
受動的な人生は自分を偽り傷つける生き方だと思います。「人生は自分の好きなように生きて良いもの」と分かった瞬間から世界の景色が違って見えます。この一年半で自分のやりたいことが形になり始め、人生の最後まで取り組みたいテーマがはっきりしました。
皮肉なことに終身雇用という素晴らしい制度は生活のための義務になりがちです。働き方改革が叫ばれる昨今、ティール組織が注目されるのは当然の成り行きでしょう。片方で働き方改革を唱えながら、一方で管理強化の手綱を放そうとしない組織はやがて二律背反の矛盾に苦しむことになると思います。
日本を離れて2ヶ月が過ぎる娘から二度目の手紙が届きました。こちらから送った手紙を「何度も何度も読み直して30分ぐらい泣きました。」と書かれています。こちらも娘から来た手紙を何度も何度も読み返し目頭が熱くなります。近くにいて日々顔を合わせていたときはいつもコミュニケーションのすれ違いでした。遠く離れた今は素直に向き合い、受け入れることができます。世界中と瞬時につながれる便利さが、他方で人間らしい感情を奪っていると感じます。関係を絶つことで互いを認め合う機会を作ってくれた学校には感謝をしています。
花粉症の季節が続きます。前半は新甲子温泉にいて、その後ハノイに行き気持ちのよい春を満喫していましたが、日本に戻り律儀に花粉症が戻ってきました。ぼくの場合、鼻づまりで脳に酸素が送られないために脳細胞が活動を停止するようで、花粉症の2ヶ月間は思考が鈍り生産性が低下します。好きな仕事を好きな時に好きな場所で好きな人と好きな方法で行うことが働き方改革の本丸であり働き方改革が生産性向上の救世主になります。今の季節のハノイは半袖では少々肌寒い程度で、仕事をするには最適の季節だと思います。ハノイ・東京間は4時間弱のフライトで移動コストも国内と変わりませんので、多拠点居住のディスティネーションとしては理想的です。
昨日は娘の学校の保護者会に出ました。スクールポリシーの明確な学校で校則の適用は厳格です。一方で高校1年から2年にかけての約10ヶ月を一人海外で過ごすことから、自由と責任を同時に学びます。責任=ResponsibilityはResponse+Ability、つまり反応できる能力であり、周囲の状況を踏まえて総合的に判断をする能力です。私が大企業のコンプライアンス至上主義を忌み嫌うのは、この責任能力が大きく欠如していくからです。働き方改革ではルールと個人の主体性というテーマがより大きくクローズアップされていくのでしょう。これはシェアリングエコノミーにおける安全と革新の二律背反が最大の論点になるのと同じだと思います。



ハノイに滞在して思考の枠組みが変わり始めました。生命力のみなぎる街を歩きながら、停滞する日本との違いを考えます。それは人々の生きる力のような気がします。社会の発展や進歩の概念そのものが人間の持っていた生きる能力を奪っていると思います。洗練された制度や安全思想は人間を萎縮させます。みなが信号を無視するハノイでは無謀運転を見かけません。ルールがない世界ではお互いが相手の行動に注意をするので、自ずと節度を持った秩序が生み出されます。人間は使わなくなった機能を退化させます。管理が過度に進んだ日本の社会は、他人の行動に無関心になり自ら秩序を生み出す力を失ったと思います。

