正規雇用は理想?

今朝は旅館の仕事で新甲子温泉に来ました。複数の仕事を同時並行で進める今の働き方は性に合っていて、毎日同じ時間に同じ場所で同じ仕事をしていたときよりも意欲的になれます。コンサルタントや旅館の事業、教員と仕事のモードが変わることで刺激が維持されてそれぞれに集中できます。プロとしての最低条件は仕事に品質基準を持つことだと思います。兼任教員の仕事は15年以上していますが、昔は専任ではないからこの辺でいいや、と線引きをして仕事をつまらないものにしていたと思います。皮肉なことに正規雇用で働いていたときよりも今の方が仕事にやりがいを感じます。正規雇用は依存と惰性を生み、必ずしも仕事の質の担保にならず、正規雇用のみを理想視する風潮には疑問を感じます。

人事評価の限界

今日は日本工学院の夏休み前の最後の授業です。多聞にもれず日本工学院でも何割かの学生は授業中に寝ています。寝る原因は自分にもあるという負い目もあって授業の進行を妨げない限り注意はしません(なるべく当てるようにはします)。1割が何かに気づいて意欲的になればよいと割り切りますが、そこにも葛藤が生じます。成績をつける段階になると、個々人の才能を引き出すべき教員が一律基準で学生を格付けする矛盾に悩み、一方で評価基準を個別化すると管理が困難で合理性を欠きます。企業の人事評価も同じで、社員の才能を引き出せないことを棚上げして人を評価するやり方はそろそろ限界だと思います。

補給食は有害なのか

昨日は那須の温泉神社から茶臼岳、朝日岳、を経て三本槍岳までの往復24kmを登りました。かつての幹線ルートは、茶臼岳直下の峠の茶屋まで車でアクセスできるようになった今は使う人もなく、一部は笹に埋もれてトレイルが不明確です。下山後、湯治場風情を残す鶴の湯にすぐ入れる以外に利点のない、標高差1,000M以上を一気に登るこのルートを通るハイカーはなく練習に最適です。25km前後、1,500kcal程度の運動であれば朝食も途中の補給もせずいつも通りの一日一食です。長距離レースの補給により胃腸を壊す人は少なくありませんが、解糖系に頼るカーボローディングや吸収の早い補給食は無益なだけではなく有害だというのがぼくの仮説です。今世紀になってからもたらされた運動栄養学の知見が従来の常識を覆しているからこそ未来に希望が持てると思います。

コンプレックスが消えれば自分らしくなれる

小規模事業者持続化補助金を受けることになり今日は採択者説明会で福島に来ました。サラリーマン時代には関心が薄かった補助金ですが、事業を始めると重要です。サラリーマン時代には知らない世界が広がり、仕事が主体化され、何かに挑戦したいという気にさせます。以前は自分らしく振舞えなかったのはコンプレックスのせいだと思います。肥満していて運動ができないこと、事業を起こした経験がないこと、英語の能力が不十分なことなどです。最近になって前の2つは解消されつつあり、残るは英語能力ですが、これは英語でビジネスをする環境を作れば自ずと解消すると楽観しています。

健康知識がスポーツを広める

昨日は久しぶりにトレイルランニングの練習に行き、昨夜は良く寝られ心地よい目覚めです。運動は筋肉を鍛え脳の血流を上げ、健康増進効果だけではなく爽快感と自己肯定感をもたらしほとんどの精神の問題にとって最高の治療法になります。一方で強制された運動は自発的な運動ほどの効果がないことがラット実験で分かっています。スポーツカレッジで教えるようになり、身体を動かすことが少ない現代人がスポーツに親しむ方法を考えてきました。しかしこのアプローチは逆で、健康で知的なライフスタイルに関する知識こそがスポーツを始めるきっかけになるのだと思います。

雨の日こそトレイルランニング

今朝は2年ぶりにトレイルランニングの練習で高尾山に行きました。お気楽なハイキングには何度か行きましたがレースを想定した練習とは別ものです。北高尾から南高尾を経て高尾山口に降りる28.43kmのルートは累積標高が2,037M、消費エネルギーは1,539kcalと短いレース並みです。朝から強い雨が降り続き、北高尾にハイカーの姿はなく好都合です。帰路も会うのはトレイルランナーばかりで雨の日こそトレイルランニングの練習に最適です。北高尾ルート最後の山の堂所山(733m)の手前では家のラブラドールを3倍くらいに太らせた大きさのイノシシ2頭が藪から飛び出し、呻き声をあげながらトレイルを渡りました。練習の目的はハムストリングなど必要な筋肉を取り戻すことと、ケトン体の産生回路を活性化することです。南高尾ルート最初の山の大洞山(536m)までの20kmは朝食も補給もしていないので、ケトン体によりエネルギーが作られていると思います。

内なる声を手紙が引き出す

昨日は南半球にいる娘に手紙を書きました。月に一度の手紙を書くとき、いつも手紙の持つ力に敬意の念を抱きます。面と向かっては絶対に言わないし、瞬時に届いてしまうメールにも書かない本心を手紙が引き出します。離れていても本音で向き合い心を動かされる手段は手紙をおいて他にはないでしょう。メールで告白をする今の人は気の毒だと思います。そこに書かれた思いはおそらくその人の内なる声ではないからです。衛星やインターネットの技術進化の系譜が行き着く先は人間の幸せではないと思うのです。

若者の可能性を信じる

7カレッジ39学科を擁する日本工学院では日々様々な若者の姿を目にします。昼休みに行われるライブ演奏を聴いていると、楽器演奏ができたらいいだろうなと思います。音楽の力は自分だけではなく周囲を高揚させることができます。真剣に打ち込む若者の姿を目にすることは清々しい気持ちにさせてくれます。一方で社会に出た新卒の3%しかわくわくとした夢がない、というデータもあります。可能性を秘めた若者が思う存分に生きるための基盤を作るのが教育であり、可能性を信じてその才能を引き出すことが教員の仕事だと思います。

生きる気力を自然が取り戻す

一昨日娘から手紙が届きました。手書きの手紙は電子メールと違い何度も読み返します。都会的な留学に憧れていたはずなのに、「この半年の生活を通じてつくづく感じることは人間の幸せは自然がつくりだしているということです」と書かれているのには驚きます。田舎はいやだと言って福島の旅館にも近づこうとしなかった姿からは想像できません。昨日の授業では「人はいかにして変わることができるのか」というテーマで、個人の変革管理について討議をしました。自分自身、阿武隈源流を見下ろす丘でお茶を飲んだり、阿武隈源流にいすを持ち出し読書をしたり、早朝の山頂で朝日を見たり、トレイルを走って下る至福の時間が主体的に生きる気力を取り戻すのだと感じます。

互いに教えあう学び

日本工学院の1、2年生向けの多人数の授業が一方的になるのに対して、少人数の3年生の授業は双方向型で刺激的です。ビジネスの上では付き合うことが少ない20歳前後の感覚を知ることができる場は気づきと発見があり貴重です。日々その兆候を目にしているにも関わらず、人は目の前で起こっている変化に気づきません。文明評論家のジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin)が提唱する第三次産業革命が進むと、知識や学びの形は大きく変わると思います。知的財産権やノウハウの秘匿により価値を生み出す垂直統合の時代は終わり、世界中の知をオープンソースとしてシェアする時代になり、学びのあり方も変わります。教員が知識を所有し一方的に伝える時代から、ともに学び互いに教えあう学びの時代になると思います。

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