高次の自分が諭す

昨日は丹沢山系最高峰の蛭ヶ岳(1,672.7m)に登りました。東京から雰囲気のある山に登って昼過ぎに戻れる立地は魅力的です。一方で複数のトレラン友達が100kmレースに出ている週末に軟弱なトレッキングに興じていると罪悪感を覚えます。同じ山を舞台にしながらレースとトレッキングは真逆の性質で、前者が自分を奮い立たせるドーパミン系の挑戦なら、後者は自分を守るセロトニン系の癒やしと安らぎです。自分の人生に必要なものを3つ上げるなら、静寂な寝床と肩までつかれるお風呂、それに落ち葉が敷き詰められた広葉樹の森の極上のトレイルでしょう。どれも甲乙つけ難く大切ですが、最も幸せを感じるのは美しいトレイルを森の香りを深く吸い込みながら走って下る時間です。それを超えるものは人生の虚飾であることに気づかず、一歩も前に進まないトレッドミルを高速回転させるために無駄な努力と時間を費やしてきました。レースであれトレッキングであれ、山で過ごす時間が貴重なのは、何が本当に大切であるかを高次の自分が諭すからだと思います。

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