晴天の週末ですが花粉症で山には行けず、開高健ノンフィクション賞を受賞した「デス・ゾーン-栗城史多のエベレスト劇場-」を読みました。日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂を目指しながら、8度目のエベレスト挑戦で2018年に滑落死した登山家の軌跡を描いた作品です。謎と矛盾と誇大広告に満ちたネット時代の登山家は、山を劇場に変えた希代のエンターテイナーでした。登山暦2年でマッキンリー登頂に成功したビギナーズラックと、彼に群がったメディアが悲劇を生み出したようにも見えます。実力を疑問視されながらありえない難関ルートを選択したのは、ルールがない登山の盲点であり、他のスポーツなら成立しないゲームです。お笑いタレントが8,000メートル峰に登る時代に入ると潮目が変わり、登山中継で時代の寵児となった彼の元からメディアが去り、資金集めに窮するようになりました。もぬけの殻となって生きるより、天国に一番近い場所で英雄として死にたいと思ったとしても不思議ではありません。
月: 2022年4月
MT派のささやかな抵抗
ホンダが米国市場で16年ぶりに復活させるアキュラ・インテグラ予約受注の75%以上がMT車と発表されました。MT車は最初の2か月生産分が完売していると言いますが、AT先進国の米国においてこの数字は驚異的です。内燃焼機関の自動車とともに消えゆく運命にあるMT車ですが、駐車場や交差点で起きる暴走事故を防げる点は過小評価されていると思います。クラッチを操作するマニュアルトランスミッション車は無意識に急発進させることはできません。自動車の運転という危険行為を、車との関係性を希薄にすることで、誰でも気軽にできるようにしたATの功罪は問われるべきでしょう。中国を批判しない環境少女のような環境活動家が煽動するポリコレによって、エンジン車の未来は暗いものです。一方でドイツが石炭火力発電を復活したように、送電による電気のエネルギーロスを考慮するなら電気自動車もクリーンではありません。むしろ化石燃料を一回でエネルギーに変換する内燃機関の方が有利なことを主張するささやかな抵抗なのかもしれません。
賞味期限表示はいらない?
疫病や穀倉地帯の戦争による食糧危機が心配されます。家畜に比べてはるかに少ないエネルギーや資源消費で育てる昆虫食も知られるようになりましたが、それ以前にやるべきことは多いと思います。廃棄ロスを無くすことが先で、スーパーなどで執拗に新しい商品を漁り奥の方からとり出すことは止めるべきでしょう。賞味期限表示がない時代には変な執着は起きず、食べてよいかどうかは自分で判断していました。売り場の野菜や果物をやたら触って吟味することも感染防止の観点から止めるべきで、スーパーは啓蒙すべきでしょう。食品など多少古くても問題ないですしある程度古い方が良い、納豆やバナナ、缶詰もあります。健康は大切ですが、それが執着につながるなら逆効果です。体は丈夫にできていて多少のことでは壊れませんので、不安に怯えるよりは体力や免疫力を高めることの方がポジティブな気持ちになります。健康に良く、同時に食糧問題を解決する誰もができることは、過度な美食、過食、偏食を改めることでしょう。
日本を離れたくない
会社の決算作業をしました。決算期を3月末に変更した結果、半年のうちに会社決算2回と3人分の確定申告をすることになり、以前は面倒だと思っていた作業も慣れると簡単に終わります。ペーパーレスが肝要で、カード支払いとアマゾンに物品購入を集めてしまえば取引記録が残り、紙の領収書は劇的に減るので作業時間は飛躍的に短縮されます。厳密には問題かもしれませんが、お金の出入りを証明できることが重要です。同様に以前は面倒だった料理ですが、最も良い解決策はなるべく食べないことに尽きます。食事を一日一度にすれば作業の手間は3分の1になり、結果的に食事が美味しくなり、作るモチベーションも高まります。良い食材と良い調味料があれば省力化してもかなり美味しい食事が作れます。サラダは醤油とオリーブオイルであえてクルミをまぶすだけの手抜き調理でも一品になります。沢庵は切るだけ、納豆は出すだけ、味噌汁は味噌を入れるだけで美味しく健康的な食事が、これほど手軽に食べられる日本を離れたいとは思いません。
背徳の楽園
日の出から日没にかけて一切の飲食をはじめ快楽や闘争を断つ、ムスリムのラマダン月に入りました。空腹や自己犠牲により、飢えた人への共感を育み、共に苦しい体験を分かち合うことで連帯感と信仰心を強めると言います。古来より宗教と断食が結びついたのは、実質一日一食の生活が自身を心身ともに清めるという一種の生活の知恵を伝えるものだと思います。コロナ禍から立ち直れないうちに始まった資源国ロシアの軍事侵攻により、エネルギー価格は上昇し、いずれも穀倉地帯であることから戦争による食糧不足、飢餓の連鎖が警告されます。戦国時代の合戦は田植え、稲刈りの時期を避けたとされますが、現代の独裁者には節度などありません。暗い現実を受け入れたくはありませんが、あらゆる不幸を生み出しているのは人間の愚かな欲と執着です。ラマダン月にテロや攻撃が増えるのはジハードが最も尊い行為とされるからであり、宗教さえも狂気の洗脳に見えます。世界平和を唱える前に、背徳の楽園に暮らす自らの生活を見直すべきかもしれません。
モダンエルダーの共通点
新年度になり社会にデビューする若者が増えると、必然的に新旧交代が起きます。他方で『モダンエルダー;40代以上が「職場の賢者」を目指すこれからの働き方』に書かれるように、年長者は優れた洞察と判断力で社会と組織に貢献することができます。ピーター・ドラッカーの著作の3分の2が65歳以降に書かれたことは勇気づけられます。知恵と経験によって尊敬される新しい年長者は自分のまわりにも何名かいますが、その共通点はある種の型破りさを持っていることだと思います。モダンエルダーの著者のチップ・コンリーも、ごく初期のデザイナーズホテルチェーンを創業した時代の反逆者でした。トム・ピーターズが言うように、25年のキャリアか、25回繰り返された1年分の経験かが、ビンテージか賞味期限切れかを分けます。世代を超えて誰に対してもフレンドリーであることも重要な要件だと思います。賢者とは肉体が衰えるのではなく、EQといった精神性の領域が広がる人のことを言うのでしょう。
無限の小さなもし
今月に入って存じ上げている方の山岳事故での訃報を聞きました。経験豊富なベテランであっても自然の力の前では無力です。しかし事故は不幸な運命のめぐり合わせではなく、生死を分ける状況の間には無限の小さな「もし」が存在します。5年前に旅館の近くで起きた雪崩事故のときも、前日からの積雪量はこの季節としては異常な降り方でした。もし引率者がその異常さに第六感を働かせていれば、多くの若い命は奪われなかったと悔やまれました。それは結果論だと言われるかもしれませんが、少しの勇気で被害を回避し、犠牲を最小限度に留めることのできた危険は人類史上無限にあったはずです。現代人は戦争でも起きない限り、狩猟時代のような生死を分けるストレスにさらされることはありません。それゆえ、人は命がけのエクストリームスポーツに没頭し生きる意味を見出すのかもしれません。他方で、多くの著名なアルピニストが山で命を落としているように、どれほど達観の境地に至ろうとも、最後は物理法則の審判に逆らうことはできないのでしょう。
何もしない週末
花粉症の季節は山にも行かず、週末は外出をせずに家で過ごしました。冷蔵庫にある食材で作る簡単な総菜と漬物、味噌汁、ご飯だけの食事を豊に感じます。豊かどうかは感受性が決める問題であって、欲望の赴くままに贅沢な食事をすることとは限りません。食べたいものを食べるという、欲望の解放を許されたわれわれは人類史の異端です。飽くなき欲望の追求はエスカレートし、やがてささやかな日常を蔑むようになり、食べる前から記号的に美味しいかまずいかを決めつけます。非日常的な食事は飽きますが、感受性を失えばはかない幸福を求めてさまよい、消費を続けることでしか心の平安を保てなくなります。いつものように一日が平和に終わり、瞬間的に寝落ちし、いつもの時間に起き出しラブラドールと散歩をしながら昇る太陽を見るだけで幸せなのは、人体の最も大切なメカニズムが体温や血糖といった体内の平衡を同じ状態に保つ恒常性の維持にあるからでしょう。なるべく他者の命を奪わないミニマムな毎日こそが良く生きることだと思います。
弱者に追い風が吹く
訳あって会社の決算期を9月末から3月末に変更しました。やはりサラリーマン時代から慣れ親しんだ3月末決算の方が気分は盛り上がります。別れと旅立ちの季節でもあり、まわりでは定年の声をちらほら聞くようになりましたが、もはや70代現役の日本においては二度目の成人式のようなものでしょう。花粉症を口実に沖縄でセミリタイア生活を謳歌している場合ではなく、宿の解体も進み新年度を機にまじめに事業化に取り組まねばと思います。稼ぐというプライオリティが高ければビジネスモデルの安定した組織にいることは有利ですが、半隠遁者状態の今となっては仕事の最優先項目は自分がワクワクするような自己実現です。自己実現は社会改善と一体化したときに強烈な力を持ち、そのエネルギーの源泉は社会へのある種の怒りだと思います。消費社会の成熟した日本においても粗悪品が垂れ流されている業界は多く、ユーチューバーがテレビ局を衰退させたように、大手が寡占化し慢心した市場こそ弱者に追い風が吹くのでしょう。
自由を得る隠遁者
波長があう人と時間を忘れて話に没頭することはありますが、「寂しい生活」を書いた稲垣えみ子氏ほど共感を覚えた著者はまれです。旅行や料理の著書も読みましたが、自分たちは長年騙されてきたのだという被害者同士のような妙な連帯感さえ覚えます。家電製品を手放し、会社員生活を手放し、2日に1度の銭湯が最大の娯楽という生活は古来より続く一種の隠遁者でしょう。何かを手放すほど自由になり、手放せるものを絶えず探していると言います。2、3日に一度ご飯を炊き、殺菌作用のあるおひつに入れると絶妙に水分を吸い、天日干しした野菜の味噌汁と漬物があれば幸せで、豆腐屋で厚揚げを買った日には素晴らしいご馳走という江戸時代の感覚は正常だと思います。我が家でも赤飯を炊く日は、小豆を水に漬け込む前の晩から食事が楽しみです。書店に並ぶ本の多くはお金を貯める本と使う本ですが、お金なんていくらあっても安心できません。すぐそこにある小さな幸せに気づき、すべての一瞬を大切にする生き方には自由と無限の可能性が広がっているのでしょう。