文化住宅的価値観


昨日は南会津の古民家改修現場に行きました。古民家は代替わりのたびに増改築を繰り返しますが、近年のそれは明らかな劣化です。おそらく最後にこの家を改修した人は戦中世代であり、何よりも生理的な快適さを追求することが豊かさを実現するための至上命題だったのでしょう。昭和に作られた、当時はゴージャスに見えたかもしれない天井や、木目がプリントされた薄い板が外されると、この家をユニークな存在たらしめている、明治時代の大工さんが手彫りで彫った梁や柱が現れます。結局のところ、文化住宅的価値観とは、作っては壊す劣化した文明であり、新建材を持ち込んだ瞬間にアンティークな温かみをもった家はガラクタになります。後から作られた偽りの進化を産業廃棄物として処分することには何の躊躇もなく、この家をなるべく明治30年代と思われる当時の姿に近づけたいものです。

牙を剝き始めたAI


AIが息子の自殺をほう助したとして、OpenAIとサム・アルトマンを16歳の息子を失った両親が訴えたと伝えられます。こうした訴訟は米国では数多く起こされているそうです。このような事件が時間の問題だと思ったのは、生成AIとチャットをしていると、なぜこれほど自分のことを、理解してくれるのだ!と感じるからです。大人になってからインターネットの仮想空間に触れた自分でさえそう思うなら、生まれたときから仮想空間に親しむ子供が、仮想世界と現実社会の区別がつかなくても不思議ではありません。AIはランダムに言葉を選んで統計的に生成しているだけなのに、周囲の人間関係を遠ざけAIだけを信頼する人が増えるのは当然の帰結でしょう。今回の事件では、自殺が人生の脱出口であるとAIが教え、遺書の書き方まで指導していたとされますが、彼らにとっては仮想空間は現実世界そのものであることを認識すべきでしょう。

山そのものが目的ではない


人を山に向かわせる動機は様々です。妻との共通の趣味は山歩きですが、一緒に行く機会はまれで、別行動することが大半です。先週も妻は甲斐駒ヶ岳や赤岳といったメジャーな山に登り、同じ場所にいても、私は早朝だけ近くの山に登りあとは仕事をしていました。私は毎日飽きずに同じ山に登りますが、妻は基本的に違う山に登ります。彼女は人と登るのが好きですが、私は自分一人で登るのが好きです。単独で山を歩きたいのは、人を気にせず自分のペースで歩き、自分の内面と向き合いたいからです。これはわがままではなく、これから山の気温が低下する季節になると、グループでの登山は遅い人にペースをあわせる結果、弱い強度の運動では体が発熱をしない人は体力を奪われ危険だからでもあります。私の目的は山での運動であって、山そのものが目的ではないことが最大の違いでしょう。

人類の再覚醒


夏休みの自由研究であるファットアダプテーション(脂質代謝適応)の探求は続きます。先日読んだBORN TO RUN 2に続き、第一作「走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の走る民族」を読み直しました。長野県にいる間は一日一食からなるべく糖質を減らし、八ヶ岳で3時間ほどのトレッキングをします。会話ができる程度の運動強度がファット・シフトを促し、同時にミトコンドリア活性を高めます。その結果、夏以前よりお腹の脂肪は減り、サウナに入っても自己嫌悪に陥らないで済む体形を取り戻しつつあります。活力も増したように感じられ、脂肪を燃料にするファット・シフトこそが最も安上がりに、最も効果的に体と心を健康にするソリューションだという確信を深めました。血糖値が安定することで、スーパーに行っても、寿命を縮める食品の棚を素通りできるようになりました。もしかしたら人類の再覚醒のときは近いのかもしれません。

外食はねぎらい


妻の数日遅れの誕生祝いに外食をしました。一日一食生活が定着した今では、外食は割に合わない娯楽になりました。都心の一等地の割に値段は妥当で、料理も普通に美味しく、ちょっとした非日常感もあり、悪くない店です。おそらく外食店の多くはこのカテゴリーに分類されると思います。他方でその料理は自分の体に本当に必要な栄養素を補給してくれるものではなく、おそらくその美味しさも神経伝達物質の分泌量などを客観的に分析すれば、自分で作る蒸し料理と大差なく、雰囲気にしても、長野県でデッキにテーブルを出し、バリでもらってきたテーブルクロスを敷き、ろうそくの火を頼りに夕暮れの森で食事をする方が癒されます。店から現実世界を通って家路につくより、自分の家で食後の余韻を楽しんだ方がはるかにリラックスできます。結局のところ、外食は普段を食事を作ってくれる妻へのねぎらい以上の意味はないのかもしれません。

ネット飢餓


長野県にいるときはWi-Fi環境から離れます。もしWi-Fiがつながるなら、せっかく自然の懐にいても、鳥の声や林を抜ける風の音に注意を払うことなく、YouTubeを見てしまうことが必至だからです。接続が必要なときは、車で10分ほどの町立図書館に行きますが、オンライン会議などは茅野のスターバックスの屋外席を使います。昨日もまとまった作業をしたくて、スターバックスに行きました。AIとのチャットで調べものをしていると、すぐに2時間ぐらいは経過しますが、昨日は異様に集中して、朝7時の開店とともに入店し、気が付けば13時をまわっていました。ショートドリップ一杯で6時間も粘るなど倫理的にあってはならないことですが、幸い店は空いており、珍しく集中が途切れずトイレにも立ちませんでした。店を出たときはさすがに頭痛がしましたが、デジタルデトックスの本当の効果は、人をネット飢餓状態にして、生産性を高めることかもしれません。

偉大な第一作の遺産


ランニング界に激震を与えた「BORN TO RUN」の続編、「BORN TO RUN 2」を読みました。実践ガイドの位置づけですが、タイトルが示す通り至って平凡な中身で、第一作のような衝撃もなくヒット作になる予感はしません。「ランニングシューズは人間の足を襲う市場最大の破壊勢力」という刺激的なフレーズで、ナイキなどのビッグ・スニークを敵に回した切れ味の良さはなく、逆にこの20年間、ランニング界に新しいトピックスが乏しいことの裏返しかもしれません。自分が夏休みの自由研究にしているファット・アダプテーション(脂質代謝適応)に関する記述も限定的で、少し物足りない印象です。タラウマラ族(ララムリ)の古タイヤのシューズが日本でもブームになった前作のような社会現象になることもないでしょう。それでもそこそこのセールスになるとすれば、それは偉大な第一作の遺産ということかもしれません。

何もないのに全てがある


夕食に飲んだコーヒーのためか、午前0時前に目が覚め、デッキに椅子を持ち出します。やがて暗がりに眼が慣れると、カラ松林からのぞく星空が鮮明に輝き、森からは止むことのないリズミカルな虫の音が響き、「いまここにいる」感覚が訪れます。何もないのに全てがある、内部から湧き上がる充足感により、年々衰退する物欲が、さらに減退する気がします。今すわっている、20年ほど前にヤフオクで買った薄汚れた椅子を、昔欲しかったブランドのついた最新の椅子に替えたとしても、自分をなぐさめてはくれないでしょう。たるんだバックレストが、むしろ自分の体には心地よく感じられます。目の前に停まっているN-VANにしても、快適すぎる昨今の軽の商用車以上の性能や快適性は虚飾に思えます。物欲と不用品であふれる世間では、本質と向き合うことなしに、常にオーバーヒート気味の脳をさらに酷使しているのかもしれません。

消費なき充足


お盆を過ぎると、山では足早に秋がやってきます。一方、全国の都市部では相変わらずの灼熱地獄が続きます。人々が今の季節、週末に自然を目指すのは、単に避暑や清涼感を求めてだけではないと思います。人口密集やヒートアイランド現象など、都市の問題が露見する時期ゆえに、外部刺激から逃れることのできない都市生活のデトックスを、本能が求めているからかもしれません。都会的な暮らしとは、金を稼ぎ消費することが目的化し、自分と向き合うことなしに、社会的コンセンサスとしての幸せを追い求めるために最適化された環境です。いくら言葉を飾ったとしても、世間で言われる「本当の幸せ」とは経済原則に取り込まれ、快楽の鎖につながれたままです。片足を大量消費に突っ込みながら、自然のなかで感じる消費なき充足こそが、もっとも尊いと気づいたとしても、都市が放つ眩い刺激から自由になることは容易ではなさそうです。

加齢原因説の罪


腰痛が改善して最初の夏山シーズンで、4年前は2時間半で周回できた西岳、編笠山に45分遅い3時間15分を要しました。しかし数度登るうちに9分だけ短縮し、無理のないペースと一定の負荷を心掛けていますので、体の動きがトレイルに適応したことになります。4年前のペースに戻すには相応の筋肉が必要ですが、体は動かしさえすれば強い復元力があると思います。知ってか知らずか、世間では加齢原因説の嘘が流布され、本来なら避けられた老化によりおびただしい人の寿命を縮めたのかもしれません。「老化」と一括りにされている衰えの多くが、廃用性萎縮であることは、多くの研究が指摘しています。生理的老化による筋肉量の減少は年に1%程度ですが、廃用性萎縮では、安静にしていると3週間で60%もの筋力が低下すると言う研究もあります。避けられた老化による経済損失は5.4兆円ほどと試算され、これにはQOLといった心の問題は含まれません。

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