一日一食生活が定着し、妻も二食になった結果ゴミの量が減りました。食べる量と廃棄量は比例するようで週二回の可燃ゴミにこれまでは45Lの袋がときには閉められないほどのゴミを捨てていましたが、今は3分の1程に減り袋を小さくしました。食べないことで物欲にも歯止めがかかりものを買わなくなりました。少食により健康でいられるだけで幸せを感じ、ものが欲しくなくなります。欲は満たされない何かを埋め合わせるための代償行為であり、不健康な心と体は際限なく欲を増殖させ人を苦しめます。欲の始まりが生存欲求であるために食欲の解放は長年正当化されてきました。しかし、食べるという行為には常習性があり、抑制が効かなくなり、有害物質を蓄積するリスクが高まり、さらに深刻なのは消化に酵素を奪われることで代謝を阻害することです。生き延びるための術を身につけた完璧なはずの人体は、生存本能というソフトのバグ、すなわち心の暴走と噛み合わないために不完全な性格を帯び、快楽と惰性の生活習慣を拒むことが難しくなります。少食という免罪符の利点は、食べる行為から一切の罪悪感を消し去ってくれることだと想います。
お知らせ
ライブで行う価値
昨日は日本工学院に行きました。ライブで行う対面授業などのリアルなコミュニケーションはすっかり贅沢品になった印象です。大半の学生がリモート授業で学び、組織人の一定割合がリモートワークをするようになった結果、リアルなコミュニケーションの負の側面が浮き彫りになったと思います。会議ばかりしていると揶揄されてきた日本企業にとってはその無駄が鮮明になり、一方で家族と過ごしながら働けることは、家を空けられない事情のある人にとっては朗報となりました。対面営業を原則禁止にする会社が出始めた数年前に感じた違和感は無くなり、「面談」と言えばZOOMで行うことに意味が変わりました。最も効率化されたのはセミナーに出る時間かもしれません。話がつまらなくても帰れないリアルのセミナーと違い、複数のセミナーを同時に聞きながら別の仕事ができ、アーカイブを随時圧縮して見られるYouTubeの普及はライブで行う価値を問い始めました。しかし、常に集団を形成してき人類にとって、非対面、非接触の効率的なコミュニケーションが引き起こす人体への影響が露見するのはこれからでしょう。
身体は少食に順応する
ダイエットの世界市場は22兆円強で、2027年に向けて10.5%以上の成長が見込まれると言います。大概の人はお金を払ってもリバウンドによりダイエット産業のリピーターになります。最も支持されるダイエット法はおそらく糖質制限ですが、多くの成功者がいる反面、それ以上の挫折者がいます。ダイエットが難しいのは身体が順応する前に欲求を抑えた反動でリバウンドするからです。糖質制限が人気なのは食欲を自然と減退させるためにリバウンドが起きにくいからと考えられます。それゆえ成功率も高く概ね半分の人はその劇的な効果を体感し、残りの人はおそらくその手順が間違っています。食事は生きるための要であり人生最大の関心事ですから、いかなる方法であれ慎重に進めなければ揺り戻しがあります。経験的には、①朝食から糖質を抜く、②朝食を抜く、③間食を止める、④昼食から糖質を抜く、⑤昼食を抜く、のステップなら失敗が少ないと思います。その理由は安全弁として夕食には一切の制限を設けないからです。しかし今はその夕食もそれほど食べなくても済みます。不思議なもので③あたりで標準体重に落ちた後は、⑥夕食の少食化まで進んでも体重は減りません。ミステリアスな身体の仕組みは少食に順応するのでしょう。
マイクロツーリズムは諸刃の剣
晴天の昨日は山には行かず近所を散歩しました。京都に行けば素晴らしい紅葉が見られますが、近所の静かなお寺も捨てたものではありません。ご近所旅行の最大の魅力はスーパーや菓子店などの店頭に並ぶ目玉商品だけをバーゲンハントする買い物ツアーです。普段行かない商店街を歩くと新しい店の発見があり脳も活性化します。空だったリユックには野菜や果物、菓子類など8kgが詰まり15kmも歩けばそれなりの運動にもなります。交通費もかからず排ガスも出さず、日光を浴びて無料でビタミンDを合成し、有酸素運動で脂肪を燃やし、静かな神社仏閣で心を落ち着け、バーゲン品のお土産まで買えて、これほどコスパの良いレジャーもないでしょう。お買い得品の野菜は旬のものであり身土不二の食材になります。遠くへ行けば移動の疲れや閉鎖環境での感染リスクがあり、散財して疲れに行くレジャーの虚しさを味わうことになります。移動時間がないので、読書や入浴にたっぷり時間が使え、豊かな休日になります。コロナ禍におけるホテル・旅館業界の切り札とされるマイクロツーリズムは、いわばご近所旅行であり業界にとっては諸刃の剣になりそうです。
快楽より快感
東京に暮らしながら福島や長野に移動することが多く自動車は必需品です。7年で15万km走って理解したのは小さい車は眠くならないことです。深夜早朝に走る長距離移動の大敵は睡魔ですが、挙動の鈍い大きな車より、リニアに運転感覚を伝える小さな車の方が長旅に適しています。4人の移動に過不足なかったかつてのミニが、今では存在感のある立派な車に進化したのは、車は大きいほど良いとの迷信が原因だと思います。大きくて安楽な車は疲れないと考えがちですが、運転していることを忘れるほど快適な以前の大きな車は眠くて仕方がありませんでした。旅館の軽トラックで一日に800km走ったときもたいして疲れなかったのが印象的です。今のフィアットは軽自動車並の大きさですが、運転そのものから得る内発的な快感は、快適な装備を持つ大型高級車の外発的な快楽に勝ります。食事を減らすと日常の食事が快感になるように、よりストイックな環境に身を置く方が人は感受性を高め、逆に快楽に身を委ねるほど感じる能力が低下していくと思います。
高次の自分が諭す
昨日は丹沢山系最高峰の蛭ヶ岳(1,672.7m)に登りました。東京から雰囲気のある山に登って昼過ぎに戻れる立地は魅力的です。一方で複数のトレラン友達が100kmレースに出ている週末に軟弱なトレッキングに興じていると罪悪感を覚えます。同じ山を舞台にしながらレースとトレッキングは真逆の性質で、前者が自分を奮い立たせるドーパミン系の挑戦なら、後者は自分を守るセロトニン系の癒やしと安らぎです。自分の人生に必要なものを3つ上げるなら、静寂な寝床と肩までつかれるお風呂、それに落ち葉が敷き詰められた広葉樹の森の極上のトレイルでしょう。どれも甲乙つけ難く大切ですが、最も幸せを感じるのは美しいトレイルを森の香りを深く吸い込みながら走って下る時間です。それを超えるものは人生の虚飾であることに気づかず、一歩も前に進まないトレッドミルを高速回転させるために無駄な努力と時間を費やしてきました。レースであれトレッキングであれ、山で過ごす時間が貴重なのは、何が本当に大切であるかを高次の自分が諭すからだと思います。
この世は劇場そのもの
「ヒトラーは英国スパイだった!」を読みました。第二次世界大戦は闇の国際権力が策謀した巨大ビジネスだった、との主張はその界隈では目新しい話ではなくいくつかの事実とも符号します。コロナ禍の重苦しさに拍車をかけるように陰謀関連の書籍が増えたように感じますが、純粋な娯楽というよりは後味の悪い不気味な本です。事実を歪曲した妄想とも、類推の先に成り立つ仮説とも取れますが、世間にとっては受け入れがたい反面、反証する材料もありません。多くの本はどこかに希望を見い出すことができますが、虚無的な人間を自称する医師の内海聡氏の突き放した解説も含め、平和ボケした日本人にはちょうど良い刺激かもしれません。この本が上下巻の大作になる理由は、現代に至る大半の事件や災害が悪意を帯びたものであり、この世は劇場そのものであることを説得するためです。大勢を対象とした壮大な嘘ほど気づかれないことは確かであり、第二次世界大戦こそがその舞台にふさわしいのでしょう。重要なことはこの主張への賛否ではなく、人の意見を鵜呑みにせず自分の頭で判断し、自分はどう生きたいのかに思い至ることでしょう。
現代栄養学はデマ?
体の快調さを求めていくと当面たどり着いたのは一日一食生活です。二食にすると三食が、一食にすると二食が体の負担になり、少なくとも三食の生活に戻ることはないでしょう。一食生活にすると冷蔵庫の食材がなかなか減らず、買い物頻度とゴミは減り、時間とお金は増え、運動をしても体は快調でデメリットを見出すことができません。間食も無くなり時々行う短期の断食も含めて食べる量は以前の5分の1程度になる計算です。三食30品目などと言っていた現代栄養学はデマにしか思えません。断食には一定の危険性が伴いますが、エビデンスが出揃った今となっては少食を真正面から否定する意見は聞かれません。欲を満たす消費こそが幸せであると信じ込ませる壮大なプロパガンダは、富を一部に集中させ続けます。対象物のある幸せは偽りであり、依存が最終的にわれわれから自由を奪います。浪費する金のために身をすり減らす愚かさは、数千年を超えて存在する記念物に巨費を投じた古代人の意識には遠く及ばないでしょう。歴史の真実は想像以上にミステリアスであり、非科学的という思考は人類の知識を過大評価し自分の限界を示していると思います。
ブランド品より山道具
3年ほど仕事に使ったノースフェイスのリュックが壊れ買い換えることにしました。ヘビーデューティーなイメージを訴求する割には、一見頑丈そうなショルダーストラップの半分ほどが本体から千切れているのを見ると興ざめです。基幹部品やつまらない機能が壊れるポルシェやレンジローバーより、今乗るフィアットのエントリーモデルのほうが高い信頼性と雪道走破性を持つように、ブランドに払ったお金は機能ではなくブランドプレミアムのために消えます。ブランド品が楽しいのは買うまでで、使う時には大した感動も生まず、失望だけが残ります。他方、物持ちは良い方で、毎日使う食器は29年、自転車に至っては32年使っており、機能性だけで選ぶのも味気がありません。選んだのは縦走用に使うザックと同じメーカーが作るパソコンが入るリュックです。生死に関わる山道具は壊れることが許されませんので、ファッションに走るブランド品より普段使う山道具の方が信用できます。ブランド消費という狂気は有効な洗脳道具となり、稼いでは使うヘドニックトレッドミルから人は降りられなくなるのでしょう。
人生は小さな奇跡の連続
仕事をするときにYouTubeのヒーリングミュージックをよく流します。なかには数千万回再生されたものもあり、世界がいかに癒やしを求めているかが分かります。色々な番組を試しますが視聴者のコメントを読むことが好きです。コメントを投稿する人々の純粋で優しい気持ちが印象的ですが、一方で気になるのは長年連れ添った夫へのやるせない憎悪が渦巻いていることです。健康の維持に必要なのは心を浄化し、慈悲深く、惑わすものを見抜き、同時に素直で感謝することでしょう。文明進歩と産業化により人間の意識がエゴやモノ優先の考えに支配され、それは全地球を破滅に向かわせているように見えます。悩みや苦難が増え、誘惑と中毒が研ぎ澄まされた感覚を心から奪います。悪い環境で生活をしていると意識レベルが低下し、逆に宇宙の理に従うなら何事もうまく運ぶのでしょう。思えば叶うとか、引き寄せの法則など、売るための宣伝文句かインチキだと思っていました。しかし、われわれの深い潜在意識には超常的な力が働き、自分の人生が小さな奇跡の連続であることは見落とされていると思います。