最も人気のない家事は炊事でしょう。それは食事を堅苦しいものにして自分でハードルを上げているからだと思います。育ち盛りの子供がいるお母さんは大変ですが、自分のための自炊なら気楽です。最も効果的な手抜きは食事の回数を減らすことで、一日三食の思い込みを捨てお腹が空いたら食べるようにするだけです。歴史的には二食時代が長く、さらに遡れば数日に一度食べられるかという時代もあったはずです。空腹を待って食べると一日1.5食程度に落ち着き、食事を作る手間は半減し肥満とも無縁で健康になります。一日30品目食べようなどと考えず一汁一菜なら味噌汁を作り置きして漬物でもあればあとはご飯を炊くだけです。一人のときは、まず一品作って食べてお腹が空けばさらに一品作る受注生産方式、つまり途中で止めるフルコースみたいなもので、2、3品食べると「もういいか」という気になり食べ過ぎを防げます。料理が最初から並ぶと食べてしまうのが人情です。料理の基準は冷蔵庫を開けてから3分位内の手間で作れること、美味しくかつ飽きないこと、運動をするために必要な栄養を摂れることで、視点を変えると料理は五感を磨き、感性を研ぎ澄ます創造的な活動になります。
年: 2020年
バカバカしくて笑うしかない?
2013年に放送された前作が平成のドラマで一位の42.2%という驚異的な視聴率を出した「半沢直樹」は、今作でも令和最高の数値を出し今年最大のヒット作となりそうです。新人類と言われたバブル入行組の作家が描くアナザー・ワールドの偏狭な組織は、「沈まぬ太陽」などの企業批判とは異なり、もはやバカバカしくて笑うしかないというレベルで、それが悪を懲らしめる水戸黄門的な痛快さに現れていると思います。7月末にルノーが発表した半期の純損失は過去最高の巨額赤字で、その3分の2がかつては金のなる木だった日産の赤字によるものです。日産の中国企業への売却を避けたい経産省はありえないホンダとの経営統合を画策したとされます。日本企業の再編加速を予測する外資ファンドは対日投資に意欲的です。一方で日本の大企業は、未だに「半沢直樹」が描いた垂直統合時代の自己完結的な閉鎖構造と古い価値観に浸り、外部のアイデアを組み合わせるオープンイノベーションの時代になると、ムラ社会の弊害による意思決定の遅さや低い生産性が深刻な問題となりそうです。
水辺にサウナは必須?
久しぶりに物欲を刺激するものを見つけました。屋外に設置するテントサウナで、持ち運びができ、これほど素敵なものが数万円から10万円台で手に入るなら安いと思います。サウナを作ると建築費に加え毎月の光熱費も結構な金額になりますが、燃料の薪は甲子高原なら安価に入手できます。国立公園内なので難しいのですが、冬の阿武隈源流を水風呂代わりにできたらなどと妄想します。昨年日本に上陸したロシアのモルジュ(MORZH)のように、これらの製品はロシアやフィンランドの軍用モデルの民生品という点も引かれます。昨今サウナが注目されるのは確実かつ効率的に脳と体を整えるコンディショニング効果で、サウナ、水風呂、外気浴を素早く実現するのに屋外サウナは最適です。脳や身体の疲労を回復させる深い徐波睡眠が延長され、ヒートショックプロテインが抗酸化力とインスリンの感受性を上げ、心筋梗塞や認知症、アルツハイマー病のリスクが下がることが報告されています。水辺にある宿泊施設にとって屋外のサウナは必須になる予感がします。(写真のサウナは据え置き型です)
安心というエゴ
週末に某上場企業の商業施設に行ったとき、マスクがないことを理由に入店を拒まれました。民間企業の施設ですからどのようなガイドラインを作ろうと勝手ですし、時代の空気はマスクが完全に正義です。しかし、科学的根拠も有効性の証明もないマスクを強要して過度に恐怖を煽るのはやめるべきだと思います。高規格の医療用マスクを別として、それらしき不織布や布で口を覆って得られるメリットは顔を触らないようになる、喉の湿度が保たれることぐらいで、WHOも手洗いや咳エチケットを重視します。マスクをしてのランニングの危なさは花粉症の季節に実感しましたが、暑さのなかマスクによる死者も出ました。迷信を鵜呑みにするマスク警察が世界中に広がる現象は21世紀の珍事でしょう。安心というエゴのために数百億の損失を出した築地移転のように、根拠もなく何となく不安が既定路線になることは問題です。そもそも新型コロナの死亡者のカーブは自然死より高齢側に振れているとの指摘もあります。何となく決まった空気に従う従順さの怖さは、国民ヒステリーの暴走が国の方向性さえ誤らせることだと思います。
現代に再興した修験道
昨日は八ヶ岳北端に位置する日本百名山の蓼科山(2,531 m)に登りました。30万年前に噴火した溶岩ドームは円錐形の美しい山容で、山頂には蓼科神社の奥社があります。吉野、蔵王、熊野、石鎚山、羽黒山などの霊峰に行かずとも、身近な山に分け入ると山岳信仰や山林修行の面影に触れることができます。欧米中心のトレイルランニングの歴史はせいぜい半世紀ですが、日本各地に存在する修験道は千数百年の歴史を誇ります。世界に類を見ない登山そのものを教義の中心に据える修験道は修行の場である山を素早く移動する文化的背景を持ち、そのストイシズムの正統な後継者はスピードハイクやトレイルランだと思います。登山の身体的行為を通じ一種の修行を行うトレイルランは、自然を慈しみながら自身と向き合うことにおいて修験道と同じです。明治5年の修験道廃止令により制度宗教としての修験道は解体を余儀なくされ天台宗や真言宗に組み込まれました。山歩きに全霊を傾けて人間の感覚を研ぎ澄ませて行く修験道のエッセンスは、トレイルランという一般人のための宗教として物質至上主義の現代に再興したのだと思います。
21世紀最大の発明
都市は人間の身体感覚を鈍らせると思います。その最たるものが食欲で、多くの人がフードポルノの氾濫により正常な感覚を失い、ドーパミン型の食欲に駆り立てられ外食産業の思うままに食べています。この2週間ほど一人で過ごす時間が長く、そんな機会でもないと自分の食欲と向き合うことはできません。一日一食を公言する人は増加傾向ですが、基礎代謝の半分程度の微食に慣れると空腹は気にならなくなります。食事の時間だから、誰かといるから、食べ物があるから、暇だから、といった理由で人は食べ、生きるためではなく享楽のために空腹感を満たします。脳の低血糖状態が引き起こす空腹感は一過性の現象で、食べれば食べるほど空腹を覚えます。現代ほど食が礼賛され、同時に許容し難いほどにその弊害が広がった時代はないと思います。生活習慣病の主因は食べ過ぎであり、現代の医学も食事を3、4割減らすことの有効性を認めます。もし21世紀最大の発明があるとすれば、それは「人は食べなくても生きられる」というメカニズムの解明でしょう。有り余る食べ物という700万年の歴史で初めての事態に至るまで、人類はその可能性に気づかなかっただけで、真実はわれわれが認識する知覚や常識とは別の所にあると思います。
ビジネスシーンを変える?Yogibo
仕事をするときはバランスボールか立って行っていたのですが最近Yogibo(ヨギボー)が加わりました。2014年11月に上陸したアメリカ発の「人をダメにする」微粒子ビーズソファは無印良品の一人勝ちだった業界地図を書き換えました。スタートアップのオフィスや旅館などの商業施設でも見かけることが増えたこのソファは、フィット感、ホールド感がありながらパソコン仕事に適する形状を保持できます。ニトリやIKEAなど競合製品に比べ値段は高めですが、周囲の評価とカラーバリエーションが豊富なインテリア性でYogiboにしました。家具のソファのように部屋を占領しないのが良く、屋外用ですのでどこにでも持ち出し仕事ができ、夜は星空を眺めるのにも最適です。そよ風、木漏れ日、せせらぎなど自然界の揺らぎは疲労の予防や改善に効果があり、屋外で働くことでポジティブな気分も高まり、思考の幅が広がるとされます。椅子に座る有害さを差し引いてもこの「どこでもオフィス」の魅力は抗しがたいものがあります。オフィスのあり方が見直される昨今、これらのクッションはビジネスシーンに浸透していくはずです。
世界一愚かな指導者
「ガダルカナル悲劇の指揮官」を昨日読みました。餓島と呼ばれる、飢えとマラリアに苦しめられた絶海の孤島で戦う兵士の辛苦は想像を絶します。他の島との違いは、奪われた飛行場を奪還するという日本が攻撃側なことですが、戦争においては積極論が消極論を打ち消し、不安を表明できないために重大なリスクが黙殺されます。米側には半自動の小銃が行き渡り、ジャングルに仕掛けられたマイクロフォンにより日本側の動向は筒抜けでした。武器や物資で圧倒的に劣る日本は精神力や白兵突撃に頼らざるを得ず、偏った攻撃至上主義を生んだと思います。共同作戦とは名ばかりに陸軍と海軍が別の目標を追い戦いを進めた連携不足は日本軍に限った話ではありませんが、当時から陸海軍を統合すべきとの議論があったと言います。日本軍が勝機を逃した背景は、延べ3万人以上を逐次投入しながら上層部の責任は問われず、絶望的な状況でも兵を鼓舞し続けた指揮官がスケープゴートにされる腐敗した組織構造だと思います。権力欲にまみれた低俗な人間によって組織が汚染されるのは世の常です。ガダルカナルで日本と戦った戦史家のロバート・レッキーは日本兵は世界一強く、戦争指導者が世界一愚かだったと述懐しています。
郷愁の企業城下町
災害を起こるたびに首都圏の一極集中リスクが顕在化し東日本大震災のときも西日本への本社移転の動きがありました。しかしパソナほどの大企業が営業、人事部門など主要機能の社員1,000人を移転し取締役会や経営会議も淡路島で行うケースは稀です。古くは鎌倉の野村総研や大井松田の第一生命などがあり、大学の郊外移転同様に結局行ったり来たりでした。確実にやってくる不況を前に背に腹変えられない大半の企業にとって重荷の家賃は最初のターゲットで、賃料が5分の1になるならどこでも良いという気にもなります。コロナ禍がDXを加速化させ、オフィスが必要というのは幻想だったことに多くのベンチャー企業は覚醒しています。行政もこの動きを後押しした結果都心のオフィス空室率は徐々に上昇しています。バブル崩壊を機に90年代後半にもオフィスの見直しの風潮がありましたが、四半世紀が過ぎてもオフィスの機能は全く進化していません。その理由は企業が今も古典的なマネジメントスタイルを踏襲するからで、取引先の誘致も進めるというパソナは郷愁を覚える企業城下町を淡路島に作るのでしょうか。
未知の体内合成
昨日は不食を実践するオーストラリアのジャスムヒーンの著書「神々の食べ物」を読みました。不食家の間ではバイブル的な本で、自身の不食経験に基づく研究を現代の科学や医学と結ぶことを意図しています。先々週から一日一食以下の微食生活をしていて、この数日も味噌汁と冷奴程度の軽い食事です。注意深く食欲を観察すると食べたくないのですが、食べなくてはならないという強迫観念から食べられそうなものを口にしています。断食と不食は次元が異なり前者は食べることが前提ですが、後者は食べないことがデフォルトです。不食にリアリティを感じるのは身体に起きている変化とこれらの本の不食者の体験が妙に符号するからです。食べない方が快調で頭も冴えスタミナ切れもなく睡眠時間も減ります。太陽が植物を育てその植物が動物を育てることを考えれば、太陽エネルギーのプラーナがクロロフィル以外の何らかの媒介によりエネルギーを生み出すという仮説を言下に否定する気にはなりません。今世紀に入ってすぐNASAが不食の研究を始めました。未知の体内合成メカニズムがやがて明らかにされ人体の持つポテンシャルが拡張するかもしれません。