階段の健康効果

2年前に地下住戸に引っ越して以来30年ぶりに屋内階段のある生活になりました。住宅のなかではわき役の存在ですが、単に地下と1階をつなぐ動線というだけでなく、居ながらにして体を動かし、チェックする貴重な空間だと思います。地下のリビングにいる時間が長いのですが、自室のある1階との間を行き来する回数が多く一定の運動になります。ロンドンバスの運転手と車掌を比較すると、バスの1、2階を往復して運動量の多い車掌は、運転手より冠動脈疾患の発生率が3割少ないという研究があります。動かす筋肉を意識することで、ホテルのメイドさんのような清掃の仕事が体を健康にすることも示されています。運動に加え、寝起きに階段を下る際の筋肉の複雑な動きのスムーズさを見ることで睡眠の質を知ることもでき、階段の健康効果にはもっと注目すべきかもしれません。

炊飯器もブランド米もいらない

我が家では玄米、白米、もち米の3種類を食べていますが、最近のトピックはメスティンで炊く白米の美味しさです。メスティンはキャンパー定番のクッカーで、ダイソーなら500円で買えますが、短時間で簡単に炊ける上に高性能炊飯器もブランド米もいらないほどの美味しさです。元々は軍用のブリキ飯盒ですが、iPhoneほどの面積しかないこの万能調理器は密閉力が高く、熱伝導が良く、熱ムラを最小限に抑え、あらゆる方向から加熱できます。煮る、蒸す、揚げる、炒める以外にオーブンに入れればグラタン皿になり燻製まで作れて、おかずをのせれば、そのまま弁当箱として持って行ける美点もあります。昔から好きな赤飯や味わい深い玄米の陰に隠れて、我が家では長年わき役だった白米ですが、短時間でむらなくふっくらと仕上がる炊き方革命により突然スターに躍り出た印象です。

ワンルームこそ理想の間取?

海外の狭小住宅のYouTubeを見ていて不思議なのは、同じ面積の日本の住宅よりも住みやすそうなことです。同じ20㎡でもユニットバスとワードローブの間のデッドスペースを持たない海外のホテルの客室を広く感じるのと同じ理由だと思います。その原因は廊下の存在でしょう。戦後、日本の住宅の間取りは玄関から伸びる中廊下を中心にドアを隔てて個室を作り、中廊下は家の風通しと太陽光を分断し、〇LDKといった個人空間の確保により家庭内別居をもたらしました。廊下の最小化を考慮した我が家の間取は、引き戸で居室を区切った結果以前の日本家屋のような巨大なワンルームになり、玄関は階段の踊り場と自転車置き場を兼ねます。壁により分断をするドアではなく、動く壁である引き戸による空間の可変化こそ究極の省スペースであり、家庭内の「つかずはなれず」を実現すると思います。

食欲は自作自演

外出する日は食事のことを忘れますが、家でのんびりしていると何かを食べたいといった雑念が生じます。考えただけで急に食欲が芽生えることを見ると、食欲は自然の摂理ではなく自作自演の欲求でしょう。昨日も散歩に遠出したついでにパンを買ってしまい昼食に食べた後、普段は感じない種類の空腹を夕食時に覚え、小麦が人を栽培しているという比喩はあながち間違いではないと思います。元々は毒を見分けるために発達した味覚ですが、安全な食糧を調達できるようになった現代人は、それを快楽のために使うようになりました。快楽は神経伝達物質の分泌と受容体の感度によりもたらされ、普段の食事と、高級な飲食店で食べたときとの違いにたいした差はありません。われわれが感じる食べる喜びは、味覚によってもたらされるのではなく、低血糖と演出による一種の自己洗脳なのでしょう。

小さな自然の世界

近所ではバラを咲かせる家が増え、至るところで甘い香りに包まれます。花が咲き誇る場所は高いエネルギーを帯び、近くに行くだけで生命力が高まり、肯定的になり幸せを感じます。木や花と日々接する植木職人は7年長生きという研究もあり、土に親しむような暮らしが健康にプラスであることは確かでしょう。戸建住宅に住んでいたときは庭の手入れなど全くせず荒れるに任せていましたが、集合住宅になり、土に触れる場所が小さな花壇だけになると、ハーブを植えるようになり、ラベンダーなどが咲くその場所は我が家のパワースポットになっています。空腹時の食事が美味しいように、土が希少になることで五感が高まり、猫の額ほどのハーブガーデンに小さな自然の世界を見出します。物理空間はあくまでも相対的なものであり、自分の心によって現実世界を書き換えることは可能なのでしょう。

悪魔のルール

ゴールデンウイークは高速道路も例年ほど込まず、期待した反動消費は控えめだったようですが、他方で一部地域の宿泊施設は驚くような高値になっていました。昔は高値で売られる商品に憧れましたが、今は高い商品を見ると興ざめします。高価格になるほど執着の双六が始まり、事業者が意図したゲームから降りられなくなるからです。より積極的な理由は、消費を減らしたほうが人に邪魔されない自分だけの時間が増えることです。値段は実のところ、需給関係で決まるのではなく、供給側が打ち込んだアンカーによって決まると思います。悪魔のルールを知っている商売人はアンカーの打ち方がうまく、値段が上がると客は価値も上がったと錯覚し高い価格設定について行きます。非日常的演出が好まれるのはお金を取りやすいからですが、何気ない日常を充実させることがむしろ価値は高いと感じます。

外界は自分を幸せにしない

昨夜は寝ようとしていた時間に帰宅した妻がアイスクリームを買って帰り、反射的に食べてしまいます。大半の刹那的快楽が健康に悪いのは、遠い祖先の時代と現代があまりに環境が違うのに、脳がアップデートされていないからです。かつては糖質にありつく機会が乏しく、それを燃焼効率の高い脂肪に変換するのは生き残り戦略でしたが、いくらでも糖質にありつける現代は体脂肪率の上昇が命を脅かします。麻薬的快楽に人は順応し、さらに欲求をエスカレートさせます。多くの産業は脳がホルモンレベルで感じる現在快楽型の性格を利用して、さらに強い刺激で消費者を欲望に溺れさせることで成立します。ガンジーが大罪とした「良心なき快楽」から逃れるには、現代が常に快楽体験の記憶を他人に刷り込まれ、外界の何物も自分を幸せにしないという幻想を見抜く必要があるのでしょう。

一食と二食を行き来する

最近は一日1.5食生活ですが、外出をする日は一日一食です。一食の日は二食の日より食事が美味しく、期待値も満足度も高まり、回数を減らすほど食事が貴重になり丁寧に食べます。三食をきちんと摂ることが奨励されてきましたが、少なくとも更年期を過ぎてからの三食は過食で、気分や体調に応じて一食と二食の間を行き来する食生活が気に入っています。美味しいモノを食べたい欲求は誰しも持ちますが、美食追求の問題は食べる対象をスタティックにとらえ、執着を自分で作り出すことにあると思います。美味しさへの影響は食べる自分側の問題で、何でもおいしく食べられる空腹状況を作り出し、不味いと感じなければ不幸になる回数が減ります。料理や店へのこだわりを煽るグルメ志向が見落としているのは、五感を研ぎ澄ますことにより、美味しさという官能評価能力を高めることだと思います。

シルクのシーツは要らない

お金を使わずに生きることは不可能ですが、屋外で体を動かすことが趣味なら、消費の枠組みの外で楽しむことは工夫次第だと思います。連休中はガソリン代や買い物に1万5千円ほど使いましたが、その範囲で食事をして4日ほどトレッキングに行きました。商業主義の誘惑に免疫ができたのか受容体が欠如したのか、外食や外泊の誘惑に不感症になり、これで十分と思えば不満も欲望も消えて行きます。前日ベッドに入った記憶がないほど寝落ちが早いので、スレッドカウント1500のシルクのようなシーツも要りません。他方で月曜日に打ち合わせに行ったコメダ珈琲で、無料のトーストを提示されると貧乏性で食べてしまいます。朝食にトーストという最も避けたい悪夢のメニューでさえその魔力に抗うことは難しく、食べなければ損という本能が食欲の記憶を呼び覚ますのでしょう。

コスパ思考を崩す機会損失

昨日は白河と仙台で打ち合わせがありました。せっかく福島や宮城まで来たし往復800kmの運転は疲れるからと、以前なら那須湯本温泉あたりの源泉かけ流しのコスパの良い宿に泊まりました。ここでのパフォーマンスは、硫黄泉+過不足ない部屋+旅の風情、の付加価値を示しますが、この計算式には自宅にいれば本来得られた価値の機会損失を割り引く必要があると思います。1、2分で気絶するようにぐっすり眠れる自宅以外の場所にあえて泊まる理由を見出せなくなりました。これは外食をほとんどしなくなった理由と同じで、食べ物の安全性リスク、店で不快な思いをするリスク、食後の余韻を楽しめない機会損失を考えると、外食も外泊もあえてリスクを取ってまで面倒なことにお金を払う理由を見出せなくなりました。ステイホームのトレンドが長引き、市場は元には戻らない気がします。

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