コロナを騒ぎたてる人たち

昨日は甲子高原フジヤホテルの解体現場に行きました。陽が射す日中でも氷点下6度と寒い日は続きます。日帰りでもよかったのですが、せっかくなので隣町の那須にある、保養所再生で脚光を浴びた四季俱楽部に泊まりました。昭和から平成に変わる時代に建ったと思しき豪壮な施設はフォーシーズンズ時代の椿山荘ほどではないにせよ、採算度外視で建てられた豪壮なつくりはバブル経済の産業遺産と呼べそうです。一人では持て余す12畳と6畳の客室に税・サービス料込で2,000円台なら、内線電話が通じないとか多少気になることがあっても文句を言えば罰が当たるでしょう。白濁した単純硫化水素泉のかけ流し大浴場も素晴らしく、気持ちの良さと気の毒さに思わずため息が出ます。同業者でなくてもこれが異常な事態であることは分かります。安いほど良いと単純に喜ぶ人もいるでしょうが、それは経済を殺すことの悲惨さに気づかず、コロナを無暗に恐れ騒ぎたてる人たちと同じでしょう。

苦痛な家事は愛すべき趣味

昨日の夕食は大豆ミートのカレーでしたが二晩ほど寝かせるとホテル風になります。煮込み料理は一晩以上寝かせると美味しくなり、肉を使っていたときは煮崩れしましたが、大豆ミートはポークカレーのような食感を残します。調理器具の充実やレシピ動画の普及により自炊のハードルが下がるなか、料理に関心が向くようになったのは一日一食にした影響です。一日三食なら調理は苦痛な家事でも、一食なら愛すべき趣味に変わり、調理に手をかける気になります。居酒屋運営の主要14社の店舗はコロナ前比2割減となり、1,356店が昨年末までに閉店したと伝えられます。消費者が生活様式を変化させ、ウーバーイーツがもてはやされましたが、食べることの本質に立ち返る時期に来ていると思います。食事の大半は快楽のためにありますが、生きるための食事を楽しむには自分で作ることが一番です。食事の根幹は家庭料理にあり、食事を健康な生活の源泉にするには世界でもまれな低脂肪食である日本の伝統食が最もふさわしいのでしょう。

ハードルは低いが満足は高い

日経新聞で紹介された料理研究家の若山曜子氏のレシピチャンネルを見ました。東京外国語大学卒業後パリへ留学し、ル・コルドン・ブルーパリ、エコール・フェランディを経て、パティシエ、グラシエ、ショコラティエ、コンフィズールのフランス国家資格(C.A.P)を取得しパリのパティスリーやレストランで経験を積む本格的なキャリアながら、YouTubeの1分レシピは簡単そのものです。昨日は夕食が終わってから作り始めて、ラブラドールと散歩に行っている間にバナナブレッドが焼き上がります。手間暇をかけず調理プロセスをそぎ落としながら、休日に食べたくなるようなちょっと豪華で来客時にも出せる仕上がりです。家にある材料だけでしかもボールひとつで作れ、オーブンの電気代を入れても4人分の原価は200円ほどです。YouTubeに加えインスタグラムで動画を配信し、レシピのPDFと参加者の質問に答えるQ&Aにより行うレッスンも在宅時代に適しています。料理のハードルは年々下がりますが、自分で作れば美味しさと満足は高まります。

必要なものは驚くほど少ない

幸せのとらえ方は人それぞれですが、長年大きな誤解をしてきたと思います。稼いでは使う贅沢さに幸せを見出そうとした時期もありますが、お金で手にする豊かな時間は執着を生む悪魔の誘惑です。日本に暮らすことの特権とも言える季節の移ろいや四季を堪能できるのは山の懐に入るときで、自然のそばにいるだけで幸せです。日曜日の午後に行った八ヶ岳の湯川渓谷は1月に入り氷が白からアイスブルーに変わり、今月いっぱいはアイスクライミングが楽しめます。これから長野県に移住するというクライマーに会いましたが、仕事は何か見つけますと言います。山で過ごしている人たちはみな一様に幸せそうで、はつらつとして、どうやっても生きていけるという自信に満ちています。一方、都会で見かける老若男女は不機嫌か怯えて気が枯れたように見えます。来月に入ると今度は渓谷の反対側でロッククライミングを楽しむそうで、自然のなかで体を動かす習慣があれば、至福の時を過ごすのに必要なものは驚くほど少ないのでしょう。

根源的価値は小さな車

三連休は雪の八ヶ岳にいましたが、時間を活用するためには登山道に自動車でアクセスすることが有効です。首都圏居住者の割には雪道を走る機会は多いのですが、例年緊張し今頃になってやっと慣れるのは雪上での自動車の挙動を思い出すからかもしれません。シーズンのはじめに運転に慣れないのは雪国も同じで、甲子高原にいる頃は事故を見ましたし保険会社によると事故が最も多いのは12月です。フィアットの四輪駆動は除雪された道を走る分には頼もしいのですが、連休前に大量に降雪した林道となると過信は禁物です。元々狭い林道は雪により道路の形状が分かりにくくなり、すれ違いのためには小さな車が有利です。登山口にありがちな狭い駐車スペースに車を潜り込ませるためには大きな車は不利で自重で動けなくなることもあります。初めて乗ったゴーカートの楽しさを追体験する喜びがあるのは小さな車で、産業化のために生み出された贅沢な大型車より自動車が持つ根源的な魅力を感じられると思います。

自然と同化する理想の生活

昨日は八ヶ岳の唐沢鉱泉から黒百合ヒュッテを経て白駒池までスノーハイクをしました。三連休とあって唐沢鉱泉の駐車場は満車で、4WDを過信して新雪を押しのけて駐車スペースを作ろうとしてスタックしたフィアットを掘り出すのに30分ほどかかりました。遠く北アルプスを望む無風の山頂でコーヒーとカステラのカフェタイムを過ごしました。山にいるとあらゆる面で満たされますが下りのスノーランは別格で、その楽しさへの信仰はもはや宗教的です。太古の神道には教義も経典も教祖もないのは、山や森に身を置く自然崇拝が自己の霊的エネルギーを高め、誰もが今こそ最高と思えるからでしょう。修験道をトレイルランニングと同一視するのは無理があるにせよ、唯物主義に偏向した俗社会と距離を取るにはどちらも適しています。弘法大師は都の世俗生活のむなしさと、自然を相手に山中で暮らすことの素晴らしさを説きましたが、その教えは現代人のごく一部にしか届きません。五感が研ぎ澄まされやがて自然と同化する生活が理想に思えます。

心の平穏を保つ質素な暮らし

確定申告の季節になりましたが、支払いをカードに集めてからは手間もかかりません。なぜ払う方が作業をするのかと昔は思いましたが、見方を変えると裁量で申告できる有難い制度であり、利益は意見です。以前は青色申告会を通しましたが、会費の値上げを機に自分でするようになると手間も減り理解も進みました。加えて会社の決算や両親の確定申告もするので四半期決算をするようなものです。父はパソコンに触れたことがありませんので、無造作に紙袋に入れられた伝票の束と格闘することになります。いずれにしても一年間に使った金額を把握することは有益です。お金を稼ぐより使わないことが重要だと思うのは、いくらお金を貯めても超管理型社会では資産が把握され一瞬にして資産凍結が起こりうるからです。貯金よりも大切なのは貯筋で、お金に頼らず健康で体力を維持する方が安心です。稼ぐ人ほど使うお金に無頓着ですが、将来など心配せず何がなくても幸せな質素な暮らしで今を生きることが心の平穏を保つのでしょう。

大豆ミートは夢の食材

最近の我が家のマイブームは大豆ミートです。代替肉と言うとネガティブなイメージを想起しますが、健康的なだけでなく美味しく、家畜による温室効果ガスなど環境問題からも注目されます。ケンタッキーフライドチキンが今年に入り植物由来の代替肉Beyond Meatを期間限定ながらアメリカ全土で販売を始めました。20世紀が石油をめぐる争いなら今世紀は水と食糧をめぐる争いが始まるとされ、希望の星になるのかもしれません。ブロックタイプを生姜焼きにすると見た目も食感も豚の生姜焼きで味も良く、生肉を扱わないので衛生的で保存が楽で、しかも乾燥重量1kg1,500円程とあらゆる肉より安く、お湯で戻すだけの夢の食材です。低脂質でコレステロールフリー、高たんぱくで食物繊維も豊富となれば、ヴィーガンやベジタリアンだけの選択肢ではありません。生命を奪うことへの罪悪感に由来するギルトフリーのニーズにも応える食文化として広がっていくのでしょう。

自分を自分で受け入れる

昨日は英国にいる娘の20回目の誕生日でした。この時期を離れて過ごすのはニュージーランドに留学した高校二年以来二度目です。21世紀最初のオリンピックであるソルトレークシティ大会の開会式翌日の娘が生まれた日の写真を見ると、当時の自分は白髪もなく若いのですが、中年太りとは無縁の今の方が心身両面で健康だと思います。その時は娘の成人式の頃の自分の姿を想像したくありませんでしたが、執着心が強く我欲にまみれて肥満していた20年前の自分よりは今の自分の方が好ましく思えます。その間、愚かな判断をたくさんしましたが、少しは賢くなった今の自分を受け入れられます。組織を離れ、魂や宇宙への多少の理解が進み、社会はより乱れましたが以前より心穏やかでいられます。人は自分の将来に悲観的なバイアスをかけますが、愚かな習慣さえ断てば未来に実現する現実は予想ほどには悪くないのかもしれません。自分を自分で受け入れられる存在にすることが人生なのでしょう。

愛する者を意味するアマチュア

商業主義的なオリンピックへの批判は今に始まったことではありません。昨日は6日間でエベレストに2度登頂したトレイルランニング界の孤独なスーパースター、キリアン・ジョルネの自伝「雲の上へ」を読みました。あらゆる仲間に属さず、選ばれた集団が集まる場所には足を踏み入れない彼は、現在のスポーツはその源流であるローマ時代のサーカスのような見世物への先祖返りだと言います。すなわち、極限を披露する少数のアスリートを観客はジャンクフードを食べながら見る、馬鹿げた娯楽です。勝利は欲望を駆り立て金銭の魅力が人々に走る意味を見失わせてしまうのでしょう。過去にとらわれることを恐れ、優勝したレースのトロフィーは観戦していた子供にあげるか、分解してリサイクルゴミに出すか、まな板にして野菜を切るのに使うと言います。山とランニングを愛し、あらゆる刺激の影響を避けて人里離れた場所にキャンピングカーで隠れ、食事とトレーニングだけを繰り返し眠る生活は理想に思えます。

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