でしたが、いつからか人前で話すことが苦にならなくなりました。米国系コンサルティング会社で受けたプレゼンテーションの研修はひとつの転機だと思います。プレゼンテーションの基本は聴衆の聞きたいことを話すことです。学生が聞きたいことと、ぼくが話したいことがシンクロしたときに良い授業になると思います。授業をするメリットは、自身が勉強する機会が増えたこと、授業の日は一日一食生活が無理なくできること、体と頭を適度に使うのでよく寝られることなどです。写真は学生がウェイトトレーニングをケースに、「スポーツと偏見」という研究テーマを説明したものです。偏見をなくすことでスポーツ市場は拡大するという課題設定は筋が良いと思います。プラトンが言うように、教育と運動で頭と体を鍛えることが人生を成功させる手段だと思います。

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