行政が自宅謹慎を主導する非常事態は、見方を変えると最高のデトックスかもしれません。デジタルデトックスの有用性は以前から知られますが、そのメリットはフードポルノなどにより喚起される執着を避け、自律神経のバランスを取り戻すことだと思います。スマホの高性能化により美しく撮影された料理を見るとそれまでは感じなかった食欲が喚起され、旅先の美しい写真を見れば旅に出たくなり、あるいは羨ましいという嫉妬が起こります。ドットの集合体に過ぎないデジタル信号によって食欲は簡単に外部から操作され感情は操られます。購買意欲をそそるシズル広告に消費者が加担してくれる状況は店にとってはありがたい限りで、最近では写真撮影を禁じる店も少なくなりました。無闇に外出して店に近づかなければ購買欲求は起こらず、買えば買うほど執着は増幅され、外部のノイズにさらされるほど捏造された食欲で感受性は劣化していくのかもしれません。世俗的な幸せを追うほど、欲と嫉妬と執着の終わりなきサイクルから抜け出せなくなるのでしょう。
月: 2021年5月
人生は消費量を競うゲーム?
昨日は自宅から徒歩20分ほどにある曹洞宗の鶴松山実相院に行きました。手入れの行き届いた深閑とした境内に入ると鎌倉あたりの有料寺院と遜色ない庭が広がり、誰もいない朝の静寂は都内であることを忘れます。半世紀以上住みながら遠方の観光地にばかり気を取られ自宅の徒歩圏にこれほどの卓越した場所があることに気づきませんでした。自分の感性よりマスメディアに影響を受けると、より遠くへ、より豪華に、より大量に、と人生は消費量を競うゲームだと信じ、誘惑を誘うものに自らひき寄せられます。外因的な欲望に突き動かされる心理は中毒症状に根ざしたもので、そのサイクルで得られる満足こそが真実だと錯覚します。食事で最も幸せなのが最初の1口であるように幸福感のピークは買って消費した瞬間から逓減していきます。その効用を補うためにあてがわれる次の欲望は生産者にとっても消費者にとっても好都合です。これが社会のコンセンサスになり、経済とは中毒依存を利用した騙し合いとも言えます。自分の外に幸せを求めるより、幸せ感度を上げ、日常にありがたさを感じる心を取り戻せば見える景色は自ずと異なるのでしょう。
公園にはカフェを
昨日は渋谷区の公園で初となるPark-PFI(公募設置管理制度)で運営する北谷公園に行きました。1963年に開園した960㎡の公園を民間資金の活用で先月リニューアルオープンし整備・管理を行うものです。公園通りから細い路地を入る場所にある公園の存在を知る人は少ないと思いますが、以前は駐輪場や喫煙場利用者が訪れる公園だったようです。ブルーボトルコーヒーが出店することもあり、周辺はコーヒーショップの集積地域になりつつあり、公園に人が集まることで裏通りに人の流れができ周辺の不動産価値も上がりそうです。キーテナント以外にフードトラックの出店スペースや半屋外のイベントスペースがあり地域活性化の拠点となる可能性があります。近くにある渋谷区立宮下公園ではPPPによる30年間の定期借地権で公園を改修し、地上17mの立体都市公園として商業施設やホテルを整備しており、関心が高まりそうです。彫刻家のイサム・ノグチ氏が基本設計を手がけミシュラン星付きレストランまで入れた札幌近郊のモエレ沼公園などのように、全国に11万以上ある都市公園等が活用される端緒になるのかもしれません。
そのこだわり必要ですか?
人類の進化とは増やすことの歴史だったと思います。次はいつ食料にありつけるか分からない時代から毎日食べられるようになり、その回数も2回、3回と増えさらに間食まで加わりました。食事を減らすと食費と食事時間が浮くだけでなく睡眠時間も減り起きている時間が増えます。食事が美味しくなり肌ツヤは良くなり体調も体重もベストの状態を維持でき活力は増します。唯一のデメリットは食べる楽しみが減ることですが、食事を減らすことで感受性が強くなり食べる楽しみはより豊かになると思います。人間は失うことを過度に恐れますが、食事を減らすと感覚が研ぎ澄まされ味覚ばかりでなく、視力と聴力が改善され音楽を聞く時のボリュームが下がり、車を運転するとスピード感が増します。嗜好も変わり、以前は好きだったコーヒーを飲みたくなくなります。過剰な刺激のサイクルから離れると心が落ち着き、多くの研究が示すように健康は増進されます。人間は本来究極の省力設計がされた存在であり、大量消費に仕向けられた現代のライフスタイルが物欲、こだわり、執着という負のスパイラルに人を誘うだけだと思います。
世界は今でも平和だった
オリンピックの動静と注射に注目が集まりますが、この一連のパンデミック騒動を後の時代の人がどのように解明するのか興味があります。2020年の日本の総死者数は異例なことに減っているわけで冷静な行動が必要でしょう。10年周期とされるコロナウィルスの当たり年だっただけで、世界が冷静に対応をしていたなら恐怖のどん底に陥れることはなかったと指摘する専門家もいます。路上で突然人が倒れるような映像がSNSで拡散された結果恐怖で人が一気に病院に押し寄せ医療崩壊が起こり、免疫のない医師が大量暴露した結果感染増強(ADE)で急死し、武漢がロックダウンしたことでそのニュースがあっという間に世界に恐怖を拡散しパニックが増幅されたという仮説も成り立ちそうです。火事なんか起こってないのに誰かが火事だ!と叫んだ結果出口に人が殺到して将棋倒しになって死んだようなものです。昨年2月に東京都医師会が出した声明とダイヤモンド・プリンセスの報告書の通り、通常の感染症対策と徹底した接触感染対策で騒がず冷静に対応していれば世界は今でも平和だったのかもしれません。
刺激のない刺激
しばらく東京で過ごしていると自然欠乏症になります。といっても別段発作が起こるわけではなく、山で過ごしているときに感じる瑞々しい充足感が恋しいだけです。環境心理学者は、小児期の自然環境への曝露と後年の環境選好との関連を指摘しますが、子供の頃には清流と言えないまでも近所には小川が流れエビやイトミミズなどが生息していました。その当時の記憶なのか、はたまた遠い原始の祖先の記憶なのか、物欲や食欲よりもむしろ自然に触れたい欲求が強くなります。もちろん都会にいても自然を意識することは可能です。早朝にラブラドールと近所の神社に行き、大木が覆う参道を歩くと今の季節なら日の出前の4時頃には鳥が賑やかに鳴き始めます。鳴き声のシャワーを浴びてから公園で空を見上げ、日の出の太陽光を浴びるだけで心が安らぎます。仕事をする時や、人工的な欲望に夢中になる時は脳がひとつのことに集中しているのに対して、自然環境での脳の興味は分散され疲れません。それは、不規則な規則性を持つゆらぎに満ちた自然がもたらす、刺激のない刺激こそ人類が長年シンクロしてきた環境だからでしょう。
自然は牙を剥かない
中国甘粛省白銀市近郊で開催された100kmのトレイルランニングレースで21人が死亡した事故はトレイルランニング史上最悪なだけでなく、まれに見る山岳事故となりました。2019年に日本で開催されたUTMFで2位の表彰台に立ったリャン・ジン(Liang Jing)選手をはじめ上位6人のうち5選手が低体温等で死亡する異様さが天候悪化の激しさを思わせます。大会は中止され700人が救助に向かったものの標高2,000m前後の人里離れた山岳エリアだったことから悲劇的な結果を招きました。エマージェンシーブランケットが必携装備ながら参加者の多くが短パンやTシャツなどの軽装だったことは山岳競技のあり方への議論を呼びそうです。難易度の高いレースだけに完走者全員に払われるはずだった賞金も無理を招いた一因とされます。日本の山でも東京なら真夏とされる6月や9月に低体温症による死亡事故が起きます。日の出に合わせて八ヶ岳の山頂で迎える穏やかな夏の時間ほど人生の充実を感じるひとときはありませんが、季節が変わると同じ山域でも立つのも困難なほどの吹雪が数分前の足跡を消し去ります。自然が牙を剥くのではなく原因はいつでも畏怖の念を失った人間にあるのでしょう。
投資も食事もブレないバフェット
バランスよく色々なモノを食べる、一日30品目食べる、7色の野菜を食べるなどが健康に良いとされます。しかし、重要なのは食べるものではなく、食べた後に食品が栄養素として吸収され体内合成されるプロセスにあると思います。わが家に来て7年のラブラドールは毎日同じ餌ですが健康そのもので、糞も判で押したように理想的な状態です。同じ食事と言えば、90歳のウォーレン・バフェットは毎日チェリーコーク5本を飲み、朝食の代わりにオレオを食べ、週に3回はマクドナルドの肉以外の具材を抜いたクォーターパウンダーかチキンナゲットの昼食を食べ、本人が「摂取カロリーの4分の1はコカ・コーラ」と言うほど砂糖と加工肉ばかりの極度の偏食家として知られます。かなり盛られた話だとしても1年にコーラを500ccも飲まない側から見ると、よほどの変異体質でなければとっくに死んでいるはずです。彼が元気なのはバフェットが、感覚的経験の背後にある実在を論理的に説明することはできないとする不可知論者だからだと思います。本質を認識することは不可能と考え己のみを信じる姿勢は、ブレない投資スタイルと同じなのだと思います。
ブラタモリのアナウンサー
昨日は近所にある齋田記念館に行きました。環状七号線沿いとは思えないほど周囲の喧騒とは無縁の緑豊かな敷地に建ち、隣接する1,500坪の屋敷には昭和9年に落成した世田谷区の有形文化財の数寄屋造りの建物があります。木曽義仲の重臣が遠祖とされる齋田家は天正18年(1590年)にこの地に土着・帰農したと言います。長年住んでいて徒歩圏にありながら訪れるのは初めてです。自粛になるまでは遠くの観光地にばかり目が行きましたが、どの土地にも伝えるべき歴史や文化・風土は残るものだと思います。初めて通る道を歩くとトタンや有り合わせの材料で建てたようなバラックが密集し、そこだけは昭和30年代のまま時間が止まったような一角があります。その先に新宿のパークタワーを望む景色は、返還前の香港で見た懐かしい風景に似ています。JR山手線のさらに外周に環状線を作る昭和初期に計画された路線の遺構が最寄り駅の近くに残ることも昨日知りました。戦時中に墜落したB29の機体の破片を娘が通った中学で見ましたが、その墜落地点は普段ラブラドールと散歩をするあたりで、下調べを禁止されているブラタモリのアナウンサー状態です。
アメとムチか無知とムチか
常に関心を持つのはモチベーションの引き出し方です。外的報酬を得るための外因的モチベーションと、活動自体が目的になる内因的モチベーションがあると言われますが、自発的に仕事に取り組む内因的モチベーションを実現している組織は少数で大半は小さな組織です。多くの企業は原始的なアメとムチか無知とムチに頼っているのが実情でしょう。古くはピラミッド建設の労働者がアルコール欲しさに働いたという説がありますが、現代の労働者のモチベーションはハイパーコンシューマリズムによる中毒かもしれません。ここでの問題は、過剰消費に浸かった人は短期思考になり思考領域が狭く、物事を二項対立で単純化し組織や社会を混乱させる存在という点です。金が全てという世俗の魔力に操られると、気づかぬうちに自ら精神を汚し幸せから遠ざかると思います。お金が生死を左右する人にとってはお金が全てですが、外的報酬への過剰依存が、常に欲求をエスカレートさせるヘドニック・トレッドミル患者を生み、社会という観点から見たモチベーションの問題を複雑にしていると感じます。