生涯ラムスプリンガ

明るい話題が乏しく社会を暗くするニュースが流れるなか2021年が暮れようとしています。不安な気持ちが沸き起こるとその感情がより恐ろしいことを想起させ、思考が感情を、感情が思考を呼び起こす負のループに陥ります。慢性化、長期化したストレスは病気の原因になりますが、テレビほど健康を蝕むものはないでしょう。セルフメディアが数百万回再生される時代になると、高額報酬の代表だったテレビ局の経営が傾くのは当然です。禁煙をした人がタバコの煙を嫌うように、テレビを見なくなるとテレビが視界に入るだけで不快な気分になります。人類史からみれば瞬く間に浸透したマスメディアとデジタルデバイスによる悪影響の代償を払うのはこれからでしょう。北米で20万人が独自のコミュニティを作り200年前の暮らしを守るアーミッシュの生活に憧れます。興味深いのは彼らが16歳になると親元を離れて掟を破り俗世で暮らし、酒、タバコ、ドラッグなどあらゆる快楽を経験するラムスプリンガが制度化されていることです。自分の可能性に目覚め俗世を選ぶ人もいると言います。真逆の世界を想像できないようにしたのはマスメディアの功績でしょう。

惰性か伝統か

年末と言えば忘年会、大掃除と年賀状書きですが、いずれも廃れた印象です。わが家では未だに500枚ほどの年賀状を出し、昨日印刷しました。SNSで瞬時につながれる時代に手書きでもない、ましてや伝えるべき内容もない年賀状を出す意味に疑問を持つのは当然でしょう。紙文化への未練なのか、伝統を失うことへの罪悪感なのか、単なる惰性なのか今年も出すことにしました。2021年用年賀葉書の確定発行枚数は前年比12.6%減の21億3,443万枚で、ピークだった2004年の44億5,936万枚から17年で48%まで減少しました。若者と面倒を嫌う高齢者が出さなくなり、環境問題を口実に企業が中止すれば、残るのは現役世代がDM代わりに出す程度かもしれません。娘の高校時代、留学先との連絡は手紙に限るという学校方針を聞いたときは古風に感じましたが、心が通い本音を引き出す手紙の魔力に目を開かされました。先祖より継承してきた伝統には大きな意味があり、それを失えば取り返しのつかないことになるのでしょう。IOTによって脳まで外部化した現代人の最後の抵抗として、伝統文化を簡単に変えるべきではないと思います。

空腹は心の病?

コロナ禍2年目の今年も残す所2週間を切りましたが、年の瀬らしい活気も新年を迎える華やかさも感じられません。ステイホームによる過食、アルコール依存、運動不足、肥満、不眠、スマホ依存、どこでもマスク、コロナ離婚が増加し、外出できないお年寄りは足腰が弱り健康が蝕まれた一年でもありました。日本に関して言えばコロナウィルスが恐ろしいのではなく、恐怖に過剰反応するコロナ脳の影響がより深刻です。マインドコントロールにより人類は支配されているなどと言うと陰謀論者にされますが、食べては減量し、飲んでは抜き、稼いでは浪費する生活は誰かに搾取され支配下にあるのと同じでしょう。ダイエットの第一歩は自分の脳がハイジャックされている現実に気づくことだと思います。小麦が人間を支配しているという比喩があながち間違いでないことは、脳科学の観点から多くの人の知る事実です。食べ物は「愛情の証」の顔をして、寂しさ、欲求不満、不安、恐怖を埋め合わせるために心の隙間に入り込み、過食などの食行動異常を引き起こします。空腹の半分は心の病なのかもしれません。

日常から目を背けさせる都市

昨夜は久しぶりに都心に行きました。今や希少となったイルミネーションのある表参道付近には人出があるものの、それも早い時間帯だけで、赤坂見附あたりでは帰宅を急ぐ人が目立ち年の瀬らしからぬ寂しい雰囲気が漂います。それでも夜の都市には洗脳装置として人々を引き寄せ精神を麻痺させる魅力があります。従順な都市住民の証であるマスクをした人々の流れを見ていると、紀元前以来都市住民を守ってきた城壁は安全地帯を提供するためではなく、甘い罠で我々を都市に縛り付けるための檻に見えます。あらゆる欲望を引き寄せるために設計された都市は、同時に生きる力を奪います。退廃を広げる媒介として、商業主義に影響されやすい中産階級の心と感覚を蝕み、自らの運命に無力感しか持ち得ないようにします。調和の取れた精神状態を保つには体を自然界のリズムとシンクロさせる必要がありますが、無秩序な都市に身を晒していると、気づかぬうちに自制心を失わせ感受性を鈍らせて人々の行動に深い影響を与えると思います。人々を魅了し続ける都市は大切な日常から目を背け生きる意味すら覆い隠してしまうのかもしれません。

生命力を高める冬

今年も残す所2週間となり、日中が一年で一番短い一週間を迎えます。自然に接する機会が少ない都会では季節の変化に対する感覚が単調で、暑いか寒いかぐらいの感情にとどまります。福島で暮らしていた頃のように、肌を刺す極寒の冷気と荘厳な純白の世界に圧倒され、初夏であれば燃えるような新緑の生命力を全身で感じることもありません。東京の我家に一本だけ残されたイロハモミジは、猫の額ほどのハーブガーデンとともに季節の変化を伝えます。庭があったときは樹木や草木に関心が向かないのに、失って初めて大切に感じるのは人間の愚かな性でしょう。他方で、人は欠乏状態で生きてこそ人生に充実を感じるものだと思います。これから始まる本格的な寒さを人は嫌いますが、人体は寒さに適応したメカニズムを持ち、皮下脂肪はエネルギー源となり断熱材として寒さから身を守り、内蔵脂肪は発熱物質として深部体温を上げます。寒さと飢えはエネルギーの必要性を伝えミトコンドリアを増やし、長寿遺伝子を活性化して生命力を高めようとしますが、人はその能力を全く健康に活かさず冬に肥満して生命力を奪うのでしょう。

足元が崩れる?

以前読んだ養老孟司氏とC.W.ニコル氏の対談で、なぜユダヤ人は無抵抗でナチスに殺されたのか、と養老氏が疑問を呈していたことが印象に残っています。氏の解釈は都市で飼い慣らされた結果、人は鈍感になり弱くなるという結論でした。衝撃を受けたのはそれが今の社会への警告に聞こえたからです。ガス室で死を迎えるまで、そこがシャワー室だと信じていた人もいたとされます。人間の意志を奪い無反応にする教育を受けた常識人は、何の疑いもなく権威に従います。恐怖を与え解決策を示すという騙しは過去に何度も使われてきました。非現実的な情報に触れると平和に慣れた人ほど、それが最悪の局面に向かう変化であるほど、そんなことはあり得ないと断じ、それ以外の可能性を考えません。考古学的な都市の歴史は紀元前3,500年頃のメソポタミアや紀元前2,500年頃のモヘンジョダロに遡り、以来都市は堅固な城壁に守られてきました。戦後平和を謳歌し自身の欲望を満たすことに夢中な人々は、不吉な兆候に接しても、よもや自分の足元が崩れるとは思わないのでしょう。

自宅のお風呂は温泉以上?

朝晩の冷え込みが厳しくなりお風呂が心地よい季節になりました。一般には交感神経を刺激しない40度ぐらいのお湯に長めにつかることが推奨されますが、お風呂の効能はリラックスだけではありません。お風呂の機能は体への水圧をかけること、体温を上げること、体を浮遊させることの3つがあり、入り方を知れば遠くの温泉まで出掛けなくても自宅に居ながら高い効能を得ることができます。日本式の深い浴槽が優れているのは、水圧がかかるほど疲労物質がしぼられ老廃物を排出できることです。乳酸のような水溶性の疲労物質は静脈へ、脂溶性のものはリンパ管に流れ、静脈圧が高くなり腎臓を経由して排尿によりデトックスされ、同時にむくみも取れます。また、体温が上がると血流が改善し狭くなった毛細血管が元に戻り免疫力が向上し、体の表面に近い血管を浮遊するガン細胞は死滅します。さらにお湯に浮くと造血機能が向上して赤血球、白血球、リンパ球が活性化されます。温泉が大好きな日本人ですが、長寿の理由の一つとされる日常的に入るお風呂の効用は意外に軽視されていると思います。

自らトロイの木馬を招き入れる

株主優待目当てに企業の株を買う人は少なくありませんが、我が家で言えば特種東海製紙㈱などはその代表で、もう何年もトイレットペーパーを買ったことがありません。好きな南アルプスに日本最大の社有林を持つ企業でもあり何かとお世話になっている感覚があります。困るようで有り難い株主優待品は正栄食品工業㈱のチョコレートやナッツを中心としたお菓子の詰め合わせです。株主的には有り難いことに、その麻薬的なお菓子類は食べ出すと止まらなくなります。血糖値スパイクとインスリン大量分泌の破壊力を十分に理解しているので、おそらく自分で買うことはないのですが、頂いたものは有り難く食べる主義です。我が家に入り込んだこの魅力的な箱によって脳は空腹感に支配され、食べれば食べるほどおなかが空いて仕方がありません。それが偽りの空腹だと分かっていてもお菓子が詰まった箱がある限り冷静な抵抗が難しいことは大きな教訓となります。食べたあとにキャパシティを超えて食べた不快感が残るのは空腹が偽りである証拠でしょう。人は身銭を切って自らトロイの木馬を招き入れているのかもしれません。

自分を知ることこそが生きる価値

昨日は、人気を博しながらYouTubeアカウントを永久削除された幻の?ユーチューバーの浅村正樹さんと直接お話をする機会がありました。悟りをテーマにしながら宗教的でもスピリチュアル系でもましてや保守系言論人でもないクロスオーバーで洗練された番組に引き込まれました。ギタリストであり、歴史、経済、政治、宇宙、意識、軍事など多方面の圧倒的な知識量と思考領域の広さから来る未来を読み解く洞察は過激でありながら理性的で、その推論は2019年以降に世界で起こっている騒動を俯瞰して繋ぎあわせます。扱うテーマは重いのに悲壮感がなく後味が悪くないのは、不安を煽るのではなく、目の前の出来事を生きる力に転換させようと人を鼓舞するからでしょう。意識や宇宙を人生の意味と重ねながらその全体像を注釈抜きに話ができる関係は貴重です。真理に近づこうとする探究心、すなわち本当の自分を知るために無知から心を解放することが生きる価値だと思わせます。最も罪深いのは知らないことではなく、知っているつもりで思考を止めることでしょう。

ケガレを戻せない現代

冬本番はこれからですが今日から日没時間は逆転し夕暮れが遅くなり始めます。都会にいると季節の移ろいに関心が薄くなりますが、早朝に夜明け前の星空を仰ぎ、まだ乱されていない空気を大きく吸い込むだけでも自然を感じることができます。金曜の夜から妻が旅行に出掛けて、自分一人になると生活のペースが狂い始めます。普段は22時には寝て4時前に起きる機械仕掛けのような生活ですが、溜まっていた本を深夜まで読んでしまい一日一食の食事もお腹が空けば好きな時間に食べるようになります。何をしても良い自由を与えられると人は途端に自律性を失うのかもしれません。規則正しいケの生活が体を喜ばすのなら、こんなささやかなハレの生活は心を喜ばすものでしょう。日常生活を営むためのエネルギーが枯渇するのがケガレ(気枯れ)であり、伝統的には祭事を通じて霊的生命力である気を回復します。日常を離れて聖なるものに触れることで崩れたバランスを復元する機会が本来のハレですが、豊かになった現代は毎日が贅沢なハレの連続となり、ケガレを戻す手段を失ったのだと思います。

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