春が近づくのは名残惜しい

今日からは日の出時刻が早くなり始め春に向かう感覚が始まります。寒さは続きますが、年末から延び始めた日没時刻や日照時間に加え、日の出時刻が早くなると寒さに伴う悲壮感は消えて行きます。結局今年も来客時以外に我が家の暖房機が動くことはなく、それも4台あるうちの1台のみです。人類史は空腹と寒さとの戦いで、この環境下で獲得した倹約遺伝子のおかげでわれわれはほとんど食べずに体に脂肪を蓄積することができます。脂肪は空腹時のエネルギーとなり寒さから身を守る熱源にもなるサバイバルシステムですが、飽食時代の現代人にとってはありがた迷惑になります。ゲノムに変化が生じ、脂肪を蓄積せよとの倹約遺伝子の指示を無視するには今後4万年から7万年程かかるとされますので、現生人類においても飢餓や寒さの環境で生きることがデフォルトです。飢餓時代を生き抜いた末裔である我々が空腹時間を多くすることで生命力を高めるように、氷河期を経験した祖先の血を受ける現代人も寒さに対する防御反応が生命力を高めます。そう考えると春が近づくのは名残惜しい気がします。

自分のなかのゲーム理論

年初の目標は不健康な生活習慣を改めることで、迷ったときには健康的でアグレッシブな選択を心がけます。リスクの高い食品を排除して運動量を増やすだけですが、簡単ではありません。毎日16時間以上固形物を摂らないとか、GI値の高い食品を後で食べるといったことは自身も心地よいのですが、食べだしたお菓子を途中で止めるとか、電車内で疲れているときに空いた目の前の席に座るかどうかは迷います。基準を明確にすると迷いが消えると言いますがそう単純でもありません。健康と欲望はトレードオフの関係にあり、迷いの原因は現在価値の見積もり方にかかっていると考えられます。目の前の美味しそうなジャンクフードで胃袋を満たすことと、将来生活習慣病で病に伏せることの判断はそれ自体がストレスです。食べ物の美味しさは味覚、嗅覚だけではなく、実際には脳の影響が大きく、満たされた気持ちで食べることは健康の秘訣でしょう。進むべき未来が今の自分にとっても心地よいと感じる第六感を研ぎ澄ますことしか、自分のなかのゲーム理論に答はないのかもしれません。

身体は信念に応える

昨日は近所の日大文理学部で世田谷区の成人の集いがあり見に行きました。英国にいて出席できない娘の保育園時代の友人と十数年ぶりに会いましたが、両親同伴でなければ気づくはずもありません。娘が生まれたときは成人式の時の自分の年齢を考えぞっとしたことを思い出します。年を取れば身体が衰えると当時は信じていましたが、今はその悲観的な信念が必ずしも正しくないと思います。現実を認めたくない単なる思い込みではなく、中年を過ぎて運動を始めたことが幸いしてか、ある種の運動能力は当時より高く、おそらく健康的です。保育園時代の友達の両親も当時と変わらず、先週も会っていたような不思議な感覚にとらわれます。人体の細胞には必ずしもヘイフリック限界が存在せず、テロメラーゼの発見によりわれわれがそこに介入しテロメアの長さを伸ばせることが分かってきたのは最近の話です。自分の成人式の記憶は曖昧ですが、そこから一回りして娘が生まれ、さらに一回りした今、昔に戻りたいとは思いません。さらに一回りか二回りしても今が最高と思える信念があれば身体はそれに応えるのでしょう。

不自由な満ち足りた時

晴天に恵まれた三連休は3日とも山に入りました。本格的な冬山装備のつわ者とすれ違い、自分のようにおもちゃのようなチェーンスパイクで来る人などいません。山ではどんなことが起きても自力で下山するセルフレスキューが前提ですので軽装備でも体調と天候には細心の注意を払います。身軽な装備で山に入るメリットは荷物の重さを気にせず自然と一体化できることだと思います。美しい樹林帯をただ歩くだけで自分が完全な存在に思えます。欲望も執着も消えていくのは自然のリズムと人体がシンクロするからでしょう。一方で、数千年の歴史のある都市は未だに人体との相性が悪く、経済価値を生むための商業空間は人を決して満たしません。欠乏を埋めるための欲望が次々と沸き起こり、永遠にお金を使い続けるライフスタイルは生活習慣病という次の金脈を生み出します。稼いでは使う巨大な罠にはまると、大切でないものを手に入れるために大切なものを失います。薪ストーブの火を眺めながら煮込み料理をしていると、贅沢や洗練とは無縁の不自由な生活に満ち足りた時を感じます。

トレイルランニングはウィンタースポーツ

昨日は絶好の山日和で西岳、編笠山に登りました。編笠山の山頂は快晴無風で北アルプス、御嶽山、中央アルプス、南アルプスがこれほどはっきりと見渡せる日は今の季節だけです。まだ暗い時間に氷点下12度の屋外に出て行くのは躊躇もしますが、いかなる犠牲を払ってでも来て良かったと思えます。しかし本当の喜びは何と言っても下りのスノーランです。走ることを想定していないのかチェーンスパイクは1シーズン限りの消耗品になりますが、森を抜けて雪の積もったトレイルを駆け下りる快感は比べるものが見当たりません。ゆっくり走るとセロトニンが分泌されるような多幸感に包まれ、スピードを上げると新雪ならスキーのように滑らせることもでき板がないので素早いターンができます。最近スキーに食指が動かないのは、中級スキーヤーにとってはむしろスノーランの方がダイナミックなダウンヒルが楽しめるからかもしれません。下りが楽しいトレイルランニングは、実はウィンタースポーツだったのだと思います。走ることは自由の証であり、いかなる季節より雪のシーズンがダントツに楽しく、永遠の今を生きている!という気分にさえなります。

上りも下りもかけがえのない時間

昨日は八ヶ岳の編笠山に登りました。氷点下8度の登山口から参道のような九十九折を登っていくと神聖な気持ちになります。突然ドーンという音とともに森の静寂を破って一陣の風が吹き抜けます。夏なら子供でも登れる気楽な山ですが、強風で知られる冬季は登山届が必要な難所であり、樹林帯で引き返すことにしました。快晴であっても山は突然牙を剥き人間の弱さを教えてくれます。我々の住む世界は自然と人工的な都市に分けられ、一人で山に入ると意識は自分の内面に向かいますが、都市においては外界にばかり目を奪われやがて無自覚になります。都市の先にあるものがメタバースなら、そこは人間の意識の自律性を支配された牢獄に見えます。一方で自然の先にあるものが超自然ならそこには次元を超える無限の可能性の世界でしょう。紀元前から知られるように、自然から離れるほど人は自分を見失い健康を損ないます。そんなことを考える内省の登りと打って変わって、下りはスノーランの楽しさに没頭できます。雪のついた登山道は上りも下りもかけがえのない時間を与えてくれます。

最も安全な資産は自分

年賀状をもらうとちらほらとリタイアの声を聞くようになりました。組織人は再雇用などで65歳ぐらいまで働き、70歳を超えて働く人も少なくありません。リタイア世代のライフスタイルは概ねのんびり派9割、生涯現役派1割という印象です。両者の違いは主に現役時代の仕事観によるもので、前者は極論すると労働を罰と捉えそこから放免されてのんびりしたいと考えるのだと思います。生涯現役でありたいのは、群れで命をつないできた人類はそれぞれが役割を持ち、それを果たせなくなるときに死が訪れるのは自然の摂理だからです。もう一つの理由は働かないことのリスクが、今後の世界では高いと考えるからです。世界ではインフレへの懸念が広がり、かつての日本でも預金封鎖が行われたことを考えると、老後はこの程度の資産があれば大丈夫、というリタイアメント・プランニングを軽信する気にはなりません。何より自由を謳歌できるはずの第二第三の人生を人の世話になることは不幸です。死ぬ時に最も多くの資産を持つと揶揄されるほど心配性の日本人ですが、最も安全性の高い資産は健康でいつまでも働ける自分の身体だと思います。

寒さや空腹は役に立つ

寒の入りを過ぎ一年で最も寒い時期を迎え、早朝近所の畑には霜が降ります。半地下にある我が家は外気の影響を受けにくく、一年を通じてエアコンをほとんど使いませんので、今の時期は家に居ても厚着をします。人類史は寒さと空腹との戦いであり、その末裔の現代人も寒さや空腹を忌み嫌います。寒さや空腹に伴うストレスホルモンによって注意力が外界に向かうのは、人類進化により身につけたサバイバルシステムがあるからです。外界の危機に直面するとアドレナリンやコルチゾールといった化学物質が体内に放出され、サバイバルモードに入ると人は自らが助かることにしか意識が及ばなくなります。寒さや空腹から逃れることにしか思考が行かなくなり、暖を取りたい、空腹を癒やしたいという感情を呼び起こします。しかし素晴らしく良くできた人体は、寒さや飢餓といった生命を危機に陥れる状態において生命力を高めるように作られていて、寒さにより人体の発電機であるミトコンドリアは活性し、空腹により長寿遺伝子が動き始めます。今しか経験できない寒さや空腹は避けるものではなく、むしろ積極的に健康のために活用すべきでしょう。

人生はやり直せる

日曜日に八ヶ岳に登り、腿まで沈む雪を踏み分けて稜線を進んだためか、久しぶりに筋肉痛が戻ってきました。考えてみると1ヶ月以上身体を動かしていません。コロナ禍一年目の2020年は早朝の西岳(2,398m)に42回登ったのは東京を離れる時間が長かったからです。昨年は12回しか?登っていないのは結局東京中心の生活に戻ったからです。生活が日常を取り戻すことは喜ぶべきですが、やればできるリモートワークも馴染みの働き方に戻るのかもしれません。フェイスブックを見ると、あの人もこの人も都市を離れる移住ブームが起きていると錯覚しますが、頂いた年賀状を見ると地方に拠点を移したという人はほぼ皆無です。自分のまわりの人を乱暴に分類すると都会の生活を続ける人が90%、複数拠点生活をする人が5%、たまには都心に出られる郊外居住を含み拠点を移す人が5%という感覚です。仮に1割が都市信仰に見切りをつけるにしてもこれは令和の民族大移動ですし、潜在層はさらに多いと思います。現代人が受ける最大の恩恵が第二、第三の人生をやり直せることなら、この比率はさらに上がって行くのでしょう。

気にせず、依存せず、自分でする

昨日は妻の実家に行きました。今年90歳になる義父は30数年前に結婚の挨拶に行ったときとさして印象が変わらず、高齢者という言葉があてはまりません。妻に先立たれた男性は短命であることが知られますが、13年前に義母が亡くなったあとも、人に依存せず何でも自分で行います。今でもお酒を楽しみ、以前は喫煙もしており健康のためにストイックな生活をするわけでもありません。昨日出された調味料は賞味期限を7年も過ぎているぐらいですから、細かいことを気にせず、誰にも依存せず、何でも自分ですることが健康な生活を送る秘訣かもしれません。天然で鷹揚で素のままに生きる父を見ていると、検診結果に一喜一憂するのも、健康に良いか悪いかで全てを判断するのも、アンチエイジングのための出費を惜しまないのも、全てが不健康な執着に見えます。人の手を煩わすことが一切なく、子供にとっては理想の父ですが、「もう年だから」などと弱音を吐けば、その依存心が自らの自由と生命力を奪うことになります。新年は誰しも年を一つ重ねることを意識しますが、父の生き方を見習い、精神的老化を防ぐ挑戦の一年にしたいと思います。

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