週末は白州の友人宅で自家栽培の野菜や果物を収穫させてもらい、妻の実家では200ほどの柿をもらいました。収穫中に畑で食べるトマトの甘さは格別で、高級店の食事同様に贅沢です。自然の近くで食糧を確保する暮らしは、健康的で最高の贅沢だと思います。見上げるほどの巨木になったサルナシの実は、甘いキウイそのものでまさに自然の恵みです。狩猟採集時代のように、手を加えない原初的な食事が豊かに感じられるのは、現代の食生活が虚飾にまみれているからでしょう。人類は100万年以上昔から料理に火を使い、長い腸が不要になり、腸に回していた血液を脳にまわすことで知性を進化させました。一方で調理の代償として、食物酵素の不足などにより病気が増え、消化力と病原菌に対する抵抗力が低下したとされます。畑の懐かしい香りをかいでいると、現代的な贅沢の魅力が色あせ、体が快調なら何もいらないと思えます。
年: 2023年
極限状況で何を思うのか
連休初日の7日朝、栃木県那須町にある朝日岳登山道付近で、4人が死亡する山岳事故が起きました。突風が抜けることで知られる、以前はよく歩いた場所です。峠の茶屋駐車場からわずかな距離で朝日岳に登れ、よく整備される人気の登山道ですが、天候が荒れるとまともに立つこともできません。旅館があった阿武隈源流沿いの渓谷でも那須おろしと呼ばれる突風が抜け、あまりの強風に夜中に宿泊の方が帰ってしまうほどでした。よく登った早朝の甲子山でも、会津側から山沿いに昇ってきた雲が、自動車の風洞実験のように凄い勢いで白河側に抜けていくのが見られます。付近は今回の事故と同じ稜線にあり、1955年5月29日には白河高校山岳部の6名が死亡する痛ましい遭難事故が起きました。小説「疲労凍死」のモデルになったこの現場で自身も遭難しかけたことがあり、極限状況で最後まで生きようとするとき人は何を思うのかを考えます。
脂肪を燃やす自前の暖房
寝苦しい季節から布団の温もりが恋しい季節になり、長野県に来ると薪ストーブが必要になります。山に行く朝、肌寒く雲行きが怪しいと、暖かい布団からも家からも出たくなくなります。しかし早朝の森を登り始めるとそんな躊躇など吹き飛び、小一時間もすると脂肪を燃やす自前の暖房で身体が暖まり始め、豊かな気持ちになります。登山道から人の姿が減る、冬の山歩き以上のリトリートはありません。下山後に、ほぼオフグリッド、ほぼ自給自足で暮らすお宅に伺い、懐かしい野菜畑の香りをかぎながら収穫をすると、やすらぎと豊かさを感じます。自らが生産に関わる節度ある暮らしこそが生きていることの豊かさなのであって、人と比べるために不用品を買い集める限り、安らぎの時間は得られないのでしょう。豊かさの呪いが欲望を増殖させ、人々を自然から遠ざけ、生きる目的さえも奪ったような気がします。
普段使いの紀ノ國屋
マスメディアで取り上げられる北杜市のローカルスーパーひまわり市場に行きました。店の魅力を一言で表すなら、普段使いの紀ノ國屋スーパーという感じです。全国から集めたこだわり商品によるワクワク感と安さの魅力を兼ね備えた店舗はまれです。バナナは500円か98円の二択という割り切りは、両者の違いを鮮明にします。独自の戦略を打つのは、八ヶ岳山麓にあるスーパーは東京ナンバーの客が大量に買う特殊な市場であることと、幹線道路からはずれた不便な立地にあるからでしょう。秀逸なインストアマーチャンダイジングと仕入力、店内放送のマイクを離さない社長のリーダーシップあっての店ですが、「仕入れ担当者〇〇さん仕入れ過ぎコーナー」など見切り品も豊富で、おそらくあえて多めに仕入れることも魅力を高めます。生産者と消費者をつなぐメディアとして、客を高揚させ行きたいと思わせるツボを押さえた店は参考になります。
夏と冬を同時に体験できる
昨日はラブラドールと西岳を経由して権現岳に向かう狼煙場まで行きました。麓では夏を思わせるトリカブトが咲き、頂上付近では霜柱が降り、水場では水溜まりが凍っています。早朝の気温は冬の風情なのに、景色は紅葉以前という不思議な感覚です。夏から一足飛びに冬に季節が移るだけではなく、急峻な山脈に恵まれる日本は、夏と冬を同時に体験できる場所になったのかもしれません。これをネガティブにとらえるのであれば暑い寒いという生理的な不満になりますが、水深1,000メートルの富山湾から標高3,000mの立山連峰までのわずかな距離に標高差4,000メートルを生む雄大な自然を、富山県がアピールするように、アドベンチャーツーリズムなどに活かす方法がありそうです。下山途中には、これから赤岳に向かうというラブラドールと会いましたが、犬との山旅も格別で、日本の山の観光ポテンシャルは過小評価されてきたと思います。
根源的な価値を思い出す冬
酷暑が終わりほっとする間もなく、今度は厳しい寒さがやってきます。冬は日照不足による鬱が増えるなど暗いイメージがありますが、他方で幸せを感じやすい季節だと思います。人類の生存を脅かしてきたのが寒さと飢えという二大脅威のため、人は寒さを嫌います。しかし、お風呂や布団に入ったときの温もりが、思わず声を上げてしまうほど心地良く、しみじみと幸せを感じます。空腹なら粗食でも有難く、暗闇なら一筋の炎に魅せられ、辛い境遇にあれば人の善意に救われるように、マイナスの境遇は幸せを感じるチャンスなのかもしれません。自然環境の厳しい北欧などの高緯度地域が、国連の世界幸福度調査上位の常連なのもそれが理由の一つでしょう。プラスをしていく付加価値生産が支配する社会にわれわれは慣れていますが、マイナスをゼロに戻す根源的な価値を思い出させてくれるのが冬なのだと思います。
炎のゆらぎを楽しむだけ
昨日は日本工学院に向かう途中で初冠雪の富士山を見ました。夏の猛暑から、秋を通り越して冬が突然来た印象です。夏に向かう季節がドーパミン、アドレナリン系の開放感なら、冬にはセロトニン、オキシトシン型のしみじみとする喜びがあります。冬を越すために、自然が様々な恵みを用意し脂肪を蓄える収穫の季節は、一年で最も豊かな時と言えるかもしれません。秋から冬に移る季節の山歩きは、もっともセロトニンが分泌すると思います。ふかふかの落ち葉を踏んで歩く晩秋のトレイルは、冬になると新雪に覆われ極上の散歩道が出現します。自然のなかで過ごすと、歩くだけで幸せになれますが、自然から遠ざかり始めた人類には、その代償に産業として生み出されたドーパミン的な消費が必要になるのだと思います。薪ストーブの炎のゆらぎを楽しむだけで満たされる時間が、都会にはない気がします。
辛い時期は成長期
10月に入り異動の季節になると配置転換や昇進、退職などの知らせが届きます。キャリア・トランジションは結婚などのライフイベントと同様に人生の転機であり、同時に成長の機会です。3度の転職はどれも自分を成長させてくれましたが、一番辛くて最も短期間で成長したのは、外資系コンサルに移った最初の転職です。ここで得たのは、苦労する時こそ最も成長するという教訓です。サラリーマン生活に終止符を打ち旅館を買って開業する時も、ストレスから5日ほど何も食べられない時期もありましたが、周囲の人に応援され助けられることの有難さが身にしみました。もう一つの転機は40代後半で肝炎になり、それを契機に減量と運動を始めたことです。災い転じて福となす、塞翁が馬、怪我の功名など、辛い時期は全て自分の成長期だという最善観を信じるようになったのはこのためです。
朝のゴールデンタイム
寝るのが早いため毎朝2時頃には起き出します。暗い時間にラブラドールと散歩をして、地下のドライエリアで虫の音を聞きながら仕事をする早朝の3時間は脳が働き、リラックスかつ集中できるゴールデンタイムです。今朝は雨ですが、街が動き始める前の澄み切ったこの数日の空は、東京とは思えない美しさで、月が輝き、人工衛星や流れ星を見ることもあります。東京で感じる自然が、最も神秘的な表情を見せる時間を大半の人は知りません。星空を見上げるだけで穏やかな気持ちになり、散歩ほどコスパのよい健康法はないと思います。消費の多くは中毒性があり身体に悪い反面、小食、睡眠、有酸素運動といった健康に良い事にはお金がかかりません。健康が幸せの基盤なら、他人の価値観に追従するような消費をしなくても幸せになれます。アリストテレスが幸福は自分次第と言ったように、考え方ひとつで全てを人生の味方にできるのでしょう。
昭和の化石
昨日は母が入院する某国立病院に行きました。何年か前に建て直され、吹抜けやカフェはあるものの、雑然として陰気な場所に感じられるのは、独立行政法人になろうが悪しき国営体質が継承されているからでしょう。アンドルー・ワイルは、未来の病院はリゾートホテルのような場所になると言いましたが、親方日の丸体質が改まらない限り、そんな時代は来ないはずです。見るからに薄情そうな医師は昭和の化石といった雰囲気で、話は専門用語で分かりにくく取り付く島もありません。自分が健康に留意するのは、人生の晩年をこのような負のオーラがうごめく場所で迎えたくないという恐怖心からです。こんなところに来るぐらいなら死んだほうがマシと思えるほどで、短時間いただけなのに寿命が半年縮む思いです。健康であることのありがたみを感じただけでもよしとすべきなのでしょうが。