猫のひたいがもたらす充足

人より優位に立ちたがる人間が内面に屈折を抱えるように、贅沢な生活を求める気持ちは貧しさの裏返しだと思います。幕末の日本に来た外国人が彼らの基準では貧しい日本人を見て、そこに卑しさや惨めさが微塵もなく、生き生きと生活する姿に驚いた記録が残ります。生活を貧しくするのは、執着により次々と買う贅沢が目的化していつまでも満たされない虚しさであり、日常を豊かにすれば贅沢願望から開放されます。毎日の食事を豊かなものにするのは空腹で、体を健康にしてくれる上に美味しく食べられる空腹は我慢ではなく楽しみに変わります。かつての住まいにあった庭が無くなり、生活に潤いをもたらす植物は玄関横の猫のひたいほどの花壇だけになりました。それでも花を楽しみ収穫したフレッシュハーブをお茶に入れ、植物の成長に日々生命力を感じ、日常を豊かにする恩恵はむしろ庭があったとき以上です。最小限で過ごすことに妙な魅力を感じるのは、人が恩恵を受けるには自分に適したサイズがあり、過剰をそぎ落とした清楚で質素なモノの不足した生活にこそ心の充足を感じるからだと思います。

欠乏による幸せ

一日二食以下生活を始めて体重は学生時代以下を維持し、他方で体力はむしろ向上しています。三食時代より食事が美味しくなり、幸福の定義とされる生活満足度が改善しました。欠乏への恐怖から人は常に満たされることを望み、その幻想は自分を満たしてくれる対象物に向けられます。対象物はお金や名誉、地位にも向けられますが身近なものは食事だと思います。しかし重要な点は食べるものに目を向けるのではなく、空腹により自分の感受性を高めることだと思います。大金を払うことで得られる幸福感も、期待値を下げることにより得られる幸福感も実は等価で、砂漠を彷徨った人がいくらお金を払ってでも水を飲みたいのと同じです。一方で産業側は常に人の期待値を引き上げようと画策し、空腹を悪だと信じる消費者のストレス反応は、企業が望む消費行動に走らせます。食べることを善と信じる消費者は満たされた後に感じる虚しさを無視しますが、この循環こそが生活習慣病の蔓延原因でしょう。欠乏、すなわち空腹を善と捉えるパラダイム・シフトを受け入れると、つきものが落ちるように他の執着も消え心も体も満たされると思います。

貯金より貯筋

普段の生活とさほど変わらない連休が終わりました。昨日も究極のマイクロツーリズムで世田谷近辺を25kmほどラブラドールと歩きました。最初に行った九品仏は深い緑に大木が佇む荘厳さがあります。自粛中のためか人影はなくどこからともなく漂うほのかな薫香もあって、その風情は鎌倉あたりの有料のお寺と変わりません。結局連休中は外食もせず、モノも買わず、こんな人ばかりになれば日本経済は崩壊しますが、それ故と言うべきか過不足ない休日でした。人々が例年連休にお金を使うのはお金が人生を充実させる道具だと考えるからです。一方でお金が人生を満たす道具だと思っているといくらあっても足りなくなります。人々は自ら計画的陳腐化の罠にはまり、高級品になるほど執着を生み、やがて時限装置により満たされないように作られている現実を忘れます。お金には税金のような必須のものもあれば将来の不安に備える貯金もあります。将来の不安を考え始めると同じようにいくらあっても足りません。必要なことは体を鍛え、お金に頼らず元気でいられる貯筋に楽しみながら励むことでしょう。

餓死しない時代の夢の燃料

運動不足解消のため、昨日はラブラドールと三田のイタリア大使館まで30kmほど歩きました。いつも通り朝食を抜いているので運動後の昼食の美味しさは格別です。満足は期待値との乖離ですので、餓死しない時代の空腹は快感になり得ます。しかしそれがアダになり、糖質中心の昼食を摂ったためにインシュリンの過剰分泌から、夕方になると低血糖でめまいに襲われます。空腹時に糖質を摂ればその後起こる血糖値スパイクは道理です。一方糖質を摂らなければ、山などで40km以上行動することがあってもエネルギー不足に陥ることはなく、昨日もどこまでも無補給で歩けそうな感じでした。試しに糖質を摂取すると2、3時間でエネルギーが枯渇して動けなくなります。糖質制限により脂肪酸を分解したケトン体を作り出すことができれば無限に近い距離を無補給で移動でき、逆に糖質を摂ると短いサイクルで糖質の補給が必要になります。糖質こそがエネルギー源との長年の信念を崩しこの結論にたどり着くまで時間がかかりましたが、ケトン体由来の長寿遺伝子サーチュイン3はミトコンドリアの働きを活性化し同時にDNAの修復も進める夢の燃料になります。

食べた後の虚しさ

消費を抑制する壮大な社会実験が月末まで延長され、同調圧力と先行き不安から消費はさらに落ち込むかもしれません。今年2月に公表された家計調査によると消費支出(総世帯)は前年比6.5%の減少となりました。コロナ禍のスケープゴートにされた外食業界には申し訳ないのですが、外食の自粛が健康に及ぼす影響に興味があります。外食費の比率がOECD加盟国のなかでは低く、食事を自炊する傾向が強い日本ですが、昨年の総死者数が実質3万人減少したように、自粛生活は日本人の健康を改善している可能性があります。飽食時代のライフスタイルにおいては食べないメリットの方が大きく、健康リスクの高い古い油や砂糖を摂取する機会も減ります。家での食事は食べ過ぎるリスクが少なく、満腹になったときの罪悪感と虚しさを味わわずに済みます。外食の場合、注文時と食べるときの時間差に満腹中枢が働き、料理が出たときには満腹ということがあり、残すことを良しとしない日本では食べ過ぎになりがちです。外食に熱狂できない理由は食べた後の虚しさを避けたいからかもしれません。

意味を再構成するブランド

村上開新堂のクッキーをいただきました。明治元年(1868年)に村上光保が国家政策の一環として洋菓子製造技術習得を命じられ、日本で最初の洋菓子専門店を営んだことが村上開新堂の始まりです。以来153年、現在6代目の歴代当主が工夫を重ねストイックに味の追求をして来たと言います。量産体制は味の低下を招くことからデパートの名店街などへの出店も断り、広告費用は味の向上に使う思いから行ないません。明治の欧化政策の象徴である鹿鳴館において洋菓子一切の製造を担当してきた日本洋菓子史そのものです。7千円というクッキーの値段にも驚きますが、転売屋の手を通すと3万円に跳ね上がり、今どき登録された顧客の紹介でしか買えず、以前は数ヶ月待ちだった予約は1年前に埋まるそうです。この背景を知るなら有り難く食べ、知らなければ古風なクッキーとして食べてしまうかもしれません。商品を評価する感情や記憶は客観的な知覚情報ではなく、入手できる全ての情報に影響を受け意味を再構成します。その偉大な歴史への賞賛、尊敬なしにはブランドは成立しないのでしょう。

ほしいものが、ほしいわ。

コロナ禍で迎える2度目のゴールデンウィークの人出は高尾山や江ノ島では昨年の4倍を超えました。Intageの調査でも今年のGWに消費する平均金額は昨年から21.5%増の15,908円となり、一昨年の28,178円の56%まで回復したものの依然道半ばです。連休に使ったお金は日常的な食料品の買い物だけで昨日は都立砧公園までラブラドールと散歩をしました。物心両面で満たされているわけでもないのですがかといって過不足もなく、かつての西武百貨店のポスターのキャッチコピーのように「ほしいものが、ほしいわ。」という心境で商業施設にも足が向きません。このコピーが話題になった1988年には、もちろん達観しているはずもなく、お金を使うことの意義を疑うことなどありませんでした。しかし大いなる誤解は、幸福は未来のある地点に存在しこれから幸せになるという思い込みです。今この瞬間に感じるものが幸せであり、将来に含みを残すものではないと思います。人為的に作り出された理想を追う生活では内面が満たされることはなく、消費者は欲望の奴隷になるだけでしょう。

空腹こそが友人

最近は朝食を食べることがなくなり、必然的に食間が16時間以上空き正常な食欲が戻ってきました。更年期を過ぎた体にとって一日3食は過食で、1、2食が適量だと思います。正常な食欲とは正常な食欲抑制を伴い食事回数が減ったからと言って一度に食べる量が増えるわけではありません。従来の栄養学では体重により基礎代謝量が決まり、身体活動レベルをかけることで1日に必要なエネルギー量を算出してきました。一方でこの推定は、あらゆる生物実験で4割ほど食事を減らしたときに長寿化する生命のメカニズムと矛盾します。栄養学が主張する一日に必要なカロリーという常識に疑問を持ったのは、長時間山を歩いても補給が不要な経験からです。逆に糖質などを摂ると体は短いサイクルで追加の食事を要求しめまいを起こします。飢餓状態で生み出されるケトン体により体を動かすメカニズムを体が覚えると、脂肪の燃焼と同時にミトコンドリアが活性化され体は活力を取り戻します。食べろという社会の常識は栄養学を根拠にしますが、体内のエネルギー合成という前提が変わることで、一定条件を前提とした数値は事実ではなく意見に変わります。

瞑想に適する餃子?

昨夜は一人の食事で餃子を作りました。食べる瞑想の定番がチョコレートやレーズンなら、作る瞑想に適した料理は餃子だと思います。毎日2,000個と言われるかつての餃子の王将の調理人ほどのスピードで包むことはできなくても、包む作業に集中すると無駄な感情が薄れ一種の瞑想効果がありそうです。冷蔵庫に残る野菜を消費でき、切って包んで焼くだけのシンプルな料理は肉、野菜、糖質を一度に摂れるので手間もかからず一人の食事に適します。食事を瞑想にするには静かな環境で食べる一人の食事が最適で、食べないこと、作ること、食べることに意味を与えます。お腹が空いてから食べるとインスリンの分泌時間が減りレプチン感受性が高まり食欲が正常に戻ります。人や時間に合わせて食べ続けるとインスリン抵抗性がレプチン抵抗性を引き起こし、脳は体が飢えていると判断し食欲にブレーキがかからなくなります。人類の祖先は数十万年の飢餓時代を生き抜き、われわれの体にはわずかな食事でも体に脂肪を貯める素晴らしい倹約遺伝子が備わりますが、快楽に変わった現代の食事で正気を取り戻すには瞑想が必要だと思います。

上品な幻想

二年連続の自粛を要請されるゴールデンウィークはSNSにも控え目な投稿が目立ち、豪華で刹那的なレジャー消費のあり方を見直す機会になるのかもしれません。疲れるために人混みに出かけ散財する消費の虚しさを昔は無視しましたが、束の間の贅沢を望む消費脳が満たされることはなく、永遠にお金を使い続けるように動機づけられます。7万ドルの年収を超えると幸福度が上がらないように、人間の幸福や生活満足は消費額と比例しません。一方で、満足に直結しない豪華さや希少さの演出にお金を落としてもらうことで経済は回ります。脳の研究が近年注目されるのは、刺激を求める脳を麻痺させることが、最も効率的に売る方法であることにビジネス界が気づいたからでしょう。欲望と執着を上品な幻想で包み隠したときに消費量は最大化されますが、不都合な現実を認めたくない点において消費者も企業と共犯関係です。食べれば食べるほど食べたくなるように、欲望を暴走させる脳を躾けない限り、人生を満たしたいという飢餓感が消えることはないのでしょう。

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