人生は消費量を競うゲーム?

昨日は自宅から徒歩20分ほどにある曹洞宗の鶴松山実相院に行きました。手入れの行き届いた深閑とした境内に入ると鎌倉あたりの有料寺院と遜色ない庭が広がり、誰もいない朝の静寂は都内であることを忘れます。半世紀以上住みながら遠方の観光地にばかり気を取られ自宅の徒歩圏にこれほどの卓越した場所があることに気づきませんでした。自分の感性よりマスメディアに影響を受けると、より遠くへ、より豪華に、より大量に、と人生は消費量を競うゲームだと信じ、誘惑を誘うものに自らひき寄せられます。外因的な欲望に突き動かされる心理は中毒症状に根ざしたもので、そのサイクルで得られる満足こそが真実だと錯覚します。食事で最も幸せなのが最初の1口であるように幸福感のピークは買って消費した瞬間から逓減していきます。その効用を補うためにあてがわれる次の欲望は生産者にとっても消費者にとっても好都合です。これが社会のコンセンサスになり、経済とは中毒依存を利用した騙し合いとも言えます。自分の外に幸せを求めるより、幸せ感度を上げ、日常にありがたさを感じる心を取り戻せば見える景色は自ずと異なるのでしょう。

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